浦和・大宮・与野の3市

だれのため「広域合併」

「さいたま市民」のメリットは?


【前文】埼玉県の浦和、大宮、与野の三市が合併して、五月一日に「さいたま市」が誕生した。合併推進を唱える国の強力な音頭で実現したと言われているが、市民の関心は低い。市民にとってどんなメリットがあるのか、むしろ地方分権に逆行するのではと疑問を投げかける声もある。


●政令市実現が至上命題●

 スタートした「さいたま市」の人口は全国十位の約百三万人。二年後には、全国で十三番目の政令指定都市を目指す。

 埼玉県内には全部で九十二もの市町村がある。

 過疎地域を抱える県なら、自然合併が繰り返されたかもしれないが、首都圏に位置し東京都の北に隣接する埼玉では、それぞれの市町村が独自の行政運営をして困ることは何もなかった。人口は増え続け、財政的にもさほど逼迫していなかったからだ。

 その一方で、同規模の市が林立する埼玉県には「へそ」となる中核都市がない、と言われ続けてきた。県庁所在地で文教都市の顔を誇る浦和。新幹線が停車し商業都市として発展する大宮。さらに県南には工業都市として歴史のある川口があるが、いずれも飛び抜けて大きな中核都市ではない。

 横浜、川崎といった二つの政令指定都市を抱える神奈川県への羨望とともに、一足先に政令指定都市となった千葉市に対する焦りが県内の行政関係者にはあったようだ。埼玉県の核となる政令指定都市の実現は、行政や地元経済界の至上命題となった。

 地元紙の埼玉新聞は合併推進の姿勢を掲げてきた。「埼玉経済同友会から協力要請を受けて、九二年ごろから会社としてはっきり推進の方針を決めていました」と話すのは、埼玉新聞・県南報道部長の原田勤記者だ。

 「埼玉には目玉になる街がないんですよ。政令指定都市ができれば、核になる都市ができる。経済的にも文化的にも自立した街ができていくのではないかということですね」

 合併問題の取材をずっと続けてきた原田記者は、合併の意義をそう説明する。

 「広島、仙台、千葉など全国的な流れもあります。首都圏で拠点都市がないのは埼玉だけになってしまった。権限が委譲されて財政基盤も安定することで、独自の街づくりができる。人口の流出を防いで埼玉の文化や経済を活性化させていくことにもなります。首長の姿勢にもよりますが」

●浦和と大宮の争い激化●

 三市合併の話は、昭和初めのころから浮かんだり消えたりを繰り返してきた。

 具体的構想を伴って話が進められるようになったのは、畑和・埼玉県知事(当時)が打ち出し、一九八八年に策定された「さいたまYOU And Iプラン」(埼玉中枢都市圏構想)以降である。与野、大宮、浦和、上尾の四市と伊奈町の頭文字の「Y・O・U・A・I」を織り込んだこの新都市圏構想は、同圏域の政令市実現も視野に入れていた。

 さらに、浦和、大宮、与野の三市にまたがる「さいたま新都心」(旧国鉄の大宮操車場跡地)に八九年、国の出先機関が移転すると決まったことが合併の契機になった。しかし地域間の確執があって話は進まない。九四年になって、ようやく合併へ向けた協議が動き出すのだが、それからもさんざん「綱引き」は続いた。

 浦和と大宮のライバル意識にはすさまじいものがある。合併協議が動き出してから話がなかなかまとまらなかったのも、両市が地域エゴをむき出しにして主導権を激しく争ったからだ。

 浦和と大宮の間では、ことあるごとに主導権争いが繰り広げられてきた。新市の名前や、市役所の位置を決めるにしても果てしない議論が延々と続き、まさに「地域間戦争」の様相を見せた。対立は激化するばかり。それが端的に現れたのが、合併直後の五月に行われたさいたま市長選だった。

 両市の現職市長だった二人が名乗りを上げて、激しい選挙戦を展開した。元浦和市長の相川宗一氏が、旧浦和地区と旧与野地区を制して当選したことで、一応の決着を見たのだが、双方に不満や不信感は根強く残っている。

 旧三市にまたがって建設が進む「さいたま新都心」の所属をどうするか、暫定的に旧浦和市役所の庁舎を使っているさいたま市役所を将来はどこに置くかなど、先送りされている課題は多い。肝心の政令指定都市の市域も、まだ確定していない。上尾市と伊奈町がさいたま市に加わるかどうかで市域が変わってくるからだ。

