従軍慰安婦、南京虐殺、教科書…

相次ぐ自宅や職場への脅迫

ファシズムの「足音」ひたひたと


【前文】従軍慰安婦や南京虐殺、教科書問題をめぐって、個人への嫌がらせや脅迫がこのところ目立っている。従軍慰安婦を描いた記録映画の上映会では、右翼団体や市民グループから「反日的な催しに会場を貸すな」「教育委員会は後援を取り消せ」などの圧力があっただけでなく、主催者の自宅や職場に対しても電話やファクスで嫌がらせが続いた。 


●上映会場や教委に圧力●

 「山田先生ーっ。県立高校の先生だって分かっているんだぞー。早く出て来ーいっ」

 上映会場を取り囲んだ人たちから名指しで叫ばれて、上映責任者の山田太郎教諭(仮名)は「いつの間に職場まで調べ上げたのだろう」と驚くとともに、背筋の寒くなるような思いがした。

 昨年九月下旬、横浜市神奈川区のかながわ県民活動サポートセンター。韓国の従軍慰安婦の過去から現在を描いた記録映画「息づかい」「ナヌムの家」の上映会場は、午前中から右翼団体の街宣車が十数台も走り回るなど、騒然とした雰囲気に包まれた。

 上映会を主催したのは、市民グループ「ピースシアター・ヨコハマ」。代表は山田教諭。神奈川県教育委員会や横浜市教育委員会などが、後援に名前を連ねた。

 上映の一カ月ほど前から、会場管理者や後援した県教委と市教委に対して、右翼団体や市民グループが抗議を繰り返していた。「事実に反する映画上映に会場を貸すな」「なぜ、ああいう反日的な映画を後援するのか。取り消せ」などと電話を何回もかける。二〜三人や、多い時は七〜八人で来て、自分たちの主張を延々と述べ続けることもあったという。

 このほか、「卑猥な猥褻映画に抗議しよう」と訴えるチラシが会場に張り出されたり、県教委や市教委の名前をかたって「売春映画の成功に協力を」と呼びかける怪文書が出回ったりもした。

 こうした動きに対し、県民センターや県教委、市教委は「条例や定められた要領に従っている」として、会場の貸し出し中止や後援の取り消し要求には応じられないとの姿勢を崩さなかった。

 そして上映会当日。会場の周りでは右翼団体の街宣車が並んで拡声器の音量を上げ、機動隊が入り口をガード。またこれとは別に、上映中止を主張する市民グループの数十人は、来場者を怒鳴って威嚇したり、会場ロビーに入り込んで騒いだりして上映を妨害した。さらに会場管理者の県職員に対しても、別室で一時間以上にわたって抗議の談判を繰り返した。

 上映会そのものは無事に終わったが、その間に「自由主義史観」を主張するこのグループは、山田教諭の身分を調べ上げた。どういう方法を使ったのかは分からないが、チラシに書かれた連絡先をもとに、山田教諭が県立高校の教諭であることを知ったらしい。

 参加者が全員退場した後、右翼グループに囲まれて、主催者側の数人は会場内に取り残される形になった。名指しで「出て来い」などと叫ばれて身の危険を感じた山田教諭は、警察官に保護されてようやく会場を脱出した。

●嫌がらせエスカレート●

 ところが、嫌がらせはこれだけでは終わらなかった。上映会の夜から山田教諭の自宅や学校に、嫌がらせや脅迫の電話、ファクスが何本も入り始めたのだ。

 「痴呆の人間を出すのはおかしい。映画はでっち上げだ」「公務員のくせに反省しろ。後で自宅に行く」「日本人を売るのか、天誅が下るぞ」「そんなに日本が憎いのなら教員を辞めて、韓国・北朝鮮・支那にでも帰化せよ」「お前、ぶっ殺すぞ」…。

 山田教諭の自宅では留守番電話に切り替え、番号非通知の通話は着信拒否に設定するなどの対抗措置を取ったが、それでも一日に何本もの電話がかかってきた。学校には、多い時で一日二十本もの電話が連日かかることもあった。

