シリーズ・教育ルポ

ある新人教師の死

分断され孤立化する学校現場


【前文】新採用の小学校教師が勤務校の教室で自殺した。赴任してわずか3週間だった。背景にはあまりにも忙し過ぎる職場環境がある。新任教師だけでなく、学校の教師の世界そのものが、増大する雑務と管理強化によって多忙をきわめている。自分のことで精いっぱいで、仲間や後輩の悩みに耳を傾けるだけの余裕がないのが実情だという。周辺取材から、分断され孤立化する教師たちの姿が浮かび上がってきた。

●衝撃●早朝から深夜まで多忙な勤務●

 学校に衝撃が走った。昨年(2005年)4月19日午前9時半ごろ、埼玉県越谷市の市立小学校の図工室で、4年生担任の男性教諭(22歳)が首をつって死んでいるのを校長が見つけて119番通報した。目立った外傷がないことなどから警察は自殺と判断した。

 越谷市教育委員会によると、1時間目の授業が始まっても男性教諭が教室に姿を見せないので、管理職や同僚が校内を探していた。この日は午後の5時間目に授業参観、続いて6時間目には保護者懇談会が予定されていたが、ほかの教師が代行した。

 男性教諭は同年3月に埼玉大学教育学部を卒業し、4月1日に同小学校に赴任したばかりだった。

 市教委学校課の山口竹美課長は、「18日間しか勤務していないので、自殺の理由についてはなんとも言えない。クラスでトラブルがあったなどの話も聞いていないし、本人から職場の人間関係や授業に関する悩みなども聞いていません」と話す。

 「男性には昨年3月に面接した時に会いました。すらっと背の高いスポーツマンで、受け答えのはっきりした好青年という印象が残っています。子どもたちの人気者になるだろうな、意欲に燃えて教師を志した念願がかなったんだなと感じました。4月8日の金曜日が入学式と始業式でしたから、子どもたちと接したのは実質7日もない。これからスタートという段階だったのですが」

 一方、地元の教師たちは「あの小学校でなければこんなことにはならなかったかもしれない」と指摘する。

 男性が赴任した小学校は、市内では「超多忙校」の一つとして有名だった。昨年3月までいた前任校長の方針で、とにかくやたらに行事が多い。日替わりで朝の全校マラソン、読書タイム、詩の発表会などがある。始業前のこうした行事の準備のために登校時間はどうしても早くなり、こなしきれない仕事は放課後に持ち込まれる。文部科学省の研究指定校の仕事を割り振られることもある。

 教師の負担はほかの学校の比ではなく、ベテランでも他校から異動してきて慣れるまでしばらく時間が必要だったという。新任教師にとってはなおさら大変だ。そんな方針は後任校長にも引き継がれた。

 新任教師はただでさえ忙しい。初めて経験するクラス担任と授業準備に戸惑いながら校務に追われ、年間300時間以上と規定されている「初任者研修」も並行して受けなければならない。指導案や研修レポートを週に何枚も書かされる。指導教官によっては何回も書き直しを命じられて、提出枚数は膨大な量になるという。日付けが変わる時間まで学校に残って仕事をすることもある。慣れない環境で、新人はかなりの負担を強いられることになる。

 同校に赴任した新任教師は、自殺した男性のほかに新卒の女性が1人。女性教諭は失敗して不安に感じることがあればその都度、職場の先輩に愚痴をこぼしたり相談したりしていた。だが、男性教諭が周囲に弱音を吐くことはほとんどなかったという。同僚の1人は、男性教諭が「きょうは眠れるかな」とつぶやくのを1度だけ聞いたことがあったというが、それ以外に男性から悩みや愚痴などを聞かされた人はいない。

 周囲の目はどうしても女性教諭に向きがちで、ベテラン教師が相談に応じたり面倒を見たりする対象となるのは、もっぱら女性だった。それとは対照的に、男性教諭については「彼は放っておいても大丈夫だろう」と思われていたらしく、同僚らがこれといってフォローすることはほとんどなかった。

 関係者の話では、男性教諭は指導案作りなどで毎晩遅くまで学校に残っていた。両親と一緒に住んでいる自宅には午後11時ごろ帰宅。夕食後も、自室で午前1時までパソコンに向かって仕事をしていた。朝は午前5時に起きて、午前7時過ぎには登校するといった生活が続いていたという。

