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Senior Mania -landlady-

其の壱

2月、既に推薦入学が決まり暇を持て余していたわたるは、一人、温泉旅行に行くことにした。
(まだ受験勉強中の友達には悪いけど…最近、学校なんて行っても面白くないし…)
わたるは、学校が嫌いではない、むしろ好きなほうだ。けれど、この時期の中学三年生の授業は、そのほとんどが模擬試験ばかりなのだ。もともと勉強嫌いの上に、もう勉強などする必要の無いわたるにとっては、まるで拷問のような毎日だった。
(そんなに遠くへは行けないけど…でも、何とかなるよな…)
毎月の小遣いの余りを少しずつ貯めておいた貯金箱を開けてみれば、なるほど、中学生が温泉旅行を一泊する程度の小金がでてきた。
(温泉か…年寄りみたいだけど…気持ちいいだろうなぁ…)
眼を瞑って、一人旅をシミュレーションしてみる。
(旅館で豪華な食事を食べて…夜、温泉に入って…あっ!も、もしかして、混浴だったりして…ど、どうしよう…綺麗なお姉さんが、素っ裸で…)
童貞少年にありがちな、よからぬ妄想を抱いてしまったわたるだ。
(…って…コ、コホン…と、と、とにかく…うん、決めた!温泉一泊旅行だ)

幸いなことに、母親はこの旅行に賛成してくれた。常日頃、わたるの内気で大人しい性格を気にかけていた母親は、わたるが自発的に一人旅などと言い出したことを、むしろ喜んでいるようだった。
「いいじゃない、行ってきなさいよ。学校にはママが上手く言っておいてあげるから」
「ありがとう、ママ」
「それより、お金は大丈夫なの?」
「大丈夫。一泊ぐらいなら、なんとか足りるから…あ、でも、お土産は期待しないでね」
「はいはい。はじめから期待なんてしてませんよ。その代わり、気をつけて行ってきてね」
「うん」

そして一人旅の初日、電車に揺られること3時間、バスに乗ること一時間。わたるは目的の宿に到着した。
「え!ここがぁ?」
わたるは眼を疑った。旅館についたはいいが、それはとても旅館などと言える建物ではなかったからだ。
(な、なんだよ、これ?…小さいなぁ。門もなければ、庭もないし…これじゃあ、旅館じゃなくて民宿じゃないか…はぁ…まいったな、もう…)
まるで普通の一軒家のようなその建物を見つめ、わたるは深深とため息をついた。すると、その時…。
「坊や、何か用?」
不意に背後から声をかけられたのだ。
「え?…え!」
振り返ると、そこには和服姿の女性が立っていた。年齢は30代後半ぐらいだろうか。わたるから見れば、「お姉さん」というよりは、「おばさん」に近い。けれども…。
(うわぁ…き、き、綺麗だぁ…)
その女性を一目見た瞬間、わたるは声を失っていた。とにかく美しいのだ。テレビに出てくる女優なんかより、数段レベルが上なのだ。白い肌に、涼しげな瞳、艶やかな唇。わたるがこの世で見た女性の中で、最も美しいと言っても過言ではない。
(こ、こんな…綺麗な…)
母親に近いと思われる年齢の女性に興味を惹かれたのは、わたるにとってこれが生まれて初めてのことだった。まるで石のように全身を硬直させているわたるを不信に思ったのか、その女性は小首を傾げている。
「ん?どうした、坊や?…うちに何か用かい?」
「え?…う、うち?…」
「そうだよ。あたしは、ここの女将だけど…」
「!…あ、あなたが!…あ、あの…ぼ、ぼ、ぼく…きょ、今日、予約している…」
滑稽なほどしどろもどろに答えるわたるだった。

