コラム/インターネット論

◎大岡みなみの「HPジャーナリスト」


(2)発表の「場所」が広がった

 今回は、僕がホームページを作り始めたきっかけについて話したい。

 パソコンに触り始めて9カ月が経っていた。これまではずっと、ウエブ上にあふれかえっている他人が作ったホームページを、ただひたすら見て回る毎日が続いていた。あるいは、せいぜい掲示板に書き込みをしたり、訪問先のホームページで知り合った人たちとメール交換をするくらいで、パソコン初心者の僕が、まさか自分でホームページを開設するなんて、考えもしなかった。

 そんな僕が、どうしてホームページを作ることになったのかというと、パソコンやインターネットに詳しい同僚記者に「簡単だから君もやってみたら」と誘われたからだ。この同僚が手取り足取りインターネットの仕組みを教えてくれるので、やる気になったのである。身近に専門家がいるのは心強い。そんなきっかけでホームページを作り始めた人は、意外に多いと思う。

 それに、ちょうどこのころ、僕が新聞記者として欲求不満を募らせていたことも、ホームページを作ってみようかなという気持ちに拍車をかけた。

 実は、僕はいくつも原稿をボツにされた挙句に、アホなデスクと衝突して新聞社の内勤記者に異動になっていた。編集局の組織から言えば中枢部門ではあるのだが、通常業務としては取材・執筆できない部署に異動させられたのである。もちろん、だからといって取材活動を放棄するようなことを僕はしない。休日や勤務時間外を使って、自分のテーマに沿って自由な取材を続けた。そうやって書いた原稿のいくつかは新聞紙面に掲載されたが、本格的なルポルタージュなどは残念ながらボツになった。

 紙面掲載されなかった原稿を闇に葬り去るのは忍びない、と僕は考えている。広く社会に公表すべき事実を自信を持って取材したわけだし、何よりも取材先に対して申し訳ないと思うからである。だから、僕は理不尽な形でボツにされた原稿については、さまざまなメディアに何らかの形で発表するようにしている。これまでに新聞でボツになった原稿は、幸いにも硬派の週刊誌や法律専門誌などに何本も採用された。

 「紙面で使われなかった原稿をインターネットで発表してみるのも面白いかもしれない。そうした作業を通じて新聞や記者の在り方を問題提起できそうだ。趣味のサイトとは別に、真面目に発信するサイトも作ってみようかなあ」。そんなふうに僕は考え始めた。

 ホームページに載せるネタには困らない。アホなデスクと編集幹部によって納得いかない理由でボツにされたが、社外では高く評価された原稿には事欠かないからだ。実際、そういった原稿の扱いにこそ、今の新聞社の抱える問題点と矛盾が隠されているのだった。ホームページでその辺の事情も紹介できる…。

 それに、内勤記者の仕事をしながら僕は、頼まれて社外メディアで連載コラムを毎月書いているのだが、このコラムをホームページに流せば、より多くの人たちに読んでもらうことができる…。

 そして、ホームページ開設。思った以上の反響があった。同業他社の新聞記者のほか、記者志望の大学生や高校生からも感想のメールが届いている。「人権問題や新聞記者の在り方を考えるきっかけになった」などと書かれたメールを受け取ると、胸が熱くなってしまう。

 こうして、新聞記者でありながら新聞に自由に記事が書けない状況にいた僕は、ホームページという新しい表現(発表)の場を見つけたのだった。

初出掲載(「ニフティ・スーパーインターネット」1999年6月号)

←前のページ  次のページ→


「コラム/インターネット論」のインデックスに戻る

フロントページへ戻る

 ご意見・ご感想は norin@tky2.3web.ne.jp へどうぞ