新・大岡みなみのコラム風速計

【インターネット版】

(書き下ろし不定期連載。毎月末更新の努力はします)


INDEX

    6)取材先と一体化してはいけない (2004年8月)

    7)プロ野球選手会のストを支持する (2004年9月)

    8)もはやジャーナリズムではない/読売 (2004年9月)

  9)続・もはやジャーナリズムではない/NHK (2004年9月)

 10)NHK職員の内部告発を支持する (2005年1月)


 ◇新・風速計6◇

取材先と一体化してはいけない

自由で独立した立場でいるために

 朝日新聞の中堅記者が、無断で録音した取材記録を別の取材相手に渡していたことが発覚して、退社処分になった事件には唖然とした。これは「取材先との距離の取り方」について、報道記者としてどのように認識しているかの問題だ。

  ■報道の独立を放棄■

 「正確さを期すため」とか「言質を取る必要がある」などのさまざまな理由から、録音をすることは背景としてあるかもしれない。しかし、いくら発言内容を検討して確認するためと言っても、取材記録をそっくりそのまま横流しするのは真っ当な記者ならあり得ない話だ。

 整理してアレンジしたメモを口頭などで別の取材相手に示し、反論させたり助言を受けたりすることはあっても、報道目的で入手した原資料や生の取材データを第三者に渡すのは、そもそも「報道の独立」を著しく損なう自殺行為だろう。取材先との信頼関係を裏切り、取材源の秘匿という最大の記者倫理を否定する行為でもある。

  ■ギリギリのライン■

 けれども何よりも、朝日の記者は「取材先との距離の取り方」が根本的にずれていたのではないか。僕はその部分にものすごく違和感を感じる。

 取材相手の懐にどこまで食い込むか、信頼関係を築くためにどこまで仲良くなるか、あるいは取材相手にシンパシーを感じた場合に、自分のポジションをどのようにコントロールすべきか…。どれも模範解答やマニュアルがあるわけではなく、問題意識のある記者ほど悩むところだろう。

 でも、公正な報道だという幅広い支持を記者が得るためには、ギリギリのラインで踏み留まって、独立した立場を維持する必要がある。それはすべての取材対象に対して、遠慮ない批評や評論をする自由を保つためでもあるのだ。取材相手とどんなに親しくなって信頼関係を築いても、決してべったり一体化してはいけないと思う。

  ■説得力を持つため■

 どこで一線を引くかの判断はとても難しい。しかし、そこのところがごっちゃになっていては、せっかく取材した記事の説得力や信頼性がなくなってしまうだろう。

 一方の側に肩入れした立場で活動などをしていると、当然のことながら「あの人は記者を名乗っているがあっち側の人だから」などと色眼鏡で見られることになる。そうなると、反対側の意見の人たちからはもちろん、両者の中間にいる圧倒的多数である無関心層からもそっぽを向かれてしまう。「事実を知らせる」ことが職務のジャーナリストとしては痛恨の事態だ。

 ジャーナリズム・報道は、特定個人や団体の広報や宣伝活動やアジテーションとは違う。さまざまな意見や見方や立場を取り上げて、多様な判断材料を広く提供することこそがジャーナリズムの基本的な役割なのだから。

(書き下ろし:インターネット版2004年8月)


◇新・風速計7◇

プロ野球選手会のストを支持する

労働組合のあるべき姿を体現

 労働組合「日本プロ野球選手会」(古田敦也会長=ヤクルト)が、近鉄とオリックスの球団合併の一年間凍結などを求めてストライキをすることを決めた。全球団一斉に9月中の毎週土・日曜日に実施することで、全会一致したという。

  ■世論の共感背景に■

 選手会によるスト決定は、プロ野球ファンの圧倒的支持と共感を得ているところがポイントだろう。

 鉄道などの公共機関のストにしても、利用者の支持と共感を得ているか否かで、世論の対応や会社側へのプレッシャーは全然違ってくる。選手とファンを無視した経営者側の球団運営や合併騒動への反発が、選手会のスト方針の支持世論となっていることは間違いない。

