大岡みなみのコラム風速計

(初出:人権団体の機関誌に連載)


INDEX

 11)税金の使い方なぜ非公開 (1995年11月号)

 12)少女暴行事件/説得すべき相手は誰か (1995年12月号)

 13)「官報接待」の是正を (1996年1月号)

 14)ホームレス強制排除は弱い者いじめ (1996年2月号)

 15)続少女暴行事件/性的暴力は人権侵害 (1996年3月号)


 ◇風速計11◇

行政官の思い上がり

税金の使い方なぜ非公開

 市民グループの調査で「官官接待」が社会問題になり、地方自治体の「食糧費」に関心が集まっている。税金が何のために、どのくらい使われたかを知るのは、税金を納めている市民の当然の権利だ。ところが、地方自治体は使途内訳や接待相手の名前をひたすら隠そうとする。何を根拠に隠そうとするのか理解できない、というのが「普通の市民感覚」である。

  ■適切な交際って何■

 税金の使途を市民が監視するため、今こそ情報公開制度が存分に威力を発揮すべき時なのだが、接待相手の名前や場所などを「非公開」とする自治体は相変わらず多い。

 「相手にもプライバシーがある」「適切な交際ができなくなる恐れがある」というのが役所の言い分だ。しかし、「市民の税金を使っておいて何がプライバシーなのかなあ」「公にできない交際って何だろうね」と、そんな疑問や不信感が、納税者の側からはふつふつと沸き上がってくる。

 もっとすごい「お役人様の言い分」があった。今年9月に開かれた横浜市議会の水道交通委員会での話だ。「水道料金の値上げが必要ならば、お金の使われ方を確認したい」と、議員が市水道局の食糧費の使途を明らかにするよう求めた。

  ■何がプライバシー■

 この時の市の答弁が奮っていた。「職員のプライバシーの問題もあり、全庁で足並みをそろえたい」と述べて、公表をきっぱり拒否したという。

 あきれて物が言えないとはこのことだ。「職員のプライバシーって何のこっちゃ」。はてなマークが10個も20個も頭の周りを飛び交う。案の定、この答弁に対して委員席からは「何がプライバシーだ」「税金で飲み食いした内訳を市民の代表にも言えないのか」などの怒号が飛んだという。結局、市は渋々ながら、前年度の食糧費の決算を答弁で明らかにした。

 私的な会食が対象ならば、もちろん公務員にもプライバシーはある。上司にも市民にも報告する必要など全くない。だが、ここで問われているのは税金を使っての、公務としての会食についてなのだ。個人的な行動ではない。そこに「職員のプライバシー」を持ち出してくる感覚が分からない。

 市民にサービスを提供する公僕としての職務を適正に、誠実に遂行しているなら、「職員のプライバシー」などを持ち出す必要は何もないはずだ。隠すものは何もない。堂々と市民の前に公表すればいい。

  ■納税者の知る権利■

 市民に知られると困るいかがわしい出費だったのだろうか。そんなものに税金を使ったとなると、公務員として非難されるのが明白だから公表を渋るのだろうか。だとすれば、「プライバシー」を非公開理由にしたい心情は理解できるが、そうした発想は、雇用者たる納税者を愚弄している。公務員という職業を勘違いしている。

 市民から税金を預かっているのだということを、公務員はしっかり認識してほしい。「お役人様」感覚はもってのほか。市民に奉仕する立場にあることを自覚してほしい。

 情報公開請求は、市民が行政を知り、監督するための正当な権利の一つだ。その権利の行使を不当に「妨害」するのは、行政官の思い上がりである。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1995年11月号)


 ◇風速計12◇

米兵の少女暴行事件

説得すべき相手は沖縄県民か

 沖縄の米兵による少女暴行事件は、在日米軍基地のありように一石を投じただけでなく、日米地位協定や日米安保条約の根幹をも問いただす事態にまで発展した。事件は沖縄だけの問題では断じてなく、日本全体の問題のはずだ。しかし、事件を通して、沖縄と本土との意識の微妙な「ずれ」、さらに日本国民よりも米政府の方を向いている官僚の姿とが鮮明になった。

