シリーズ●検証/石原「日の丸」教育(4)

 暴走都教委に支配される都立高

校長からも批判と悲鳴

「やっぱり都教委はおかしい」


【前文】「日の丸・君が代」への忠誠を教職員に強いる東京都教育委員会は、「生徒が起立しないのは教員の責任だ」として、担任や管理職の指導まで始めた。学校の最高責任者のはずなのに、「都教委のロボット」と揶揄される校長たち。こうした事態をどう考えているのだろうか。

●批判できない雰囲気●

 「東京都教育委員会の暴走は止まりません。都議会で議員がタイミングよく質問し、それに教育長がうまく連携して答弁する。異常な事態ですね。まともじゃない」

 ある都立高校の現役校長・片倉貴志さん(仮名)はそう言い切って、都教委の姿勢にはっきりと嫌悪感を示した。

 「そのうち、生徒や教員が歌っているかどうかをチェックするように言ってくるだろうと、校長の間ではうわさになっています。こんなことは親しい仲間にしか話せませんが」

 昨年十月、都教委が都立高校長らに示した「日の丸・君が代」の徹底を求める通達(実施指針)が、すべての始まりだと片倉校長は言う。都教委は職務命令に従わなかった教職員約二百五十人を処分し、国歌斉唱の際に起立しなかった生徒が多い学校の担任や管理職らに対しても、厳重注意などの指導をした。

 「都教委の指示通りにやらなければ、私たち校長が処分されるからやむなく職務命令書を出しましたが、指定された場所で起立して斉唱しろだなんてやり過ぎです。都民から圧倒的に信任された石原慎太郎都知事が自信を持ってやっている施策だから、都立高校の校長の立場では従わざるを得ないけど、内心ではおかしいと思っていますよ」

 しかしそう思っていても、公にそんなことを校長が口に出して言えるような雰囲気ではない。校長の中には、都教委のやり方を積極的に支持している人もいる。「もっと細かく指示を出してほしい」と言い出す校長まで現れた。都教委に一から十まで指示された方が自分で判断しなくていい、というのだ。

 その結果、教員が生徒の方を向いて斜めに立つのはいけないとか、国歌斉唱の際に生徒を起立させなければならないなど、通達(実施指針)のどこにも書かれていない部分まで踏み込んで、どんどん指示が広がっていく。

 「校長もいい子になりたいのですかねえ。学区ごとの校長会で足並みを揃えてやろうなどと、校長の側から進んで申し合わせをする動きが出てくるんです」

 校長会には都教委の役人が必ず出席する。おかしいと思っても、反対の声を上げたりすればマークされる。校長としての業績評価に響くことになる。管理職から一般教員に降格を促す人事制度が導入されたこともあって、発言には二の足を踏む。

 校長と教員の人間関係も、都教委通達が出てからおかしくなっているという。都教委のロボットみたいな校長に反発して、学校運営に非協力的な教員がいれば、あからさまに校長にすり寄ってくる教員もいる。そんな職場環境だから、教員同士の関係もぎくしゃくしてくる。

 「校長と教員は、お互いに信頼し合って一緒に仕事をしている。そうでなければ学校運営は成り立ちません。それなのに都教委は一方的に、校長権限を行使せよ、教員の処分を具申せよと言ってくるんです」

 都立学校の校長権限が強化されている側面は確かにある。「都立というぬるま湯の中で、これまで教員は手抜きをしていたと思います。授業の下手な教員に、校長が授業観察を通じていい仕事をしてもらうように指導するのはいいことです」と片倉校長は指摘する。校長権限による指導力の発揮ということだろう。

 ところが「日の丸・君が代」の問題になると、校長の権限は皆無に等しくなる。都教委の指示に従うだけの存在になってしまうのだ。

●校長は営業所の所長●

 昨秋の創立記念行事(周年行事)と今春の卒業式・入学式では、「会場の指定された席で国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること」などと書かれた校長名の職務命令書が、教職員一人一人に交付された。文章や体裁はどの都立高校でもほぼ同じだった。不起立や伴奏拒否などの職務命令違反をした教員について、校長が都教委に提出する服務事故報告書の書式も統一されていた。「厳正なる処分または措置をお願いする」という結びの言葉も同じだ。校長会がひな形を作成して回覧したことになっているが、モデルパターンは都教委の提供だという。