 亡くなる前夜、1年先輩の教師が男性を車に同乗させて学校を出た。翌日の授業参観について「大丈夫か」と声をかけると、男性は「準備できています」と答えた。年齢の近いこの先輩や同じ新任の女性らと男性は、メール交換などをしていたといい、男性が職場で完全に孤立していたとまでは言えないようだ。

●評価●こういう状態ずっと続くのか●

 亡くなった当日は、学校の防犯警備システムが午前6時20分に解除されていることから、いつもより1時間ほど早く登校したようだ。それから自らの命を断つまで、男性教諭は何を考え、どんな思いで図工室に向かったのだろうか。職員室の男性の机の上には、授業参観の完璧な指導案が置かれていたという。

 自殺した男性教諭の大学の成績は、ほとんどが「優」の評価だった。教員採用試験の結果も、2004年度に採用された埼玉県の教員約600人のトップクラスだったという。

 埼玉県教育委員会は2004年度から、採用試験合格者のうち希望者(30人)をボランティアとして小中学校に派遣し、大学在学中の段階で現場を体験させる「インターンシップ制度」を始めた。自殺した男性教諭も参加したが、ここでも管理職らによる評価はとても高かった。県教委市町村教育課によると、「元気。真面目でさわやか。熱意に満ちている」などと報告されていたという。

 「教育委員会がモデルにしたいようなピカイチの新人で、太鼓判を押されて採用された。『期待しているので頑張ってほしい』と県教委幹部から激励されていたとも聞いていますよ。それだけに、赴任してたった3週間で、しかも学校で自殺してしまったのだから県教委は真っ青になった」

 埼玉県内の教育事情に詳しい大学関係者はそう解説してから、「ただ、県教委の考える『優秀な人材』とはどんな人材なのか。そこは疑問に感じる。成績がよくて、要求されたことをそつなくこなすのが優秀だとしたら、人間観察の観点がずれているのではないか」と付け加えた。確かに、教師に向いている人材や教師になってもらいたい人材は、学校の成績や事務処理能力とは無縁だろう。

 「『期待されている』ことが大きなプレッシャーになっていたのだろうか」と推測する人がいる。また、「周りの人に相談できず、自分ですべてを背負い込んでいたのかもしれない。朝早くから夜遅くまで黙々と働くうちに展望を失って虚しくなってしまったのか」「優秀だっただけに見切りをつけてしまったのかな」などと分析する人もいる。「悩みを打ち明ける余裕さえなかったのかも」──。関係者の間にはいろいろな憶測が今も飛び交う。

 それにしても、赴任してわずか3週間で精神を病んで、自殺することはあるのだろうか。埼玉県内で教職員の健康診断や勤務状況調査を続けている埼玉協同病院の内科医・清水禮二さんは、「十分にあり得る」と言う。

 「極度にストレスが集中して緊張した状態に置かれれば、短期間でも精神的に追い込まれる。夢があって教師になったのに壁を乗り越えられなければ自殺することはあります。兆候は必ずあるはずだが、同僚が自分の仕事に追われて余裕がなければ気付かずに見過ごされてしまうでしょう。学校の先生は疲れ切っている人が多いですから」

 ほかの学校でも、新任教師が精神的に追い込まれることは十分にある。

 遺書は見つかっていない。家族や同僚にもメッセージなどは残されていない、とされている。しかし、職員室の男性教諭の机を整理している際に同僚が見つけた大学ノートには、「こういう状態がずっと続くのかな」という走り書きが残されていたという。複数の同僚がこの走り書きを目にしているが、市教育委員会は「そのような大学ノートの存在は把握していない」としている。

●同僚●自分のことだけで精いっぱい●

 男性教諭はなぜ自ら死を選んだのか、何を訴えたかったのか。自殺の原因や真意を確かめるすべはない。

 けれども、「周りがもっとサポートしていれば」という思いや、「とにかく忙しい。ベテラン教師に後輩の悩みを共有してフォローする余裕がない」といった学校現場の実態を訴える声は、多くの教師や大学関係者が口にした。

 社会経験などほとんどなく、子どもや親とのコミュニケーションも満足にできず、不安でいっぱいの新任教師。「あなたがこの教室のすべてを仕切る先生です」と言われて放り出されても、戸惑うばかりだろう。

