裁判長の訴訟指揮に疑問の声

Tシャツ着用で退廷命令

「表現の自由」と傍聴権侵害


【前文】東京地裁八王子支部の民事法廷で、傍聴人のTシャツ着用などをめぐる訴訟指揮が問題になっている。裁判所は、胸にプリントされた「強制反対」のロゴや「戦争放棄」などの文字が入ったTシャツを着た傍聴人の入廷は認めない、との姿勢を崩さない。Tシャツは鉢巻きやゼッケンと同じなのだろうか。

●「なぜ傍聴できないんですか?」●

 東京地裁八王子支部の四階。四〇一号法廷の前の廊下で、Tシャツを着た女性が裁判所職員と押し問答を続けていた。

 「その服装では傍聴できません」

 「どうしてダメなんですか。傍聴する権利を奪うのなら理由を教えてください」

 「裁判官の判断です」

 女性の左胸には「強制反対」「日の丸・君が代」の言葉がプリントされている。縦四センチ、横八センチほどの小さなロゴは、腕を組めば隠れてしまう大きさだ。もう一人の女性のTシャツには、日本国憲法の理念の一つである「戦争放棄」の文字のほか、「文部省発行 あたらしい憲法のはなし」といった言葉が書かれている。こちらは胸いっぱいに大きくデザインされていた。

 結局、Tシャツの上からガウンを羽織った女性は傍聴が認められたが、Tシャツ姿のままの女性は入廷できなかった。同法廷では一年以上前から、こんなやり取りがずっと続いている。

      ■  ■  ■

 この裁判は、東京都内の公立中学校の家庭科教諭・根津公子さんが、授業内容を理由に出された文書訓告は不当処分であるとして、八王子市を提訴した損害賠償請求訴訟だ。

 根津教諭は一九九九年二月、三年生の最後の授業で「自分の頭で考えて判断し行動できる人間になろう」と生徒たちに教えた。上からの指示に従って動くオウム真理教の信者の言葉を引用しながら、「教育委員会から指導された通りに『日の丸・君が代』を実施する全国の校長の思考と同じだと思いませんか」と指摘し、自分自身で考えて判断することの大切さを訴える内容の授業だった。

 同年八月、根津教諭は八王子市教育委員会から文書訓告を受けた。「(授業は)校長の学校運営方針を批判するに等しい」というのが理由だった。

 これに対して、根津教諭は「卒業する子どもたちに、最後のメッセージとして贈った授業でした」と話す。

 「おかしいと思うことには勇気を出しておかしいと声を上げてほしい。社会の中で主体的に生きていくことの意味を伝えたかったのです。特定の校長を批判したのではないし、『日の丸・君が代』の是非を問うたわけではありません」

 二〇〇一年二月、不当処分によって精神的苦痛を受けたとして、根津教諭は八王子市を相手に損害賠償を求め提訴した。東京地裁八王子支部で審理が続けられ、これまで計十回にわたって口頭弁論が開かれている。

●裁判長に説明責任はないのか●

 傍聴人の服装をめぐって、裁判所が入廷規制を始めたのは、二〇〇一年十一月に開かれた第四回口頭弁論からだ。原告支援者の一人で、胸に「強制反対」「日の丸・君が代」などとプリントされたTシャツを着ていた傍聴人は、裁判所職員から「脱ぐか上着を羽織るかして文字を隠すように」と注意された。それ以降、同種のTシャツを着た傍聴人の入廷は認められない状態が続いている。

 原告代理人の弁護士は、裁判長から「政治的メッセージは困る。『日の丸』について書かれたTシャツ着用は審理に影響するので、着ないように説得してほしい」と何回も頼まれた。「単なるロゴで何の問題もないのに、そこまで神経質になるのはどうか」と応じたという。「Tシャツ着用は傍聴人が自分の考えでやっていること。表現の自由や思想信条を規制する方がおかしいと思う」と担当の萱野一樹弁護士は話す。

 昨年十一月二十八日に開かれた第九回口頭弁論では、ロゴ入りTシャツを着た傍聴人と裁判所職員とのやり取りが、法廷前の廊下で延々と続いた。その間、合田智子裁判長ら三人の裁判官は法廷に入ろうとせず、開廷が一時間四十分も遅れた。

 法廷の秩序を維持し、公正な裁判を遂行するために、裁判官が訴訟指揮権を根拠に傍聴人の入廷を規制したり、退廷を命じたりすることはもちろんよくある。「鉢巻きやゼッケンは着用しないこと」といった注意書きも裁判所には掲示されている。しかし、小さなロゴをプリントしたTシャツが公正な審理を妨げるというのは、かなり分かりにくい。