 経営者側は「ファンのためにもストは中止すべきだ」などと言っているが、まるで見当外れの主張だ。ファンを最も軽んじてきたのは経営者側なのだから。

  ■組合の機能果たす■

 ましてや「ストになった場合は選手会に損害賠償を求めることもある」などと恫喝するに及んでは、まさに不当労働行為としか言いようがない。憲法や労働組合法をきちんと読んだ上での発言なのか。それとも某老人の「たかが選手が」の暴言に象徴されるように、労働者である選手をなめきっているのか。

 最近は、労働組合そのものは存在していても、組合幹部と経営者側がべったり癒着していて、労働者としての正当な権利要求もストライキもしないケースが増えている。組合組織は存在するが本来の機能を果たしていないのだ。

 そうなれば組合員になっても意味がないわけで、当然のことながら組織率は低下の一途をたどることになる。労働者としての権利意識も希薄になる一方で、その結果、経営者側はやりたい放題をするという悪循環になりかねない。

  ■絶好の学習の機会■

 日本プロ野球選手会はぜひとも、労働者として当然の権利であるストライキを見事に貫徹してほしい。そうすることによって、本来あるべき労働組合の姿と底力を日本中に知らしめてもらいたいと思う。

 ここまではっきりと労働者の権利と労働組合のあり方を示し、しかも影響力を持って全国にアピールする機会はそうはない。圧倒的多数の市民(労働者)が関心を抱いて注目している中で、またとない学習となるはずだ。

(書き下ろし:インターネット版2004年9月)


◇新・風速計8◇

もはやジャーナリズムではない

ひどすぎる読売社説に絶句する

 この読売新聞の社説(2004年9月18日付)は、ちょっとひどすぎるんじゃないか。いや「ちょっと」どころじゃない。あまりに一方的で経営者サイドの言い分そのままの主張に、呆れるというより背筋が寒くなった。

  ■経営側の論理代弁■

 プロ野球選手会のストライキを扱った社説のことだが、これはもはや「ジャーナリズム」ではない。よくもこんな新聞をお金払って読んでいられるなと思う。このような「印刷物」が1千万部も全国に配られているなんて信じられない。

 読売社説は「ファン裏切る『億万長者』のスト」と題して、こう書く。「選手会は、最後まで近鉄の存続にこだわった。だが、これはそもそも球団の経営事項に関することである。実現が難しいとみると、今度は新規球団の来季からの参入に固執した」──。

 見事なまでに、前夜の共同記者会見で球団経営者側が読み上げた主張そのものではないか。「こだわった」「固執した」などの悪意に満ちあふれた言葉遣いだけでなく、経営側の論理を前提に「経営事項に関することである」と断定して、選手会側の要求を切り捨てる。

 さらに、読売社説はこんなふうに続ける。「中立的立場にいたコミッショナーが、最終局面で出した調停案も、結果的に選手会に踏みにじられた」「今後、ストの違法性が議論されることになるだろう。経営側も、当然賠償請求を検討している」──。

  ■たかが選手見下す■

 コミッショナーのどこが中立的立場だったというのだ? 「選手会に踏みにじられた」という表現はどこから出てきているのか? 「ストの違法性」だとか「当然賠償請求」などと最初から決め付けているのか? ……といった具合に、突っ込むべきところは随所にあるのだが、とにかくもう、あからさまに経営者側の立場に立って、経営陣に対して意見を述べる選手会側を非難する姿勢で一貫している。

 両者の言い分や争点をきちんと整理しているわけでもない。圧倒的多数のファンが選手会を支持している背景を踏まえて分析するわけでもない。経営者側の体質や姿勢を問題意識を持って見るわけではもちろんない。読売社説はただただ、「たかが使用者である選手ごときが経営者に対等にもの申すのはけしからん」というトーンの記事を展開するのだ。

 こうした姿勢は今朝の社説だけではなく、プロ野球ストの問題を扱っている読売新聞の2004年9月10日付、12日付、18日付のそれぞれの社説すべてが、同じようなトーンで書かれている。選手会のストライキに対して、読売新聞(と日本テレビ)はひたすら露骨なネガティブキャンペーンを繰り広げ、巧みに世論を操作しようと試みる。そこには圧倒的に弱い立場の労働者の権利を守って、育てていこうなどという思想はかけらも感じられない。