 学校に届いたファクスには、上映会のチラシの上に「糾弾!」と大きく書かれていた。「売春映画の首謀者が判明!」として山田教諭の実名や学校名だけでなく、自宅の住所と電話番号まで明記した文書もあった。

 さらに、山田教諭の自宅近所の民家にも「地域住民の皆様方へ」「反日教師は無用だ!」などと書かれた中傷ビラが投げ込まれた。嫌がらせや抗議の電話、ファクスは県教委にも殺到した。

 もっともらしく「抗議活動」などと称しているが、実際には言葉の暴力であり脅迫行為だった。

 山田教諭は県警に相談した。もしも自宅に来たらすぐに一一○番するようにとアドバイスされ、交番の警察官が巡回警備を強化してくれたのは心強かった。

 家族が動揺しないでいてくれたのも山田教諭には心の支えになった。しかし、妻がぽつりと漏らした言葉は忘れられない。「知らない男が庭に立っている姿が、夢に出てくるんだよね」

 翌週には、上映会で妨害活動をした人物ら計十人が朝から学校に直接押しかけて来た。生徒たちに「売春映画の首謀者が判明!」と書かれたビラを配るとともに、面会を求めてきた。午後になって校長らと一緒に山田教諭が校長室で対応すると、「(山田教諭の行動は)公務員の政治活動にあたるのではないか」などと主張し、大声を出したりテーブルを叩いたりして一時間以上にわたって非難を繰り返した。

 「教育活動に支障をきたすほど電話が学校にかかってきて、事務に取り次ぎを止めてもらったこともありました。抗議してくる人たちに『申し訳ありません』などと言うことはない。指導要領に基づいて生徒たちにはきちんと教育しているわけで、山田先生の上映活動は私人としての時間にやったことだと説明しました」

 校長は、抗議グループに対する学校責任者としての姿勢と考え方について、そう話す。 

 このグループは県教委にも何回も押しかけて「偏向した教師を辞めさせろ」などと申し入れた。

●インターネットで中傷●

 山田教諭を執拗に攻撃する人たちは「公務員による違法な政治的活動があった」などと主張して、より激しく非難を始めた。

 上映会の当日、会場にはさまざまな市民団体のチラシが置かれていたが、この中には「盗聴法」や「石原都知事の三国人発言」を批判するものなどもある。主催者に断らずに署名活動をした人たちもいた。これが「政治活動」だと言うのだった。

 抗議活動にはインターネットによる誹謗・中傷も加わった。右派で知られる都議会議員のホームページからリンクされている掲示板などに、山田教諭の自宅住所や電話番号、勤務先を明記し、「政治活動をした」などの書き込みが続いた。

 山田教諭が参加する市民グループの「近現代史学習会」に対する抗議・妨害活動も始まった。

 この学習会は、三年前から横浜市港北区の生涯学級講座を委託され、二○○○年度も区と共催で連続講座「子どもと社会をめぐる近現代史」を十月下旬から開く予定だった。ところが、「参加申し込みが少ないので中止にして企画を練り直してほしい」と担当課長が突然連絡してきた。申し込み締め切りまで一週間以上あるので、代表者の主婦は「もう少し待ってほしい」と区側に頼んだ。

 その後、四十人近くが参加を申し込んだが、区の決定は変わらないまま。結局は自主講座として開催することになった。

 区の担当課長によると、「異なる意見の受講者を排除するつもりなのか」などと抗議する電話が、九月下旬ごろから何本もあった。一回目の講師の琉球大学・高嶋伸欣教授の名前を挙げて、「教科書裁判をしている先生を行政が招いていいのか。自分たちの意見に近い先生にも講座で話をさせろ」などと要求してきたという。

 九月下旬の上映会場で「近現代史学習会」のチラシが資料とともに配られ、そこに山田教諭の名前が出ていたことから、学習会が攻撃の標的にされたらしい。

 しかし、区は「それは中止にした主たる理由ではない。あくまでも参加人数が少なかったからだ。公平性と公益性を念頭において判断した」と説明する。だが関係者は、抗議活動が共催を取り止めた理由だろうと推測している。

