インタビュー/司法改革

まさか盲腸で死ぬなんて…

医療だけじゃない「司法過誤」も

医療過誤訴訟●豊住武志さん、朝子さん


 【豊住さんの医療過誤訴訟】 神奈川県逗子市の豊住武志さん(58歳)と朝子さん(54歳)の三男、三郎君(当時、逗子市立久木中1年生)は1990年6月11日、お腹が痛いと訴えて、近所の開業医で診察を受けた。風邪でお腹をこわしているとの診断だったが、1週間経っても下痢、嘔吐、腹痛の症状は変わらず、20日に大船の総合病院を訪れた。母親は「盲腸(虫垂炎)ではないか」と質問したが、小児科の医師は視診・聴診・触診をしただけで、血液検査や画像検査(超音波検査やレントゲン撮影など)はせずに、風邪と急性胃腸炎だと診断した(カルテにも虫垂炎ではないと記載されている)。

 翌日の21日になっても腹痛が治まらないため、朝一番で鎌倉市内の総合病院に連れて行くと、担当の小児科医は血液検査と画像検査をした。三郎君の血液中の白血球の数は3万個以上もあった。虫垂炎と診断され、午後4時ごろから手術を受けた。手術は成功で、一週間もすれば退院できると医師に聞かされたが、手術室から病室に戻った三郎君は高熱を出して意識混濁状態が続いた。

 22日の夕方、手術を執刀した担当医は、容態説明などの引き継ぎをしないで帰宅。症状が悪化して激しく暴れる三郎君に、アルバイトの当直医が弛緩剤を注射。その途端、呼吸は止まってしまった。午後10時15分に死亡。死因は敗血症とされた。

 両親は1991年6月、三郎君の死は大船の病院の診断ミスと、鎌倉の病院の手術後の管理ミスにあるとして、両病院に損害賠償を求めて提訴した。一審の横浜地裁は原告側がほぼ全面勝訴したが、病院側が控訴。二審の東京高裁で両親は全面敗訴した。判決を不服として両親が上告し、現在最高裁で審理中。


●中身のない長期裁判●

 手術の直前まで、息子は翌月から始まる学校の期末テストのことを気にしていました。息子自身だって、まさか自分が死んでしまうなんて思いもよらなかったと思います。それなのにどうして死んでしまったのか、死ななければならなかったのか。私たちはそのことを明らかにしたかったのです。

 裁判が結審するまでには10年くらいはかかると聞いていました。時間がかかるだけではなくて、お金がかかるのも覚悟はしていました。真実がわかるだろうと思って裁判をやろうと決意したのです。

 しかし実際に裁判を始めてみると、私たちが想像していたものとは、およそかけ離れていました。裁判に時間がかかるのは十分な審理をしているからだと思っていたのに、そうではなかった。口頭弁論は2カ月に1回とか3カ月に1回しか開かれません。もちろん、その間に準備書面のやり取りはありますけれど。それに、口頭弁論のために裁判所に出向いても、そのたびに5分に満たない短時間で終わってしまうのです。

 結局は次の期日を決めるために行くだけ。何なんだろうって思いはすごく強いですよ。私たちは自営業ですが、時間をやり繰りして電車を乗り継いで、裁判所まで出かけて行って馬鹿みたいですよね。

 いろんな困難があるだろうけど、やりがいがあるから乗り越えられると思って始めた裁判でしたが、しかし中身のある大変さではなかった。儀式・形式みたいなもので、公開するという仕組みに則ってやっているだけです。特に東京高裁では、十分な審理を尽くすという裁判ではありませんでした。

●人間味のある判断を●

 それと残念に思うのが裁判官の態度です。私たちは子どもを亡くして裁判をやっているのに、にこにこしながら「次の期日はいつにしますか」などと言われる。自分の人生をかけて、子どもの死の真相を知りたくて裁判をやっているのに…。

 あなたが自分の子どもを殺されたら、どうなんですかと聞きたいです。裁判官にしてみれば何百件の事件のうちの1件かもしれないから、淡々と裁判をこなすのも仕方ないけれど、もっと世間一般が納得するように、人間味を持って裁判をしてほしい。

