インタビュー/司法改革

飲酒ひき逃げで息子が死亡

何も教えられない犯罪被害者

被害者支援を訴える●大久保恵美子さん


【被害者支援を訴える大久保恵美子さん】1990年10月、当時18歳だった長男の大久保亨さんが、富山市内の歩道を歩いていて後ろから来た車にひき逃げされて死亡した。翌日に犯人が出頭して、飲酒ひき逃げだったことが分かった。

 息子を失った悲しみは今も癒されないが、「被害者の置かれている理不尽な立場や状況を多くの人に分かってもらい、支援体制をつくってほしい」との思いから、富山県朝日町の母親の恵美子さん(52歳)は、父親の純也さん(58歳)の協力を得ながら、犯罪被害者の支援体制づくりや法的不備を訴える活動を続けている。被害者支援のボランティア組織に深くかかわり、全国各地のシンポジウムや講演などに出かけるほか、総理府の犯罪被害者対策関係省庁連絡会議など、行政のヒアリングにも招かれて意見を述べている。


●家族には連絡もない●

 テレビ画面いっぱいに突然、犯人の顔写真が映し出されて「犯人が捕まった」というニュースが流れました。家族は何も知らないのに、なぜ警察は連絡もしてくれないのかと思いました。どんな犯人なのか説明があると思っていたのですが、起訴か不起訴かの連絡もありません。当事者なのに何の情報も与えられることなく、新聞やテレビによる報道で初めて知る。思わぬ時に、テレビから亡くなった子どもの名前が聞こえてくる。あまりにも何も教えてくれなくて不安と不信感が募りました。

 親として何かしなければ、専門の人から教えてもらわなくてはと思って、事件から十日くらいしてから、夫の教え子に弁護士がいたので自費で頼みました。

 刑事裁判の日程などはその弁護士が教えてくれましたし、裁判に行く時は必ず付いてくれていたので心強かったです。うちはたまたま知り合いに弁護士がいたからよかったですが、普通の人にしてみれば弁護士は決して身近な存在ではないですよね。

 息子をひき逃げしたというのに、犯人は謝りませんでした。保釈されて、お参りさせてほしいと言って自宅に来たのですが、「酒は飲んでいたがまともに運転していた。お宅の子どもが勝手に飛び込んできた。いずれ裁判で明らかになる」。そう言って帰って行きました。大切な子どもを殺しておきながら、謝りもせずにそういうことを言う。絶対に許さない、泣き寝入りしないと決心しました。

●主張する機会もない●

 何が何でも子どもの無念を晴らしたいという気持ちがあったから、今まで必死になってこれたんでしょうね。原動力は「怒り」です。被害者が何もしてもらえないのはおかしいです。

 刑事裁判で、加害者側は自分を有利にするために、うそ八百を平気で言いました。亡くなった息子にいかに落ち度があったかを並べ立てるんです。自分を正当化するために作り話までしました。

 裁判を傍聴して目の前で聞いていれば、加害者側がそういう一方的な主張をしていることも分かりますが、裁判所に行かなければ被害者はそんな発言をしていることを知ることもできません。もちろん、知ったからといって反論できないのですが。

 被害者は法律でも全く守られていません。加害者は調書を読めるのに、被害者は結審してからでしか読めない。被害者にとって不利なことがいろいろと書かれてあっても、それがうそだと主張する機会も与えられていないのは、不公平ではないでしょうか。

●精神的苦しみは一生●

 息子をひき逃げした男は、1年6月の実刑判決を言い渡されました。しかし、その期間全部を刑務所に入っているわけではなく、模範囚でいれば3分の1の期間で出られると聞いて、またショックを受けました。

 私のところは、加害者の家が離れているからまだいいのですが、中には同じ町内など、加害者が被害者の自宅のすぐ近くに住んでいる場合があります。加害者が近くにいるのは嫌だし怖いし辛いものです。「顔も見たくない」と、被害者側が引っ越して行くことは数多くあります。

 被害者が何のために、こそこそ引っ越すのか。遠くに引っ越して「被害者でないふり」をするのは、「あの事件の被害者だ」言われるのが嫌だからです。周りの視線が嫌なんですね。被害者にとっては、10年経っても20年経っても悪夢なんです。一瞬たりとも事件のことを忘れることはありません。心の中にしまって、爆発しないようにコントロールして日々を暮らしています。