 「都教委通達は、実質的には都教委から教員への職務命令だ。校長はその仲立ちをさせられている。軍隊の命令系統みたいなものです」

 そんな解説をしてから、片倉校長は都教委の矛盾を指摘した。

 「そもそも卒業式や入学式のやり方は校長の権限に属することで、都教委のやっていることは明らかな越権行為です。特色ある学校、校長権限の強化という方針と矛盾している。都教委は必ず『指導』という言葉を使って、最後には『校長先生の判断です』と言いますけどね」

 都立学校の卒業式や入学式の会場には、都教委から課長や指導主事らが多数派遣された。

 都教委は、「学校の管理運営の権限は校長にあるので、都教委が直接指導するわけにはいかない。都教委職員は式典に祝意を述べに行った。監視ではない」と説明するが、校長たちは「お目付け役として派遣された」と認識している。

 片倉校長は卒業式で、指導主事から「舞台に上がったら国旗に礼をするものです」と指摘された。これまで「日の丸」に頭を下げたことなど一度もなかったが、舞台に上がるたびにぺこりと頭を下げた。そんなところで目を付けられても仕方がないと思ったからだ。

 礼をしないことで「あそこの校長の姿勢はおかしい」などと言われ、業績評価に反映されでもしたら予算や人事に悪影響が出かねない。都教委が気に入るような卒業式をきちんとやり遂げるのは、校長にとって重要な仕事なのだ。結局、舞台壇上で「日の丸」に向かって合計三回頭を下げた。

 「校長は営業所の所長といったところですかね。なんでも本社の言う通り」。片倉校長は都立高校長のイメージをそう表現する。

 「今どき都立高校で管理職を目指す人は、よほど勇気のある人でしょう」と苦笑いした。

 最近、よその県の校長仲間たちと顔を合わせると、みんなが「東京はどうなっているんだ」と都立高校の状況を聞きたがる。そうして「いずれはこっちの方にも波及してくるんだろうな。嫌だな」と一様に不安な表情になるという。

 「都立高校はかつて他県の教員からあこがれの的だったが、今はもう同情の対象です」

●押し付けはおかしい●

 今年三月まで都立高校長だった阪東吉之さん(仮名)は、都教委通達を目にした時、「ここまでやらないとダメなんだ」と思って呆然とした。これまでは学校の自主性や実情に応じて、ある程度アレンジすることが許されていた。それがすべて例外なく形を整えて統一させられることになる。

 「日の丸・君が代」の扱いについて、阪東前校長は「過去に果たしてきた役割を考えると慎重にならざるをえない」と思う。「日の丸」は認知されているが、それでも舞台正面に掲げるのはナチスみたいで嫌な感じがする。「君が代」は天皇のもとに心を動員させるにおいがする。

 「仕事だからどちらも実施指針に従ってやりましたけどね」

 いろいろな考えや立場の教員や生徒に配慮した「特色ある卒業式」はできなかった。

 「教育委員会の職務は事務的なものに限られているはず。拡大解釈して教育内容にまで踏み込んでくるのはおかしいですよ。そもそも実施指針は都教委の内部で決めた細目に過ぎないのに、それに従わないからといって服務違反に問うというのもおかしい。法治国家なんだから」。阪東前校長は納得いかない。

 今年三月まで都立高校長だった蒔田弘明さん(仮名)は、「日の丸・君が代」について、「国旗や国歌がない国なんてないのだから、卒業式や入学式で扱うことには反対ではない」という立場だ。しかし、都教委通達と実施指針については「どうしてここまでやるのか」と疑問を感じていた。

 教職員に一人ずつ職務命令書を渡せとか、座席を指定して向きまで変えろとか、いすの並べ方までとやかく口出しして、一律に細かいことを押し付けてくる都教委のやり方に強い抵抗感があったという。

