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犬の声帯を取って飼っているという飼い主に出会ったことがある。じっくりと話す時間はなかったが、飼い主の雰囲気からしても、ご近所からの苦情に耐えられず、苦肉の策として声帯を取ったのだろう。犬は可哀想だが飼い主だって努力した結果、そうせざるを得なかったのだろう。

そのことを知人へ話した。知人の反応は「声帯を取るなんて人間のエゴだ!うるさく吠える犬でも、飼ってくれる人を探せば良いだけ!!」と叫んだ。

知人は正論を振りかざしているつもりだろうが稚拙。

まず、知人自身が、その吠え癖のある犬を引き取って飼うつもりはないのだし、新しい飼い主を探してあげる気もないのだ。

新しい飼い主を探すにしても、過疎地でなければ飼いにくいだろう。都会で飼ったら、新しい飼い主もご近所からの苦情に悩まされるだろう。

動物人口過剰だからこそ、これだけ処分されている状況下において、そう簡単に新しい飼い主が見つかるとは思えない。ましてや、飼うことによってご近所から苦情がきやすい状況になると想定すると、二の足を踏むだろう。

彼の理屈は、「被災地へ義援金を送る人を探せば保障問題は簡単に解決する」と言っているようなもので現実味がない。

苦労を買ってでる気持ちのないゲスが、机上の空論を振りかざずのは最低。

彼は、動物を保健所に連れていった飼い主へ罪の意識を感じさせる為に、
安楽死に改善するのではなく、苦痛死のほうが良いとも言った。

恐らく、彼の根底にあるのは動物福祉精神ではなく、人間への嫌悪感だけ。

絵に描いた餅のような理想論を振りかざす人間は根が冷酷→冷酷だから苦労を買ってでる気はない→行動をしないので現実を知らない→知らないから絵に描いた餅のような理想論を具現化できると思い込んでしまう。
というお粗末な図式。


なので、解らないことがあったら聞くのではなく、解っているつもりのことも聞かないと解らないまま生涯を終えるのだ。

身勝手な人ほど知見が低い。なぜなら、自分を憐れむ気持ちが強いと、楽なほうへ楽なほうへと逃げる癖がついてしまう為、現実を知らなさすぎるからだ。