 加害者には裁判や刑期や時効までがあります。罪を償ったらそれで終わりかもしれませんが、被害者の精神的な苦しみは永久に一生続きます。そのことはまだ社会に理解されていません。

●被害者の権利確立を●

 知人の米国人弁護士が米国から資料をたくさん送ってくれました。渡米して「飲酒運転に反対する母親の会」を視察したりして、被害者支援や法律改正などの働きかけをしている市民の姿をいろいろと見てきました。

 米国の被害者には、七つの権利が認められています。必要な時にタイムリーに情報がもらえる、裁判にかかわって発言できる、無料でカウンセリングが受けられる、関係者から尊厳を持って接してもらえるなど、被害者の権利が守られているのです。何もない日本にショックを受けました。

 1991年10月に東京で開かれた「犯罪被害給付基金十周年記念シンポ」に、招かれて出かけて行ったのですが、そこでシンポジストの先生が「被害者はだれも何も言わない。日本の被害者は本当に困っているのか」という旨の発言をしました。

 それはおかしい。私は会場から反論の意見を述べました。「何か言ったらいろいろ言われる。我慢しろ、泣くな。本当はみんな辛くて泣きたくて悲しいのです。でも、それができないのが日本の社会なのです」…。

 米国と違って日本ではこれまで、被害者の話を聞く耳をだれも持たなかったし、言う場所もずっとなかった。辛くても苦しくても耐え忍ばなければならない風土の中では、精神的なサポート体制づくりがとても大切になってきています。

●真実を知らなければ●

 翌年4月に犯罪被害給付基金の予算で、東京医科歯科大学の山上皓(あきら)教授が犯罪被害者相談室をつくってくれました。被害者支援の必要性がやっと認められたのです。被害者のニーズはなかったのではなくて、暗闇に放置されていたということが、関係者にようやく分かってきた。サポート体制の必要性が初めて認知されたのです。

 犯罪被害者は精神的に追い詰められていますから、家族や夫婦の間で責め合ってしまうんですね。離婚に至るケースも多い。周りがサポートしてあげられたら…。そんな思いで犯罪被害者の支援活動を始めました。事件直後からのサポートがないと、本当に家族の心がバラバラになってしまうんです。

 被害者が精神的に立ち直るのはとても大切なことですが、真実を知らなければ先には進めません。何が起きたのか知らなければ、精神的には立ち直れません。

 被害者の人権は、日本ではまるで認められていません。「証拠の一つ」としてしか被害者は扱われていない。いつも蚊帳の外に置かれて無視され続けています。言いたいことがあっても言う場所もないし、裁判でも発言する権利が認められていないのです。

 加害者の権利は大切にされていますが、被害者の存在は考えたことがなかった。そのことでいかに被害者を傷つけているかに気付いている法曹関係者が、これまではほとんどいませんでした。でも一度、被害者の話を聞かされると「黙っていられない」と言ってくださる心ある弁護士さんは多いですね。

 それでも中には、被害者の人権について訴えると、加害者の人権にとってマイナス材料だと考えて反発する人もいるんです。被害者も加害者も、どちらの人権も大切だと思うのですが、まず守られるべきなのは被害者の人権ではないでしょうか。

●人権を守るためには●

 テレビや新聞に出て犯罪被害者の権利について発言することを、快く思わない人がいっぱいいます。公務員のくせに余計なことをするな、目立たず黙って仕事をしていればそれでいいみたいな雰囲気があるのです。「特別だからそういう目に遭うんだ」「普通の人とは違う」みたいな非難や陰口を、近所の人たちや親戚などからいろいろとされました。昨年末に保健婦の仕事(県職員)を退職してから、いろいろ言われなくて済むようになったので気持ちは楽になりましたね。

 犯罪被害者の権利を確立するためには、日本人のものの考え方や価値観、一人一人の考え方が脱皮しなければ。「個人が尊重される社会」にならなければと思います。人間が人間として尊重される社会、思っていることをきちんと発言できて泣き寝入りしないで済む社会になることは、被害者の人権を守るだけでなく国民一人一人の人権を守ることにもなりますし、成熟した民主主義社会をつくっていくことにもなると思うのです。

初出掲載(「月刊司法改革」2000年3月号)


●誌面の都合で雑誌掲載時にカットされた部分を復活させてアップしました。最後の「人権を守るためには」から後の文章がオリジナルです。


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