<解雇ルールの明確化>「歯止め」きくの?厚生労働省は昨年十二月、労働基準法に「使用者が正当な理由なく行った解雇は無効」と明記する方針を示し、労働政策審議会は昨年末、労働法制「見直し」の報告書をまとめた。
最高裁判所の判例にしかなかった「解雇ルール」が法律に明記されることで、こうした法制化の動きを「労働者側にとって前進」と評価する見方がある。しかし一方で、「解雇は原則自由という考え方が前提になっていて前進どころか後退だ。これから解雇や労使紛争はもっと増えるだろう」と不安を訴える声も多い。
●圧倒的な情報格差の中で●
巡回健康診断をする東京都内の会社で、検診車の運転をしながらレントゲン技師として働いていた五十歳代の男性Aさんは二○○一年十二月、会社から「仕事の指示に従わない」として解雇を言い渡された。
Aさんは当初、会社から「検診車を譲ってやるから辞めて独立しないか」と言われたが、検診業務に必要な器材が与えられないのでは独立するのは無理だとして、会社側の提案を断っていた。その結果の解雇通告だった。
これまで会社が自前で行っていた検診業務をすべて下請けに回して、本社に管理部門だけを残せば身軽になる。会社はそんな経営方針を描いていた。検診部門の同僚たちは自主退職したり系列会社へ転籍したりして、社員の数は約半分になった。
合理化のための整理解雇であるのは明らかだった。
相談を受けた弁護士は、検診車の車検証を取り寄せ、Aさんが解雇される前に検診車が処分されている事実をつかんだ。業務に必要不可欠な検診車を処分するのは、あまりにも不自然だった。
「検診業務からの撤退という経営方針を、会社が決定していた証拠ではないか。整理解雇が本当の目的だったのではないのか」
裁判所はこの主張を認め、会社は和解を受け入れた。
東京都内の広告会社に勤務していた四十歳代の男性Bさんは昨年四月、会社幹部の知り拭いをさせられる格好で、一方的に解雇された。会社にとって重要なクライアントから契約破棄されたため、現状の人員では経営が成り立たないとして整理解雇されたのだ。実際には会社幹部がクライアントとトラブルを起こし、信頼関係を損ねたのが契約打ち切りの原因だった。
しかし、会社は「担当者である男性がクライアントの不評を買った」と事実無根の理由を示し、さらに能力不足や企画力欠如など別の理由も挙げて、Bさんの解雇を正当化しようとした。
クライアントが「会社幹部が勝手に雑誌タイトルを商標登録したから契約破棄した」と証言してくれたため、会社側の不当解雇が明らかになって、Bさんは会社と金銭和解することができた。
この二件はいずれも、たまたま不当解雇の証拠が発見できたからよかったが、首を切られた労働者が会社側の不当解雇を証明するのは難しい。持っている情報量が圧倒的に違うからだ。
労働事件に詳しい弁護士は、口をそろえてこう訴える。
「人事や勤務に関する膨大な情報を一手に握っている会社側に対して、不当解雇の立証責任は労働者側が負わされる。労使の力の差は明白です。退職を強要して、応じなければ雇用関係を打ち切るなんてよくあること。強調性や貢献度や能力などで役に立たないと判断されたら、だれでも解雇のターゲットになり得る」
●労働者に精神的ダメージ●
埼玉県内の下水管清掃請け負い会社は、経営悪化を理由に十人いた社員全員の首を切って、現行よりも大幅に低い賃金で改めて雇い直すと通告してきた。いったんは社員全員で解雇反対闘争をしようと決めたが、会社側の切り崩しに合う。「生活があるから仕事を続けるしかない。賃金が下がっても仕方ない」と、七人が再雇用される形で会社に復職した。
ところがただ一人、五十歳代の男性Cさんは「納得できない」として会社相手に裁判を始めた。
これに対して会社は、かつての同僚たちの陳述書を裁判所に提出し、Cさんがいかに職務怠慢だったかをあげつらった。そこには次のような、男性を非難する言葉が並べられていた。
「勤務時間中に無断で床屋や歯医者に行く」
「暑いから事務所でテレビを見ようと同僚に声をかけ、早めに仕事を切り上げてテレビを見ていることがよくあった」
「暑い日にほかの作業員が洗車や整備作業をしているのに、一人だけクーラーのあるところで涼んでいた」
「いすに座ってラジオを聴いているのを現場監督が注意したら、逆に食ってかかった」
手が空いている時に、床屋や歯医者に行くのは会社から黙認されていたし、夏の暑い日に仕事を早く切り上げてテレビを見ていたのはCさんだけではなかった。いくつものエピソードが脚色され、全く事実でない出来事も陳述書には織り混ぜられていたという。
裁判所は「職務怠慢を示すような資料は認められず、仮にそうした事実があったとしても社員全員の解雇は不当で、Cさんを解雇する正当な理由にはならない」と判断。会社側は、未払い賃金の全額を支払う和解に応じた。
男性側代理人の弁護士は、ほっとした表情で言う。
「会社側についた社員が、会社に協力しないという態度はなかなか取れない。仮処分の申し立てでは証人尋問などせずに書面審理で終わることが多い。労働事件に理解ある裁判官でよかった」
別の弁護士は「解雇された労働者が会社相手に裁判を起こすと、会社は能力も人格も根底から否定する形で攻撃してくるから、労働者は精神的に打ちのめされる。人権侵害ですよ」と怒る。
そもそも、労働者の立場を守る観点から解雇は厳しく制限されるというのが、司法判断では大前提だった。労働基準法に解雇規定の条文はないが、最高裁判所の判例では「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念から相当と認められない解雇は無効」(解雇権濫用法理)とされている。
