ルポ・教育の曲がり角/ある少女の転校

 1)●入学式●日の丸を降ろしました

 「僕たちがやらなかったことを内田はよくやってくれた」「応援してるよ」

 職員室のベランダで、中学2年の内田みのりさん(14歳)は、先生たちからこんな風に励まされた。入学式が始まる時間にはまだ1時間以上あった。つい先ほど、彼女は校庭の隅に立っているポールから「日の丸」の旗を降ろしたばかりだった。

    ◆◇◆

 神奈川県内のある公立中学校。今年4月5日の朝、ブラスバンド部員だったみのりさんは、その日の入学式のリハーサルに参加するため、早めに登校した。

 午前7時半。長い坂道を上り切って正門の前まで来た時、校庭のポールに「日の丸」がはためいているのが目に入った。

 「どうして…」。彼女の頭の中をさまざまな思いが通り過ぎていった。小学生のころ、父親がビデオで見せてくれた南京侵略の場面。新聞で読んだ朝鮮人の気持ち。沖縄反戦地主・知花昌一さんの講演…。国家への忠誠心や戦争のシンボルとして使われた「日の丸」を強制されるのは嫌だった。

 次の瞬間、夢中でポールから「日の丸」を降ろしていた。そして、きちんとたたんでバッグに「日の丸」を入れた。事務員かだれかは分からないが、何人かは見ていたようだった。止める人はだれもいなかった。

 その足で職員室へ行った。「落合先生いますか」。社会科担任の落合健一先生(41歳)の姿を探した。落合先生は、おかしいことはおかしいとはっきり物を言うし、「日の丸」「君が代」問題でもきちんと筋を通すので、みのりさんは信頼していたのだ。しかし、落合先生はいなかった。

 仕方なく、とりあえずブラスバンド部の部室に行ってからもう一度、職員室へ寄った。そこで彼女は、落合先生が4月から隣の中学校へ転勤したことを初めて知らされた。

 「内田さん、『日の丸』降ろした?」「はい」「今、持ってる?」

 職員室にいた先生の1人に聞かれたみのりさんは、バッグの中の「日の丸」を見せた。それから、「後で校長先生のところへ持って行きます」と言った。

 「自分でちゃんと言える?」

 「はい」と答えたものの、信頼していた落合先生がいなくなり、みのりさんは一人ぼっちになったような気がして心細く感じた。トイレで少し泣いた。

 体育館でトランペットの練習をしていると、職員室に呼ばれた。ベランダに五、六人の先生がいた。

 「本心を言うとなあ、自分たちのやらなかったことを内田がやってくれて、感謝してるんだ」。1人の先生がそんなことを言った。「頑張れよ」。そう励ます先生もいた。

 その時だった。「日の丸」を持って、校長があわててポールのところへ走って行くのが、ベランダから見えた。みのりさんが降ろしたのとは別のもう1枚の「日の丸」だった。

 ベランダにいた先生たちはただ黙って見ているだけだった。

2)●疑問●先生は何もしないの?

 2枚目の「日の丸」が校庭のポールに掲揚された。

 みのりさんはいったん体育館に戻って、ブラスバンドのリハーサルに出た。本番が始まる前に再び校庭に行き、2枚目も降ろしてバッグに入れた。「公立の学校に『日の丸』を揚げるなんて許されない」。真っ直ぐ、校長室ヘと向かった。

 「日の丸」を渡すと、校長は「学校で決めてやっているんだから、個人で勝手なことをしてはいけない。式が終わったらじっくり話そう」と言った。校長の指示でもう一度、ポールに「日の丸」が掲げられた。

 校長室では2時間ほどのやり取りがあった。校長のほか、新旧の担任ら数人の先生が同席した。

 「『日の丸』は戦後民主主義の中で生まれ変わったんだよ。国の象徴としてどの国も国旗に敬意を表しているのに、日本人だけが国旗を侮蔑するようでは、21世紀に向けて国際交流を進める上でも困る…」

 校長が力説する間、みのりさんは自分の考えをうまく言えない悔しさをかみしめていた。知識も体験もボキャブラリーも豊富な校長に、「未熟な自分は負けた」と感じたのだ。

 だが、それ以上にがっかりしたのは、先生たちの態度だった。同席した先生は、ほとんど自分の考えを校長に言わなかった。さらにショックだったのは、無責任と思える先生たちの励ましの言葉だった。