 一連の社説は球界を牛耳る「ナベツネのメディア」の主張というよりも、むしろ読売新聞の体質そのものだろう。ことはプロ野球や選手会をめぐる問題だけではない。

  ■在野精神はどこへ■

 国家(政府)が進む方向や政治経済について触れる場合は、常に政権寄り、経営者サイド寄りの記事で終始一貫しているのが読売新聞だ。戦争遂行についてももちろんだ。そういう国家政策に歯向かう者は、すべて「反逆者」というレッテルで切って捨てて攻撃し排除する。

 そもそも新聞は、弱者や少数者の声を代弁する「在野精神」が唯一最大の誇りだったはずなのに。読売新聞はもはやジャーナリズムではない。今のままではただの機関紙・広報紙である。

(書き下ろし:インターネット版2004年9月)


◇新・風速計9◇

続・もはやジャーナリズムではない

参考人招致を中継しないNHK

 番組制作費の着服など一連の不祥事で、衆院総務委員会にNHKの海老沢勝二会長が参考人招致され、「視聴者の信頼を損なった」などと陳謝した。しかし、NHKはこの参考人招致の様子を全く生中継しなかった。

  ■伝える責任を放棄■

 国会での参考人招致を生中継しない理由について、NHKは「編集権の問題」と説明しているという。確かに放送の独立を守るための「編集権」は放送局側にある。「編集権」はジャーナリズムとして絶対に侵されてはならないものだ。

 しかしその一方で、NHKは自分の置かれている立場について、国会で審議されている場面を伝える「責任」を放棄してしまったことになる。

 「視聴者の信頼を損なった」と言うのなら、視聴者の知る権利にきちんと答えるべきだろう。これまで政治家などの参考人招致は生中継しているのだから、海老沢会長の参考人招致を生中継しないのは公正な扱いとはとても言えない。

  ■政府の広報機関か■

 そもそもNHKはジャーナリズムと呼べる存在なのか。政権与党の政治家や右翼団体などからの圧力で、硬派ドキュメンタリーの番組内容が大幅改変され、政権にとって都合のいい情報や一方的な意見しか伝えず、逆に都合の悪いニュースは報道しない。あるいは伝えたくない情報は目立たないように扱う。そんなことを、NHKはこれまで何度も繰り返してきた。

 例えば、住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)が全国でスタートした日、NHKの正午のニュースは、住基ネットについて「便利になるからいいと思う」と答える市民の声しか伝えなかった。個人情報の一元管理や安全性をめぐって、今でも賛否両論が激しく対立している問題だ。少なくとも肯定と否定の両方の声くらいは、公正に取り上げるべきだった。

 こんな放送局は「公共放送」でも何でもない。単なる国家(政府)の「宣伝・広報機関」でしかないだろう。NHKがジャーナリズム精神を追求して、本当の意味の「公共放送」として「みなさまのNHK」を名乗るのであれば、報道機関の責務をあらためて再認識すべきだ。私たちが有権者としての権利を正当に行使するために、きちんと判断できる材料を公正に伝えることこそが、その最大の役割だということを自覚しなければならない。

 政治家が番組内容に介入する口実を与えたりしないように、細心の注意を払うのは当然のことだ。だが、一連の不祥事とその対応を見ていると隙だらけとしか言いようがない。しょせんは「国営放送」という意識だから、デタラメがまかり通っているのか。だいたいNHKは「だれのための」放送局なのだ。

  ■一方的な情報だけ■

 ちなみにこの日のNHK「夜7時のニュース」では、海老沢会長の参考人招致を、放送開始から約15分後にようやく一般ニュースとして伝えたが、番組冒頭のヘッドライン(主なニュース項目紹介)には入っていなかった。やはり都合の悪い情報はできるだけ目立たないようにしたかったのだ。

 どうにもやり方がいちいち姑息だ。すべてオープンにして堂々と伝えた方が、そもそも信頼回復につながると思うのだが。もはやそんな知恵さえも浮かんでこないのだろうか。今の様子だと、三菱自動車の経営幹部による一連のリコール隠しと大差ないように感じる。ますます不信と不興を買うだけだ。迷走を続けるNHKはどこへ行こうとしているのだろう。

