司法改革●クローズアップ裁判

盲腸で亡くなった息子の医療過誤訴訟

差し戻しで裁判は長期化

提訴10年目の最高裁判決

 盲腸で息子を亡くした両親が、2つの病院を相手に損害賠償を求めていた医療過誤訴訟で、最高裁第2小法廷(北川弘治裁判長)は2月16日、最初にかかった総合病院には過失がないとして、高裁判決を支持して両親側の上告を棄却したが、次に治療を受けた総合病院については「適切な治療だったか審理をやり直す必要がある」として、2審判決を破棄して高裁に差し戻す判決を言い渡した。しかし、「最初に適切な検査がされていれば結果は違っていたはずだ」との疑問があるとともに、提訴から10年を迎えてさらに裁判が長期化することに対し、関係者から批判の声が出ている。

●血液検査をしないで診断●

 上告していたのは、神奈川県逗子市の豊住武志さん(59歳)と妻の朝子さん(55歳)。豊住さん夫妻の三男、三郎君(当時、逗子市立久木中1年生)は1990年6月11日、腹痛を訴えて自宅近くの開業医で診察を受けた。風邪でお腹をこわしているとの診断だったが、1週間経っても下痢、嘔吐、腹痛の症状は変わらないので、20日に大船の総合病院を訪れた。母親は「盲腸(虫垂炎)ではないか」と質問したが、小児科の医師は視診・聴診・触診をしただけで、血液検査や、超音波検査・レントゲン撮影などの画像検査はせずに、虫垂炎を否定して風邪と急性胃腸炎だと診断した。

 翌日になっても腹痛が治まらないため、両親が朝一番で鎌倉市内の総合病院に連れて行くと、担当の小児科医は血液検査と画像検査をした。三郎君の血液中の白血球の数は3万個以上あったために虫垂炎と診断され、午後4時ごろから手術を受けた。手術は成功し、1週間もすれば退院できると医師に聞かされたが、手術室から病室に戻った三郎君は高熱を出して意識混濁の状態が続いた。

 22日の夕方、手術を執刀した担当医は、容態説明などの引き継ぎをしないで帰宅。症状が悪化して激しく暴れる三郎君に、アルバイトの当直医が弛緩剤を注射した途端、呼吸は止まってしまい、午後10時過ぎに死亡した。死因は敗血症とされた。

 両親は1991年6月、「三郎君の死は、大船の病院が検査を怠り適切な診断をしなかったことと、鎌倉の病院の手術後の適切な管理を怠ったことにある」などとして、両病院に損害賠償を求めて提訴した。1審の横浜地裁では原告側がほぼ全面勝訴したが、病院側が控訴し、2審の東京高裁で豊住さん側は全面敗訴した。判決を不服とする豊住さん側が上告していた。

●差し戻し判決に不満残る●

 判決は、最初にかかった大船の総合病院については「過失があるとは言えないとした2審の判断は正しい」として、高裁判決を支持して両親側の上告を棄却したが、その次に治療を受けた鎌倉の総合病院については「症状を予見する時期を誤り適切な治療行為がされなかったかもしれない点について、審理をやり直す必要がある」として、2審判決を破棄して東京高裁に差し戻した。5人の裁判官の意見は全員一致だった。

 虫垂炎を調べる検査をしなかった最初の病院の医師には責任がないと判断し、次の病院の医師が適切な治療をしていれば救命できたかどうかについては、最高裁は判断しないから高裁で審理をやり直すことを命じた判決内容に、豊住さん夫妻や傍聴に駆けつけた市民グループは拍子抜けしたような表情を見せた。豊住さん夫妻は「判決の半分は評価しますが…。弁論を再開してくれたことは感謝しているけど、できれば両方の病院について差し戻してほしかった。すごく残念です」と話して、悔しさをにじませた。夫妻側代理人の弁護士や傍聴していた市民グループからは「中途半端で期待外れの判決だ」という批判の声が噴出した。

 最高裁は今年の1月22日に口頭弁論を開いている。最高裁が口頭弁論を開くのは原判決を覆す場合に限られるから、原告側が逆転敗訴した高裁判決が破棄されることはまず間違いないだろうと、豊住さんら関係者はそれなりに期待してこの日の判決言い渡しに臨んでいたのだった。

 豊住さん側の代理人の森田明弁護士は「そもそも原審(東京高裁)の審理が、鑑定を3つも出させておきながら、やりっ放しで不十分だったのです。1審判決をひっくり返すのなら鑑定人を証人として呼び、どういう根拠で鑑定を書いたのかをただすべきだった。高裁は手抜きの審理をしたわけで、そういう意味では判断材料が足りなかったのだから、今回の最高裁の判決は仕方がなかったとも言える。2審での逆転敗訴から一定部分は押し戻したのだから、不十分ではあるけれど評価はできる判決内容です。しかしそうは言っても、ここまできたら差し戻すのではなくて原判決を破棄し、最高裁自身で判断して決着を着けてほしかった」と話す。

 そして続けて、「差し戻しになったその後が大変です。虫垂炎から腹膜炎になって敗血症に至るまでのどの時点で結果が予測できたのか、死亡の因果関係について最高裁は何も判断していないので、最初から議論のやり直しになるでしょうから。和解の話が出るかもしれないですね」と分析した。

●提訴から10年、再び高裁へ●

 同じく豊住さん側の代理人の大塚達生弁護士は「必要な検査をしなくて患者を帰してもいいんだ、という裁判所のお墨付きを与えるようで釈然としない判決だ。病院が不必要な検査をすることは多いのに、必要な検査は患者側から要望しなければならないのだろうか。納得いかない」と判決に対する不満を訴えた。医療過誤裁判では鑑定が大きなウエートを占めるが、これについて大塚弁護士は「鑑定人がおかしな鑑定を出してきても、裁判官に知識がないから判断できない。だれが鑑定を書いたかが重要視されている」と述べ、鑑定人の肩書きが偏重される実態を厳しく批判した。

 医療過誤の問題に取り組んでいる市民グループ「医療過誤原告の会」会長の近藤郁男さんは、「変調をきたした患者が病院に行って検査もしないで放り出されたのに、その部分が最高裁で争いの対象にならないと判断された。これでは怖くて病院に行けないし、検査をして見落としても病院は悪くないことになるだろう。患者の人権優先という点から考えて、おかしな判決だと思う」と指摘する。「原告の会」が発足してからこの10年間で、寄せられた相談は7600件に上るという。最近ようやく医療過誤の問題がクローズアップされるようになってきたが、裁判で患者側の主張が認められるケースはまだまだ少ないし、提訴して判決が出るまでには相当な時間を覚悟しなければならない。

 提訴してから10年を費やした豊住さん夫妻の医療過誤裁判は、最高裁の中途半端な判断のために、さらに再び高裁に戻って裁判を続けなければならなくなった。患者・遺族側の負担はあまりにも大きい。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年4月号)


●写真説明(ヨコ):判決言い渡しの後、代理人の弁護士から判決内容について説明を聞く豊住朝子さん(中央)ら=2001年2月16日午前10時50分、東京都千代田区の最高裁判所前の路上

◆関連記事として、豊住さん夫妻へのインタビュー記事「まさか盲腸で死ぬなんて…」を掲載しています。


「インタビュー&記事/司法改革」のインデックスに戻る

フロントページへ戻る

 ご意見・ご感想は norin@tky2.3web.ne.jp へどうぞ