  ■本土と意識のずれ■

 少女暴行の事実に加え、容疑者の米兵の身柄がなかなか日本の捜査機関に引き渡されない点に、東京のニュース報道のポイントは置かれた。「沖縄の人たちは怒っている」と。

 もちろん、日本の捜査機関の人権感覚のお粗末さや取り調べ手法の問題点は、国際的にも指摘されている。「そんな人権無視の取り調べに米国民の身をさらすわけにはいかない」という主張も米側にあるが、だからといって、日米地位協定を見直さない理由にはならない。

 しかし、沖縄県民の怒りが頂点に達したのは、日米地位協定問題だけが理由ではない。米軍基地との「共生」を強いられ続けてきた歴史が爆発したのだ。「基地を、安保をなくしてほしいというのが多くの県民の願いなんです」。地元の沖縄タイムス記者はそう話す。そこに、本土の人たちとの意識の「ずれ」を感じると言う。

  ■なぜ沖縄の怒り?■

 そもそも、なぜ「『沖縄』の怒り」といった表現をマスコミが平気で使うのかが不思議だ。当然、沖縄の人たちは怒っている。でも本来なら、それは「日本の怒り」となっておかしくない性質のものではないのか。何の落ち度もない同胞の少女が暴行され、容疑者は治外法権の地にいったんは逃げ込んでしまったのだから。

 例えば、東京の六本木で、神奈川の厚木基地近くで、少女が米兵に暴行されたとして、「東京の怒り」「神奈川の怒り」と表現されるだろうか(まあ、中にはそう表現する人もいるかもしれないが)。

 沖縄は太平洋戦争で米軍との戦闘を強いられ、米軍占領下に置かれた。言わば切り捨てられたのだ。復帰後も、全国の米軍基地の七五%が島の大半を占拠している。安保の是非を別に、日本国民は沖縄に多大な犠牲を押し付けてきたと言える。

 今回の事件を、私たちは「自分たちの問題」と考えているだろうか。「沖縄のこと」と軽視する気持ちはないか。沖縄から本土へ基地移転の話が出ると、安保は必要だと言いながら、候補地の人々が移転に反対するのを見ていて特にそう感じる。

  ■ごう慢な官僚発言■

 沖縄県民だけでなく、日本国民を馬鹿にしているのではないかと思われたのは、防衛施設庁の宝珠山昇長官(辞任)の発言だ。大田昌秀沖縄県知事が米軍用地強制使用の代理署名を拒否している問題で、「首相の頭が悪いからこうなる。法律に基づいて首相が署名代行すべきだ」などと持論を述べた。

 「行政官のごう慢さ」では済まない勘違い発言としか言いようがない。切り捨てられ続けてきた沖縄の痛み、悲しみ、怒りと正面から向き合い、基地の整理・縮小、地位協定の見直しに取り組むのが公僕たるこの人の仕事だろう。それが、どこを向いて仕事をしているのか。冷戦前の安保体制の堅持しか考えられないのだろうか。

 説得すべき相手は沖縄県知事や沖縄県民ではない。説得すべきは米国政府のはずだ。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1995年12月号)


 ◇風速計13◇

「官報接待」の是正を

問われているのは記者の姿勢

 「官官接待」が社会問題になっている一方で、「官報接待」の存在が改めてクローズアップされている。役所(官)による報道関係者(報)の接待のことだ。役所同士の税金の使い方を批判しているマスコミが、日常的に税金で接待を受けている。「記者クラブ」の在り方とともに、新聞記者の全国組織では議論されてきたが、その実態はあまり知られていない。

  ■麻痺する市民感覚■

 ある地方都市の記者クラブには新聞・放送七社が常駐していた。12月になると、クラブの黒板は忘年会の予定でぎっしり埋まる。担当エリア内の各市役所、市議会、警察署、県の出先機関、電力会社、NTTが次々と参加を要請してくるのだ。

 場所は高級料理屋。記者は上座に座らされ、会席料理がずらりと並ぶ。市長や助役、議長、署長、所長といった「偉い人」が、「ま、記者さん一杯」とお酌に回ってくる。若手記者から見れば父親のような年齢の人たちだ。帰りにはお土産が付き、タクシーで送られる。費用は主催者側がすべて持つ。

