司法改革●雑文編●裁判官を考える

 

「裁判官」って何だ?

 ◆このページには、裁判官の実態・問題点・あるべき姿などについて考察した雑文を掲載します。

総論●裁判官は独立して憲法を守る?

トンデモ裁判官・その1●無罪の被告を拘束!

トンデモ裁判官・その2●傍聴者を突然排除!

原則に忠実な裁判官●行政敗訴の判決を書くと変なの?

徹底研究「町田顕・最高裁長官」


【総論】

裁判官は独立して憲法を守る

それってホント?

 「憲法と法律と自分の良心のみに従って、だれの影響も受けずに独立して公正に判断する」。そんな特別な立場のはずの裁判官が、実際には自由に振る舞えない。憲法尊重や人権尊重なんて公言するのもはばかられる。制約だらけなのが裁判官の世界だ。

 裁判官が横並びで個性が感じられないと言われる背景には、最高裁が人事異動や給与などの処遇によって格差をつけ、アメとムチで裁判官をコントロールしている人事管理の問題がある。「憲法と民主主義を大切に」という当たり前のことを信条として裁判官生活を貫いたために、最高裁から徹底的に人事異動や給与で差別される例が、実際にいくつも存在する。

 独立して自由に判断し、違憲判決を書くような裁判官は、最高裁から嫌われて排除される仕組みに日本の司法はなっている。

 一方、裁判官の姿勢の違いで判断にかなり大きな差が出てくるという問題がある。裁判官によって「当たり外れ」があるのだ。

 そうした判断の違いは、行政訴訟、住民訴訟、労働・公安事件、刑事事件などで顕著になってくる。裁判官の憲法に対する考え方や人権感覚、さらには人間性までもが問われることになるからだろう。例えば、国や行政や企業に対する異議申し立てには最初から耳を貸さないとか、捜査機関の言い分を鵜呑みにして、推定無罪の原則や刑事訴訟法で定められた手続きをまるで無視するなど、そんな裁判官に担当されたら当事者はたまったものではない。

 少なくとも裁判官には、憲法と法律を厳守することが求められる。そのうえで、弁護人や当事者が提起した疑問点・論点に対し、裁判官はすべてきちんと答えるべきだ。事件に誠実に向き合って説得力ある説明をすれば、意に反する判決が出たとしても、刑事事件の被告や民事事件の当事者はそれなりに納得するだろう。

初出掲載(「月刊サイゾー」2002年5月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


【トンデモ裁判官・その1】

東電OL事件

無罪の被告を拘束!

 東京・渋谷で起きた「東電OL殺人事件」で、強盗殺人罪に問われたネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ被告に、東京高裁は二○○○年十二月、逆転有罪判決を言い渡した。この事件は「無罪勾留」など多くの問題を抱えるが、最大の問題は状況証拠だけで被告が有罪とされたことだろう。背景には裁判官の「推定有罪」の姿勢がある。

 一審の東京地裁の無罪判決を破棄し、無期懲役とする逆転有罪判決を言い渡したのは、高木俊夫裁判長(昨年十一月に定年退官)。この控訴審を担当した裁判官の姿勢にこそ問題があった。一審が無罪と判断したにもかかわらず、検察側の求めに応じて職権で被告の身柄拘束を続けたからだ。

 無罪判決を受けた被告が、判決直後に勾留されるのは異例だ。不法残留していた被告は本来なら無罪で釈放された後、入国管理局に収容されて強制退去されるのだが、それだと控訴審で有罪になった場合に刑の執行ができない。だから検察は勾留にこだわった。

 検察側の勾留要請を、東京地裁と東京高裁第五特別部は「無罪判決の場合は身柄を釈放するのが適当」と退けた。ところが、東京高裁第四刑事部は「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある」として勾留を決めた。その判断をしたのが、控訴審の審理を担当する高木俊夫裁判長だった。

 この時点で被告有罪の心証が、裁判官の胸の内では固まっていたことになる。弁護団は「控訴審の審理が始まってもいないのに、記録だけを見て被告を疑わしいと認定する決定だ。これでは一審判決の必要はなくなってしまう。最初から逆転有罪を想定しているとしか思えない」と厳しく批判した。

 被告は一貫して犯行を否認。物的証拠は何もなく状況証拠しかない。控訴審に新たな証拠が出てきたわけでもない。最初から被告を犯人だと決めている裁判官によれば、無罪でも有罪になってしまうだろう。

初出掲載(「月刊サイゾー」2002年5月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


 ◆本稿の関連記事として「論説・解説・評論」のページに、「『東電OL殺人事件』控訴審報道検証/『推定有罪』なぜ批判しない」という論説記事を掲載しています。高裁判決と裁判官の姿勢、メディアの姿勢について論じたものです。

 ◆さらに「インタビュー&記事/司法改革」のページには、「クローズアップ裁判/東電OL事件・無罪なのに身柄拘束」の記事を掲載しています。


【トンデモ裁判官・その2】

傍聴者排除の理由

裁判長を笑ったから

 「後ろから三列目中央。私の正面。退廷しなさい。今すぐ執行しなさい」。裁判長が大声を張り上げて突然こう言い放った。傍聴席にいた女性が、法廷警備員に引きずられるように連れ出されていった。

