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W杯開催記念 カメルーンvsサウジアラビア戦観戦記

2002年6月6日(水)埼玉スタジアム2002

1週間前に、午後半休の申請。「ワールドカップ観戦のため」と書いて、ことの重大さを会社にアピール(^^;;。
無事に12:30に会社を出て、上野駅で旦那と合流。王子駅から南北線〜埼玉高速鉄道で浦和美園駅へ。

営利目的の活動がほとんどできないため、スタジアム周辺は意外に静か。たこ焼きとか綿菓子とかももちろん売っていません(笑)。視界が開けているので、駅からスタジアムはよく見えるのですが、歩いてもなかなか近づかない(^-^;。歩行者専用道路を15分ほど歩くとスタジアムに到着。
ゲート前にはコカコーラ、朝日新聞、ヒュンダイのブース。ゲームや応援メッセージの書き込みなどのイベントに行列が出来ていました。日本国内唯一の試合のはずですが、カードがシブイためか生中継も無く、取材のカメラも少なかったので、テレビに映ることは断念。

入場はチケット確認、荷物検査、ボディチェック。うちの旦那は荷物検査で「何か面白いものは入ってませんかぁ?」などと言われている。そんなのんきな質問をされても・・・。あげくボディチェックでは、なぜか金属反応が!ポケットの中身も再確認したけれど、何も出てこない・・・。どうやら手に持っていたデジカメに反応していたらしい(--;;。

私の席はメインスタンド2階のサウジ側。がらがらのスタンドで地元小学生の前座試合をのんびりと見ながら、オフィシャルビールのバドワイザーを飲む。場内の売店でスタジアム限定のコップも買いました(^-^)。

17:00過ぎると両チームのウォーミングアップが始まり、スタンドからは盛大な拍手が。お客さんも徐々に増えてきました。
貧しい国同士の対決のためか、外国からの応援団は少なかったです。それでもアラビアチックな笛の音が鳴り響く応援は独特の雰囲気でした。2ブロック隣はサウジの応援団御一行様だったので、けっこうにぎやか。本当はカメルーンを応援していたのだけど、サウジコールに思わず手拍子。

キックオフして前半はカメルーンのペース。華麗な個人技と突破力でゴールに向かって突進していきます。アフリカならではのボールさばきと身体の柔らかさは見応えありました。もちろんパス回しも確実で速いです。両サイドのロングスローもすごかったですが、得点にはつながりませんでした。
残念なのはエムボマが本調子ではなかったこと。エトオの突破は目立つのですが、エムボマは消えていることも多く、1戦目のようなロングシュートもほとんどありませんでした。エムボマのハットトリックを期待していたのですが・・・残念。

サウジは1戦目の大量失点(ドイツ相手に8-0)がよほどこたえたのでしょう、ディフェンスはもっとズタズタになると思っていたのですが、6バックくらいの勢いで守りを固めてカウンター攻撃を狙います。
何度かパス回しに成功し、得点のチャンスはあったのですが、ボールを持った選手のトラップが1回ずつ余計。枠に行くシュートも少なく、一昔前の日本代表のような動きでした。(爆)

ハーフタイムにはウェーブ3周。キックオフの笛が鳴るまで回ってました。(^^;

後半にエトオがゴールを決めると、カメルーンも無理な攻撃をせず、1点を大事に守る体制になりました。うーん、つまらん(--;;。両チームともかなり体力を消耗してきて、ゴール前でのパスミスや足のもつれなどが目立つようになってきました。
結局1-0でカメルーンの勝利!2点くらいゴールシーンが見たかった・・・。

帰りの道はどんなに大混雑になるかと心配していたのですが、30分ほどで駅に到着。ちょっと拍子抜け。臨時ダイヤのおかげでそれほど待たずに電車に乗れました。電車の中ではこれから六本木に向かうと思われる外国人グループが、カメルーンの応援歌を歌って盛り上がっていました(笑)。

地味なチーム同士の地味な試合でしたが、これもワールドカップ。最初で最後かもしれない生観戦。満喫できました(^-^)
さいたまのスタッフ、ボランティアの方は皆さんとても親切で笑顔が素敵でした。本当に頭が下がります。おつかれさまでした。


堀池選手の引退によせて

1999年12月28日、清水エスパルスの長谷川健太選手と堀池巧選手の引退が発表されました。Jリーグが始まるずっと前から活躍していた日本を代表する名選手がまたスタジアムから姿を消します。
「エスパルスとの出会い」にも書いてあるとおり、私がサッカーに興味を持ち、エスパルスというチームを知るきっかけになったのは、堀池選手です。以来7年間ずっと堀池選手を応援してきました。無駄なファールをせず、コースを読んでボールを奪いに行く姿、しっかりと右サイドを守りつつも、いつのまにかオーバーラップをしていて正確なセンタリングを上げる姿、ゴール前で何度もピンチを救ったヘディング。そして試合の後に見せる笑顔・・・。今でも様々なシーンがよみがえってきます。
堀池さんがいたからエスパルスを好きになることができた。堀池選手がいたからサッカーを好きになることができた。そしてこれからもエスパルスを、サッカーを好きでいることができると思います。たくさんの感動を与えてくれた堀池選手に、心から感謝します。ほんとうに長い間お疲れさまでした。そしてありがとう!!
堀池選手は、私にとって、永遠に最高の右サイドバックであり、最高のサッカー選手です。

エスパルスとの出会い

あれは、わたしが大学受験に失敗し、めでたく代々木ゼミナール津田沼校に進学が決まった4月のことだった。模擬試験を次の日に控え、一応テスト勉強をした後に茶の間へ行くと、テレビでサッカーがやっていた。小学生のときに男子にサッカーボールを顔面に当てられて以来、サッカーにはまったく興味がなく、キャプテン翼も、自分の高校のサッカー部の男子にも目もくれなかったわたしの前で、豪快なシュートを決めた人がいた。堀池巧選手である。その一点で、勝利が決まった。「サッカーって面白い。」とその時初めて思ったのであった。その試合がワールドカップの一次予選で、5月からJリーグが始まることを知ったのは、一次予選の最終試合、ノボリがゴールを決めた試合である。「なに、二人とも清水エスパルスの選手なのか。こんなにすごい選手が二人もいるのだから、これはエスパルスを応援するしかないだろう。」こうして、勉強をする振りをして部屋に行き、こっそりとラジオやテレビで応援する日々が始まったのであった。

初めての試合観戦は94年の開幕戦、VSフリューゲルス戦(3月12日)。静岡大学の試験がエスパルス戦の前日であることを知り、あらかじめ願書を出しておき、うまく丸め込まれた母親とともに静岡へ向かう(ちなみにチケットの発売日は、今わたしが通っている大学の合格発表の日であった。合格よりもチケットが取れたことのほうがうれしかった不届き者である)。わたしの頭の中は試験のことより、初めてのサッカー観戦のことで頭がいっぱいであった。試合の日は朝から一人で日本平へ行き、ひたすら並ぶ。昼ごろ母親と合流。まだ、改修前で芝生席もあった日本平に入り、感動する。雨が降ってきたのでポンチョを買い、オレンジに身を包んだわたしは気が狂ったように応援し、母はシジマールのファンになった(近くで見れたから)。試合は終了間際に永島のゴールが決まり、初めての観戦を白星で飾ったのであった。その後、静岡大からまさかの合格通知が届き、一週間思い悩むのであった・・・。


一緒にエスパルスを応援してくれる人メール下さい。

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