 使われているのが税金(あるいは公共料金)なのがまず問題だが、こうしたことが繰り返されれば、「記者は偉いんだ。特権階級だ」と思い込み、市民感覚は麻痺してしまう。

  ■日常的な癒着構造■

 忘年会に限らない。記者会見では昼食にうな重が用意され、春には花見会、定例議会終了後は飲み会といった具合に、記者への接待は日常的だ。お中元、お歳暮も送られてくる。

  市長の妻の名前で、自宅にお歳暮が届いたことがあった。半年後には市長選が予定されていた。他社の記者から「いいじゃないかそんなの。俺はもらったよ。若いねえ」と笑われたが、私は内容証明便に「お心遣いだけ頂戴します」と記し、品物を返送した。けじめをつけたかったからだが、一人だけ接待を拒否したり、特別な行動を取ったりするのは勇気がいる。

 知事会見では昼食に豪華な弁当が出ていた。「会費制にしてはどうか。コーヒーだけではまずいだろうか」と県庁の記者クラブ総会で提案したが、年輩記者が強く反対した。

 ある地方紙の労組は「役所主催の宴会参加費は会社側が負担すべきだ」と提案した。会社側がこれを認めたため、その後、同社の記者は「会社の方針だから」と言って、宴会では必ず参加費を出している、という。

  ■市民の信頼を失う■

 新聞記者のこんな日常生活をフリーライターの友人に話したら、目を丸くして驚いていた。「それじゃあ、市民の側に立った記事は出てこないね」

 接待する側には接待の意図が必ずある。「自分たちの側の人間になってもらおう」「自分たちに不利な記事は手加減してもらおう」「角が取れた丸い人間になってもらおう」−と。

 市民が必要とする情報を隠すのは、公僕としては背信行為に当たる。だから、知る権利への奉仕を仕事とする記者を骨抜きにしようと税金を使うのは、二重の意味で犯罪だ。公務員はこの点を自覚してほしい。

 だが、「官報接待」は記者自身の姿勢こそが問われている。このままでは間違いなく市民の信頼を失う。「この記者は自分たちの味方だ」。役所と市民のどちらにそう言ってもらうのを喜びとするか、だ。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1996年1月号)


 ◇風速計14◇

ホームレス強制排除

寛容さ無くした弱い者いじめ

 新宿駅西口の地下通路に住み付いていたホームレス(路上生活者)が1月下旬、動員された警察官らに強制排除された。東京都が「動く歩道」を設置するためだという。一体だれのために、こんな税金の無駄遣いをするのだろう。そして最も気になるのは、ホームレスのおじさんやおばさんの今後の生活だ。社会の枠からはみ出した人への寛容さが消えてしまった。

  ■共存していたのに■

 昨年暮れ、新宿の地下通路を歩いた。日雇い労働者の支援団体が、東京都のホームレス排除方針への抗議活動と炊き出しをしていた。

 ホームレスのおじさん、おばさんたちは、10年以上前から新宿駅の地下通路に住み付いている。段ボール住宅の中で毛布や新聞紙にくるまって寝ている隣を、通行人が行き交うのは新宿の日常風景だった。

 車座になって酒盛りしていることもあったが、市民に絡んだり手を出したりしたことはまずない。トラブルになって困るのは彼らの方だからだ。

 通路に居座るのは確かに違法だ。「汚くて嫌だなあ」と感じる人もいただろう。でも、地下通路のホームレスは半ば黙認された存在だった。私たちは見て見ぬ振りをしていた。違法だけど違法じゃない。寛容さを背景に、私たちと彼らはある意味で共存していたのだ。

  ■中学生襲撃と同根■

 横浜市営地下鉄・関内駅の地下通路にも、数年前まではホームレスがたむろしていた。風の強い日や雨の日、通路は彼らの格好の非難場所になる。

 ところが、市は通路にチェーン柵とポスター掲示板を置き、ホームレスを完全に締め出してしまった。ホームレス対策として、駅員がおがくずや水を通路に撒くことはよくあるが、これには「ここまでやるかなあ」と驚かされた。

 似たような風景は駅ホームや公園でも見掛ける。横幅のあるベンチをわざわざ一人分ずつに仕切り、寝転べないように改造してあるのだ。酔っ払いやホームレスがベンチで寝てたっていいじゃないか。行政や公共機関のこうした行為は、弱い者いじめだとしか思えない。

 1983年二月、横浜・山下公園で寝ていたホームレスを中学生たちが襲い、殴る蹴るの暴行の末に死なせた。中学生は、ホームレスを人間として認識していなかった。「顔の見えない存在」だったという。

