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メディアの社会的責任
自分が苦しまないからといって、産ませる人に優しい体質を温存するメディアは社会的使命を果たさず、残酷で、新聞人の公益使命に反する。

カルト団体の論理破綻
いわき市のカルト団体は「みんな手術したら動物がいなくなってしまう!!」と余計な心配をする。そんな暇があるなら、処分数を無くすことに尽力すべきだ。同団体は「福島民報の里親コーナーがなくなったら、産ませた人が里親を探せなくなってしまうでしょ!」 と言うが、産ませる人に優しい体質を温存すると悪循環となる。

産ませることに何の疑問も抱かない人は譲渡の際、新しい飼い主へ去勢避妊の必要性を伝えない。本人が知らないことを他人へ啓蒙できるはずがないし、産ませた飼い主は命を持て余しているので、一日も早く家から追い払いたいので、悪い人へも喜んで渡す。
一日も早く誰かへ渡したいのだから、手術必要性を譲渡条件にするはずがない(「三味線にでも何でもどうぞどうぞ」と)
カルト団体とメディアがくっついたら、間違った世論形成によって更に遺棄・処分が増える。

■いわき市のカルト団体と当方とのやりとり。
カルト団体 「手術したらみんないなくなってしまうし、5匹産まれて2匹飼い主が見つかって、3匹残ったら、新聞等で飼い主さがしをする必要があるでしょ!」
星野 「はぁ??」
カルト団体 「あなたは本当に頭が悪い、5匹産まれて2匹飼い主が見つかったら、3匹残るでしょ?」
星野 「産ませる人に優しい体質を温存すると悪循環になりませんか?」
カルト団体「うちの近くの人達は、手術する人が増えたよ」
星野 「自分の周りだけを見るんではなく、もっと視野を広げる必要があるのでは?」
カルト団体 「まずは、足もとから!」
星野 「日本全体を自分の足もとだと判断して活動する人と、自分の家から半径5メートル以内だけを見る人とは視野が違いますよね!」
カルト団体「足もとってのは、自分の足もとのことを指すでしょ!」
星野 (呆れて)「足の大きさが、あなとわたしでは違うんですかねぇ?」


情感だけのカルト団体

■ご近所の人が不妊手術をしたからといって、繁殖を肯定すると処分数はまたたく間に増えます。世界レベルで考えなければ処分数は減りません。絶滅を危惧する暇があるなら処分数を減らすべき。すでに絶滅した動物で苦しんでいる個体がいますか。受精する前にどこでどうやって苦しみを感じ取るのですか?余計な心配する必要はなく、苦しんで死んでい動物たちのことを思いやったらどうでしょうか。
絶滅の危機という観念を作り出したのはあくまでも人間。
産官学が作り出した観念を疑うことなく受けいれて良いのですか。いわき市の同団体は、産ませる飼い主を擁護しながら安楽死批判までもする。つまり苦痛死を望んでいるのだ(但し平成14年頃のことなので今は、同団体も少しは進歩したかも知れない)

星野 「保健所へ持ち込んで苦痛死させるのはいいの?」

カルト団体 「わたしは連れていかないよ!」

星野 「はぁ???」


当方は保健所へ連れていけと勧めているのではない。保健所へ連れていく飼い主が後を絶たず、保健所からレスキューする有志も多くいるが、全てをレスキューできていないのが現状。そういう現況下においては苦痛死を安楽死に改善することも、ひとつの前進であり、また、行政が苦痛死である限り、愛護団体による安楽死は必要だ。それは人間から見捨てられて新しい飼い主が見つからない命だからこそ、安楽死には愛情の深い人がかかわるべきだと思うから。
当方は、カルト団体とは違い、産ませる人を擁護しながら処分を減らそうという論理展開はしないし、自分のウチの飼育動物さえ保健所へ連れていかなければそれで良いという一般の飼い主レベルの視点で活動しているのではない。
自分が助けることのできない命については、せめて苦痛死ではなく安楽死すべきだという考えだし、誰かれ構わずのホイホイ譲渡をするくらいなら安楽死すべきだと思っている。人に抵抗する力もなく、自活できない弱い動物だからこそ、信用できない人へは渡すべきではない。