 憲法や法律というのは人間があってこそでしょう。冷たい条文だけを照らし合わせるのは、基本が間違っていると思います。裁判官の器量や人間性というものをつくづく考えますね。素人が立証に向けて資料をそろえて、書類も書いて、その結果は裁判官にゆだねるわけです。当たった裁判官にすべてをかけることになります。10年間の苦労がその一瞬で決まってしまうのですから、裁判官次第なのです。

●新しい証拠ないのに●

 一審の横浜地裁では3年間に18回の裁判が開かれ、裁判長は一度交代しましたが、十分に意見も述べることができて、すごく充実感がありました。結果は私たちの主張が認められて、全面勝訴の判決でした。

 ところが病院側が控訴して、それから半年も経ってからようやく東京高裁で二審の裁判が始まったのですが、二審では一審の焼き直しをやっただけなんですよ。私たちは出すべき証拠などは全部出していますし、病院側は再鑑定の申請をしただけで、新しい証拠なんて何もないのですから。

 この裁判がまた長いのです。鑑定人が決定されて鑑定結果が出されるまでの間は、何も審理がありません。二審が始まってから、そんな調子の実のない1年間が過ぎていきました。準備書面でも重箱の隅を突つくようなやり取りが延々と続きました。控訴審から病院側の弁護士が変わったからです。

 しかも、高裁では裁判長の交代こそありませんでしたが、鑑定事項案を準備する裁判官と、和解を担当する裁判官が途中で2人とも変わりました。このため、和解の日程が急に中止・延期されました。交代した和解担当の裁判官は次回法廷の期日確認をしただけ。何の説明もないまま、中途半端な形で和解は打ち切りとなり、2人の新しい裁判官を加えての初めての法廷は結審の日でした。

 なぜ、突然和解が打ち切られたのか、その間に何があったのか、私たちには今もまったくわかりません。大事な最後の詰めの段階になって、ここまで裁判官がころころ交代するのはおかしいと思います。

●証人尋問も聞かずに●

 一審では、裁判官が証人尋問を直接聞いて判決を出していますが、これに対して二審の東京高裁は書類だけを見て判決を出しているのです。それなのに、なぜまるっきり逆転して、一審判決を破棄するような判決が出せるのか不思議でなりません。

 「(一審でほぼ全面勝訴しているから)二審では多少の後退があるかもしれないけど、敗訴になることはないでしょう」と弁護士さんも話していたんですよ。全面的にひっくり返すというのは、よほど何かなければありえないのに…。

 東京高裁が、一審の判決と鑑定をあそこまで否定する判決文を書くのなら、どうしてもう一度、証人尋問をやってくれなかったのだろうと思います。どこから、ああいう結論を出してきたのかが、まるでわかりません。一審での審理内容を読んでいないのではないかとしか思えません。こんな判決があっていいものかと怒りを覚えます。わからないのならば、わからないと書けばいい。わからないのに字面だけで判決を書いているのです。高裁の役目を果たしていると思えません。これでは医療過誤でなく「司法過誤」です。

 地裁の方が現場の雰囲気をよく知っています。高裁は字面で読むだけだから真実がどんどん違う方向へ行ってしまい、細かいニュアンスも微妙にゆがんで違ってきます。裁判官が証拠や書類をもっときちんと読み込んでいたら、また違うとは思いますが。でも、読んでいないから話のしようがない。だから高裁の裁判官は、期日の指定しかできなかったのでしょうね。

●鑑定人で大きく左右●

 医療裁判はいずれの場合でも同じですが、どうしても専門家の鑑定に寄りかかりがちです。鑑定に寄りかかり過ぎると言ってもいいかもしれません。しかも権威主義で、私立大学よりも国立大学の先生の方が偉いと、裁判官は考えているように見受けられます。

