大岡みなみのコラム風速計

(初出:人権団体の機関誌に連載)


INDEX

 46)朝鮮人学校生への嫌がらせ (1998年10月号)

 47)埼玉県がネットで資料提供 (1998年11月号)

 48)毒物カレー事件報道と人権侵害 (1998年12月号)

 49)男女の関係は対等だ (1999年1月号)

 50)安田弁護士逮捕は不当だ (1999年2月号)


 ◇風速計46◇

朝鮮人学校生への嫌がらせ

問われる日本人の人権感覚

 北朝鮮のミサイル発射をきっかけに、在日朝鮮人の子どもたちに対する嫌がらせが続けて起きている。「チマ・チョゴリの女子中学生を拉致する」「朝鮮学校の給水槽に青酸カリを入れた」などの脅迫電話が朝鮮人民族学校へ相次いでいるほか、下校途中の女子生徒が殴られてツバを吐きかけられたこともあったという。五年前の北朝鮮の核開発疑惑の時と同じだ。

  ■子どもに責任ない■

 五年前にも、同じように民族学校の女子生徒が何人もそうした被害に遭っている。高等部二年生の女の子が帰宅途中に「朝鮮人は朝鮮に帰れ」などと怒鳴られたり、中等部三年生の女の子が駅で殴られたりした。

 しかし、仮に北朝鮮政府がどんなに理不尽でおかしな行動を取ったとしても、日本にいる朝鮮人学校の子どもたちには何の責任もないし、嫌がらせを受ける理由なんてどこにもない。子どもたちと政治は関係ないではないか。嫌がらせを続ける人たちは、そんなことも分からないのだろうか。どこにでも馬鹿はいるものだが、同じ日本人として心から情けなく思う。

 むしろ、こういう話を聞いても何も感じない空気こそ僕は恐れる。こんなトンデモナイ話に対しては、みんなもっと怒っていいと思うのだ。ところが、マスコミはあまりこの事件を大きく取り上げない。

  ■5年前と同じ状況■

 僕は五年前、この問題の取材を続けていた。被害に遭った朝鮮人学校の女子生徒に直接話を聞いて、嫌がらせの実態を原稿にまとめたのだが、アホなデスクは原稿をボツにした。「真似するやつが出てくると困る」というのが理由だった。そんな理由は聞いたことがない。

 実はそれより少し前、神奈川県教委主催の教育研修会で、国立大学教員が「核開発が事実でないと保障されない時点では、子どもたちへの嫌がらせ問題について言及などできない」と講演する出来事があった。出席した教師や在日韓国人の疑問の声を紹介した僕の原稿は、社会面に大きく載ったが、大学教員から抗議を受けた会社は「記事は事実誤認だった」として全面的に謝ってしまったのだった。

 この大学教員は「子どもの人権は国家体制と関係なく守られるべきだ」というごく当たり前のことが理解できないかわいそうな人間だったのだが、そのことをきちんと指摘できない新聞社の編集幹部もまた、同じようにかわいそうな人間だった。残念ながら今も、その程度の人たちが新聞を作っている。

  ■反応鈍いマスコミ■

 無抵抗の弱い立場の人間に、自分の欲求不満をぶつけるのは最低の行為だ。朝鮮人の子どもを傷つける馬鹿者たちは、自分よりもはるかに弱い立場の人間を見つけて「いたぶっている」のである。

 本人は「北朝鮮のミサイル発射」を理由にしているのだろうが、それが本人とどれだけの関係があるというのだろう。弱い者いじめをしているだけではないか。見ず知らずの子どもを傷つける彼らに思想などない。

 こういうことを問題提起するのが、マスコミの役割だと思うのだが、反応の鈍さには驚くばかりである。今回の嫌がらせ事件についても「うちの新聞」はあまり関心を示さなかった。人権を守ることの意味が、たぶん分かっていないのだろう。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1998年10月号)


 ◇風速計47◇

埼玉県がネットで資料提供

価値判断と分析が記者の役割

 埼玉県が、記者クラブに発表資料を提供した直後に、インターネットにも記者発表と同じ情報を発信する試みを始めた。これまで役所の情報は記者クラブがほぼ独占してきたが、これからはインターネットさえ使えれば、一般市民も記者と同じ情報にアクセスできるわけだ。独自取材を続けてきた記者は何も問題はないが、役所の発表に依存してきた記者は困るだろう。

