司法改革●クローズアップ裁判

東電OL事件、ネパール国籍の男性被告

無罪なのになぜ身柄拘束

弁護団「逆転有罪を前提、憲法違反」

 東京都渋谷区で起きた東京電力の女性社員殺害事件で、強盗殺人罪に問われているネパール国籍の男性被告は、1審で無罪判決を受けたにもかかわらず、現在も身柄拘束が続けられている。控訴審を担当する東京高裁が、職権で勾留(こうりゅう)を決めたからだ。「無罪なのに帰国できないのは理解できない。早く家族に会いたい」と被告は訴え、弁護団は「逆転有罪を前提にした不当な勾留だ」として勾留の取り消し決定を求めている。

●無罪なのに帰国できない●

 事件は1997年3月8日に起きた。東京都渋谷区のアパートの空室で同月19日、東電の女性社員(当時39歳)が首を絞められて殺されているのが見つかり、被害者女性と売買春を通じて面識のあったネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ被告(33歳)が同月23日に出入国管理法違反(不法残留)容疑で逮捕された。不法残留の罪で執行猶予付きの有罪判決が出た後、東京地検はマイナリ被告を強盗殺人罪で起訴。被告側は一貫して無罪を主張した。東京地裁(大渕敏和裁判長)は今年4月14日、「(検察側の立証は)有罪を認定するには不十分である」として無罪判決を言い渡した。

 判決後、マイナリ被告の身柄は東京入国管理局に収容され、強制退去の手続きが始まった。この判決を不服とする地検は東京高裁に控訴するとともに、地裁に対して職権に基づいて勾留するように求める申し立てをしたが、地裁は勾留しないことを決めた。このため東京高検は高裁に対して職権発動を求めた。しかし、高裁第5特別部(木谷明裁判長)も「訴訟記録が地裁から届いていないので勾留する権限はない」などとして職権発動しない判断を示した。

 記録が高裁に移ったのを確認した高検は、改めて職権発動を申し立てた。控訴審の審理を担当する高裁第4刑事部(高木俊夫裁判長)は、1審の裁判記録を検討してマイナリ被告に勾留質問をした上で「勾留するに相当の理由がある」と判断し、職権で勾留することを決めた。勾留理由開示の法廷で、高裁は「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があり、逃亡の恐れがある」などと説明している。さらに高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)は、弁護団から出された勾留に対する異議申し立てを棄却する決定をした。弁護団は、最高裁に特別抗告を申し立てている。

●あこがれの日本で●

 「私は無罪なのに…」。マイナリ被告は弁護士に、帰国して早く家族に会いたいと切々と訴えているという。1審の無罪判決後、いったんは入国管理局に収容されて強制退去の手続きが始まっていながら、職権による勾留が決定され、東京拘置所に再び戻された。そのショックは大きくげっそりとやつれた様子で、接見した弁護士もなぐさめる言葉がなかったという。最近はあきらめたのか、かなり落ち着いてきた。

 マイナリ被告は出稼ぎ目的で1994年2月に来日した。豊かな日本はマイナリ被告にとってあこがれの国だったらしい。東京都渋谷区内や千葉県・幕張のインド料理店でウエイターとして働いた。ネパールのカトマンズにある実家は農家で、両親、21歳の時に結婚した妻、8歳と7歳の娘が一緒に住んでいる。故郷では自宅の新築工事をしていて、日本での稼ぎから毎月送金していた。日本では渋谷区内のビルの一室でネパール国籍の5人と一緒に生活していた。

●逆転有罪想定した勾留?●

 無罪判決を受けた被告が、判決直後に再び勾留されるのは極めて異例だ。弁護団は「無罪判決は尊重されるべきだ。こうした勾留は憲法や刑事訴訟法に違反する不当なものだ」と強く反発している。

 控訴審の審理は、被告が出廷しなくても進められる。刑事訴訟法は「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、特定の住居地がない場合などには裁判所は勾留することができる」と定めているが、弁護団は「書類の送達受取人はネパール大使館に指定されていて逃亡の恐れもない。無罪判決を受けている被告の身柄を拘束する必要はどこにもない」と主張する。

 弁護団の一人である神山啓史弁護士は「逆転有罪を想定しているとしか思えない」と憤りを隠さない。裁判官としての資質にも疑問を投げかける。

 「控訴審に移って審理が始まってもいないのに、記録を読んだだけで被告を疑わしいと認定していて到底納得できない決定だ。これでは1審判決の必要などなくなってしまう。そもそも検察側は新たな証拠は一切示していない。にもかかわらずこういう職権発動をするというのは、『1審で無罪判決が出ているのに検察側が控訴しているのだから、逆転有罪になる事件ではないのか』といった思い込みがあるとしか考えられない。審理もしないで、どうしてそのような判断ができるんだということになる」

 地検から出された勾留申し立てを退けた東京高裁の木谷明裁判長(現在は退官)は、決定の中で「無罪判決が出された場合には身柄を釈放するのが適当で、釈放された被告人の身柄を再び拘束するためには正当化するだけの事情が必要」「実質審理もしていない上級審が、無罪判決直後に記録の借り出しによって再び勾留状を発行した前例はない」と指摘している。

●外国人の被告だから…?●

 今回の事件と同じように1審で無罪になり、控訴審の審理が始まる前に勾留されたケースとしては、昨年7月に名古屋地裁で窃盗罪に問われた中国人被告の例があるという。不法残留で入管に収容された後、やはり高裁によって勾留された。「外国人の被告だからこうしたことが問題になった」と神山弁護士は言う。

 「強制退去になると被告が日本にいなくなる。そうなれば有罪になっても刑の執行ができない。だから絶対に逆転有罪になる事件だから身柄を確保しておけ、勾留しておけというのですが、その発想がそもそもおかしい。無罪判決を言い渡されているのだから、日本人と同じように外国人だって国外の自分の家に帰れて当然ではないですか。どうしても強制退去を阻止したいのならば国外退去を止めて日本に滞在させればいいだけで、勾留という手段を取る必要はない」

 外国人だから勾留するというのは、明らかな差別だとする批判の声がある。無罪の人間の身柄を拘束し続けることが、そもそも許されるのだろうかという疑問が強く残る。

初出掲載(「月刊司法改革」2000年7月号)

 ◆追記1◆ 最高裁第一小法廷(藤井正雄裁判長)は2000年6月28日までに、マイナリ被告の勾留の取り消しを求めた特別抗告を棄却する決定をした。「相当な理由や勾留の必要性があれば、いつでも拘留できる」などと決定理由を説明している。5人の裁判官のうち3人の多数意見で、藤井裁判長と遠藤光男裁判官は反対意見を表明した。

 ◆追記2◆ 東京高裁(高木俊夫裁判長)は2000年12月、マイナリ被告に対して、一審の東京地裁の無罪判決を破棄し、求刑通り無期懲役とする逆転有罪判決を言い渡した。

 ◆追記3◆「論説・解説・評論」のページに、「『東電OL殺人事件』控訴審報道検証/『推定有罪』なぜ批判しない」という論説記事を掲載しました。高裁判決と裁判官の姿勢、メディアの姿勢について論じています。


「インタビュー&記事/司法改革」のインデックスに戻る

フロントページへ戻る

 ご意見・ご感想は norin@tky2.3web.ne.jp へどうぞ