ひと&雑感

大岡みなみが新聞に書いた「人物紹介」や「書評」などの雑感記事です。


この人/畠山幸子さんこの人/奥津茂樹さん

この人/成澤壽信さん

この人/志田早苗さんこの人/林家とんでん平さん

書評/サバイバル教師術(赤田圭亮著)

ビデオ評/リストラとたたかう男


●この人/畠山幸子さん●

生徒の自立を教師はどう手助けしますか

 「センセー、会社やめようかと思って…」。卒業生のこんなSOSに対して「武器としての知識で労働権を守ろう」と、ガイドブック「もっと素敵にWORK&LIFE」(神奈川県高等学校教職員組合「WORK&LIFE」編集委員会・編、公人社)を昨年六月に出した。初版三千部が、ほぼ完売。法律改正部分を手直しして近く改訂版を増刷する。

 「生徒が見てヒントになるような本を作ろうと思って…」。生理休暇、育児休業、不倫、同性愛、売買春など、かなり踏み込んだ内容だ。中でも「女性の働く権利を守るには、どんな生き方があるか考えたい」と、独身OLユキコと周囲の姿を描いた「LIFE編」には力が入った。

 中学生のころから「やりがいのある仕事をして自立したい」と考えていた。自分の意見をはっきり口にする数少ない女子生徒だったから、教師の受けは悪い。「押し付けがましくって、教師にだけはなりたくなかったんだけどね」

 女子の就職状況が土砂降りの中、教職へ。「自分のやりたいことを常に抑え付ける教師にしか出会えなかった。でも、そうじゃない教師の存在があるのなら、そんな教師を目指してもいいかな」と。

 ◆◆◆◆はたけやま・ゆきこ◆◆プロフィール◆◆◆◆

 神奈川県立茅ケ崎北陵高校教諭 藤沢市生まれ。県立湘南高校から早大教育学部へ。担当は国語。高教組・女性解放教育小委員会のメンバー。39歳。

初出掲載(「神奈川新聞」1994年7月1日付)


●この人/奥津茂樹さん●

「情報」をどう生かすかがカギですね

 知事交際費の公文書公開に大きな風穴が開いた。その結果、交際費の不明朗な使途の一端がほんの少し見えてきた。「例えば、賛助金やせん別。説明のつかない支出が長い間、あしき慣習として放置されてきた。見直しはもちろん、新たな基準づくりが必要だ」

 情報公開そのものが目的ではないから、公開させるだけでは意味がない。公文書公開は「一里塚」に過ぎない。

 大学時代、憲法のゼミで情報公開をテーマにして、市民運動とかかわった。「市民が行政に参加し、意思表示するには情報が必要。そのためには情報公開が前提だ」と知って運動に深入りした。

 最近は「公開」から一歩進んで「参加」に関心がある。「政治参加の方法が選挙だけというのは、おざなり。住民監査請求、直接請求、株主代表訴訟など、組織のバックがなくてもできる『道具』を研ぎ澄まして政治にかかわろう」と呼びかける。

 いじめや体罰があっても、声を出すための「道具」がなくて泣き寝入りする例は多い。市民の側の「道具」として、子どもオンブズマン、体罰ホットラインなどの設置を提唱する。「情報を生かしてシナリオが描けるような発想を持たないとね。情報オタクで終わっちゃう」

 ◆◆◆◆おくつ・しげき◆◆プロフィール◆◆◆◆

 「情報公開法を求める市民運動」事務局長 平塚市生まれ。明大大学院修士課程修了。本業は予備校講師。川崎市宮前区に妻、長男と。34歳。

 初出掲載(「神奈川新聞」1994年8月27日付)


●この人/成澤壽信さん●

「刑事弁護」発刊の狙いは何ですか?

 「金にならないし、手間がかかる」と、刑事裁判を敬遠して民事に力を注ぐ弁護士が多い。そんな弁護士に「もっと刑事法廷に立って」とハッパをかける雑誌「季刊・刑事弁護」を、出版社を設立して今月25日に創刊する。

 冤罪(えんざい)問題にずっと取り組んできた。「やってもいないのに、どうして自白してしまうのだろう。どうして起訴されるんだろう。疑問を持って取材するうちに、起訴前の捜査段階での弁護活動が不十分だったことが次第にはっきりしてきた」

 捜査段階の権限は、圧倒的に警察と検察が握っている。だからこそ、弁護士がチェックしなければならない。「起訴前の弁護活動こそ一番大事。それをきちっとやっていれば冤罪は確実に減る」。冤罪に歯止めをかけたいとの思いが、新雑誌創刊に走らせた。

 普通の市民の人権を守る刑事裁判こそ、弁護士活動の原点。そのための技術と理論を提供する。大学教授、弁護士、日弁連刑事弁護センターが編集に全面協力。各地で活躍する弁護士のノウハウ、情報の共有化も図っていく。