 「どうしてTシャツ着用が法廷の秩序を乱すことになるのか、傍聴を認めない理由を具体的に教えてほしい。裁判官は説明責任を果たすべきだ」と傍聴者らは訴え、八王子支部に要請書を二度にわたって出しているが、裁判所から回答や説明は一切ない。

 今年四月二十四日の第十回口頭弁論でも、裁判所職員は「裁判官の判断です」と繰り返すだけだった。この日は原告に対する本人尋問が行われたが、宣誓の際に起立しなかった三人の傍聴人に対し、園部秀穂裁判長(第十回から交代)は退廷を命じた。

 宣誓終了後、原告代理人は「宣誓の際に起立しないのはよくあることだ。憲法で保障された傍聴の権利を奪う訴訟指揮は不当だと考える。宣誓は終わったのだから退廷命令を解除するべきではないか」と抗議したが、園部裁判長は「裁判所の訴訟指揮の範囲内だ。再入廷は認めない」とはねつけた。

●傍聴権の侵害に不信と危機感●

 こうした訴訟指揮に対し、原告代理人の和久田修弁護士は「裁判の公開が原則なのは、審理の公正さを市民が監視するのが趣旨。それなのに、起立しないことを理由に傍聴人を退廷させるとは唖然呆然だ」と憤る。

 「こういうことを許していたら傍聴はどんどん制限されていく。裁判制度にとって実に危険なことです」

 東京弁護士会法廷委員会の元委員長で、訴訟指揮問題に詳しい辻恵弁護士は「刑事事件では、関東のどこの法廷でも起立なんかさせていませんよ。そもそも起立しなくても宣誓の効力は生じるのだから。こんなことで退廷させるなんてとんでもない」と話す。

 「権威を否定されることが裁判官は許せないのでしょう。Tシャツに書かれた言葉や表現を理由に傍聴させないというのもおかしな話です。例えば傍聴人のメモを裁判所はかたくなにずっと禁止し続けてきたが、今ではだれもが自由にメモできるようになった。異議申し立ての声を積み重ねて、不当な制限を打ち破っていくしかないですね」

 一連の訴訟指揮と傍聴制限について、園部裁判長は「個々の事件の具体的な訴訟指揮についてはコメントしない」としている。

初出掲載(法学セミナー増刊「Causa/カウサ」第7号=2003年5月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):「強制反対」の小さなロゴ(右)と「戦争放棄」の大きなデザイン(左)がプリントされたTシャツ。どちらを着ても傍聴は認められない=2003年4月24日、東京地裁八王子支部の正門前で


【続報】金曜アンテナ

教育委員会の「授業内容介入」

東京地裁が認める判決

 東京都内の公立中学校家庭科教諭・根津公子さんが、授業内容を理由に出された文書訓告は違法として八王子市を提訴した損害賠償請求訴訟で、東京地裁八王子支部(園部秀穂裁判長)は五月二十七日、訴えを棄却する判決を言い渡した。

 根津さんは一九九九年二月、八王子市立石川中の三年生の最後の授業で、「自分の頭で考えて判断し行動できる人間になろう」と生徒たちに話した。上からの指示に従って地下鉄サリン事件を実行したオウム真理教元信者の被告の言葉を引用しながら、「教育委員会から指導された通りに日の丸・君が代を実施する全国の校長の思考と同じだと思いませんか」と指摘し、自分自身で考えて判断することの大切さを問いかけた。

 同年八月、八王子市教育委員会は「校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行った」との理由で、根津さんを文書訓告とした。これに対して、根津さんは「教育委員会が授業内容を理由に処分をするのは、教育行政による教育への違法不当な介入だ」と訴えていた。

 園部裁判長は「校長らを犯罪者に比肩する内容の授業が、通常必要となる手段であると評価するのは到底困難だ。授業方法に是正すべき点があるとして、服務監督上の措置として訓告を行うのは、市教委に認められた裁量を逸脱せず違法とは言えない」などと述べ、根津さん側の主張を退けた。

 根津さんは「教育行政機関が教育方法に踏み込むことを前提とした判決だ。授業が生徒や保護者から高く評価された事実を全く無視して、日の丸・君が代に反対するための授業だろうと言わんばかりだ」と批判。控訴する方針だ。

初出掲載(「週刊金曜日」2004年6月4日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


【関連記事】こちらの記事も参照して下さい。

(1)「『偏向授業』と決め付け」

(2)「つくられる『指導力不足』教員」=(1)の続編です。


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