進退極まる「へい獣処理場」

お粗末な畜産行政

道路計画の代替地へ移転できず

 病死した牛や豚を処理する神奈川県内の「へい獣処理場」(化製場)が、老朽化した工場を改築も移転もできずに、宙ぶらりんの状態で10数年も放置されている。現在の工場が、都市計画道路にかかって土地利用の制限を受けているのに加え、「悪臭を放つ迷惑施設は困る」とする周辺住民の反対で代替地への移転もままならない。

 「処理場は畜産農家や食肉環境にとって欠かせない施設」として、県が四年前に約3億5000万円で買収した代替地は宙に浮いたまま。経営者は「私たちから仕事を奪うつもりなのか。行政の責任で現状をなんとかしてほしい」と訴えている。

      ■不可欠な施設■

 進退極まっているのは、神奈川県平塚市の村田油脂工業所。村田幸造さん(58歳)、智恵子さん(58歳)夫妻が30年前から経営する。

 病死や事故死などで、食肉に不適とされた牛や馬、豚を処理するへい獣処理場は、衛生的な食肉流通のためには欠かせない施設だ。死んだ家畜は食肉センター(屠殺場)へは持ち込めないからだ。死体の処理が自前でできない畜産農家にとって、処理場の存在は大きい。また、解体後の骨や脂、内臓などは、併設の化製場で石けんや有機肥料として再資源化するので、資源の有効利用にも役立っている。

 こうした施設は、かつては神奈川県内に10数軒あったが、現在は村田油脂だけだ。同県畜産課によると、県内約1400戸の畜産農家から出る死亡家畜は年間約880トン。92年はこのうちの4割が村田油脂に引き取られ、1割が県外処理されたという。

      ■都市計画道路■

 問題の発端は、平塚市の都市計画道路(平塚−山下線)のルート変更だった。当初計画では一直線だった道路が突然、1970年のルート変更で村田油脂に引っ掛かるように工場手前でカーブした。「不自然なルート変更ではないか」との指摘に、平塚市都市計画課は「用地買収しやすいように、従来の道路や水路を生かそうとした結果の変更だ」と説明する。

 1982年には、村田油脂の工場が水質汚濁防止法に違反するとして神奈川県警に摘発され、平塚市からも悪臭防止法違反で改善命令を受けた。へい獣処理の過程で生じる臭いを抜本的に解決するには全面改築しかないが、工場は都市計画道路のルート上にあるので改築は無理だ。

 こうした事態に、「へい獣処理場は畜産振興と環境保全に必要」とする神奈川県は1990年3月、平塚市のあっ旋で、同市四之宮の工業団地内(工業専用地域)の土地を処理場用地として取得した。約3300平方メートルで、約3億5000万円。県が施設を建設し、運営は村田さんを入れた第3セクターに任せる、とする構想だ。

 村田さんは専門家らと協力し、最新技術による防臭対策を研究。県とともに施設の基本設計まで作成した。

      ■悪臭への苦情■

 村田油脂は今から80年前、智恵子さんの祖父が創業した。現在地に工場が建てられたのは60年前。そのころは、田んぼと桃畑の中に工場だけがポツンと建っていたが、宅地化が進んで村田さんの工場周辺にも次第に家が密集し始めた。

 それに伴って、周辺住民から「悪臭をなんとかしろ」と苦情が出始め、工場の塀や門にも「くせーぜ」「いつまでいるんだ。つぶすぞ」などと落書きされるようになった。行政への陳情や抗議も続き、そのたびに行政は「なんとかしろ」と村田さんの工場に指導を繰り返してきたという。

 へい獣処理工場の手順は、高圧蒸煮器で死亡家畜を脂肪や骨に分解してから、乾燥機にかけて粉にしたり、油を絞ったりして製品化する。こうした処理の過程で独特の臭いが発生する。都市近郊で畜産や有機農業に励む農家が抱える悩みと同じだ。だからこそ村田さんは、最新技術を導入した新工場の建設に意欲を燃やした。