 「刑事裁判は国家権力に対するチェック機能。レベルアップをしないと、組織力のある捜査側に弁護士は負けてしまう」

 ◆◆◆◆なるさわ・としのぶ◆◆プロフィール◆◆◆◆

 「季刊・刑事弁護」編集長 横浜翠嵐高から上智大法学部へ。日本評論社で月刊「法学セミナー」編集長。昨秋に独立。横浜市鶴見区。45歳。

初出掲載(「神奈川新聞」1995年1月21日付)


●この人/志田早苗さん●

フランスの核実験に市民運動は無力でしたか

 フランスの核実験に抗議して先月28日、南太平洋のファンガタウファ環礁の立ち入り禁止区域にゴムボートで入り、フランス軍に身柄拘束・強制退去させられた。フランスが同環礁で2回目の核実験を強行したのは、まさにその直後だった。

 「言葉にできないですよ。怒りと悔しさで」。だ捕された際、フランス軍の監視ボートに体当たりされて右足打撲。パリ経由で2日、帰国した。

 長い一カ月の海上活動だった。ムルロア環礁近くの海域に船を留めて、各国の抗議船との連絡や作戦会議、マスコミ対応などに追われた。狭いベッド。嵐の日は揺れて息もできない。「でも楽しかったですよ」。真っ黒に日焼けした顔は屈託なく明るい。

 行動の基本は、現場で何が起きているか目撃して、ほかの人に伝えること。「フランス軍に比べればハエみたいな存在だろうけど、相手は無視できない。抗議を続け、1日、1時間でも実験を遅らせることで世界の目が集まる」

 ニュージーランドの自然体の反核運動に新鮮さを感じたのが、活動の原点という。「日本人が現場に行って、日本語で語る意味は大きい。一人ひとりの日本人が声を上げていけるような運動を考えていきたい」

 ◆◆◆◆しだ・さなえ◆◆プロフィール◆◆◆◆

 グリーンピース・ジャパン事務局長 大阪府茨木市生まれ。89年まで6年間、神奈川県立大秦野高校で国語を教えていた。大和市下鶴間在住。34歳。

初出掲載(「神奈川新聞」1995年10月7日付)


●この人/林家とんでん平さん●

手話落語にますます力が入りますね

 「耳の不自由な人にも落語の笑いを楽しんでほしい」と、手話落語に取り組んできた異色の落語家がこの春、真打ちに昇進した。

 決して若くはない。「長かったなあ。でも、やりたいこと、好きなことをやってきたから」

 27歳で、故・林家三平さんに入門した。入門6年目に障害者施設で落語をした時、きょとんとした表情で笑わない客に出会ったのが、手話を始めたきっかけだ。聴覚障害者だった。独学で手話を勉強した。4年前にはリヤカーを引いて箱根の峠も越え、本州一周の手話落語行脚をやり遂げた。

 以前住んでいた埼玉県草加市を拠点に、聴覚障害者らに手話落語を指導している。1人はプロになった。「これからは大手を振って弟子が持てる。責任の重さは感じますが…」。夢は「障害者の落語協会」づくりだ。「プロとしてやっていこうとする障害者が社会的に認められるように」と。

 東京都内のホテルで開かれた真打ち披露宴には、手話落語を通じて出会った仲間が全国から大勢駆け付けた。茅ケ崎市在住の視覚障害者・港家かもめさん(本名・臼井幸子)もそんな1人だ。「優しい人です。共に生きるという視点を持っている。いつも励まされています」。慕われている。

 ◆◆◆◆はやしや・とんでんへい◆◆プロフィール◆◆◆◆

 落語家 北海道小樽市生まれ。子供の病気療養のために、3年前から福島県いわき市在住。三平さんの墓参りは今でも毎月欠かさない。44歳。

初出掲載(「神奈川新聞」1996年4月24日付)


◎書評/サバイバル教師術(赤田圭亮著)

現実を見据えた「中学生像」

 「学校の中で叫び声を上げて、あえいでいるのはむしろ教師の方だ…」。著者はそう言い切る。

 教育評論家でもなく、学者でもない、現場教師の立場からのこれが本音の声なのだろう。だから、マスコミで語られる「中学生像」と現場教師が接している実際の「中学生」との格差を知り、親や教師や学校の現実を見据えた上で、教育の正体を突き止めたい、と著者は主張するのである。

 横浜の市立中学校で20年以上教壇に立つ著者の話は具体的だ。例えば一。

 教師が教科書を読み始めたとたん、「センセー、何ページ?」。「話を聞いてないんだから。68ページだよ」。答えて再び読み始めると別の生徒が「センセー、何ページ?」。授業はそんなことの繰り返しで、生徒は自分の名前を呼び掛けられて、そこで初めて教師の質問や指示が自分に向けられていると認識するのだという。