 国立大の先生を鑑定人にした二審の東京高裁判決は、一審の判決文と鑑定内容をけなしたいという思いが強く感じられました。一審判決と鑑定への反論に終始しているような、悪意に満ちた判決文だとしか思えません。東大の先生の鑑定に沿った形で、原告に不利なことだけを取り上げているのです。最初に結論ありきだったのではないでしょうか。

 この判決を「非科学的でおかしい」と思ったのは、素人の私たちや弁護士さんだけではありませんでした。一審の鑑定人の先生は、高裁判決と二審の鑑定に反論する長文の意見書をわざわざ出してくれました。それほど、一方的で誤解と偏見に満ちた判決と鑑定だったのです。

 もちろん、一審も二審も鑑定に寄りかかっている現実は同じです。医療過誤訴訟は、鑑定によって大きく左右されてしまうのです。たまたま一審では、とても誠実でいい鑑定が出ましたが、どの裁判でも公平で科学的な鑑定を出してもらうことが大切です。医者は医者をかばいがちだという当たり前のことを、裁判官はわかってほしい。

 でも、私たちの裁判の原点は「どうして盲腸で死ななければならないのか」ということです。近所の皆さんも「どうして?」と不思議がります。たった今まで私としゃべりながら学校の話をしていた子どもが、手術してからたった2日間で死んでしまったのです。それはおかしいという思いが原点です。難病や不治の病なら覚悟もできますが、そうじゃない。だれだっておかしいと思いますよ。

●被害者に立証責任?●

 どうして息子が死んでしまったのかわからないから、そこが知りたくて裁判をやったのに、医師の過失と死亡との因果関係などの立証責任を、被害者側が負わなければならないのは、おかしいと思います。

 素人の私たちが医学書を読んで、参考文献を探して、知り合いの医師に相談し、弁護士さんと争点を絞っていく作業をしながら、医療の専門家を相手に争わなければならないのです。そういう裁判制度は何とかしてほしいですね。今の制度では、なかなか医療事故の被害者は勝てないでしょうし、あまりにも負担が大きすぎます。

 人間のやることだからミスもあるだろうけど、事故が起こった後をいかに整理して、きちんと事実を話してくれるか、どうやって事故を防ぐかが大切なんです。裁判でも、病院側は結局、死亡原因について「わからない」を連発するだけでした。内心では「ミスったな」と思っているはずですよ。

●医療訴訟のこれから●

 今まで手探り状態でやってきましたが、最近は医療過誤の問題が大きく取り上げられるようになって、市民の関心も高まってきました。「医療過誤原告の会」などの全国的な市民団体のほか、弁護士さんが中心の「医療事故情報センター」や、医師を中心に活動する「医療事故調査会」などが、相談に乗ってくれたり情報交換をしたりするようになっています。

 私たちの場合、息子のカルテは1カ所しか改ざんされていませんでしたが、カルテなどの改ざんをさせないための証拠保全も大きな問題です。アメリカでは証拠の改ざんに対してはペナルティーがあるのに、日本ではないのもおかしな話です。そもそも、裁判官が不思議に思わないのがおかしい。医者が書いたものをうのみにして裁判する姿勢から変えていくべきです。

 裁判では常識的な判断をしてほしい。だれが考えても、おかしいものはおかしいと共感できる判決を下さないと、司法への信頼がなくなってしまいます。

初出掲載(「月刊司法改革」2000年1月号)


●写真説明(ヨコ):まさか息子が盲腸で死んでしまうなんて…。両親の豊住武志さんと朝子さんは、今も信じられない思いでいっぱいだ=神奈川県逗子市の自宅で

 ◆追記1◆ 最高裁第2小法廷(北川弘治裁判長)は2001年2月16日、最初にかかった総合病院には過失がないとして高裁判決を支持し、両親側の上告を棄却したが、次に治療を受けた総合病院については「審理をやり直す必要がある」として2審判決を破棄し、高裁に差し戻す判決を言い渡した。

 ◆追記2◆ 関連記事として「クローズアップ裁判/差し戻し判決で長期化」を掲載しました。最高裁判決についてリポートしました。


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