新・大岡みなみのコラム風速計

【インターネット版】

(書き下ろし不定期連載。毎月末更新の努力はします)


INDEX

26)朝日新聞の「悪文」記者に愕然(2010年4月)

27)普天間は日本国民全体の問題だ(2010年5月)

28)「ザ・コーヴ」上映中止に反対する(2010年6月)


◇新・風速計26◇

朝日新聞の「悪文」記者に愕然

文章力だけでなく取材姿勢も致命的

 朝日新聞のテレビ番組のページを担当している女性記者に、昨年から注目している。残念ながらいい意味で注目しているのではない。もちろん「女性」という部分に関心があるのでもない。この人の書く記事がどれもこれも、毎回あまりにもとんでもないものばかりなのだ。

  ■ひどい文章の宝庫■

 とにかく文章がひどい。分かりにくいし読みにくいだけでなく、読み手に誤解を与えるような文章なのが特徴だ。

 何を言っているのか分からない、どれが主語だか分からない、会話で使うような言葉を無造作に混在させる、読点である「テン」の打ち方がおかしいから意味不明になる、体言止めを連発する、話があっちこっちに飛ぶ……。挙げていけばキリがない。

 短い行数で注目番組を紹介する「試写室」というミニ・コラムがある。そんなわずかなスペースの中に、よくぞこれだけ悪文の要素を詰め込めるものだと感心する。きょうこそはまともな文章になっているかなと、少しドキドキしながら読み始めるのだが、なぜか「期待」を裏切られたことは一度もない。まさに悪文の宝庫である。でもおかげで、大学の授業で教材として使う「ひどい文章の事例」を、たくさん集めることができているのは感謝しなければならない。

  ■記事内容にも疑問■

 それにしても担当デスクや先輩記者は、注意や指導をしないのだろうか。このまま何のアドバイスもされずに放置されるのは、かわいそうな気もするし、いったいどんな記者に成長していくのだろうと心配になる。

 きょうも朝刊の「記者レビュー」という欄に、この人の署名記事が掲載されていた(2010年4月23日付の朝日新聞)。相変わらず、助詞や接続詞の使い方がおかしくて、ところどころすごく分かりにくい文章が展開されていたが、しかしこの日はそれだけではなかった。記事そのものに大きな疑問を感じるような致命的な内容だったのだ。

 記事はNHKのニュース担当の男性アナウンサーを取り上げて、「市民の気持ちに寄り添う姿勢」を評価していた。

  ■批判的視点が皆無■

 アナウンサーの「ほほえむ姿」や「きりっと上がった前髪」をほめるのは別に構わない。しかし、それがNHKニュースの「改革派」を「応援したい」という結論にどのようにつながるのか、さっぱり分からない。

 アナウンサーの「誠実そう」なたたずまいを評価するは結構だけれども、視聴者にとって最も重要なのはニュースの中身ではないのか。NHKと政治権力との距離感のなさについては、各方面から多くの批判や指摘がある。そういう本質的な部分をすっ飛ばして、唐突に「(ニュースの)改革派」などと書いてもまるで意味不明だろう。

 上っ面だけを見て本質に触れない記事の典型ではないか。文章が下手どころの話ではない。ジャーナリストとしての批判的な視点が、かけらもないことに愕然とした。

(書き下ろし:インターネット版2010年4月)=「身辺雑記」を一部修正


◇新・風速計27◇

普天間は日本国民全体の問題だ

鳩山首相だけの責任ではない

 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の言動には、迷走ぶりも含めて心底からがっかりさせられるばかりだ。しかしだからといって、普天間移設問題の混迷を鳩山首相だけの責任のように論じることには大いに疑問がある。沖縄に集中する米軍基地は、日本国民全体で考えるべき問題だからだ。

  ■指導力が見えない■

 「しっかりやります」「一生懸命やっています」「任せてください」「私が責任を持って判断します」といった言葉を繰り返しながら、実際には何をやっているのかさっぱり分からない。ふらふらと右往左往して迷走しているだけにしか見えない。そんな鳩山首相にがっかりしている国民は多いと思う。

 これといった明確な方針を示さず、何の根拠も説得力もないのに思わせぶりな言葉だけを垂れ流し、政権の中で指導力を発揮する姿が全くと言っていいほど見えてこないからだ。どの政策についてもそうなのだが、その際たるものが米軍普天間飛行場の移設問題だろう。もしかしたら、ウルトラC級の決定的な解決策があって、水面下で秘密裏にこっそりと交渉が続いているのかと想像してみたりもしたが、この期に及んでどこにもそんなものはないようだ。

 本当に期待外れにもほどがある、このがっかり感はどういうことなんだ、と鳩山首相には不信感を抱かざるを得ない。そうした鳩山首相に対するマイナスの評価を大前提とした上で、しかしだからといって、米軍普天間飛行場の移設問題は鳩山政権だけに責任をすべて押し付けてしまっていいのだろうか、とあえてここで指摘したい。

