シリーズ●検証/石原「日の丸」教育(3)

 広がる都教委通達の波紋

「踏み絵」にすくむ教師たち

「良心」か「教職」か


【前文】国歌斉唱の際に起立しないというだけで、厳しく処分される都立高校の先生たち。音楽の先生はピアノ伴奏を強いられる。「踏み絵」として差し出された「日の丸・君が代」の前で、「思想・良心の自由」との折り合いが付かない先生たちは、孤立感を深めるばかりだ。

●伴奏●権力ちらつかせて強要●

 「ずっと『君が代』のことが頭から離れないんです。弾きたくないけど弾かないと処分される。どうすればいいんだろうって考えると、眠れなくなるんです」

 国歌斉唱の際に、ピアノ伴奏を義務付けられた都立高校の音楽専科教員の多くが、程度の差はあるがそんな悩みを抱えて苦しんでいる。

 学校行事での国旗掲揚と国歌斉唱を徹底させるために、東京都教育委員会が昨年十月二十三日付で出した通達(実施指針)。これによって、最も大きな精神的負担を強いられるのは、各校に一人いるかいないかの音楽専科教員だ。

 国歌斉唱に違和感がなければ問題ないかもしれない。だが「君が代」に抵抗感がある教員にとって、ピアノ伴奏という「積極的な行為」をさせられるのは大変な苦痛となる。生徒や保護者に斉唱を促すことにもなるから、なおさら悩みは深い。

 ある都立高校の音楽専科の先生は昨年、都教委通達が出たその日に、校長から国歌斉唱の際の役割を軽い感じで告げられた。年が明けて間もなく、再び校長室に呼ばれた。この時には、「やってもらわないといけないからよろしく」「必要があれば職務命令を出しますよ」と、はっきり伴奏を迫られた。

 先生は「君が代」のピアノ伴奏はしたくないと思っていたが、「困っています。辛いんです」とだけ口にした。すると同席していた教頭がこう言った。

 「職務の一環ですからね。弾かないのならこの仕事を辞めるしかないですね」

 伴奏するともしないとも言っていないのに。「それって恫喝ですね」と応じると、校長は慌てて「きょうのところはここまでにしましょう」と話を打ち切った。数日後、教頭は「この前の発言は撤回して謝罪します」と頭を下げてきたという。

 「権力をちらつかせれば、当然おとなしく言うことをきいて伴奏するだろう」と、管理職や都教委は簡単に考えている節がある。しかしそこには、意思に反した行為を強要される教員の心情を思いやる気持ちはかけらもない。

 この先生は「日の丸・君が代」について、「歴史的清算がされていないことがとても気持ち悪い」と考える。だから伴奏は嫌だと言う。

 「別の旗や歌なら構わないんです。だけどあの歌はやっぱり、戦後民主主義の世の中にはそぐわないと思う。百歩譲ってあの歌でいいとして、だったらCDで流せばいいじゃないですか。ピアノ伴奏させることの意味がわからない」

●不眠●もう辞めるしかない●

 都教委の今回の強権的なやり方に対する怒りは、たぶん都立高校の先生みんなが共有しているだろう。音楽専科の立場も、職場ではみんな理解してくれている。先生はそう感じている。しかし心情的には理解してくれていても、「君が代」の伴奏については拒むすべがない。

 先生は、だんだん体に変調を来すようになってきた。眠れない、注意力が散漫になる、胃がしくしくと痛む…。卒業式が近付くにつれて管理職からいろいろ言われ、精神的重圧がますます膨らみ、体に異変が現れるのだった。

 精神科の病院を訪ねて診察してもらった。医師に「これだけ症状が出ているのなら、学校を休んでしまいなさい」と指示され、先生は一カ月間の病欠を取った。

 卒業式の日、体育館にはピアノ伴奏ではなくCDで「君が代」が流されたが、特に問題もなく式典は滞りなく終わった。だけどすぐにまた入学式がある。当然そこでもピアノ伴奏が待っている。「君が代」からは逃れられない。先生は引き続き、学校を休もうかと思っている。

 「毎年毎年、一年に二回ずつ、こんなことがずっと続くんですよね。早く次の仕事を見つけて、学校を辞めるのが結論です。ほかの仕事があれば、いつでもすぐに辞めたいというのが今の気持ち。音楽の仕事はこれからも続けていきたいけど、石原都知事に雇われるのは、まっぴらごめんです」