  ■情報の独占を改善■

 どこの役所でも同じだが、役所から提供される情報の大半は記者クラブが独占している。記者クラブに加盟している新聞やテレビなど大手報道機関以外の雑誌記者やフリーライター、一般市民が「記者発表資料」を見ることは許されていない。

 最近かなりの自治体で整備されてきた情報公開制度に基づいて、一般市民が行政情報にアクセスする道はもちろん残されている。だが、公開請求から公開されるまでかなりの時間がかかるし、記者発表資料そのものに近付くのはやはり難しい。

 役所の情報を、記者クラブには記者発表という形で流しておきながら、なぜ市民には出せないのかという疑問が出てくるのも当然だろう。「情報格差」はあまりに大きい。記者発表と同じ情報をインターネットにも発信する埼玉県の試みは、「情報公開」の観点から考えれば大いに歓迎されていいはずだ。

  ■能力の差はっきり■

 しかし、役所の発表資料を無批判に垂れ流す記事を書いてきた記者にとっては、記者発表と同じ情報がインターネットに発信されると困ってしまう。インターネットに流された情報と自分が書いた記事とを比べられたら、発表を垂れ流していることがばれてしまうからだ。

 一般市民からはこんな意見が飛び出してくる。「この流れが全国で加速していけば、記者なんていらなくなるじゃないか。インターネットで行政のホームページを見に行けばいい」

 でも実際には記者が必要なくなることはない。記者の役割は情報を価値判断し、分析することだからだ。記者発表資料はあくまでデータである。データをもとに取材を深め、独自の切り口で問題点を掘り下げる記事を書いてこそ、記者の存在理由がある。そもそも、記者クラブの枠組みから意識的に離れて取材を続ける記者にしてみれば、記者発表資料が一般公開されるなんてどうでもいいことだろう。

 インターネットに記者発表資料が流されても、何も問題はない。記者の取材姿勢や能力の差がはっきりするだけである。

  ■特権などなくても■

 情報公開制度が、行政を監視する「道具」としての力を発揮し始めた時、記者クラブ制度にあぐらをかいている多くの記者は焦った。黙っていても記者発表資料という形で情報が入ってくる自分たちの特権が、脅かされると本気で考えたからだ。

 だが、情報公開制度は現在のところは不十分なので、一般市民よりも記者の方がまだ情報量は圧倒的に多い。記者の特権は今のところ安泰である。

 そしてインターネットへの情報提供だ。むしろ、情報を記者クラブだけで占有するのはおかしい、と記者の側から情報公開推進をアピールしていいのではないだろうか。取材力があって視点や切り口に自信があれば、記者クラブ優先などの特権がなくても価値ある記事は書ける。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1998年11月号)


 ◇風速計48◇

毒物カレー事件報道

「人権侵害」に加担する記者たち

 和歌山の「保険金詐欺事件」と「毒物カレー事件」を見ていると、あまりに短絡的で稚拙な報道ぶりに驚かされるばかりである。「悪い奴は何をされてもいい、刑事手続きなんかどうでもいい、加害者に人権などいらない」。そんなトーンで切って捨てる報道が目に付き過ぎる。そういう記事を自覚のないままに読んで、読者もまた人権感覚がまひしていくのだ。

  ■別件捜査の監視は■

 逮捕された夫婦の当初の容疑は、あくまでも「保険金詐欺事件」についての殺人未遂容疑と詐欺容疑だった。にもかかわらず、逮捕当日のテレビでは、現場記者もスタジオも「捜査本部は毒物カレー事件との関連について調べる方針…」「カレー事件の突破口に…」などと平然と口にしているのだった。

 もしもそれが事実だったら、明らかな別件逮捕・別件捜査になる恐れがある。令状に記載されている容疑事実以外の捜査は違法だ、という問題意識を持ってニュースを伝えていた記者が何人いただろうか。法治国家では、刑事訴訟法と法手続きは厳然と守られなければならない。容疑者の人権が守られないような社会では、だれの人権であっても守られないからだ。