  ■沖縄だけ重い負担■

 沖縄の読谷村で開かれた県民大会に約9万人が集まり、米軍普天間飛行場の沖縄県内移設に反対する声が改めて示された。このことは、これまでの沖縄の実情を考えれば当然だと思う。在日米軍基地が沖縄に集中し、負担や犠牲を一方的に強いられ続けてきたのだから、沖縄県民の心情は察するに余りある。

 だがその一方、これに先んじて鹿児島の徳之島で開かれた基地移設反対の大規模集会は、沖縄への思いがどこにも感じられなかったという点で違和感が強く残った。地元の人たちの気持ちは分かるが、「長寿、子宝の島に米軍基地はいらない」というのは沖縄も同じだろう。では、どうするのか。

 普天間飛行場を沖縄県外へ移設するのであるなら、どこかが引き受けなければならない。沖縄だけに負担を押し付けておいて、「米軍基地は必要だと思うが、うちは知らない、うちは絶対にお断りだ」というので話が通らないだろう。

  ■うちは嫌で済まぬ■

 しかし、米軍基地を受け入れるのが嫌なのは、たぶん日本国内のどこもみんな同じに違いない。そうなれば国外へという話になるが、その場合は日米安保条約の是非や日米関係そのものに重大な影響が生じる可能性がある。当然のことだが、そのことで生じるすべての結果は、日本国民全員で引き受ける覚悟が必要なのは言うまでもない。そもそも米軍基地の移設は日本国民全員で考えるべき問題であるのにもかかわらず、そういった議論が日本全体として真剣になされていないのがおかしいのだ。

 いかにも頼りないばかりで、煮え切らない鳩山首相の姿勢には心からがっかりするが、決して鳩山首相だけに責任がある話ではない。首相だけにすべてを任せて押し付けるのは筋違いだろう。うちは嫌だ、うちは知らないと言って、沖縄だけに負担を強いる結果に終わらせてはいけない。

 もちろん、政権交代から8カ月もの間、鳩山首相はいったい何をしていたんだろうと、今さらながら強い疑念を抱く。ようやく今ごろになって初めて沖縄を訪問するなんてあまりに遅すぎる。しかしそれでもわざわざ沖縄に出かけたのであるなら、せめて現地からすべての日本国民に向けて、「沖縄はこんなに大変な状況にある。これが沖縄の現状です。国民の皆さんは米軍基地についてどうお考えですか。日本国内から出ていってくれと言わないのであれば、沖縄に押し付けたままでいいと思いますか」と訴えかけるべきだった。

 沖縄の負担軽減が必要だと真剣に考えているのなら、首相としてそれくらいのリーダーシップは発揮すべきだろう。そもそも、米軍基地がこんなにもたくさん日本国内に必要なのかをしっかり議論した上で、米国政府と堂々と渡り合うことこそが日本の首相として最大の仕事だと思うけど。

(書き下ろし:インターネット版2010年5月)=「身辺雑記」を一部修正


◇新・風速計28◇

「ザ・コーヴ」上映中止に反対する

「表現の自由」は民主社会の基本

 和歌山県太地町のイルカ漁を批判する米国の映画「ザ・コーヴ」(=入り江)の映画館での一般公開が、右翼団体による集中的な抗議活動で次々と上映中止に追い込まれている。今年3月に米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画だが、イルカ漁の「残酷さ」を一方的な価値観に基づいて告発する内容や、隠し撮りするといった制作手法に批判の声があがるなど、作品に対する評価は賛否両論ある。しかし、そうした作品そのものへの評価がどうであれ、「表現の自由」が侵されることがあってはならない。

  ■議論の機会を奪う■

 問題があって評価が二分される作品だからといって、一般公開を一切許さずに排除・抹殺するというのでは、「言論・表現の自由」が保障されない極めて不自由で窮屈な社会になってしまうだろう。そればかりか、「問題のある作品」を実際に見た上でどこがどのように問題があるかを判断し、議論する機会そのものが奪われてしまうことになる。こういうことがまかり通るようでは、とても健全で成熟した民主的な社会とは言えない。

 映画「ザ・コーヴ」は上映時間90分の作品だ。映画の冒頭部分では、米国の人気テレビシリーズ「わんぱくフリッパー」の調教師だったリック・オバリー氏が、今ではイルカ解放運動の最前線で活動するようになった経緯を淡々と紹介するとともに、世界中の水族館で人気を集めるイルカショーの問題点について解説する。ストレスを抱えたイルカが、オバリー氏の腕の中で死んでいったことに大きく影響されたという同氏の体験は、それなりに理解できるし心にも響く。

 ところが、和歌山県太地町で行われているイルカ漁の事実を明らかにしようと、現地にやって来たオバリー氏らが立ち入り禁止の「入り江」に潜入しようと試みる場面から、映画は一気にサスペンス調のスパイドラマのような展開となっていく。漁師や警察などの監視の目をかいくぐって、撮影隊は入り江に忍び込み、複数の隠しカメラを設置することに成功する。そして、入り江に追い込まれた大量のイルカが漁師たちに殺されて、海面が真っ赤に染まっていく光景が、スクリーンに延々と映し出されるのだった。