 三市合併を主張する浦和と、上尾と伊奈を含めた四市一町の合併を主張している大宮の溝は、そう簡単には埋まらない。四市一町が合併すれば、地理的に見て旧大宮地区がさいたま市の中心になるからだ。それによって、新しい市役所の場所にも影響が生じる。

 旧大宮市議でさいたま市議の鶴崎敏康議員は「三市合併でとどまるだけなら、合併なんてやらない方がいい」と断言する。合併の前も後もぎくしゃくしているさいたま市は、議会の足並みもそろわない状態だが、鶴崎議員は四市一町合併を一貫して主張してきた。

 「どうせやるなら恥ずかしくない政令指定都市にしなければ。懐の深い街をつくるには最低限でも四市一町の合併ですよ。これは現実主義の浦和と理想主義の大宮の考え方、発想の違いから出てくるものです。四市一町の合併のキーワードは『水と緑と光と風』。上尾の自然環境を生かして仙台のような都市にしたい、東京に依存しない北に伸びる街をつくりたいというのが根底にあります」

●だれのための合併か?●

 旧浦和市議で初代のさいたま市議会議長に就任した福島正道議員は「五十万人の都市同士が戦争以外で一緒になるのは有史以来ないこと。世界に例のないことをやっているのだから投げ出すわけにはいきません」と語る。福島議員は三市の合併協議を精力的に進めてきた実力者だ。

 「大宮は大宮の利益を考えて動くけど、浦和はそうじゃない。いかに合併して政令指定都市になるかが大事なんだ。一千億円をかけて新庁舎を建てるという議論があるが、市庁舎を取り合って勝った負けたのレベルではなく、市民の税金をどう使うかを考えるべきです。九つの行政区ができれば、三市の既存庁舎のほかに六つを新設しなければならない。(浦和市役所を新市庁舎として使うのは)常識的な解決方法でしょう」

 これに対して、浦和が合併する必要があるのかと正面から異議を唱えるのは、元浦和市議の土井裕之さん(三○歳)だ。土井さんは一貫して合併反対を訴えてきた。

 「財政的に比較的安定している浦和は、五十万都市として十分に機能している。現在抱えている課題を放り出して、膨大な時間とエネルギー、七十億円以上の費用を使ってまで合併する理由がない。無駄です」

 これまで三市が別々に行っていた行政事務を統一するための「すり合わせ」作業の対象は、約四千件になる。福祉、環境、保険、医療などなど、数え上げればきりがない。電算システムの一本化では浦和と大宮が互いに譲らず、結局は二系統を併用して運用することになったという。合併によって後退した行政施策もある。

 例えば三市の対応が不統一だった一般家庭ごみの収集だ。旧与野市では九六年から、市民と協議のうえで指定ごみ袋の有料制度を導入した。有料化によってごみの排出量は着実に減り、市民のリサイクル意識も前進したと評価する声が多かったという。

 一方、浦和と大宮はごみを無料収集していた。新市全域で有料化したら反発が強くて合併に支障が出るかもしれないと、当面は無料収集することで決着した。有料化は今後の検討課題だ。

 情報公開の面でも後退した。大宮市議会は九九年、議長選の汚職事件を契機に政治倫理条例を制定した。新市での同様条例の制定について、議員本人のほか配偶者らの資産も公開対象であることや、大宮が制定した特殊事情などを理由に、浦和と与野が難色を示して制定は検討課題になった。

 続けて土井さんは、合併協議を進める際に市民参加がほとんどなかった点を厳しく批判した。

 「合併協議過程の情報は市民に明らかにされず、説明も不十分。市民の意向や意見が反映される場もほとんどなかった。住民の意思を聞いて判断した西東京市とはまるで違います」

 今年一月に東京都の田無市と保谷市が合併してスタートした西東京市は、昨年七月に「市民意向調査」を実施し、投票方式のアンケートで合併の是非を尋ねた。どちらかの市で反対票が上回れば、合併協議を白紙に戻す事実上の「住民投票」だった。

 さいたま市の場合は、九六年に浦和市と大宮市がそれぞれ「市民アンケート」を行っているが、その内容は「政令指定都市になるのはいいか、悪いか」「合併するとしたらどの市がいいと考えるか」といった調子で、設問自体が極めて誘導的なものだった。しかし、行政的にはこれで「住民は合併に賛成している」とされた。

