玉 川 村 オ ン ブ ズ マ ン |
玉川村オンブズマン機関誌 stage1わ く な し
★★議員定数の削減を★★
玉川村は478人に一人、 石川町は970人に一人、 東京都は96733人に一人が議員ということになる。玉川村議員数は石川町の2倍、東京都の202倍である。村長は「住民の要望があってこの議員数を維持している」と。 本当か? 少なくとも私の周りでは「議員数の削減を」という声しかない。 ★★民主主義の欠点★★ 民主国家は独裁国家よりは、はるかに民主的である。言論の自由が保障されているし、独裁者の一存で戦争が始まったり、独裁者の一存で殺されることもない。しかし、行き過ぎた民主主義は権利だけを尊重し、義務を果たさない人間を増やすことになる。5の権利を尊重したら5の義務を果たすべきであり、7の権利を尊重して3の義務しか果たさないのでは、そのしわ寄せがどこかにくるはず。 ★★『受益受益・負担負担は不平等、受益者負担こそ真の平等』★★ 受益だけでは、そのツケが必ずどこかに回って行く。アメ玉公約を掲げる政治家は、自分の任期中に人気取りをし、そのツケを次世代に回そうと考えている可能性がある。政治家がいずれ死んだら、その責任を死んでまで背負わされることはない。 アメ玉政策を掲げる政治家には要注意! 悪い政治家の死後に、お墓の隣に生前の悪事を書いた看板を取り付けるのも良い案ではないか。 ★★ポピュリズムこそ政治腐敗の温床★★ 多数決による議会制のもとでは、議員ひとりひとりに民主的な判断力がなければ、民主主義としての機能を果たせないだろう。 例えば、 100人のうち99人が残りの一人から10万円ずつ借金をし、踏み倒しても何の罪にならないという法律があるとする。貸した人は合計990万円の損害を受けるのだから、当然、法律に不満を持ち、現行法を改正しようとする。 ところが99人は得しているのだから、現行法を維持しようとする。そして政治家は多数派に迎合することで(ポピュリズム)多くの票を獲得できるのだ。 正義感の強い政治家は、損害を受けている一人に同情し、法改正しようとするが、正義感のない政治家は自分にとってどちらが得かで判断するので、迎合こそ政治腐敗の温床だと思う。 拉致問題もそうだ。被害者は少数派だ。今は被害者救済の世論が盛り上がってきているから、政治家も拉致被害者たちを冷たくあしらうことはできないだろうが、メディアが全く取り上げなかった頃には、誠実に対応した議員はごく一部に過ぎない。メディアが取り上げる前から被害者家族会へ誠実に対応していた政治家は信用できる。私が平沢勝栄議員のファンである理由はこのこともある。 拉致は国家犯罪だから社会問題だ。逆に、どんなに多くの人が悩んでいようとも社会性のない悩みは社会問題ではない。政治家・行政官は本来、社会問題に取り組むべきであり、社会性のない多数意見に迎合するのではオピニオンリーダーとしての機能を果たせない。 ★★理解できない人の理解を得てからやるのは誰でもできる★★ 「理解できない人の理解を得てからやる」は正論のようで違う。理解できない人達が理解した時点では、殆ど終着点に近いからだ。理解できない人へ理解させるのが、行政や議員の努めではないか?理解者が増えてからそれに乗っかるかたちで政治をするのは誰でもできる。大衆の後からついていくのではなく、大衆を引っ張っていくのが政治や教育ではないのか? ガリレオも地動説を唱えたためにに迫害を受けたが「それでも地球は回っている」と言った。今の時代に「地球は回っている」と言うのは誰でもできる。誰しもが天動説を唱えていた時代に、迫害を受けてでも、ガリレオは地動説を唱えたからこそガリレオは偉大なのだ。 理解できない人がいても、誰も困らないならそれで良い。しかし、理解力のない人が存在することで、被害を被っている人や動物がいることを忘れないで欲しい。理解できない人に歩み寄ることは、被害を被っている人や動物に冷たい政治に過ぎないだ。 私は、毎日フルタイムで活動し、その活動量は膨大で、意見書だけでも年間500〜600通は作成し、同じ書面を同時に多方面へ送るので、送るのは年間5000〜6000通くらいになる。そして去勢避妊手術費だけでもすでに900万円も自己負担し、通信費等も400万円強になる。 それでも、 理解できない人に歩みよることが、公正なのでしょうか? 理解できない人を正すよう働きかけるのが、公正な政治のはず。 ★★誰とでも仲良くは正しいのか?!★★ 低モラルの人間には白いものでも黒に見えてしまう。 