「そうか、坊や、お客さんだったんだ…ごめんねぇ、ちょっと失礼だったね」
お茶を差し出しながら、女将はぺロッと舌を出した。
「べ、別に」
その女将の言葉に、ムッとした表情で愛想なく答えたわたるだ。実はわたるは、先程から少々、虫の居所が悪くなっていた。その理由は2つある。一つはこの部屋だ。わたるが案内されたのは、八畳の和室。入口の襖の向こうはすぐ廊下という構成は、やはり外観通り、普通の一軒家となんら変わりはない。旅館と言うには余りにもお粗末なこの部屋が、わたるには気に入らなかったのだ。そして、もう1つは…。
「でも、驚いたね。こんな小さな子が、お客さまなんて…坊や、幾つなんだい?」
「……」
そう、もう1つは、自分に対する女将の態度だった。その容姿の美しさからは想像も出来ないぶっきらぼうな言葉。しかも彼女は、わたるのことをまるで子供扱いしていた。中学生とはいえ、仮にも自分は客である。にも関わらず、彼女の態度は、とても客に対するものとは思えない。
(な、なんだよ、坊やって…いくら美人だからって…失礼な女だな。僕は、客なんだぞ!)
キッと睨みつけてはみたものの、わたるの気持ちなど、女将は一向に気付く気配もない。わたるの精一杯の抗議など、どこ吹く風といった様子だ。
「ん?どうした、坊や?黙っちゃって…歳は幾つ?」
「…15歳…」
わたるは、渋々と答えた。
「15歳!若いね〜。でも、見かけよりは、お兄さんなんだ」
「え?」
「だって、坊や、ちょっと見、小学生みたいだもの」
「な、な、なん…」
小学生と言われて、わたるの頭にカッと血が上る。文句の1つでも言いたいところだが、女将がその隙を与えなかった。わたるが口をはさもうにも、次から次へと質問を浴びせてきたのだ。
「15歳って言えば…中学生か。ね?そうだろ?」
「え?…う、うん…ちゅ、中学…三年だけど…」
「ほぉら、あったり〜…アハハ…でも、やっぱりそうは見えないねぇ。小学校5、6年生くらいかと思ったよ」
「そ、そんな…」
「背、小さいねぇ…155…いや、そんなにないか?あたしと頭1つくらい違うもんな」
「ぼ、僕は…」
「そっかぁ、中三かぁ…ん?ってことは、今年、卒業かい?」
「え、え?…う、うん…そうだけど…」
「へ〜、それじゃあ、一人で卒業旅行ってわけだ」
「ま、まぁ…そんなとこ…」
「見かけによらず立派だねぇ、もう一人前だ」
「い、いえ…そんなこと…」
知らず知らずのうちに、女将の会話のペースに巻き込まれていたわたるだ。
(こんなに綺麗なのに…よく喋るひとだなぁ。文句を言う隙もないよ…はぁ…もう、いいや。別に、悪気があるわけじゃないんだろうし…)
美人女将のあまりにマイペースな調子に、わたるはすっかりお手上げ状態だ。わたるは、思わず苦笑いをした。
「何だよ、坊や。ニヤニヤして」
「い、いえ、別に何でも…」
「おかしな子だね…あ、そうだ。ところでさ、坊や。なんでさっき、入口にボーっと立ってたの?」
「え?…い、いえ、別に…」
「なんで?いいじゃない、教えなよ…あ!そうか、わかった」
「え?」
「あんまり小さな建物だったから、驚いてたんだろ?」
「え!い、いえ、そんなこと…」
言い当てられて、戸惑うわたる。しかし、そんなわたるを見ても、女将は一向に気にする様子もなかった。
「フフ…いいんだよ。本当のことだからね…看板には旅館なんて書いてあるけど、ほとんど民宿だもんな、うちは。部屋だって幾つもないし…ハハハ…襖を開ければ、すぐ廊下なんて部屋、旅館にはないよね。鍵も掛からないしさ。アハハハハ…・」
「……」
「でもさ、こんな小さな宿だけど、お風呂だけは立派だから…うちの自慢なんだよ」
「そ、そうなんですか…楽しみだな」
「露天じゃないけど…檜のお風呂だよ。それに結構大きいんだ」
「檜の…うわぁ、凄いですね。僕、初めてだ」
「今日は、他にお客さんもいないし…だから、ゆっくりお入りよ」
「え!」
わたるは驚いた。この地についてから人もまばらだったし、確かに宿に入ってからも、自分と女将の他に人がいる気配がしなかった。でもまさか、客が自分だけとは思ってもいなかったのだ。
「ほ、他に?お、お客さんは?…」