 この点については、合併推進派の埼玉新聞の原田記者(前出)も「出前説明会やシンポジウムなども開いたが、アリバイ的にやってきた。本来は住民投票で民意を問うべきだった」と行政の姿勢を批判する。「合併してどういう街づくりをするのかというビジョンを語るよりも、三市合併か四市一町かというくだらない議論がずっと続いてきた。住民の地方自治への関心をもっと広げる努力を模索するべきでしたね」

 土井さんはさらに、新市の議員任期の延長と報酬アップを議会が決定したことについて、市民感覚を無視した民主主義の根幹にかかわる問題だと怒る。

 合併前の三市の議員報酬と政務調査費は、旧浦和・旧大宮がともに月額六十二万一千円と二十万円で、旧与野市は同四十二万円と二万円だった。それがさいたま市では、報酬などを高額支給の市に統一することで合意された。期末手当を含めると、旧与野市議は年間五百五十七万円の増収になる。

 しかも議員数は、三市を合計した百人に膨れ上がったままだ。本来ならさいたま市の法定議員数は六十四人となり、合併から五十日以内に選挙をする。だが三市議会は、合併特例法の「在任に関する特例」を適用して、最長の二年間の任期延長を決めてしまった。任期延長の是非を問う住民投票条例制定を求める直接請求が、浦和と与野であったが、両市議会は提出された条例案を否決した。

 土井さんは「新市成立後の選挙は市民の大切な意思表明の場だった。任期延長は議会制民主主義の根底をゆるがし、議員を合併賛成に誘導する。このままさいたま市議になって恩恵を受けるわけにはいかない」として、新市誕生の前日に浦和市議を辞職した。

●地方分権に逆行の声も●

 市民は、今回の合併劇をやけに冷めて見ているようだ。

 用事があってさいたま市役所に来た会社員(二三歳)は「平仮名で『さいたま市』というのはキツイですね。それ以外は関心ないです。政令指定都市? はあ…どうなるんですかね」

 JR浦和駅前のデパートで買い物を終えて帰る年輩の主婦も「よく分かりません」と言い残して足早に立ち去った。

 そもそも、合併して百万都市になる必要はあるのだろうか。「かえって地方分権に逆行するのではないか」と疑問視する声を投げかけるのは、旧浦和市内でミニコミ紙「市民じゃ〜なる」を発行する長内経男さん(五○歳)だ。

 「自治体が大きくなればなるほど、政治に対するコントロール権は弱まります。例えば旧与野市だと有権者千五百人の署名で直接請求が成立するのに、さいたま市では一万五千人が必要になる。与野で可能なことがさいたま市では可能でなくなる。議員選出、陳情、請願など押し並べてやりにくくなり、数の中に埋もれてしまう。つまり、民主主義の権利が制約されるわけです」

 巨大行政の誕生は、住民による民主主義の芽生えをつぶし、中央集権を押し進めるものにほかならない。「下からのイニシアチブを目覚めさせないことにつながる」と長内さんは指摘する。

 政府は「地方公共団体の行政規模拡大や効率化を図る」ことを目的に、市町村合併を推進する。二○○○年十二月に閣議決定された行政改革大綱では、現在約三千二百ある市町村を千に減らすという数値目標を掲げている。

 「地方分権は自治の拡大であるべきなんです。それなのに地方分権の受け皿としての合併論が、自治体の基盤強化や行政効率の話にすり変わっていく。相手の図体が大きくなりすぎると、把握したり参加したりするのが難しくなるでしょう。行政をチェックする立場の議員にしても同じですよ。規模が大きくなることの弊害はここにあるのです」

初出掲載(「週刊金曜日」2001年7月6日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):さいたま市役所の庁舎。当面は旧浦和市役所が使われることになった=さいたま市常盤6丁目で

●写真説明(ヨコ):旧与野市北西部から見た「さいたま新都心」。国の出先機関や民間施設が立ち並ぶ。ドーム型の建物は「さいたまスーパーアリーナ」。新市の中心として、この地区に新市庁舎建設を期待する動きもある

●写真説明(ヨコ):さいたま市議会の本会議場。ここに100人の議員たちがひしめく。定数40だった旧浦和市議会本会議場を改造して議員席を追加した=さいたま市常盤6丁目で


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