善意でお金を貸し、返済してもらっただけでも、相手が低モラルだと、相手は返済しただけで「お金を取られた」と解釈する。お金をあげても相手がバカだと「これしかくれない」と逆恨みされる。 私は、悪意の人間を許すことは善意の人を苦しめる結果になると思うから、悪意の人間を徹底攻撃することにしている。それが善意の人への誠意だと思うから。 ★★動物の去勢避妊手術★★ 《動物福祉》 行政処分だけでも年間43万匹。その他に野たれ死、交通事故を入れると数え切れません。一匹が一度に5匹・年に二回産むとして一年後には72匹に。その72匹が71匹ずつ増えるので更に一年後には5112匹に。いくら里親さがしをしても追いつきません。 あなたから譲り受けた人が、捨てたり処分しても、そのことを正直にあなたへ伝えません。子を保護した方、あなたが保護した原因は、その子犬・子猫たちの親が手術を受けていなかったから。 オスの飼い主にも責任の半分があります。人間に例えると良く解ります。「オレの女房には子供がいるが、オレには子供がいないし、養育義務はない」と言っても通用しません。動物自身に責任があるのではなく、飼い主に責任があるのです。 単に不幸な命を作らないだけでなく、発情期において動物が受けるストレスを取り除いてあげるためにも、去勢避妊手術は必要です。
★★ひとりひとりの意識改善こそ世界の財産★★ 「手術費は全額、行政が出すべきだ」と言った人がいた。それを実現するには、行政は、全額税金で賄えるだけの財源を確保しなければならない。それには、増税しなければいけないかも知れない。この人は、増税に耐えられるのだろうか? 税の無駄使いを無くせば、動物の手術費を全額行政が出せるかも知れない。 玉川村議員数を2名削減すれば、玉川村では年間500万円の節税になるので、税金で十分に手術費を出せる。これも選択肢の一つかも知れないが、議員数を削減して《減 税》し、手術費は飼い主の自己責任において行うほうが、民主的だと思う。 教育においては、国が9年教育を義務づけているから、義務教育過程においては国が教育費を保障する義務があるが、国が動物を飼うことを国民へ義務づけているのではなく、飼い主の自由意志で飼っているのだから、本来、飼い主が自己責任において負担すべきだと思う。 国は、無責任に誰にでも飼う権利を与えているのだから、無責任飼い主をフォローする義務があるという考えも一理ある。 結局、どんなに低モラルの人にでも権利が与えられていることを、行き過ぎた民主主義だと私は指摘している。車を運転するには、まず免許が必要だ。そして交通ルールを守らなければいけない。車に限らず、全てに免許やルールが必要だと思う。人間の道徳心に期待できるほど人間は高等なものではないと思うから。 ゴミ問題にしても、一人一人の意識改善をせずに、有志がゴミを拾って歩いたとしても焼け石に水だ。ポイ捨てする人の意識を改善することが重要だ。ひとりひとりのモラルに任せきりにしていたのでは犯罪を防げないので罰則がある。 そして、動物が処分される原因を作っている人にペナルティを課すのが、最も民主的だと思う。誰しもが同等の扱いを受けるのは民主主義の原理に反すると思う。 結果平等ではなく、条件を民主的に。 誰しもが同等の扱いを受けるのは民主的ではありません。人は、その人の行いに応じた公正な評価を受けてこそ、民主主義だと思います。
議員数・結婚相談所制度等に関する私(星野節子)の見解 1、議員数について 多 い。 2、結婚相談所について 不 要。 《相談所の概要》 相談員は15名。任期3年。一人に謝礼金として年間1万円。 配偶者が村外から村内に住んだ場合には、仲人さんへ謝礼金として村から5万円支払われる。村内に住む者同士の結婚の場合、仲人さんへ謝礼金として3万円が村から支払われる。 3、100歳祝い金制度について 不 要。 村役場は「100歳まで生きることは社会に貢献したことになる、家族に貢献したことになる」と言うが、100歳まで生きることと社会への貢献度とは直接関係ない。社会に貢献して短い生涯を終える人もいれば、貢献せずに長生きする人もいる。 また、家族に貢献したことになるのであれば、家族から祝ってもらえば良い。税金から100万円もあげることは、アカの他人も無意識のうちに祝ってあげていることになる。 4、議員研修旅行でコンパニオンをあげることについて 反 対。 職務時間外に自費でコンパニオンをよぶそうだから、職務時間外においては自由だという考えも解らないではないが、私が議員の立場だったら、そういうことはできない。そういう気分にはなれない。 |