教育基本法「見直し」

先取りする現場の実態

がんじがらめの教師たち


【前文】教育基本法の「見直し」に向けて、中央教育審議会がまとめる中間報告で注目されるのは、「愛国心」と「指導力不足教員」の問題だろう。学校現場では既に、こうした「見直し」を先取りする動きが顕著だ。管理や締め付けで教員はがんじがらめになっている。


●旗も歌も実施は当然●

 教育基本法の「見直し」を、いち早く先取り実施しているのは東京都だ。「最近の教員に対する管理強化はすさまじいものがある」と関係者は口をそろえる。その象徴が「日の丸・君が代」と人事考課制度、そして指導力不足教員の問題だという。

 東京都の公立学校の「日の丸・君が代」実施率は、今年ついに一○○%となった。

 東京都墨田区は、「君が代」を流さない学校が残る数少ない地域だった。「国旗・国歌法」の成立直前まで、墨田区には旗も歌も実施しない小・中学校が八校もあった。昨年四月の入学式でも三校の小学校が「君が代」を流さなかったが、今年三月の卒業式から墨田区で「君が代」を流さない学校は一校もなくなった。

 東京都教育委員会は昨年十一月と十二月、墨田区教育委員会の指導室長を呼んで、「日の丸・君が代」について「強力な指導」をした。都議会で保守系会派の議員から未実施校の状況を、相当しつこく問いただされたからだ。

 関係者によると、各校ごとの職員会議の内容や経過まで、都教委はかなり突っ込んで追及したらしい。だれがどう反対したのか、具体的に教員の名前まで出しながら聞いてきたという。

 今年一月に入ると都教委は、昨年の入学式で「君が代」を流さなかった三校の校長を、区教委の指導室長とともに呼んで、これまでの経過と今後の取り組みを二時間にわたって問いただした。「職員会議に都教委から指導主事を派遣してもいい。都議会でまた質問されたら、未実施校の校名を出さざるを得ない」などの発言まで飛び出したという。区教委や校長への「脅し」としては十分だった。

 同じような「強力な指導」は墨田区のほか、東久留米市、西東京市、国分寺市、羽村町の教委にも行われた。裏を返せば、この五地区以外では「日の丸・君が代」は完全実施されているということになる。

 「ここまで踏み固められたらどうすればいいのか。職員会議での議論の対象にさえならなくなってきていますから」

 教職員組合の関係者はそうこぼす。それでも多少なりとも抵抗の芽は残しておきたいとの気持ちはある。

 式次第に「国歌斉唱」「君が代斉唱」と書くのか、それとも「国歌」「君が代」とだけ書くか、この違いは大きい。「斉唱」となると、子どもたちに歌うことを強制する教員の「指導」の問題が生じてくるからだ。「最後の踏ん張りどころではないですかね」

●楯突く教師は許さず●

 東京都日野市の小学校で音楽を担当する女性教諭(四九歳)は、一九九九年四月の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を拒否して、戒告処分を受けた。都人事委員会に不服申し立てをしたが、人事委は昨年十月に請求棄却の裁決を出した。このため教諭は今年一月、東京都に処分の取り消しを求める訴訟を東京地裁に起こし、現在も審理が続いている。

 校長はピアノによる伴奏にこだわった。これに対し教諭は「自分の思想・信条から『君が代』の伴奏はできません」と断った。

 入学式の当日。新入生入場をピアノで迎えた教諭は、司会の「国歌斉唱」の掛け声に応じなかったため、式場には事前に用意されていたテープの「君が代」が流された。式は混乱なく無事に終わったが、都教委は女性教諭を地方公務員法違反(職務命令違反、信用失墜行為)で戒告処分にした。

 人事委の公開口頭審理の中で、「公務員だから命令に従え」との主張に教諭はこう反論した。

 「公教育に携わる教員だからこそ、学校教育の中で憲法を尊重した教育をしたい。戦争への反省から現在の憲法と教育基本法が作られた。それをないがしろにするような教育行政による人権侵害の片棒を、担ぎたくありません」