 そういう時に相談に乗って愚痴を聞いてくれるのが、先輩や同僚の教師仲間だったはずだが、そうした「バックアップ体制」がおかしくなっている。教師同士で悩みを共有してフォローし合う関係が崩れてきている。仲間の話に耳を傾けるどころじゃない。仕事を山のように抱え、管理強化に翻弄され、自分のことだけで精いっぱい。教師集団がバラバラにされているのが今の学校だというのだ。

 まず、書類の量が格段に増えた。学級経営方針、全教科の年間指導計画、週案(1週間の授業計画案)などの作成はもちろん、研究発表授業の準備もしなければならない。

 行事があったりトラブルが起きたりすれば、勤務時間内にはとてもではないが仕事は片付かない。放課後の会議に出席し、その後にテストや宿題の採点をして、指導案を書き、次の日の用意をしていると、午後8時や9時になるのは当たり前だ。日付けが変わることもある。朝も早くから学校に来なければならない。教師は疲弊している。授業の準備や教材研究、子どもたちとのスキンシップがおざなりになってしまうのが心配だと教師たちはこぼす。

 職員会議は議論する場ではなくなり、上意下達の場になってしまった。「人事考課」制度の導入は管理強化と教師集団の分断を促した。教職員組合の弱体化は、仲間に無関心な職員室に拍車をかけた。現場で支え合う体制は瓦解し始めている。教師の共同体をつくっていくのは時間がかかるが、壊すのはあっという間だ。

 男性が亡くなった越谷市の小学校では、「新任は毎朝掃除してみんなの机の上を拭くように」という不文律があったが、男性の死後、「よくないからやめよう」ということになった。女性の新任教師の負担はかなり軽減されたようだという。

 校長は、教師たちに「早く帰るように」と言い出した。休み時間を確保しようとの試みも始めた。

 しかし、日替わりで用意されているいくつもの行事が減らされない限り、仕事量は同じだから教師の負担は変わらない。早く下校する分、仕事を自宅に持ち帰って片付けることになる。それでも、男性の自殺を契機に、忙しすぎる学校の状況をなんとか変えようと考え始めた空気を、同校の教師たちはほんの少しだけ感じている。

●悲鳴●ストレス抱えて「心の病」急増●

 東京都教職員互助会が運営する三楽病院(千代田区)は、東京以外の広範囲の地域からも教職員の受診者が多いことで知られるが、新任教師が心や体に変調を訴えて受診するケースが最近目立っているという。社会経験が乏しい若手教師が、多忙で困難な仕事に直面してストレスで登校できなくなるようだ。また若手だけでなく、さまざまなストレスを抱えて「心の病」にかかる教師は年齢にかかわらず、全国的に急増している。

 同病院の精神神経科部長の中島一憲さんは、「指導教官や管理職とうまくいかないなど、職場の人間関係に問題があるのが若手教師の特徴だ」と分析する。

 「本人にコミュニケーションの力が足りない人が多いが、学校現場が忙しくなっていることも背景にある。指導教官の側にもじっくり教えてあげる余裕がなくなっています。職員室で話を聞いてあげる立場の先輩の方が疲れてしまって、後輩にかかわってあげることができない。学校現場でコミュニケーションの断絶が進んでいるんです」

 さらに、保護者からの一方的な苦情や批判が増えていることも、教師のストレスの要因として指摘した。

 「子どものことを考えて生徒指導しているのに、保護者から一方的に誹謗中傷されて孤立化し、うつ病で休職する教師も少なくありません。保護者には家庭でやるべきしつけを学校に押しつけてくる人や、対話のできない人もいる。子どもの前でも平気で教師を馬鹿にする親もいます。教師と保護者の人間関係が一方通行な上に、中には校長が教育委員会の指示を教師に伝えるだけになって、教師の裁量はどんどん減っている。ストレスは増えるばかりです」

 もちろん、理不尽で非常識な「無理難題」を突き付けてくる保護者ばかりではない。常識的なコミュニケーションがとれる親もいるし、納得できる批判をする親や信頼関係が築ける親も多い。だが、エキセントリックでヒステリックな迫り方をする保護者は確実に増えている。

 「教師が親たちのストレスのはけ口の対象になっている。文句を言って教師を追い詰めていく。特に若い教師に対する親たちの目が厳しい」と現場教師は嘆く。

 文部科学省のまとめによると、2004年度に精神性疾患で休職した全国の公立小中学校・高校などの教員は3559人で、前年度と比べて365人増加。すべての病気休職者に占める精神性疾患休職者の割合は56・4%で、前年度と比べ3・3ポイント上昇している。