 ピアノ伴奏を強要されて、体が拒否反応を起こしてしまったのは、この先生一人だけではない。別の都立高校の先生も、やはり同じように心身の不調を訴えた。

 その先生の学校では、都教委通達が出て一週間後の職員会議で、校長が通達文書のコピーを教職員全員に配って「来年の卒業式はこれでやります」と宣言した。

 先生はその時、事態をそれほど深刻には受け止めていなかった。今年度からすぐには実行されないだろう、通達には「ピアノ伴奏等」と書いてあるし、何年か猶予があるだろうと楽観的に考えていたのだ。

 ところが、昨秋いくつかの学校で行われた創立記念行事(周年行事)に、都教委から指導主事が何人も監視に来て、起立しない教員はチェックされた様子を聞いて、これは大変なことだと思い知らされた。

 「音楽の教員がいなければCDやテープでの伴奏もあるが、本校には音楽の教員がいるから卒業式はピアノ伴奏でやる」。校長は職員会議でそう明言した。一対一で話してみたが、「通達の通りでないとダメだ」とらちがあかない。「一般企業では意に沿わないこともやらなければならないんだ。教員は甘やかされている。一般社会では通用しない」とも言われたという。

 何百人の中の一人として歌うことと、ピアノで伴奏することは意味が全然違う。伴奏という行為は、何百人の人に「さあ歌いましょう」と促す立場になるからだ。それに、「音楽は心だよ」と教えている音楽の教員が、自分の意思に反してピアノを伴奏したら、生徒から不信の目で見られてしまうだろう。

 この先生も、ピアノ伴奏のことが頭から離れなくなって眠れず、精神神経科の診察を受けた。処方してもらった睡眠薬を飲めば確かに眠れるが、翌朝まで頭がぼーっとして起きられなくなった。

 体調が悪くてまいっているのは、同僚も管理職も知っている。しかし周囲に「学校に出られない」とこぼしても、根本的な問題が解決されない限りどうにもならない。

 「眠れない。薬を飲むと頭が鉛のように重くて起きられない。もうダメだ」。先生は、診断書を書いてもらって病気休暇に入った。精神神経科の医師から「原因ははっきりしている。卒業式と入学式が終わるまで休みなさい」と言われたという。

 学校を休めば症状はよくなるかと思っていたが、眠れない状態は今も続いている。

 「今回は病欠で伴奏がパスできたとしても、来年また同じ場面がやってきて憂鬱になる。今の仕事が続けられるんだろうかという不安に、気持ちは移行してきています。でも職を失えば路頭に迷う。家族もいるし板挟みですよ。来年の卒業式までに身の振り方を考えます」

 校長は個人的には心配してくれているようだが、「職務命令だからやれ」としか言わない。個人の気持ちのレベルでは、もうどうしようもない。先生は孤立感を深めている。

 体が拒否反応を起こす状態まで追い詰められなくても、「君が代」伴奏のプレッシャーに苦しんでいる音楽専科教員は少なくない。

●圧力●粛々と通達を順守せよ●

 二月中旬。都立高校の音楽専科の全教員にあてて、東京都高等学校音楽教育研究会(高音研)会長名で、「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する文書が送られてきた。

 文書は、「入学式・卒業式等の適正かつ円滑な実施のために、音楽科教諭の果たすべき責任は極めて重大である」とした上で、「万一、式進行の要となる音楽科教諭が個人的な思いにより、学校長による職務命令を逸脱した行動を取り、厳粛であるべき式の流れを妨げるようなことがあれば、参列者の期待を裏切り、都民に対する都立高校教育の信用を失墜させる」と述べ、「校長の命に服し、都教委教育長の通達を順守し、卒業式等の係分担を粛々と行うように」と結ばれていた。

 高音研は、都立高校のほか、都内の国・私立高校の音楽専科教員が参加する任意の教育研究団体で、約二百人の会員がいる。

 文面を見た音楽教員たちからは、批判や抗議の声が噴出した。

 「追い詰められて体調を崩している人もいるのに、こんな一方的な文書を出すなんて許せない。都教委通達に抗議しないなら、せめて何もしてほしくなかった」

 これに対して、高音研の理事長は「都高音研会員の皆さま」と題する文書を私信の形で発信した。「教育研究団体である高音研に政治的課題はなじまないと常任理事会で確認したのに、都教委の意向に沿った内容の文書を会長名で送付することに戸惑いと憤りを感じる」と批判するとともに、今回の「会長文書」の作成と送付に際して、都教委から度重なる要請があった経緯を列挙。「高音研へ都教委の政治的圧力が強まっている」と訴えた。