 「政治的活動をした」と攻撃された山田教諭は十一月中旬、県教委に呼び出されて口頭で注意を受けた。「学校現場に混乱を招くようなことが予想されたのに、校長に相談しなかった。上映責任者として誤解されるような行為があった」などと説明された。

 県教委の山本正人教職員課長は「行政上の処分ではありません」と強調する。

 「学校外の私的活動をどうこう言っているわけではないし、上映会そのものについて問題にしてはいない。主催者として会場管理が適切でなかった点について、結果として学校に迷惑をかけることになったわけですから注意させてもらいました」

 神奈川県高等学校教職員組合の竹田邦明委員長は「対右翼との関係で、どうやって収めるかということだろう。言論封殺によって、市民活動が制約される風潮を生みかねないのが心配だ」と危機感を募らせている。

●南京や教科書問題でも●

 従軍慰安婦だけでなく、南京虐殺事件や歴史教科書などの問題についての発言でも、個人を標的にした嫌がらせが続いている。

 東京都内の公立中学校に勤務する田中一郎教諭(仮名)は、南京虐殺事件の「中国人被害者を支援する会」の呼びかけ人に名前を出していた。十月初め、政治団体のメンバーを名乗る男性が、学校に突然電話してきた。

 「公務員の政治的中立を侵すだろう。南京事件を子どもたちにどう教えているのか。会って話がしたい」

 教諭が面会を拒否したところ、十月下旬から連日、学校に電話やファクスで「公務員の中立性を侵す」「南京虐殺はなかった」などの主張が続いた。十一月初めには四人が学校に押しかけて来たが、田中教諭は帰宅。校長と教頭が二時間以上にわたって応対した。

 翌日から、田中教諭の自宅に嫌がらせの電話が毎日殺到するようになった。

 「豚野郎」「公務員を辞めろ」「非国民」「売国奴」「国賊!」「いつまでも生きていられると思うなよ」…。ありとあらゆる罵詈雑言と脅迫が、留守番電話に匿名でいくつも残された。そんな電話は十二月初めまで続いた。

 「あまりにしつこいので、最初はめげて気持ちが沈んでいたんですが、だんだんと、何でこんな攻撃をされなければならないのかと怒りがわいてきました」

 再び四人が学校に押しかけて来たのは、十一月下旬だった。田中教諭は校長や教頭と一緒に四十分ほど対応したが、彼らは「日本に誇りを持つ教育をしろ」「どうして南京事件の生き残りの証言が本物だと認識できるんだ」などと大声で繰り返すだけ。やり取りは最後までかみ合わなかった。

 インターネット上でも、やはり中傷は続いた。「新しい歴史教科書をつくる会」を支援するホームページの掲示板など複数のサイトに、田中教諭の個人情報とともに「国賊教師を追放しろ」などの書き込みが確認されている。

 一方、十一月中旬に都内で開かれた教科書問題を話し合うシンポジウムで、国粋主義的な歴史教科書を批判する報告をした千葉県内の公立中学校の教諭の自宅に、シンポの二日後、政治団体の男性が電話をかけてきた。「白表紙本をどこから手に入れたんだ。クビを覚悟して批判したんだろうな」と男性はまくしたてた。

 翌日には男性三人が学校に押しかけて来た。「こんな不勉強な先生が歴史を教えているなんて信じられない」などと凄んだ。

 自宅や学校に連日のように電話やファクスがかかってくる。「どうして逃げてばかりいる」「街宣車が出ないだけましなんだぞ」と脅され、インターネットでも実名で非難された。家族ともども精神的に参ってしまったという。

 「戦前のファシズムってこういうことだったんだなあ、彼らのような人間が戦争を進めていくんだなあと、実感します。本当に許せません」

 嫌がらせの実態を聞いた関係者の声が怒りで震えた。

初出掲載(「週刊金曜日」2001年1月19日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):「ピースシアター・ヨコハマ」が上映した、ビョン・ヨンジュ監督の「息づかい」の一場面(配給元のパンドラ提供)

●写真説明(ヨコ):山田教諭の自宅や勤務先ほかに送られてきた嫌がらせのファクスや文書など。個人を中傷・脅迫する言葉が並んでいる


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