司法改革●「司法改革の本棚」(書評)


インターネットを使って医療過誤裁判やってます!

ざこ検マルチョウ

思想検事

「裁判官」という情(ナサケ)ない職業

 


「インターネットを使って医療過誤裁判やってます!」

海野祥子・著/メタモル出版

 医療過誤裁判の記録をインターネットのホームページですべて公開し、弁護士もネットを通じて見つけ、医師や看護婦、薬剤師たちが続々と医学的助言をしてくれるようになった。法廷に立って証言してもいいと申し出てくれる医師も現れた──。ネットを利用したそんな裁判の歩みを、一冊の本にまとめたのが本書である。

 放送作家の海野祥子さんは、4年前に母親を乳がんで亡くした。入院していた大阪の病院の医療行為に疑問を感じ、提訴した。半年間の入院でカルテがわずか3枚、血液検査がたった2回。CT(断層撮影)検査は全くなく、拒否していたはずの抗がん剤が勝手に投与され、苦しさを訴えても「気のせい」にされて適切な処置がされない。

 あまりに不誠実でずさんで異常な担当医の対応に、海野さんは「医療ミスや医療被害というよりも人災です」と訴える。ホームページには、カルテやレセプト、看護記録などの証拠を画像で公開し、陳述書も載せた。提訴さえしてしまえば情報公開しても問題はない。「医療過誤裁判は難しい」と躊躇する弁護士が多い中で、意欲的な弁護士を見つけたのもネットを通じてだった。

 特筆すべきは、医療関係者の応援がネットから得られたことだろう。医師は仲間をかばい合って同業者の批判はしない。被告病院の近隣で、患者や遺族に協力してくれる医師を探すのは大変だが、利害関係のない医師らが助けてくれるようになった。医療裁判の在り方に一石を投じる貴重な記録だ。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年1月号)

【書籍データ】●書名「インターネットを使って医療過誤裁判やってます!」●海野祥子・著/メタモル出版/2000年3月●四六判/179頁/1300円(税別)●海野さんのHP


「ざこ検マルチョウ」

高田靖彦・著(原案協力/弁護士・今井秀智)/小学館

 主人公は司法修習を終えて、法務大臣から辞令を受けたばかりの新任検事・潮(うしお)貞志(29歳)。公訴権という強大な権力を与えられているからこそ、その仕事に真摯に向き合おうとする一人の検事の活躍が、さわやかに描かれる。

 潮は絶対に、たかが痴漢、たかが交通事故、たかが傷害事件などとは考えない。「たかが…と思えばそれで済んじゃうことかもしれないけど、そう思った瞬間、俺自身が終わっちゃう気がするんだよなぁ。でっかい事件でも同じあきらめ方をしちゃう気がするんだよねぇ」。それが潮の信念だ。

 事件は次々に送致されてくる。膨大な記録の山を考えれば、要領よく「簡単に片付ける」のが現実的な対応なのかもしれない。だが潮は常に真剣勝負する。痴漢常習犯であることを自供させることで、被疑者に「罪」の重大さを自覚させる。警察調書に疑問を感じて捜査を洗い直すことで、交通事故が実は殺人事件だったことを突き止める。

 「検事としてできることがある限りは、わかったフリしたくないんだなぁ…」

 真剣に事件と向き合っていれば、被疑者に期待を裏切られたり、判断ミスをしたりすることもあるが、上司や先輩は「その無念さがかけがいのない財産になる。これからも真摯に事件と向き合い続けろ」と励まし、潮を温かく見守ってくれるのだった。

 「ビッグコミックスペリオール」連載中の漫画。原案協力は元検事の今井秀智弁護士。同氏著「ざこ検事の事件簿」(共同通信社)がベースになっている。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年7月号)

【書籍データ】●書名「ざこ検マルチョウ」1〜2集●高田靖彦・著(原案協力/弁護士・今井秀智)/小学館/1集=2000年12月、2集=2001年5月●B6判、212頁、505円(税別)