のら猫についても同じだ。餌を与えるだけでは虐待と同じ。
地域猫活動とは、のら猫へ「地域猫」という固有名詞をつけることではない。
●エサの安定供給●オスメスとも繁殖制限手術●安全な場所の確保●給餌反対への啓発(地域猫活動カード)、の4点セットが必須であり、それができないなら安楽死という選択も必要だ。
人間の庇護のもとでしか生きられない猫を、人から生活を侵害されない自活能力のある野性と同列で語ると間違いのもと。
野性動物ですら自活しずらい地球になっているではないか。特にのら猫は虐待という危険にさらされていることを念頭に入れるべきだ。4点セットを動物へ提供できもしない人間が安易に口だしすべきではない。間違った考えの人の大半は、動物に自活能力があるかのように思い込んでいる。人と動物の違いを理解してこそ動物福祉活動ができるのだ。

助ける人や手術必要性を理解する人がもっともっともっと増えれば、健康体については安楽死反対も夢ではないが、ここ3年ほど処分数は減らず横ばいだし、計上されているのは行政処分数に限っていて、隠されている処分数(生き埋め、川流し、遺棄、ノラの事故死や虐殺)は計り知れない。

他にも、神奈川県のカルトNPOから、
「ウチの会は皆、避妊去勢して譲渡するので安楽死はしません!というトンチンカンな
メールがきた。わたしは、
産ませて安楽死しろと言っているのではない!!
愛護団体なるものの頭を叩くと、「おしりが痛い」というトンチンカンな答えが返ってきたりする。
行政処分場へ連れていく飼い主が後を絶たず、保健所からレスキューする有志もいるが、それでも助けられる頭数には限りがあり、助けきれない命については苦痛死処分で死亡確認もアテにならず、県によっては死亡確認もせずに自動的に焼却炉へ落とすところもある。なので『せめて安らかなる最後を』という観点も見逃してはいけないということだ。
処分場へ実態を見に行ってください。あなたは、そこから何匹レスキューできますか。今日、10匹レスキューしたとしても、明日も同じくレスキューできるのですか。

「安楽死は反対」と叫ぶ人は、口だけ出すのではなく是非、助けてください。有志へ向かって「助けてやって!ボランティアなんでしょ、あなた達は!」と難クセをつける人がいるが、その人は一匹たりとも助けることができないくせに、すでに多忙の有志が、無制限に助けられるはずだと考えることがオカシイと思いませんか。大は小を兼ねるのだから。

また、「安楽死を認めると、処分数が減らなくなるから苦痛死のままで良い」という人もいるが、苦痛死のまま、ここ3年、処分数は減っていません。苦痛死のままで良いなら尚更、安楽死のほうが良いはず。苦痛死のほうが良いというなら変質者だ。

処分数が減らない原因は、産ませる飼い主や動物商や動物商から買う人を犯罪者扱いしないボランティアが多いから。原因を放置したまま、里親探しに奔走したところで、解決するはずがない。

当方は、今後とも、
『悲惨な環境で暮らすなら安楽死のほうが良い』『苦痛死よりは安楽死のほうが数段良い』と叫びますので、動物へ良い環境を提供できると思う方は、口だけ出すのではなく、お金と労力を惜しまずに物理的要素を整えたうえで、どうぞ助けてください。
口を出すだけで救えるなら、「助けたい」と叫ぶだけの皆さんでさえ、とっくに解決できたはずだが、何ら解決していないではないか。
安楽死の是非は、個体が健康体か病気かの問題ではない。良い里親がみつかるかどうかの問題だ。
動物には自活能力がない。きちんと世話をしてくれる人がいなければ健康体でも病気になる。健康なら全ての動物に良い飼い主が見つかるというのは幻想。処分ゼロを目指す人は多くても処分ゼロにできた人はいない。
現に、過去3年間だけでも行政処分(苦痛死)だけでも120万匹もあるし、動物商に虐殺された命は計上されていない。
まずは愛護団体なるカルト集団が、因果関係をきちんと把握することから始めるべきだ。

尚、保健所から救出することは、不良飼い主と接触する必要が無いため、気楽な面もあるだろうが、
動物が勝手に不幸になるのではなく、人によって不幸にされるので、悪い飼い主への啓発なくして社会は変わらない。有志が保健所から救出した犬猫の元の飼い主が同じ考えのまま、新たに動物を飼い始めたらどうなりますか。同じことを繰り返す。人への啓発をあなた自身が行うことが
必要。