 警察などの司法機関がそうした手続きをきちんと守っているかどうかを監視するのが、マスコミの役割だろう。

  ■弁護士批判に唖然■

 そうした自覚のない報道記者は、結果として違法捜査や人権侵害に加担していることに気付いてほしい。

 さらに驚いたのは、容疑者夫婦の弁護団に対し、「人権擁護に偏っていないか」「クロをシロとねじ曲げている」などと、堂々と正面切って批判を繰り広げる新聞が存在することだ。

 この新聞は、一面コラムや社会面トップ記事で、「被疑者の人権ばかり重視している」「真実究明のため弁護人は協力しなければならない」と書き立て、読者から共感の声が殺到したと得意げに紹介するのだった。

 情けなくて涙が出そうになる記事に絶句し、唖然(あぜん)としてしまった。この新聞社の記者は、弁護士の仕事や刑事弁護の在り方、刑事裁判の手続きについて、少しでも勉強をしたことがあるのだろうか。

 法律に従って、依頼人の基本的人権を守るのが弁護士の仕事だ。違法な取り調べや自白強要などがないようにチェックするのは、弁護士の当然の職務である。そんな弁護士の活動がなければ、江戸時代や戦前の取り調べに逆戻りしてしまう。

  ■最初から犯人扱い■

 そもそも、この新聞社の記者と読者は、主張の論拠となる前提そのものがおかしい。容疑者を最初から犯人扱いしているのだ。一体だれが、いつの間に犯人だと決めたのだろうか。

 警察が逮捕した時点で容疑者を犯人だと決めつけるのなら、証拠も裁判もいらないではないか。「クロをシロとねじ曲げている」という表現は、そういうことを意味している。手続きなしに「悪い奴」と断定して「素直に認めろ」とみんなで強要する。それはファシズムだ。

 きっとこの人たちは、自分が逮捕されることなど想像できないのだろう。だがそんな保証はどこにもない。いつどんな状況で事件に巻き込まれ、あるいは誤認逮捕されるかはだれにも分からないのだけれど。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1998年12月号)


 ◇風速計49◇

男女の関係は対等だ

「女は家庭」の発想はおかしい

 読者の技術系会社員の女性から、交際中の彼氏のことで相談を受けた。来春から新聞記者になる彼氏に「生活時間帯がとても不規則になるだろうから、結婚したら仕事を辞めて専業主婦になって家庭を支えてもらいたい」と言われたのだが、どう考えても納得がいかないと訴えるのである。僕は「彼氏はちょっと勘違いしているんじゃないかな」と返事を書いた。

  ■共働き夫婦は普通■

 Kさん、お手紙ありがとうございました。率直な意見を書かせてもらいます。

 そもそも生活時間帯が不規則な仕事は、記者のほかにもいっぱいあります。例えば、看護婦さんです。看護婦さんの夫は、みんな「専業主夫」をやっているでしょうか。そんな話はあんまり聞かないですよね。

 婦人警官やアナウンサー、女性記者も不規則な勤務の職業です。彼女たちの夫はみんな家庭を守っていますか。

 立場を逆転させて考えれば、彼氏の言っていることは無理があっておかしいことが分かるでしょう。物事は逆の立場、逆の発想から考えれば、真実が見えてくるものです。

 新聞記者に限らず、鉄道マンや警察官、消防官、タクシー運転手などなど、不規則な勤務の職業はいくらでもありますが、共働きの夫婦は数え切れないほどいますよ。

  ■一緒に協力は当然■

 ここが一番大事だと僕は思うのですが「仕事を辞めて専業主婦になって、家のことを支えてもらう」という言い方は、かなり女性(パートナー)を軽んじた表現だと感じました。男女の立場は「対等」です。お互いを本当に尊敬・尊重しているのならば、「家を支えてもらう」なんて一方的な発想は出てこないのではないでしょうか。

 家庭を支えるのは、男も女も一緒です。対等な立場で協力してやっていくのが、夫婦であり家庭なのですから。専業主婦を自分から望む女性はそれでいいのです。でも男性が「女は男を支えるのが当たり前」などと平然と考えるのは、思い違いもはなはだしいと思います。

 少し厳しい言い方ですが、「男女平等」という「言葉」は知っていても、言葉の本当の意味や今の日本社会で女性が置かれている立場を分かろうとはしていないように感じます。今後、その調子で家庭内暴力(夫や恋人による性的暴力)やセクハラ、レイプ事件などの被害者を取材したとしても、彼女たちの本当の気持ちや問題の本質的意味などは理解できないでしょう。