 授業にならない授業に怒った教師が職員室に戻ってしまっても、昔のようにクラスの代表が謝りに来ることはない。「だってセンセーが授業はもうやらないって言ってたもん」で終わりなのだ。いたずらや喫煙にしても、現認されなければ生徒は決して認めようとはしない。「見たのかよお」…。

 「学校の中では、一応は先生の言うことを聞かなくっちゃね」などという前提は壊れてしまったのだ。従来の学校の枠組みが揺れている。「かつての学校幻想を追い求めるのではなく、新しい大人と子どもの秩序を生み出すことが大切だ」と著者は強調する。

 そんな学校で教師たちは疲弊しきっている。本来なら家庭でやるべきしつけの面倒を見て、学校行事も上手くこなして、部活動の世話もして、いじめなどのトラブルにも対応し、進路指導にも頭を悩ます。もちろん授業の準備や試験問題の作成と採点も…。

 「フツーの教師が余裕を持って、ゆったり働ける授業時数を」。それこそが教育改革のかなめなのかもしれない。子どもや学校に対して硬直した見方しかできない人が読むと、目からうろこが落ちること請け合いの1冊である。(時事通信社・1600円)

初出掲載(「神奈川新聞」1998年9月8日付)


◎ビデオ評/リストラとたたかう男

労組と司法のあり方を問う

 新労組を立ち上げて懲戒解雇された一人の新聞記者が、裁判闘争で会社に立ち向かう姿を描いたドキュメンタリービデオに注目が集まっている。「リストラとたたかう男」(企画制作・ビデオプレス)。労働組合の在り方とともに、日本の司法はどこを向いているのかを問いかける作品だ。

 フジサンケイグループの日本工業新聞記者だった松沢弘さん(57歳)は、大規模なリストラを計画する会社の姿勢に反対し、一九九四年に新労組「反リストラ産経労」を結成して、委員長に就任した。グループの全社員が加入する産経労組は、会社と一体となってリストラを推進する「御用組合」だった。松沢さんらは組合改革を目指して新しい労組を立ち上げた。

 ところが、新労組結成の翌月、松沢さんは論説委員から千葉支局長への配置転換命令を受け、同年九月に懲戒解雇される。

 正当な権利として組合をつくっただけで、平然と労働者を解雇する企業。しかもその企業が、曲がりなりにも「言論・表現の自由」を錦の御旗に掲げて活動する報道機関であるという皮肉。そんなでたらめな企業を御用組合が支えている。だからこそ、新労組結成は絶対に容認できない行為だったのだろう。

 預金を取り崩し、アルバイトで生活を支えながら、松沢さんは解雇撤回の裁判闘争を始める。解雇から八年目の二〇〇二年五月、東京地裁(山口幸雄裁判長)は松沢さん側の主張を認めて、解雇無効の判決を言い渡した。会社側はただちに控訴する。しかも松沢さんに対して、二回目の懲戒解雇処分を出した。高裁で会社側が敗訴した場合に備えての予備解雇だという。

 二〇〇三年二月、東京高裁(村上敬一裁判長)は、「解雇権の乱用はない」として一審判決を取り消し、会社側の主張を丸飲みした逆転判決を言い渡した。組合つぶしを目的とした懲戒解雇が明白なのに、そうした背景を全く見ようとしない判決だった。

 「とんでもない悪い裁判官に当たった」。その日、裁判所から帰宅した松沢さんは母親にそうこぼす。そうなのだ。大はずれの裁判官が担当になった時点で、松沢さんの逆転敗訴は決まっていたのだ。東京地裁が七年近くかけて吟味した上で判断した判決を、わずか三回の審理で一八〇度引っくり返したというのは、まさに裁判官の憲法に対する考え方や人権感覚、さらに言えば人間性の違いによるものだとしか考えられない。

 「日本の司法は腐りきっている」と批判するとしたら、こういう裁判官が裁判所の中で神様のように祭り上げられ、裁判官は特別な存在だとして神聖視されている仕組みこそ、大いに問題にされるべきだろう。

 段ボールのロボット姿でビラをまき、松沢さんを支えてきた小川修さんの姿が、作品ではコミカルに描かれる。小川さんの「松沢さんは変われ!」という一言は、愛情と説得力にあふれていた。「自分の得意なことをやらなければ。松沢さんはものを書く人なんだから、表現すればいいじゃないか」。会社から不当解雇されても、記者であることに変わりはない。だったら積極的に取材して記事を書いていくべきだ。それこそが記者としての誇りある生き方ではないかと思う。

初出掲載(「放送レポート」2004年1月号)


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