 今年の卒業式と入学式で、女性教諭は再び「君が代」のピアノ伴奏を命じられた。卒業式の予行練習で教諭が伴奏を拒否すると、教頭は「伴奏がないので私に続いて歌ってください」と言って独唱を始めた。教諭は市販のテープを用意したが認められなかった。

 教諭は体調を崩して卒業式と入学式を休んだ。式では、校長から指名された別の男性教諭が「君が代」をピアノ伴奏した。

 一方、校長や教委の意向に反する教員は「指導力不足教員」の烙印を押して排除する、という方法が取られることもある。

 多摩市立多摩中学校の家庭科教諭・根津公子さん(五二歳)は昨年、「授業が偏向しているとの情報がある」などと決め付けられ、教育委員会から「指導力不足等教員」の疑いがあるとして繰り返し事情聴取を受けた。

 根津さんは「自分の頭で考えて判断できる人間に」をテーマに、男女共生や環境問題などを授業で積極的に取り上げてきたことで知られるが、校長と市教委は昨年九月、根津さんを「指導力不足等教員」として都教委に申請した。

 同僚や教え子たちからは「根津さんが指導力不足教員なんて考えられない」といった声が数多く聞かれる。これまで根津さんが「日の丸・君が代」を疑問視する発言を続けてきたことへの嫌がらせとしか考えられない、と関係者は指摘する。

 都教委は今年三月、「指導力不足等教員の決定には至らない」との審査結果を出しながら、「指導方法や指導内容について改善を要する課題がある」などとして、校長に適切な指導を求めた。その上で都教委は根津さんを懲戒処分した。根津さんが指導主事の授業参観後の指導を受けず、校長の命令に従わなかったことが地方公務員法違反だとされた。

●上意下達の徹底着々●

 都教委は二○○○年四月、教職員組合などの強い反対の声を押し切る形で、公立学校教員の人事考課制度を導入した。

 人事考課制度は、教員の能力や実績を管理職が五段階で評価するが、教員はこれに先立って、管理職の指導と助言を受けて「自己申告書」を提出することになっている。制度導入当初、小・中学校では約九割、高校では約七割の教員が自己申告したが、都教委によると、現在では九九%の教員が自己申告書を提出しているという。

 小学校教諭の高幡優子さん(仮名、五一歳)は、自己申告書を提出しなかった昨年、校長からいきなり次年度の異動を告げられた。九年間いた学校だから、もう一年は勤務できるはずだった。担任するクラスで障害のある子を二年間受け持っていたこともあり、続けて見守りたいと考えていた。

 高幡さんは教員歴二十九年のベテランだ。校長から頼まれて受け持ったクラスでは、「共生」の視点を大切にしてきた自負がある。学校行事で「君が代」が流れるとただ一人着席し、職員会議では校長と対立する場面もあったが、学校全体のことについてはお互いに協力してきたつもりだった。

 考えられる異動理由は、何回も促されたのに自己申告書を提出しなかったことしかない。「自己申告書を出さないと異動がどうなっても知らないよ」と言われ、不安は感じていた。今春から通っている学校はかなり遠方にあるので、通勤には一時間半もかかる。

 「人事考課制度は教員差別のためのものでしかない」。高幡さんはそう考えて、自己申告書を提出しなかった。同僚の話では、鉛筆書きで出した申告書は、校長に添削されて戻ってくるという。校長の指示に従うだけでは教員の責任は果たせない。教員が自分の頭で判断するのを放棄してしまうことを、高幡さんは危惧する。

 これからも自己申告書は提出しないつもりだ。「でも、両親の体調が悪くなれば自宅近くの学校に異動したい。そうしたら提出するしかないのでしょうか」

 着々と進む上意下達の徹底。そして、それに呼応するように加速する教育基本法の「見直し」。しかしこうした状況に、危機感を抱く教員は決して多くはない。

初出掲載(「週刊金曜日」2002年11月22日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):人事異動や処分という形で、教員に対する管理と締め付けが進む。写真は、教員の不当異動に抗議する集会で報告する弁護士=11月9日、東京都杉並区内で


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