猫の登録制度導入について
犬は14年度には482匹も処分数が減っているが、猫は158匹しか減っていない。原因は、犬は繋いで飼うので繁殖しにくいこともあるだろう。猫には登録制度もなく責任の所在が明らかでないことが原因かも。呆れたことに、自家繁で産まれた命を『のら犬』 『のら猫』 と定義して家から追い払い、飼い主責務を勝手に免れている議員もいます。このことからも、責任の所在を明確にする必要があります。

■絶滅は本当に危機ですか?!
絶滅したことで苦しんだり悲しんでいる動物がいますか?「無」の状態には喜怒哀楽の感情も肉体的苦痛もない。なので、産ませないことは不幸にすることではない。喜怒哀楽の感情があってこそ不幸だと感じ、痛覚があってこそ痛いのだから。
産・官・学・メディアに踊らされないようにしましょう。野性が絶滅する環境を作ってしまった人間のライフスタイルを問題視して環境保護を呼びかけるのは正しいと思うが、絶滅しそうだから人工繁殖をというのは狂っている。

現に、環境省でツシマヤマネコの人工繁殖に携わっている女は残酷だ。「ツシマヤマネコだと思って治療してあげようと思って捕まえたら、単なるのら猫だったのですぐに放した(つまりブン投げたのだ)」「殺すぐらいに増えてくれれば良いですよ〜〜」と環境省野生生物課のH氏からも言われ、もう一人の女性からも言われた。
こういう残酷人間が《絶滅の危機》という巧言を利用して、定年まで国家予算をつぎ込んでツシマヤマネコを繁殖して、命を生産して楽しんで暇つぶしをしているのだ。ツシマヤマネコもいずれ殺される日がくるだろう。その時、今、人工繁殖に携わっている人間達は退職して優雅に年金生活を送っているであろうから、責任を取らされなくて済むのだ。

「愛護団体同士がケンカするのはおかしい」という考えこそおかしい
愛護の定義は人によって違う。産ませることが愛護だと考えている者もいる。思想が違うと表向きは同じでも実質、敵なので、これからも追求していく。

行政官は巧言で苦痛死死守。
処分方法の改善を求めると、「苦痛死も安楽死も同じ。処分を減らすほうが先」と巧言を言う行政官が多いが(例えば茨城県職員の大津直久氏とそれにまんまと騙される議員)処分するにしても、苦痛死と安楽死では動物が受ける苦痛が違うのだが、《最高以外は全て最低》という巧言で住民を騙そうとするが、改善意欲がないだけ。

官から民へ。
行政は八方美人なので「産ませる気がないなら不妊去勢を」と効果のない文言で、誰からも苦情がこないようにセコい算段をする自治体が殆どで、役に立たないどころか、間違った観念を住民へ植え付けてしまうので、職員を削減したほうが良い。
行政へ期待するより、自分で活動して、役所不要論を盛り上げたほうが、長い目で見ると、財政破綻を食い止められる。
行政に動物福祉の為に高額の予算をつけて人員を確保したところで、真面目に取り組んでいるかどうかを、どうやって監視するのですか。オンブズマンだって監視はできない。鍵を開けられるのは鍵を持っている人だけで、外部の人間が、密室に潜り込んでまで監視はできない。
行政をアテにするのではなく、ひとりひとりが立ち上がらなくては、社会は良くならない。そういう意味でも、わたしは「日本にアニマルポリスを誕生させよう」を好きになれない。新しい公機関を作ったところで、その役所は正常に機能するでしょうか?


◆繁殖の間違いすら、理解できない人は、活動に関わらないで。
人が動物を飼うことを否定したうえで(ペットとして迎えいれるのではなく、野生のままにしておくべきだったという意味)、去勢避妊も処分反対というなら、話の筋は通るが、人に飼われることを肯定したうえで、去勢避妊も処分も反対というあなたは論理破綻者ですから、活動に首をつっこまないでください。あなたが誰からも認められないのは、あなたに問題があるから。


■署名  去勢避妊を受けさせない飼い主へ罰金を



二本松アニマルポリス
〒960-8066福島市矢剣町11−3
星野節子
024-563-7650(tel fax)