大岡みなみのコラム風速計

(初出:人権団体の機関誌に連載)


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 56)監視カメラのある新聞社 (1999年8月号) 最終回

 ◆◆◆「大岡みなみのコラム風速計」は1999年8月号で連載終了しました。

 連載終了については、それなりに諸般の事情(謎)というものが存在するのですが、それは説明すると面倒くさいし、もうあまりかかわりあいを持ちたくないので割愛します。ずいぶん長期間にわたって書きたいことを書いてきたし、そろそろ潮時かなとも考えていたので、まあいいかという感じです。報道や人権に関するトピックスについては、これからも「サードインパクト」「身辺雑記」で主張していきますが、時間があって気分が乗ればインターネット版「大岡みなみのコラム風速計」を書き下ろしてアップするかもしれません。読者の皆さんの励ましに支えられて約5年間の連載が続けられました。とりあえずは「ご愛読ありがとうございました」。活字メディアに発表したルポルタージュやインタビュー記事などは、今後も「セカンドインパクト」に随時アップしていきます。


 ◇風速計56◇

監視カメラのある新聞社

自分の人権侵害に鈍感では…

 ある新聞社の編集局に、今年六月から監視カメラが設置されたそうだ。社内でいろいろなものが盗まれるので、防犯対策のために取り付けたのだという。編集局フロアを見渡せるようにして、録画もしているというから驚きだ。一瞬、耳を疑ったが本当のことらしい。社内のしかも編集局内に監視カメラを設置して平気でいられるとは、どういう新聞社なのだろう。

  ■編集局の中に設置■

 監視カメラのレンズは、編集局フロアの内部に向けられている。新聞社の本社や支局の出入り口に防犯カメラが設置されているのは分かる。朝日新聞の阪神支局襲撃事件という教訓があるから理解できるが、「編集局内に監視カメラ」というのはこれまで聞いたことがない。

 確かに、この新聞社では実にいろいろなものが盗まれているのは僕も知っている。現金はもちろん、ビール券の束、記者用ノートパソコン、送稿モデム、世界地図(何万円もする高価なもの)など。社内での盗みはほかの新聞社でも結構あるらしいが、いずれにせよ社内が相当すさんでいる証拠ではある。

 しかしだからと言って、編集局に監視カメラを導入するとはどういう感覚なのだろうか。設置場所は新聞社のこともあろうに編集局内だ。そこに監視カメラがある風景に「異様さ」を感じないのだろうか。

  ■防犯ならば容認か■

 監視カメラを設置した側の無神経さは論外だが、それよりも驚きあきれ返るのは、設置を許してしまう社員の姿勢だ。僕は何よりもそのことが信じられない。よく平気でいられるものだと思う。それでも本当に新聞記者なのか。やられたことの意味が分かっているのだろうか。

 設置されることを知らなかったと言うのならば、知った時点で猛烈に反発や抗議をして断固撤去させればいい。組合は何をやっているのだろう。

 彼らには問題意識など最初からなかったのだ。ある市民グループのメンバーが、その新聞社の若手記者に「監視カメラ」のことを聞いたそうだ。その記者は「防犯上当然のことで、どこでもやっている」と答えたのだという。

 この記者にプライバシーや基本的人権の本質的意味を理解できるだけの力は、残念ながらまるでない。だから、自分たちが何をされているかに気が付かないのだろう。だけど、自分自身のプライバシー侵害や人権侵害に鈍感な人間が、他人の人権侵害に対して敏感に反応することはできないのだ。

  ■権力監視こそ必要■

 例えば学校の廊下や教室に、盗難や喫煙対策のために監視カメラを設置する動きがあったとしたら、この記者はどうするだろう。プライバシー侵害の観点から危機感を抱いたり、疑問を感じたりできるだろうか。

 たぶん無理である。何も反応しないか、問題意識なしに「防犯対策だから当然」といった記事を垂れ流すに違いない。自分の人権侵害に鈍感なのだから、市民の人権侵害に想像力を働かせるなんて到底不可能だ。

 「盗聴法」や「国民総背番号制」についても同じことが言える。基本的人権の侵害の恐れがあるこうした法案に対し、敏感に反応してこそ記者の存在意義はあるのだ。「権力監視」のための感性と想像力はジャーナリストの基本である。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1999年8月号)


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