 職員室のベランダにいた先生のほかにも、リハーサル終了後には女の先生から「内田さん、話は聞いたよ。応援してるよ」と言われた。

 日ごろ、先生たちは「日の丸」には反対だと言っていた。「それなのに、応援してるなんて、まるで他人事みたい。口で言うだけで、先生たち自身は何もしないの? そんな先生は信頼できないよ」

    ◆◇◆

 みのりさんは中学1年の時に、私服で登校したことがある。制服反対の意思表示だった。「女はスカートというのが嫌だった。自分の行動がきっかけで何か変わるかもしれないし、周りがどんな反応をするか知りたかった」

 そんな彼女に担任は「みんな制服なんだから、1人だけ許すわけにはいかない。ルールで決まってるんだから」と休み時間のたびに注意した。「ルールを変えたければ、生徒会に入って手続きを踏んでやりなさい」

 校長やほかの先生も、「いつ制服を着て来るの」と繰り返し尋ねてきた。

 上級生に目を付けられると困るので、私服登校は2日間で終えた。ほかの先生たちと違い、社会科の落合先生の反応がおもしろかった。「何だ、制服で来ちゃったのか。つまんねえなあ」。生意気かもしれないけれど、みのりさんは「見込みがある先生だなあ」と思った。

3)●沈黙●その話はうんざりだよ

 「またその話か」。先生たちの顔に、明らかにうんざりした表情が浮かんだ。

 今年2月。卒業式で「日の丸」をどう扱うか、が議題に出された途端、同校の職員会議は重苦しい空気に支配された。「日の丸」掲揚を強く主張する校長に対して、職員会議で発言したのは組合分会役員のほか数人だけだった。ほかの先生は沈黙を守った。

 「毎年、同じ話の繰り返しじゃないか」「いいかげんにしてくれよ」。口にこそ出さないが、そんな無言の圧力が組合員からも集まる。比較的発言する先生も「仲間の冷たい視線には勝てずに黙り込むしかなかった」と言う。

 挙手をした。約8割が組合員だが、不在者が多いこともあって数票差で掲揚反対が上回った。「圧倒的反対」ではなかった。

 「意見のある人は私のところへ直接来てください」。校長はそう言って引き上げたが、組合役員を除き、ほとんどの先生が校長室へは行かなかった。

 校長は、卒業式の前日から「日の丸」をポールに掲揚しようとした。しかし、「子どもたちに教えてきた手前、揚げられません」と組合役員だった落合先生らが立ちはだかったので、ポールの下で旗を広げただけに終わった。

    ◆◇◆

 そして4月。「皆さんから意見がありませんでしたので、今年の入学式には『日の丸』を揚げたいと思います」

 朝の打ち合わせで校長がはっきり宣言した。その場にいた先生は、だれも発言しなかった。わずか10数秒。「日の丸」についての話はそれだけだった。

 「日の丸」は入学式前日から、校庭のポールに掲揚された。同校では初めての掲揚だった。夕方、先生たちは揺れる旗を横目に見ながらその前を通り過ぎて帰って行った。みのりさんが「日の丸」を降ろしたのは、その翌朝だ。

 校長は、今年の入学式から「日の丸」掲揚に踏み切った理由をこんなふうに説明している。「教員の間で賛成反対の議論があるが、掲揚することで現場が混乱して教育が停滞したり、子どもへ影響が出たりするのはまずい。今回は混乱はないと思っていた」

 「日の丸」「君が代」に対して、日教組はこれまでの方針とは違った柔軟な姿勢を見せ始めている。教育現場の空気にも、微妙な変化が生じているのは確かだ。

    ◆◇◆

 「揚げる、揚げないだけの議論は止めよう」との趣旨で、同校では昨年から、侵略戦争や「日の丸」「君が代」の背景などを特別活動の時間に教えている。

 しかし、授業は年1、2回だけ。教え方は担任の考えによってバラバラだ。

4)●決意●信頼できる先生いない

 「日の丸」を降ろしてから、みのりさんは10日間だけ学校へ行った。だが、その後は登校を止めた。

 みのりさんにとって最もショックだったのは、入学式に「日の丸」が揚がったことではない。何よりも先生たちの言動にショックを受けた。先生は口だけで何もしないのか、と思うと無性に悲しかった。入学式後、先生たちは「日の丸」を話題にもしなかった。

 「この学校の先生には期待できないよ。信頼できる先生が1人もいない。そんな先生に教えてもらうのは嫌だ。転校したい」。みのりさんは母親(42歳)に訴えて、学校を休んだ。