 ホームレス排除の論理は、ホームレスを襲撃した中学生の発想と本質的には同じだ。

  ■他にやることある■

 だれもが、ホームレスになる可能性は持っている。社会の枠からはみ出してしまった人の存在が許容されるくらいのゆとりが、社会に欲しい。

 新宿駅からホームレスを追い出した東京都は、希望者に温かい食事の出る施設を用意したと説明している。しかし、門限や細かい規則がある施設を嫌うホームレスが多いという。縛られるのが嫌で、自由な生き方を選んだのだから当然だろう。

 これまで存在が許されていたのに、東京都はなぜ突然ホームレス一掃を決めたのだろうか。新宿の新都庁へ通勤する都職員が目障りだからか、青島さんが苦々しく感じていたのか。

 弱い者いじめに税金を遣ってほしくない。やるべきことは他にいくらでもあるはずだ。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1996年2月号)


 ◇風速計15◇

性的暴力は人権侵害

「少女暴行事件」が残した宿題

 「沖縄報道の新たな視点」をテーマに、第39回新聞研究中央集会(新研集会、新聞労連主催)が2月中旬、那覇市で開かれた。昨年9月に起きた「米兵の少女暴行事件」をきっかけに、米軍基地や日米安保条約、女性の人権などの問題がクローズアップされたことを踏まえ、「本土との報道ギャップ」「女性と基地問題」などについて全国の記者たちが議論した。

  ■少女が被害の衝撃■

 一連の「沖縄報道」の大きなうねりをつくったのは、「米兵の少女暴行事件」だ。地元の沖縄タイムス、琉球新報の記者たちは「事件当初はここまで大問題に発展するとは思いもしなかった」と振り返る。

 被害に遭ったのが小学生だったという衝撃が大きい。もしも成人女性が被害者だったら、これほどのうねりには結び付かなかっただろう。一般的にマスコミは婦女暴行事件を大きく扱わないし、成人女性の性的被害は珍しくないからだ(それ自体がまた重大な問題だが)。

 ところが、事件が報道されてから、教育関係者や女性団体が抗議行動を起こし、大田県知事も不快感を表明するなど、沖縄県民の怒りが爆発した。世論に歩調を合わせる形で、地元紙の報道も、事件そのものから日米地位協定、安保条約、米軍基地問題へと記事の視点が広がっていった。

  ■本質隠す「暴行」■

 新研集会の議論の中で、「少女暴行事件」を表現する言葉として「暴行」でいいだろうか、との指摘が何回かあった。

 被害者の人権を重視するため『暴行』『乱暴』などの言葉に言い換えると、事件の本質が隠れてしまう。事実を伝える言葉として『強姦(ごうかん)』と表現すべき」。地元沖縄の女性団体などを中心に、そうした意見が強くある。抗議デモのプラカードや垂れ幕のいくつかには、「強姦」「レイプ」の文字がはっきり書かれていた。

 これに対し、参加者の一人は「事件の本質って何ですか。事件の本質は沖縄に基地があることではないのですか。われわれは少女を犠牲にして十分議論を広げた。『強姦』の言葉を使わなくても事件の内容は皆が知っている。少女を犠牲にするのはもういい」と発言した。

 沖縄在住の女性フリーカメラマン石川真生さんにこの話をしたら、「その発言をした人は男性でしょう」と即座に言い当てられてしまった。

 事件の本質は、女性が暴力で性的尊厳を踏みにじられたことにこそある。

  ■声が出せる環境を■

 加害者が米兵で、日米地位協定によって「日本の主権」が侵害されて、そこから沖縄の米軍基地の存在がクローズアップされて…というのは、もちろん大事な問題だ。だが、それらはあくまでも、「少女が性的暴力を受けた」ことの事実から派生した問題に過ぎない。

 多くの女性は、レイプされても被害を受けた事実を言えずにいる。人権侵害されたことをはっきりと訴えられないでいる。被害者なのに、社会から「傷モノ」扱いされるからだ。

 「レイプされた女性がはっきりと声を出せる環境を整えることが必要だ」と沖縄県儀の糸数慶子さんは新研集会で訴えた。「女性の人権が力づくで侵害された事実」への認識は、社会的にはまだまだ甘い。

(初出:人権団体の機関誌に連載:1996年3月号)


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