  ■お互いを尊敬する■

 上辺だけの取材で原稿を書いて記事にするとしたら、取材される側にとっても読者にとっても残念なことですよね。

 Kさんの彼氏に限らず「女は家庭を守るのが当然」のような考え方をする男性は、新聞社を含めてどこの職場にもいます。たぶんそういう発想の人たちの方が多数派でしょう。

 でも、Kさん。せっかく彼氏の発想に疑問を感じたわけですから、この機会にきちんと話し合って「対等な人間関係」「相手を尊敬する意味」を、ぜひ二人の共通認識にしてください。大丈夫。ちゃんと説明すれば、きっと彼氏は分かってくれますよ。それに、彼氏がこれから記者としてやっていく上でも、Kさんからのアピールは必ずプラスに働くはずです。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1999年1月号)


 ◇風速計50◇

安田弁護士逮捕は不当だ

民主主義と報道の危機を憂える

 オウム事件の松本智津夫(麻原彰晃)被告の主任弁護人で、死刑廃止運動でも中心的役割を果たしている安田好弘弁護士が昨年十二月、警視庁に逮捕された。逮捕事実は、不動産会社のビル賃料隠しを教示した疑いだといい、強制執行妨害容疑なのだという。そんなことで弁護士を逮捕するものなのかな…。思わず、意図的な別件逮捕ではないかと疑ってしまった。

  ■でたらめな逮捕劇■

 案の定、松本被告の弁護団から「不当逮捕であり弁護活動に対する妨害だ。逃亡する恐れもないのに逮捕するのは不当」との抗議声明が出された。

 「安田弁護士の行為は経営再建のための指導であって、犯罪の構成要件には当たらない。賃料債権の仮想譲渡を指導した事実はなく、警察・検察の筋書きによる証拠捏造(ねつぞう)事件だ」と弁護団は主張する。そして裁判所やマスコミが、いかに無批判に「安田弁護士=悪徳弁護士」というイメージを作っていったかを厳しく批判する。

 でたらめな逮捕令状発行、でたらめな逮捕、でたらめに長い拘置、そして起訴…。こんなものがまかり通るのならば、民主主義も基本的人権も成り立たなくなってしまう。そもそも、安田弁護士は「悪徳弁護士」とは対極の位置にある弁護士だ。弁護士のあるべき姿を身をもって実践していた人なのだ。

  ■捜査情報をうのみ■

 安田弁護士の逮捕はどう考えても無理がある。異様だ。

 しかし、安田弁護士逮捕の報道を見た一般市民は「また弁護士が悪いことをして捕まった」という印象を持っただろう。一連のマスコミ報道を見ればそう思うのも無理はない。捜査情報をうのみにした警察担当記者が「安田弁護士=悪徳弁護士」というニュースを、何回も繰り返し垂れ流したからだ。

 そうやって、「悪い奴を弁護する弁護士=悪者」という観念は確実に広まりつつある。弁護士が被告の利益(基本的人権)を守る活動をするのは民主主義社会の基本なのに、それを平然と否定する主張がまかり通っているのは、実はマスコミ報道が陰で支えているからである。

 さらに驚かされるのは、「悪いことをしたんだから捕まって当然」などと無批判に書いたりしゃべったりする度し難い記者が、捜査情報をうのみにしている警察担当記者以外にも、新聞社には大勢いることだ。何という問題意識のなさ、想像力のなさだろう。ほんの少し考えてみれば「何かおかしいな」と感じるはずだと思うのだが。

  ■無責任な新聞記者■

 断っておくが「弁護士だから逮捕するな」などという幼稚なことを言っているのではない。

 安田弁護士の容疑は破廉恥罪でもなければ、横領でもなくて、強制執行妨害という不思議な罪名である。ここが重要だ。

 任意出頭で十分なのにあえて逮捕し、保釈請求は却下して拘置延長する…。明らかに異様ではないか。「逮捕事実は本当なのか、それは逮捕に値する行為か、この人を逮捕する意味・背景は何なのか」。そんなことを考えれば逮捕のおかしさはすぐに分かるはずだ。

 記者ならきちんと事実に基づいて判断し、自分の言動には責任を持ちなさい。よく知らないならせめて「判断できない」と言いなさい。「悪い奴は捕まって当然」では無責任すぎる。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1999年2月号)


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