    ◆◇◆

 彼女の中には、慢性的な先生への不信感があった。服装を細かくチェックする、いじめを知りながら見て見ぬ振りをする…。

 障害のある生徒が学年に何人かいた。その生徒を、男子生徒らが身体障害者をもじって「しんこう」と呼んでいた。おとなしい女の子へサッカーボールをぶつける、などのいじめもあった。担任との個人面談で「いじめとか気付いたことはないか」と聞かれたので、みのりさんら数人の女子生徒がそのことを話した。担任は「しょうがないな」と言うだけだった。

 そんな先生不信が、「日の丸」で決定的になった。

 「学校を休むのが、ただの逃げなら良くないね。あなた自身の意思表示として行かないの?」。母親の問いかけに対し、みのりさんは考えた。「割り切ればこの学校でもやっていけると思う。だけど、それだと自分がどんどん後退していく気がする。『何も考えない方が楽だ』って思うようになってしまう不安を感じる」

 落合先生が、転勤先からやって来て説得した。「ここで逃げ出すのか。転校しても状況は変わらないぞ。『そこにいる』のが学校を変えていくことになるんだよ」

 行動しないと変えたいことも変えられない。だから、みのりさんは行動した。生徒会の代議員に立候補して校則を変えたい、とも実は思っていた。

 「信頼できる先生が1人でもいれば…。だけど、先生全部が反面教師っていうのは厳しいかな」。「改革」は転校した先でもできると思った。彼女の決意は変わらなかった。

 「子どもの意思を尊重したい。他校なら通える」と判断した母親はすぐ、校長に転校を申し入れた。地区の教育委員会と面談も重ねた。初め、教委は「先生が信頼できないという理由だけでは…」と転校に難色を示した。しかし、母親らの強い要望で、5月1日から隣接学区の中学校へ転校することが認められた。

 「子どもの将来を考えて認めた」と教委は説明する。その一方で、みのりさんと母親に対して「転校理由は口外しないように」とくぎを刺した。「『日の丸』と先生不信」が理由ではさすがに困るのだろう。「なぜ転校するの」と友達に聞かれたら、「家庭の事情で」と答えるように指示していた。

5)●波紋●先生も頑張ってみるよ

 「信頼できる先生が1人もいない」。そう言って、みのりさんが転校してから3カ月たった。先生たちの胸の内には、重い宿題が残されたはずだった。

 職員室では、「校長が悪いんだ。校長が強引に、一方的に『日の丸』を揚げたりするから、こんなことになったんだ」と管理職を批判する先生は多い。

 だが、こんなふうに思う先生もいる。「校長が揚げたのは当然だよ。それが仕事なんだから。校長の責任より僕ら自身の問題なんじゃないか」。黙って見ていたことへの反省の弁だ。

 「失敗したな。言うべき時に言わなかったから、こんな結果になっちゃったんだなあ。たった1人になっても、言わなければならないことは頑張って言わなければ」。何人かの先生は、休み時間に集まってはそんな話を交わした。

 みのりさんに「自分たちがやらなかったことをやってくれた」と言った男の先生は、自分に言い聞かせるようにこう話した。

 「教員自身がきちんと話し合った上で、結論を出さなければいけない問題だったんですよ。でないと、生徒に顔を見せられない。2時間、3時間と、とことんまで話し合って、それで仮に『揚げる』と決めていたのならば、教員が動揺することはなかった。胸を張っていられたんだ」

 「応援してるよ」とみのりさんに言った女の先生は、言葉少なだった。「緊張してかわいそうだなと思って励ましたのだが…。言葉には気を付けなければと思いました。これから私たちも頑張ってみます。彼女に見ていてほしい」

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 しかし、「生徒に正面から向き合うべきだった」という先生の反省は、個人のレベルで止まったままだ。

 ある先生はこんな言い方をした。「抱え込んでる仕事が多過ぎて、時間をかけて生徒と対話する余裕がないんですよ。職員が集まって話す時間もない。大きな問題は確かにあるが、目先のことに忙しくて関わっていられない」。一方、「内田さんは感性や意識が高く、ほかの生徒と違って特別だから」と強調する先生もいた。

 同校では校長が数回、転校に至るまでの事実経過を職員会議で報告した。だが、それ以外、みのりさんのことは公式の場で全く議論されていない。

 (このルポの登場人物の名前はすべて仮名です)

初出掲載(「週刊金曜日」1996年8月30日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります


このルポの「取材の背景」などについて話した講演内容を採録しました。少し長いですが、関心のある方は読んでみてください。「取材の背景」


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