「思想検事」

荻野富士夫・著/岩波書店(岩波新書)

 戦前の厳しい思想・言論弾圧と言えばすぐに特高警察を思い浮かべるが、実は特高と並んで抑圧装置として機能したのが「思想検事」だ。法律の制定と実際の運用を担って、弾圧の最前線に立ったエリート検事たちの実態が、分かりやすくまとめられている。

 治安維持法の運用・適用範囲が拡張され、取り締まり対象が次々と広げられていく様子が生々しい。こじつけとしか思えない詭弁を平然と繰り出し、強引で一方的な法律解釈によって、弾圧は社会民主主義、民主主義、自由主義、新興宗教へと進む。政府や戦争に批判的・非協力的な言動は徹底的に排除されていくのだ。

 読みながら、こうした状況は現在ととても似ているように感じた。例えば旗と歌を規定しただけの「国旗・国歌法」や、教育目標と指針を定めたに過ぎない「学習指導要領」がどんどん拡大解釈され、いつの間にか「君が代」は「起立して心を込めて歌わなければならない」ことになっている。指示に従わない教員は処分され、下手をすれば免職されてしまう。教育行政のそうした判断や処分を、司法も丸飲みして追認してしまっている。

 そしてもう一つ、戦前と今とがダブって見えるのが、主体的判断を放棄したかのような裁判官の姿勢だ。「裁判所で分からない時には検事の意見に従う方が正しいと思う」などと平然と言ってのける裁判官。その姿は、現在の刑事裁判で検察側の主張をうのみにする姿勢と二重写しに見えてしまう。司法が独立して検察の暴走を押し止めようとせず、むしろ積極的に思想弾圧の推進役になろうとしたその姿に背筋が寒くなる。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年8月号)

【書籍データ】●書名「思想検事」●荻野富士夫・著●岩波書店(岩波新書)/2000年9月/新書判、226頁、660円(税別)


「『裁判官』という情(ナサケ)ない職業」

本多勝一・著/朝日新聞社

 著者が司法に関心を持ち、さらにその「うさん臭さ」に気付いたのは、自身の裁判がきっかけだった。自著記事の改ざん行為に対して、出版社に反論権を求めた民事訴訟を続けるうちに、心の中に思い描いていた裁判官像が、幻想に過ぎなかったことがはっきりしてくる。「正義や公正といった志の高い世界を扱う職業ではなくて、軽蔑すべき役人商売だ」と断定するに至るのだ。

 ジャーナリストとして数多くの優れたルポを発表してきた著者にして、自分が裁判に直接かかわってようやく初めて、「ひどすぎる司法の実態」を実感する。

 そこからが、まさに著者の本領発揮だ。まず前半は自身の民事訴訟を通して、報道のあるべき姿を明らかにするとともに、裁判官がいかに論理や公正さや憲法を無視した判決を下すかを、論理的に説き明かす。後半は、元裁判官や弁護士との対談(インタビュー)の形を取りながら、司法の現状を徹底批判する。

 三権分立などはとっくに消滅していて、最高裁(裁判所)は政府に屈服・癒着・屈従しているカイライだ、正義の味方どころか支配権力の走狗だ、と断定する筆致には容赦がない。そのうえで、なぜ裁判官が行政権力(政権)と一体化するのか、良心的な裁判官がいかに差別・排除されるか、統制人事の実態に切り込んでいく。

 その勢いで著者は、司法改革に批判の矢を向ける。だれのための司法改革か、政権党や財界にとって都合のよい司法改革になるのではないかと、警鐘を鳴らすのだった。高見澤昭治弁護士ら専門家の説明が具体的で、問題点の所在が分かりやすい。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年9月号)

【書籍データ】●「『裁判官』という情(ナサケ)ない職業」●本多勝一・著●朝日新聞社/2001年6月/四六判、187頁、1100円(税別)


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