 こうした保護者の意識変化を反映してか、新任教師自殺のニュースが報じられた直後、インターネットの掲示板には次のような情報が書き込まれた。

 「クラスで子ども同士のトラブルが起きた。担任の対応がおかしいと双方の親が学校に怒鳴り込んだが紛糾した。同僚や管理職は放置し、授業参観と保護者懇談会の日を迎え、対応に窮した担任が教室で首をつった」──。

 インターネット上に無責任な情報が乱れ飛ぶ中、こんなストーリーがまことしやかに流され、さらに大学や教職員組合などの関係者の多くも、この「物語」を信じて疑わなかった。関係者への取材をいくら重ねても、この「物語」を裏付ける証言は一つも出てこなかったことから、これは根も葉もない憶測だと判断する。しかし見事なまでに、最近の教師と保護者の関係を図式化したストーリーだったからこそ、多くの人が信じ込んだのだろう。

●育成●新人教師の「居場所」目指す●

 埼玉県川越市内の公民館。毎月1回、午後6時半を過ぎると、採用されて1年目〜2年目の新人教師が集まってくる。中には、臨時採用教師やこれから教員採用試験を受験する大学生もいる。「大学教育と学校現場の橋渡しの場に」と2004年4月に始まった自主サークル「教育実践研究会」だ。

 指導するのは、朝霞市立朝霞第2小学校教諭の増田修治先生(47歳)。埼玉大学教育学部で非常勤講師としても教えている。「若い教師たちの救いの場になれたらいい。トラブルがあるのは当然なんだよ、悩みを聞いてあげるからおいでよ」。そんな思いで研究会を立ち上げた。

 「越谷市で起きた新任教師の自殺は他人事ではない」と増田先生は思った。「教師1人の命はこんなに軽視されているのか、若い教師がなぜ追い詰められたのか、教師の世界がバラバラにされている」と感じたという。

 増田先生は「教師を育てるには昔の徒弟制度みたいなものが必要だ」と話す。

 「教育っていうのは、ていねいに話をして分かってもらう仕事なんですよ。新人教師を育てるのも同じです。一般論的なことを言ってもダメ。直面している問題について具体的に語って初めて分かる。手取り足取り、1人1人に合った言葉で説明されてその人の胸にストンと落ちるんです」

 研究会はまず、参加者の近況報告から始まる。そして、それぞれのクラスや子どもたちの様子を書いてきた詩の読み合わせをして、全員で検討する。言葉に敏感になって、自分の言葉で具体的に表現することで、子どもたちを見る目を養うことにつながる。それが教師自身の成長にもなる。

 教師1年目の女性は、落ち着きがなく暴力をふるうクラスの子どものことで悩んでいた。エスカレートする子どもの行動に、どう対応すればいいのか分からなくなった。そんな様子をリポートした。

 「隣の先生や教頭に怒ってもらったことで、この先生は怒ることもできない先生だと思われたんだよ。でもこの子は掲示物を破いても、友達の作品は破かない。荒れている行動の中から、その子の光っている部分を見つけ出すことが必要だよ」と助言する増田先生の言葉に、新任の女性は自信とやる気を取り戻していく。

 校長からは「甘い」と叱責され、荒れる子どもには蹴られたり噛みつかれたりする毎日。「だれも分かってくれない」と辛くてたまらなかったが、研究会で仲間に話を聞いてもらい、増田先生にアドバイスしてもらうことで、余裕が出てきたという。子どもも心を開いてくれるようになった。

 「学校だと、みんな忙しそうだから聞いたら悪いかなと思う時もあるけど、研究会では子どもたちのことで悩んでいる話や愚痴を気軽に聞いてもらえるし、冷静な視点で、なるほどなと納得できる鋭い助言もしてもらえる。子どもにどう接したらいいか、という方向性が見えてきて、教師としてレベルアップしたように思います。自信がつきました」

 持ち寄った実践リポートの報告や検討も、研究会の重要なメニューだ。

 教師2年目の男性は、学級通信の取り組みについて報告した。決して上手ではないが味のあるイラストが描かれた学級通信が、全員に配られる。増田先生はディスカッションを整理しながら、「どうして子どもたちはこの学級通信を読みたがるんだろう。緻密でないところがいいんだよな。通信を通じて、子どもたちは友達に対する新しい発見がある。子どもと先生が紙面から感じられる。頑張ることを強要していないのに頑張る気にさせるよな。共有関係をつくり出しているんだよ」とアドバイスした。参加者はうなずきながら、熱心にメモをとる。