さらに、経営上の理由に基づく解雇についても、整理解雇4要件(@人員整理の必要性がある、A解雇回避の努力をした、B解雇対象者の選定に妥当性がある、C説明協議など手続きが妥当である)を満たさない解雇は無効、とする判例が確立している。
解雇をめぐって労使間で争いになった場合は、こうした判例が判断の根拠となっていた。
だから、「解雇ルール」を明文化する今回の法制化の動きは前進であるようにも見えるが、労働問題に取り組んできた弁護士たちは「とんでもない」と法制化を批判し、危機感をあらわにする。解雇ルールの冒頭に「使用者は、解雇権が制限されている場合を除き、労働者を解雇できる」との規定が書かれているからだ。
「『解雇は原則自由』が前提になっているのが最大の問題です。さらに裁判所が解雇無効と判断した場合でも、労使当事者の申し立てによって金銭解決できるとも書かれている。お金さえ出せば、経営者が気に入らない労働者を職場から追い出せることがまかり通ってしまう」
解雇された労働者は、それでなくても職場復帰しづらい状況に置かれる。「解雇に歯止めがきかなくなるんじゃないか」。労働団体や弁護士グループは、危機感を募らせている。
<裁量労働制の要件緩和>負担さらに増加?働く時間を労働者が自由に決める「裁量労働制」。その対象範囲を広げ、導入や運用の手続きを緩和しようというのも、今回の労働法制「見直し」の柱の一つだ。
●「疑似裁量労働制」が横行●
現在の労働基準法では、裁量労働は、研究開発などの技術職や専門職の「専門業務型」と、企画・立案・調査・分析などの「企画業務型」を対象としている。このうち事務系ホワイトカラーを対象とする「企画業務型」は、本社のほか「事業運営上の重要な決定が行われる事業場」に限って認められているが、今回、そうした限定を外す方向が打ち出された。
働いた時間に応じて報酬を受け取るといった考え方に対し、「仕事の進め方や時間配分に関し主体性を持って働く」というのが裁量労働の趣旨だとされる。
しかし、労働問題に取り組む弁護士は「規制緩和は長時間労働や過密労働を助長し、仕事が終わらなければ退社できない状況をホワイトカラーに強いるだけ。使用者側にとってきわめて都合のよい制度だ。現行法の枠内でも、運用次第で主体的な働き方は十分可能」と疑問を投げかける。
日本労働組合総連合会(連合)の昨年度の調査では、実際の労働時間が九時間以上だった労働者は八割を占めるのに、みなし労働時間が七〜八時間だと回答したのは二三・二%で、八〜九時間と答えたのは二九・四%だった。裁量労働制の導入で労働時間が増えた労働者は三分の一を占めたという。また、時間管理されていない職場でサービス残業をしている労働者は六八%。時間管理がされている職場でも四七・五%がサービス残業をしているという。
「職場の雰囲気からなかなか断りにくいなど、現実にはサービス残業が横行している。労働基準監督署が是正指導しているが、表面化するのは氷山の一角。法律の手続きや対象範囲を無視して『疑似裁量労働制』を導入し、残業代を支給しない企業もあります」と労働関係者は指摘する。
●申請しにくい超過勤務●
大手情報通信のNEC(日本電気)は昨年十月から、主任クラスの約七千人の社員を対象に、本社のほか全国十一支社と七事業場で裁量労働制を導入した。このうち約千人が企画業務型の事務系ホワイトカラーだ。
厚生労働省賃金時間課は「七千人もの規模で裁量労働制を導入した事例は聞いたことがない。全国で初めてだろう」と言う。
NEC広報部によると、毎日一時間分を残業したとみなして一律に手当を支給する。大幅に超過勤務となる職場では制度の適用除外とするほか、規定の「みなし労働時間」を超える場合は、上司に超過申請して認められれば、働いただけの時間外手当(残業代)が支給されるという。
「専門業務型は、新製品の開発や情報システムの設計構築などの職種が対象です。企画業務型は企画・計画・人事部門など。ホワイトカラーの九割以上が裁量制の高い業務に就いている労働実態を踏まえ、成果主義に対する意識を高めてもらうために導入した。どういう働き方がいいのか労使間で議論を続けてきた結果です。健康管理にも配慮しています」と同社では説明する。
しかしこれに対して、裁量労働制対象者の主任社員は「超過勤務の申請は本人ではなく、上司と話し合って上司が申請するシステムになっている。なかなか言い出しにくい」と訴える。
「残業をしてもしなくても一律に手当が支給されるが、三十時間から四十時間の残業は当たり前。七十時間から八十時間の残業をする主任も多い。仕事の負担は何も変わっていませんから。申請して残業代が支払われないのではなくて、申請しにくいから結果的にサービス残業になってしまう」
人件費を抑制したい会社の意向を管理職は尊重しようとし、勤務評定される立場の部下は管理職の顔色をうかがう。「超過勤務するのは無能といったレッテルを張られるのは困る」。そんな意識も働いているという。
予算や人事などの裁量権が実際にはないのに、長時間労働せざるを得ない状況は労働者を精神的に追い込むという指摘や、過労死しても長時間労働の証明が難しいのではないかと訴える声もある。
厚生労働省の調査によると、従業員数三十人以上の全国の民間企業で、専門業務型の裁量労働制を導入している企業は一・二%、企画業務型の導入は○・九%あったという(昨年一月現在)。
初出掲載(「週刊金曜日」2003年1月24日号)
=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。
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