  ■一方的描写に疑問■

 「人間と同じように知能の高いイルカを飼育し、ましてや食べるなんて」「イルカに棒や刃物を何度も突き立てて殺す手法は残酷きわまりない」と考える人がいてもいい。「かわいいイルカを殺さないで」といった極めて感情的な意見もあるだろう。そのように主張する自由はもちろんある。

 けれども、この映画はあまりにも一方的で、一面的な描かれ方しかしていない点で、「ドキュメンタリー」「ジャーナリズム」とはほど遠いと言わざるを得ない。どのような社会や環境であっても、それぞれの食文化や生活や歴史的背景があるはずだが、この映画ではそれらには一切触れていない(触れようともしていない)し、さらには、映画に登場する地元の漁師や住民らの生活や言い分がまるで描かれていない。

 言うまでもないことだが、全くの中立の立場だとか、主張のないジャーナリズムなどというものはあり得ない。独自の視点による明確な主張はあって当然だ。むしろドキュメンタリーやジャーナリズムに主張がないなんてことがあるとすれば、それこそおかしいし、表現者の取材姿勢そのものが疑われる。そうしたことを前提に言うのだが、自身の主張に説得力を持たせるためには、一方的に自分たちの考えを述べるだけではダメなのだ。対立する対象の背景や考えをきちんとフォローした上で批判的な視点を加えなければ、説得力はなく多くの人の理解と共感は得られないだろう。

  ■自分で見て判断を■

 これらの問題点のほかにも、暴力的な抗議活動で知られる自称「環境保護団体」のシー・シェパードの代表が、繰り返し登場して持論を展開するとか、イルカの肉が高濃度の水銀に汚染されていることの説明として水俣病の被害を引き合いに出すなど、そのまま素直に見ることができない受け入れがたい描写が目立つのも気になる。

 映画に登場する(登場させられている)太地町の漁師ら関係者からは、肖像権の侵害だと抗議の声も出されているという。配給元はこうした事態に配慮して、水産庁の役人や町長ら公人以外の顔にはボカシを入れたり、事実関係の見解や異なる主張がある部分については反論の字幕を付けたりしている。しかしそれでも、僕はやっぱりこの映画は、およそ「ドキュメンタリー」や「ジャーナリズム」の名前には値しないと判断する。むしろ二流三流の「プロパガンダ」作品だと思う。娯楽作品としてもどうかなあと思った。

 さらに、「そもそも隠し撮りしてまで告発するような内容なのか」という観点から、ドキュメンタリー制作の手法そのものにも疑問を感じる。配給会社の付けた「反論の字幕」がないオリジナル版を見た人は、いったいどんな感想を持つのだろうと考えると暗澹たる気持ちにもなった。

 以上のように、僕自身はこの作品をほとんど評価しない。けれども、この映画の上映(一般公開)を中止することには強く反対する。いろいろと問題のある作品であるならば、なおのこときちんと自分の目で実際に見た上で、批判したり議論したりするべきだと考えるからだ。

  ■過去にも上映妨害■

 見たくない人はもちろん見なければいいが、自分自身で確認して判断しようとする他人の権利や機会を奪うのは許されない。作品自体をなかったことにして闇に葬るように抹殺するというのでは、議論そのものが成立しなくなってしまう。しかもこれだけ一方的に(不当に?)非難されている当事国・日本の国民が、映画そのものを見ることができないというのは、どう考えてもおかしいだろう。見ていなければ反論もできない。

 評価の分かれる映画の上映をめぐっては、南京虐殺事件や従軍慰安婦、靖国神社を扱った作品に対し、これまでにも右翼団体や保守系議員らが「反日的だ」「自虐的だ」として、抗議活動と称する妨害行為を繰り広げたことがある。いずれの場合も映画館や主催者側が自粛する形で、今回と同様に上映中止の動きが相次いだ。

 「自分の意見や考えと違うものは徹底的に排除し表現もさせない」というのは、ファシズムと何ら変わらない。「相手の文化にも主張にも貸す耳は持たない」というのでは、イルカ漁や捕鯨などに反対する過激で偏狭な自称「環境保護団体」と大差ないだろう。

 ちなみに、こうした映画「ザ・コーヴ」の上映中止の動きに対して、ジャーナリストや表現者ら61人による「緊急アピール(声明文)」(=PDFファイルが開きます)が出され、ネット上でも公開されている。僕もその一人として賛同者に加わった。

(書き下ろし:インターネット版2010年6月)=「身辺雑記」を一部修正

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【お知らせ&言い訳のようなもの】(1999/12/27)

◆「新・大岡みなみのコラム風速計/インターネット版」を書く時間がなくて、更新が滞っています。申し訳ありません。

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