「いないよ。坊やだけさ。会社務めの人も、学生さんも、いまは休みじゃないしね。それに今日は火曜日だろ?今日みたいな普通の日は、元々お客さんが少ないんだよ。だから、従業員も今は休んでもらっててね。あたしだけでやってるんだよ」
「そ、そ、そうなんだ…」
自分以外、この宿には一人も客がいない。そう聞いたわたるは、大げさなほどがっくりと肩を落とした。何故なら…。
(そ、それじゃあ…あ、あれは…)
わたるが必要以上に落胆した理由。あれというのは、実は混浴のことである。近頃、女性の裸ばかり妄想しているこの童貞少年は、旅館を選ぶ時、しっかり混浴か否かをチェックしていたのだ。あわよくば、女性の裸を…そんな邪まな期待を、家を出る時から抱いていたわたるだった。
(なんだよ、まったく。小さい宿に、綺麗だけどまるで接客態度のなっていない女将。その上、混浴も駄目かぁ…はぁ…最悪だよ…)
わたるの落胆振りは、女将の目からみても明らかだったようだ。
「どうした?坊や。なんだか元気がなくなっちゃって…他に、お客がいないとなんかまずいのかい?」
「い、いえ、そ、そ、そんなこと…そんなことない…です…」
「ふ〜ん、そう…おかしな坊やだね…あ!まさか、坊や…」
「え!な、なんですか?」
「いや…まさかねぇ。まさか坊やみたいな、子供が…」
「な、な、何?…」
「いやね…おかしなこと言うけど…坊や、気にしないで聞いておくれよ。実はね…」
「うん…実は?」
「実はうちのお風呂はさ、混浴なんだよ」
わたるがドキッとしたのは言うまでもない。
「へ、へぇ〜…そ、そ、そうなんだ…ぜ、全然、し、し、知らなかった…」
冷静に対応しようとは思うものの、そこはまだ中学生。動揺が隠しきれないわたるだった。
「なんだよ、坊や…何、慌ててるんだい?」
「べ、別に…そ、それで?…こ、混浴が、ど、どうかしたの?」
「うん。それでね、中にはいるんだよ。それを楽しみに、この宿に泊まりにくるスケベオヤジがさ」
「そ、そうなんだ…」
後ろめたさに、思わず女将の顔から視線を外すわたる。
「若い女の子も泊まりにくる時あるからね…そんな時に、そういうオヤジ達が一緒だと大変だよ。実際、苦情がでたこともあったし…」
「で、で、で、でも…ぼ、僕は…」
「アッハハ…わかってるよ。ごめん、ごめん、おかしな事、言っちゃたね。そうだよねぇ、坊やは、混浴なんて…女の裸なんて、まだ興味があるように見えないもんね」
「え?…」
「中学生って言えば、普通はそろそろ、そういう事に…ってとこだけど、坊やには、まだまだ早いみたいだね。見るからに『お子様』って感じだもんな。アハッ…女の裸より、テレビゲームって感じだね。アハハハハ…」
「な、な…」
なんだと!と叫びたいところを、わたるはグッと堪えた。自分をまるっきり子供扱いしている女将の態度に腹は立ったものの、だからと言って『混浴を楽しみに、この宿に泊まりにきた』などと言えるわけが無い。
「ま、そんなわけだからさ、坊や、ゆっくりお風呂に入んなよ。ついてるよね、坊や。お風呂、貸し切りなんてさ」
「は…はあ…」
「あたしは、一階の奥の部屋にいるからさ、何か用があったら声をかけてよ」

(まったく、なんて女将だよ!)
女将が部屋を出ていってからも、わたるの腹の虫は、中々収まらなかった。
(なにが、テレビゲームだよ。僕だって、女の人の裸を見たいって思ってるさ…酷いよ。人を子供扱いして…少しくらい…い、いや…ほ、ほんのちょっとくらい綺麗だからって…)
和装の美女を思い浮かべてみる。吸い込まれそうなほど大きな瞳、綺麗にアップされた黒髪、そして和服からのぞく透き通るような白いうなじ。思い出せば思い出すほど、女将の美しさは只ならぬもののように思えてくる。けれど…。
(ち、違う、違う!あいつはそんな奴じゃない。がさつで、無神経で…そうさ、性格は、めちゃくちゃドブスなんだ)
女将のしっとりとした美しいイメージを振り払うかのように、わたるは激しく頭を振った。
(ちえっ…もう止め止め、こんなこと考えるの。いつまで部屋にいたって仕方ないし…それに、僕はもともと温泉に入りにきたんだ。女将さんが綺麗だろうと、性格が悪かろうと関係無いよ…そうさ、温泉だよ、温泉。温泉に入りにいこう…)