 増田先生は、参加者の教師を決してけなさない。いいところをすくい上げるように評価してほめる。その上で、「こういう視点を持てばもっと豊かになるよ」と具体的に助言する。その一言で、悩みや不安を抱えていた新人教師の顔は明るく輝く。

 「聞いてもらうことのうれしさを、まず教師自身が体得するのが大事だと思うんです」

●行政●「もの言わぬ教師」広がる?●

 だから増田先生は、教育委員会の初任者研修を「型にはまった教師をつくり出していく」と批判する。

 「初任研では、いかに教師として力がなくてダメか、新人を徹底的にけなして指導する。そして、『ずいぶん力がついたじゃないか』と教育委員会の方針に沿った教師像を植え付けていくんですね。そんなやり方でまともな教師が育つわけがない」

 埼玉県教職員組合の贄田教秋書記長は、「必要な研修はすべきだろうが、授業や教室の中で力量を高めるような工夫こそ大事なのではないか」と指摘する。

 「そもそも教師の仕事というのは、子どもに始まって子どもに還るものです。新任教師は子どもたちと触れ合って体温を肌で感じ、失敗しながら現場で学んでいくべきなのに、初任者研修によって現場から離れてしまう。形式的な指導案を書かされ、校長や指導教官の検閲を受けて、パターン化された教師になってしまうのが心配です」

 しかも新任教師の身分はきわめて不安定だ。採用1年目は「条件付き採用」とされ、勤務態度や適性などに問題があれば、採用を取り消されることもある。このような「仮採用」が1年間も続くのはおかしいのではないか、採用取り消しを恐れて「もの言わぬ教師」が広がるのではないか、と教職員組合などは批判する。

 また、大学在学中に現場を体験させる埼玉県教委の「インターンシップ制度」に対する疑問の声もある。「新任教師をフィルターにかけて、教育委員会や管理職の言うことを素直に聞くかどうか査定し、従順でない者のチェックや排除に利用されかねない」と心配するのだ。2005年度は前年度よりも参加枠を広げて、80人に増やしている。

 埼玉大学の教授の1人は、「新任教師に即戦力を求めることがおかしい」と県教委の姿勢に疑問を投げかける。

 「最初から上手くできる教師なんかいませんよ。失敗しながら、おろおろしながら、怒られながら、現場で育てられてベテランになっていくのが普通でしょう」

 ところがさらに踏み込んで、採用前の段階から教育委員会が独自に「実践的指導力」のある教師を養成する動きが進んでいる。東京都は、大学4年生(公募100人)を対象にした「東京教師養成塾」を2004年度にスタートさせた。市区町村レベルでは、東京都杉並区が社会人や大学生(同30人)を対象に「杉並師範館」を今年(2006年)4月にスタートさせる。

 杉並師範館は、「気高い精神と卓越した指導力」を持ち、「わが国の歴史や伝統を尊重し、ふるさと杉並や日本を大切にする教師」を育てるとしている。教育のプロや経済界のトップを講師に迎え、1年間にわたって学ばせてから杉並区の小学校教諭に採用する計画だが、現場は「これでいい教師が育つのか」「教育行政に疑問を持たない教師がつくられる」と懐疑的だ。「教育が政治の道具に使われている」と批判する管理職もいる。

 自分の教室で生身の子どもたちとぶつかって試行錯誤してこそ、教師は一人前に成長する。先輩や同僚が助言し合い議論することで、教師集団は「問題を共有する」ことにもなる。「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」の真骨頂だが、そのためには、職場の仲間と語り合う時間と自由な雰囲気が欠かせない。今の学校現場が最も必要としているものだろう。

 教師が授業と子どもたちに専念するためには、自由でおおらかな職場環境が必要だ。教育行政と管理職のやるべき仕事は、教師が仕事をしやすいような「環境整備」をすることではないだろうか。

初出掲載(月刊「世界」2006年4月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


 【メモ】このルポルタージュは、単行本「教育の自由はどこへ/ルポ『管理と統制』進む学校現場」(現代人文社)に収録されています。

(C)池添徳明(いけぞえのりあき)2006年


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