 「口頭であろうが文書であろうが職務命令の効果は同じ。私なら文書で職務命令を受け取るなんて嫌ですね。教員を信用していないみたいなことはできません」

 卒業式前、蒔田前校長は「私は実施指針通りやります」と公言して、指針にない職務命令書は交付せず、教員の座席指定もしなかった。都教委からは何回も確認の電話が入り、高等学校教育指導課長が事情を聴きに直接学校にやって来た。

 「画一的に押し付けること自体がおかしいんです。上から押し付けても改革にはならない。国旗・国歌に決着をつけたいという都教委の気持ちは分からないことはないが、いろいろなアプローチの仕方があるのだから、現場に任せるべきだ」

 蒔田前校長はこれまでも、都教委の方針に疑問があれば、都教委主催の校長連絡会で積極的に発言してきた数少ない校長の一人だ。今回、職務命令書を出さなかった行動もそうした姿勢の延長線上にある。

 「任命権者の都教委に人事を握られているから、先のある人は言いにくいかもしれないが、言うべきことはきちんと言わなければ。五十人とか六十人の教員を背負っている校長が、校長連絡会のような場で発言しないと現場の声は伝わらない」

 蒔田前校長の行動に対して、ほかの校長たちから「都教委は職務命令書を出さなかった校長を指導しないのか」と抗議する声が出たという。校長会でそろえた足並みを乱したことへのブーイングらしい。もちろん校長の全員が同調しているわけではなく、心ある校長からは抗議に対して自省を求める声も聞かれる。

●政治的中立はどこへ●

 今年二月の校長連絡会で、都教委はQ&A形式のマニュアルを作成して、「生徒に内心の自由について説明する必要はない」と校長を指導したことになっているが、実際にはさらに踏み込んだ表現で「内心の自由について触れてはいけない」と指導していたという。だから、校長たちは昨春までとは打って変わって、公式には生徒に「内心の自由」の説明をしなくなったのだ。

 都教委は五月二十五日、不起立の生徒が多かった学校の学級担任や管理職ら計五十七人を厳重注意などとし、このほか生徒に「内心の自由」について説明した担任ら十人は「不適切な発言」があったとして指導すると発表した。

 「内心の自由について話すと自分が処分されることになるが、指導しても生徒が立たなかったらそれは仕方がないだろう。都教委の今回の処分はやりすぎだ」と片倉校長は眉をひそめる。

 都教委の止まらない「暴走」の背景について、校長たちは都議会議員の存在を指摘する。とりわけ熱心に都議会で「日の丸・君が代」の問題を取り上げている議員の一人が、民主党の土屋敬之都議だ。

 土屋都議は今年三月の都議会予算特別委員会で、「生徒に歌わない自由を強調する指導は問題だ。卒業式で生徒の大半が国歌を歌わない場合は、教師の指導力不足か、誘導的な指導が行われていることになる」などと質問。これにあうんの呼吸で応じるかのように、横山洋吉教育長は「国歌斉唱時にクラスの大半が起立しないのは、国旗・国歌の指導が適切に行われていないと言わざるを得ない」と答弁している。

 副知事待遇の教育長は都知事と一体化した存在だ。石原都知事は四月の記者会見で、今年七月に任期が切れる教育長人事について「あんないい教育長をだれが替えるんだよ」と答えた。

 「知事の思惑を、忠実にブルドーザーのように実行している人」。校長の一人は横山教育長のことをそう表現する。

 これに対して、ある前校長は「校長は都教委の運転手みたいなもの。行けと言われたところに行くしかない。本来は学校を切り盛りするのが校長の役目なんだけど、都立高校の校長に裁量権なんてないからね」と解説した。

 教育委員会は政治的中立を守り、教育内容に踏み込まないのが大原則だ。学校の最高責任者である校長への都教委の乱暴狼藉は、教員や生徒を侮辱するに等しい。

初出掲載(「週刊金曜日」2004年6月18日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):ある都立高校の廊下の風景(写真と本文記事は関係ありません)

●写真説明(ヨコ):「卒業式で生徒が国歌を歌わないのは、指導の内容や方法に重大な問題がある」と質問する民主党の土屋敬之都議=2004年3月16日、都議会予算特別委員会で


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