 問題の本質は、番組制作費の流用や着服や不正経理のチェックの杜撰さにあるのではない。もちろん、視聴者から集めた受信料が公正に使われなければならないのは言うまでもないが、しかしそもそも最大の問題点は、NHKが「伝えるべき事実をきちんと伝えていない」ことにこそある。海老沢会長の参考人招致を生中継しなかったのは象徴的出来事であって、今回の不祥事に限らず「伝えるべき事実を伝えない」というNHKの姿勢は、ジャーナリズムのあり方としてまさに自殺行為と言っていい。

(書き下ろし:インターネット版2004年9月)


◇新・風速計10◇

NHK職員の内部告発を支持する

問われているのは報道機関の「独立」

 旧日本軍の慰安婦問題を扱ったNHK番組の放送直前に、自民党政治家から圧力がかけられ、番組内容が大幅に改変されて放送された。4年前のこの事件は、NHK担当プロデューサーの内部告発で新たな局面を迎えようとしている。

  ■背景に世論の反発■

 NHKの一連の不祥事と海老沢勝二会長の姿勢に強く反発する世論が背景にあったからこそ、事件から4年後の内部告発につながったのだろう。もちろん、市民団体や下請けの番組制作会社のディレクターらの告発は当初からあった。裁判にもなっている。

 だが、右翼団体や自民党政治家からの圧力と介入があった事実と、それを受けて実際に番組の改変を一方的に現場に命じたNHK幹部の動きを、内部のNHK職員が実名で告発する影響は計りしれない。番組が放送直前に改変された「事実」だけでなく、政治介入による改変の過程が明らかになったからだ。

  ■政権与党べったり■

 「独立した言論・報道機関」として外部からの圧力や介入をはね除け、「政治的に公正中立な立場」で番組を放送しているわけでは決してないNHKの実態が、ここにきてようやく広く知られることになった意味は大きい。これまでこの「コラム風速計」などでも、NHKについて言及してきたが、番組制作費の着服だけが問題なのではない。

 「伝えるべき事実を伝えない」というNHKの姿勢こそが問題の本質であって、政治的な圧力と介入によって番組内容を平気で改変するNHK首脳陣の資質と、NHKの「ジャーナリズムのあり方」そのものが問われているのだ。

 にもかかわらず、NHKトップはこの期に及んでもまだ、政治家からの圧力や介入を否定し、「編集責任者が自主的な判断で編集して放送した」などと対外的に説明している。報道機関としての自由と独立が問われているというのに、この危機意識の欠如と現状認識の甘さはどうしたことだろう。にわかには信じ難いものがある。

 それとも、これこそが「みなさまのNHK」の実態そのものだということなのだろうか。「独立した言論・報道機関」などという考えは最初からなく、今後も政権与党べったりの「政府の広報機関」としてやっていきますと開き直っているのだろうか。

  ■授業に敏感に反応■

 一昨日の大学の「現代ジャーナリズム」の授業では、もちろんこの「NHK番組改変問題」を取り上げた。内部告発をスクープしたこの日の朝日新聞の記事を、レジュメの裏にプリントして学生たちに配った。

 「NHKの政治的独立」はこれまでの授業でも繰り返し触れてきた問題だ。右翼団体や自民党政治家の圧力と介入で、番組が改変されて放送されたことについても話をしている。番組を制作した現場ディレクターは僕の知人で、精魂込めて作った番組を一方的に改変されてしまったことに対する怒りや苦悩は、とてもよく分かる。そういう意味では、本年度の授業の締めくくりで取り上げるのにふさわしいニュースだった。

 学生たちの反応は、各人の政治的スタンスや番組内容の是非はともかく、報道機関に政治家が圧力をかけ介入することへの嫌悪感や拒否感では一致していた。報道の自由と独立は絶対に守られなければならない。日本国憲法を持つ市民の常識だ。

(書き下ろし:インターネット版2005年1月)


【お知らせ&言い訳のようなもの】(1999/12/27)

◆「新・大岡みなみのコラム風速計/インターネット版」を書く時間がなくて、更新が滞っています。申し訳ありません。

◆新聞や雑誌に発表したルポルタージュやインタビュー記事や論説記事などは、執筆済みの原稿データがあるので、掲載記事をほぼそのままの形で「セカンドインパクト」にアップしています。

◆また、「サードインパクト」「身辺雑記」は毎日更新しています。ぜひ、そちらもご愛読ください。


新・風速計の【総合INDEX】へ戻る

フロントページへ戻る

ご意見・ご感想などはこちらまで