      ■移転できない■

 だが、代替地の四之宮地区の住民から猛烈な反対運動が起きた。「これまでも近くの下水処理場の悪臭に悩まされてきた。そこに、悪臭施設の2つ目を造るなんて認められない。しかも、住民に説明もしないで、行政が一方的に用地買収を済ませてしまったのは納得いかない」

 住民は平塚市や県との話し合いを拒否、同地区への工場移転は、少なくとも今年3月まで凍結されている。地区自治会連合会の幹部は「純粋に環境問題として反対しているだけで、処理施設が必要ないと言っているわけではない。行政が住民の納得いく説明をしていれば、ここまで問題はこじれなかった。責任は、住民を無視して用地買収した行政にある」と話す。

 これに対し、市企画調整課は「工業専用地域なので適地だと判断した。周辺の工場には説明して了承してもらった。住民全体へ説明するには至っていない。住民の説得と合意形成に努力してはいるが…」と弁明。

 一方、神奈川県畜産課は「用地あっ旋の折衝で、市が住民の説得には責任を持つと言明したはずだ。もっと地元対策に努力してほしい」と平塚市の姿勢を疑問視する。

      ■行政の責任は■

 村田さんの工場は、建物も機械もかなり老朽化が進んでいる。「風通しが良くて作業しやすい」ことだけを重視した昔ながらの工場は、空調設備が不十分なために、家畜処理の過程で生じる臭いは外まで漂う。しかし、近隣から苦情が寄せられても、都市計画決定された現在地で工場改築はできない。代替地の周辺住民からは移転を拒否され、村田さんはにっちもさっちも行かなくなった。

 「工場に掛かるように道路を曲げた上に移転もできない。これでは、うちの仕事をつぶすのが目的ではないかとしか思えない。悪臭が出る施設は廃業させればいい、という程度の理解しかないのではないか」と村田さんは、行政の余りにもお粗末な対応に怒りをぶつける。

 「最新技術を生かした新工場を建設すれば、臭いは解消できる。安心できる施設であることを行政が積極的にPRしなければ、住民の理解は得られない。本当にやる気があるのか」

 県畜産課では「死亡家畜は産業廃棄物。域内処理が基本だ。県内にへい獣処理の施設は必要」と説明する。

 昨年九月末、副知事交渉が横浜市内で開かれた。山口栄蔵・副知事は、新工場の建設計画が大幅に遅れていることを謝罪した上で、「県の責任で解決を図る。1994年度中の決着を目指して最大限努力をする」と村田さんらに約束した。だが、その後も事態に進展は全く見られない。

      ■部落産業守る■

 へい獣処理場、化製場の仕事は、皮革産業と並び、伝統的な被差別部落産業の一つだ。処理過程で出る独特の臭いや、死んだ牛や馬、豚を取り扱う内容などから、被差別部落の人たちに仕事は押し付けられてきた。

 村田さん夫妻も、被差別部落の出身だ。仕事は典型的な3Kで、大変な重労働を強いられる。特に夏は、臭いが厳しい。

 「家畜が死んだ」との連絡は、農家からほぼ毎日のように入る。死んだ家畜を放置しておくわけにはいかないから、すぐ引き取りに行く。昨年は元旦から仕事だったが、今年はたまたま運良く一日だけ休みが取れた。

 村田さんを支えるのは「自分がやらなければ、ほかにやる人がいない」との使命感だ。「お宅がなくなったら牛や豚は飼えないよ、という農家の人たちの言葉に励まされて、これまでやってきた」。そう話す村田さんは、ちょっぴり誇らし気だ。

 「世間からあまりに隔離された仕事だった点に問題がある。工場の周りをぐるりと塀で囲んで見えないように努めてきたが、それでは、実際にこんな仕事があるんだ、必要な仕事なんだとの認識は生まれてこない。クリーンな工場を造れば、おのずと偏見はなくなると思う」

 大学を卒業した長男泰幸さん(23歳)が昨春から、後継者として一緒に働いている。「将来、絵が描けるような仕事にしてやりたいね」。村田さんはうれしそうに目を細めた。

初出掲載(「法学セミナー」1995年3月号)


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