 関係者の話を総合すると、高音研会員に「会長文書」を出すようにとの都教委の強い圧力に、会長はかなり苦慮したようだ。だが結局は押し切られ、文章を多少変更する程度の抵抗しかできなかったという

 高音研の長沢功一会長(都立小平南高校長)は、「文書は都教委とは関係なく私の判断で、現場の混乱がないようにとの思いで出しました。弱小教科の状況を考えると私も苦しい」と話す。

 「都教委通達にピアノ伴奏が明記されていて、音楽科の教員は一人で受けて立たなければならない。いろいろな考えの先生がいるが、ああいう通達が出た以上は伴奏を拒否すると処分される。個人の思いを超えた問題になってしまったんです」

 都教委の賀澤恵二・高校教育指導課長は「高音研会長の立場で文書を出したいという話は聞いたが、こちらから出してくれと言ったことはない」と話している。

●脅迫●もっと教室で教えたい●

 今年三月で定年退職を迎える都立高校のある先生は、最後の卒業式では戒告処分を覚悟で、国歌斉唱の際に立たないことを決めていた。

 日本国憲法とともに生まれ育ってきた先生は、憲法の大切さを生徒たちに話し続けてきた。戦前は戦争遂行に教育が利用されたから、行政の教育への不当な介入を許してはならないと思うし、「日の丸・君が代」の強制に反対する思いも強い。

 ところが二月下旬、都教委は都立高校長らに対して、「再任用職員等の任用について」と題する通知を出した。そこには、「再任用または嘱託員の合格者が退職日までに服務事故等を起こした場合には、在職期間中の勤務実績不良として任用しないことがある。改めて服務指導等をお願いしたい」と書かれていた。

 定年を迎える教員の多くは、年金受給年齢までの生活設計を考えて再任用を希望し、大半が希望通り採用される。しかしこの通知によると、四月から再就職する学校が決まっていても、都教委通達に従わず処分対象となれば、採用の取り消しもあるというのだ。

 先生も再任用先の学校が決まっていたので、この通知には困ったなと思った。先生は四月から赴任する学校で、今の学校ではできなかった授業を展開してみようと意欲を燃やしていた。お金のことならなんとかなる。それよりも、教壇に立てなくなることがこたえた。

 「自分がつちかってきた研究成果を生かして、あと二年は授業をやってみたいんですよね。それができなくなるのは辛いんだよなあ」

 どうしようかと考えると、夜中にはっと目が覚めてしまう。同僚の先生たちからは「今回は黙って起立すれば」と言われた。

 「踏み絵と全く同じですね。こんなひどいことが教育の現場で起きているなんて、まともじゃない」

 迷った。当日の式場の様子を想像すると目がさえてきて眠れない。不整脈が出て吐き気まで起きるようになった。体が拒絶反応を起こして、結局、先生は卒業式を休んだ。

 「情けないありさまです」。先生は小さな声でつぶやいた。

 自分が心の中で考えていることと正反対の命令に、黙って従える人は幸せかもしれない。しかし納得できないことを強いられ、処分を前にして葛藤している先生が大勢いる。

 それでも都教委職員や校長は職務に忠実に、何も考えず「日の丸・君が代」への忠誠を強要し続けるのだろうか。そうまでして忠誠を誓わなければならない「日の丸・君が代」って何なんだろう。

初出掲載(「週刊金曜日」2004年4月2日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):舞台壇上に置かれたピアノ。「君が代」の伴奏に苦痛を訴える音楽専科教員も多い=3月11日、東京都新宿区の都立戸山高校で(写真と本文記事は関係ありません)

●写真説明(ヨコ):卒業式の朝、正門にも「日の丸」が翻った=3月11日、東京都新宿区の都立戸山高校で(写真と本文記事は関係ありません)

●写真説明(ヨコ):壇上正面の「日の丸」に向かって起立する卒業生ら。国歌斉唱の間、教職員の起立状況を教頭がチェックして回った=3月11日、東京都新宿区の都立戸山高校で(写真と本文記事は関係ありません)


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