 昨年十一月の千葉地裁。小池洋吉裁判長が説明した退廷理由に唖然とさせられた。「裁判長をずっと見つめて、せせら笑っている。審理が進められませんっ」と言い放ったからだ。この時の法廷はしんと静まりかえっていたし、退廷させられた女性も声を出して笑ったりしていなかった。

 大声で笑うとか声を出すなどして審理妨害したというのなら、退廷を命令されても止むを得ないだろう。しかし裁判長の顔をにらみつけようが微笑もうが、そんなことで退廷させられてはたまったものではない。そもそも「せせら笑う」と判断した根拠は何なのだろう。法廷では能面のように無表情でいなければならない、とでもいうのだろうか。

 傍聴者には、憲法で保障されている内心の自由があるはずだ。憲法と法律の番人であるはずの裁判官が、平然とこのような憲法違反の命令をすることに驚きを禁じ得ない。

 この日は、校長に車をぶつけてけがをさせたとして、傷害罪に問われた千葉県四街道市の市立小学校元教諭(通称・金髪先生)の公判だった。弁護側は公判の中で、「管理教育を批判していた被告を排除するために、校長や教育委員会が捏造した虚構の事件だ」として、一貫して無罪を主張していた。

 今年三月末、小池裁判長は「金髪を誇示して開き直るように、わざわざ髪を染めて公判に臨むなど反省の情は微塵も認められない」などと述べ、求刑通り懲役一年二月の実刑判決を言い渡した。担当弁護士は「初めに実刑ありきのひどい判決だ。そもそも裁判官に先入観や思い込みがある。髪の毛を染めていようがいまいが刑事裁判には全く関係ないことで、教員の適格性を判断する場ではない」と判決を厳しく批判。ただちに控訴した。

 複数の弁護士によると、小池裁判長は前任地でも「独善的な姿勢」で知られていたという。裁判官は有罪判決を言い渡す際に、最後にもっともらしく訓戒を垂れて「説示」をすることがあるが、小池裁判長はこの時に必ず故事・ことわざ・格言・詩歌を引用して、被告人に説教するので有名だった。

 弁護側が無罪を争っていた事件で有罪判決を言い渡した際にも「道元いわく…」などと説教を始めて、弁護人から異議を申し立てられた。「弁護人は無罪を確信しており、被告人は有罪判決が悔しくて泣いているのに『道元いわく』はないだろう。無神経すぎる」と弁護士は憤りを隠さなかったという。こうしたことわざを引用した「説示」を外国人の被告人に対してもやったので、通訳が困っていたという話も聞いた。

初出掲載(「月刊サイゾー」2002年5月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


 ◆本稿の関連記事として「ルポルタージュ」のページに、「『不適格教員』にされた『金髪先生』の言い分」「逮捕・懲戒免職された『金髪先生』の無念」を掲載しています。事件の背景などを追跡した短編ルポです。


【原則に忠実な裁判官】

行政側敗訴の判決

変わった裁判官か?

 石原慎太郎都知事が自信満々で導入した外形標準課税条例(いわゆる銀行税)に対し、裁判所は銀行側に軍配を上げた。都側全面敗訴の結果に、石原都知事は「かなり変わった裁判官なんだろ」とコメントしたが、この判決を書いたのは本当に「変わった裁判官」なのだろうか。

 東京都にノーの判断を突きつけたのは、行政に厳しい判決を言い渡すことで知られている東京地裁民事三部の藤山雅行裁判長だ。逆の言い方をすれば、「お上にものを申す側」に対して理解がある裁判官ということになる。

 昨年十一月、難民認定申請中のアフガニスタン国籍の男性九人が東京入国管理局に収容された問題で、このうち五人の収容を停止する決定をして注目された。残り四人について収容を認めた東京地裁民事二部の判断と、あまりにも対照的だったからだ。

 その前月には、小田急線の高架化工事の事業認可をめぐって、沿線住民百二十三人が国土交通省に事業認可処分の取り消しを求めた訴訟で、国が敗訴するまさかの判決を言い渡し、関係者はあっと驚かされた。駄目押しが今年三月の「銀行税」判決だ。銀行側が納めた約七百二十五億円の返還と約十八億円の損害賠償支払いを、東京都に命じた。

 審理中から都側は、銀行側の「大手銀行だけを対象にした税負担は憲法の平等原則に反する」との主張に追い込まれ、形勢不利がささやかれていた。さらに「行政に厳しい」とされる裁判長の存在にも危機感を募らせていた。そこで、冒頭の「変わった裁判官」というコメントが登場する。

 そもそも、石原都知事は「銀行憎し」の庶民感情をうまく利用して「銀行から税金をふんだくる」とぶち上げたものの、条例制定はあまりに性急で稚拙だった。「法の下の平等」に反して特定業種に課税するための「適正手続き」をすっ飛ばした。そこを法律論争で銀行側から突かれたわけで、判決も、都側の議論不足や説明責任を厳しく批判している。

 つまり、藤山裁判長は「行政に対して厳しい」というよりも、憲法の原則と理念に忠実な判断をしているに過ぎない。

 ある弁護士は藤山裁判長を「もともと理論家で、従来の判例や理論の枠組みにあまりとらわれず、自分が正しいと思ったことを判決に反映させようとする人だ」と評する。行政の決定に追従するだけの裁判官の方こそが、むしろおかしいのではないだろうか。

初出掲載(「月刊サイゾー」2002年6月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


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