校長たちの苦悩と葛藤

ルポ「日の丸・君が代」

 学校行事での「日の丸掲揚、君が代斉唱」の実施率が全国で3番目に低い神奈川県では、県立高校の校長に対する県教育委員会の指導が例年に比べて強まっている。国旗・国歌法の成立で、締め付けはさらに厳しくなるだろう。そんな中、管理職としての立場と個人的な思いとの間で苦悩し揺れ動く校長の姿を報告する。

 ●定年/「再就職」で脅し

 「どうして呼ばれたか分かりますか?」。管理部長の第一声に、広岡健介元校長(仮名)は心の中で「こんにゃろ」と思ったが、口に出しては何も言わなかった。

 今年3月下旬、神奈川県教育委員会の一室に、何人かの県立高校の校長が個別に呼ばれた。いずれも3月いっぱいで定年退職を迎える校長ばかりだ。卒業式も終業式も無事に終わって、あとは長かった教員生活に、静かに別れを告げるだけのはずだった。

 県教委から呼び出しの電話がかかってきた時点で、話の内容は察しがついた。卒業式で日の丸・君が代を、県教委が納得する形では実施できなかったからだ。しかし自分としては、教職員の反対を押し切るようにして半ば強引にやった。玄関に日の丸を掲げたのはこれまで通りだが、その場で君が代の歌詞入りテープを流したのは初めてだった。式場内での掲揚・斉唱という「完全実施」には程遠いが、精いっぱいの努力はしたつもりだとの思いは強い。

 だが、県教委は「何でそれしかできなかったんだ」と校長のやる気のなさを責めた。そして、このまま安穏と退職するのではなく、新しい校長に引き継ぐ際に、日の丸・君が代がちゃんとできるようにお膳立てをして、立ち往生しないような状況を作ってから辞めるように、と言い渡した。

 具体的には春休みの間に臨時職員会議を開き、後任の校長に「完全実施」を申し送りすることを、教職員に対して宣言するように求めてきたという。

 通常、卒業式と入学式の式次第については職員会議で何時間も議論し、教職員組合とも話し合いを重ねた末にセットで決めている学校が多い。やっとのことで決着した内容を白紙に戻して、もう一度提案するのは大変だ。しかも、自分はあと数日で定年退職を迎えて学校現場を去るというのに。

 「先生たちは部活の指導もあるし、家族サービスもしなくてはならない。春休みに臨時職員会議なんて無理です」。水上真司元校長(仮名)は思わずそう反論した。県教委側は「出席できないのなら年休届けを出させなさい」と言って開催にこだわった。「努力はしますけど、あまり期待しないでください」。結局、水上元校長は臨時職員会議を開かなかった。離任の際、教職員には「管理職になり切れなかった管理職です」とあいさつして学校を後にした。

 そもそも、呼びつけられた校長の多くは、県教委に対して強い不満と反発を抱いていた。

 「退職するからどうでもいいという態度なら、再就職先はあっせんしませんから」。管理部長が、校長会役員にそんな発言をしているという電話連絡が、退職予定の校長たちの間を駆け巡ったのは今年2月下旬のことだった。

 「馬鹿にしている」「ふざけるな」。日の丸・君が代を県教委の指導通り実施しない校長への「脅し」とも取れる発言だった。

 そこまで言われて県教委の世話になりたくなかったし、筋を曲げたと思われるのも嫌なので、定年後の再就職話をきっぱりと断った校長もいる。例年なら再就職しない校長は1人か2人なのに、今年は10人近くもいたという。

 ●実施率/強まった「指導」

 県教委の姿勢を含めて、今年は状況がまるで違っていたと校長たちは口をそろえる。背景には文部省の強い指導があった。

 昨年10月、文部省は日の丸・君が代の実施状況について、全国調査の結果をまとめた。これをもとに文部省は、実施率の低い都県の教育長や教育委員会幹部を呼び出し、指導徹底を強く求めた。

 神奈川県立高校の入学式・卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱の実施率は極端に低く、全国水準では三重、東京と並びワースト3に入る。君が代の斉唱率が1割未満なのはこの3都県だけだ。県教委の調べでは、昨年の入学式では掲揚が97.0%、斉唱は6.6%だった。

 文部省から強い指導を受けた神奈川県教委は今年に入って、県立学校長会議や校長会の総会で完全実施を要請した。このほか卒業式後には退職予定の校長を、さらに入学式後にも未実施校の校長を、それぞれ個別に呼んで繰り返し指導をしている。

 県教委の指導は厳しかった、とこぼす校長は多い。掲揚・斉唱の実施状況について事細かに説明させられ、反対する教職員の発言内容や職員会議での評決状況まで、根掘り葉掘り聞かれたという。一人当たりの時間は15分程度の場合もあれば、40〜50分くらいだった人もいるが、中には1時間以上も絞られた校長もいた。

 「日の丸は生徒に見えるところに掲げ、君が代は聞こえる時間に歌詞入りのものを流さなければ実施したとは認めない」と具体的方法を県教委は指示した。ある校長は県教委に呼ばれたその夜、近所のレコード店を回って君が代のテープを探し歩いた。3軒目でようやく見つけたので自費で購入したという。

 県教委の斎藤俊英・高校教育課長は「数字を見せられて、ワースト3ということをひしひしと感じさせられる雰囲気だった」と、文部省に呼ばれたことを振り返る。同じく県教委の白鳥稔・教育部長は「校長を個別に呼んだのは状況確認の意味もある。全国に比べたらまだまだ低い数字なので、きちんと指導してくださいとお願いした」と話す。

 「否定はしませんけど…」。退職校長の再就職に対する圧力を、5月末まで県教委の管理部長だった流石征治・県環境農政部長は認めた上で、校長への指導意図を説明する。「決まったことを決まった通りにやってくれと言っているだけです。今までとは違うんですよ、認識を改めてくださいよ、何とかなるとは思わないでほしい、と言った。本当に最善を尽くしたのかどうかを聞きたかった」

 今年四月の神奈川県立高校の入学式での実施率は、掲揚が99.4%、斉唱は27.1%に急上昇した。

 ●我慢/立場があるから

 「もっとゆっくり指導がくるかと思っていたけど、結構きつくきましたね」。現職の矢野明夫校長(仮名)は少し困ったような表情で話し始めた。

 「旗よりも、歌には心理的な抵抗感がある。明治時代から『君』は天皇を指しているでしょ。(昭和天皇が亡くなった)大喪の礼の時に、教職員組合の分会長をやっていたけど、県教委から半旗を揚げるように指示が出て、校長さんに止めようよと言いました。天皇と国旗・国歌が関係付けられるのは嫌な感じがしています」

 しかし、矢野校長は今年4月の入学式で初めて、君が代を校内放送で流した。昨年から今年にかけての状況を見ていて、やらざるを得ないと判断した結果だという。残念ながら現段階では、旗と歌はあれしかない。

 「管理職になる時には旗だけで済むかなと思っていたけど、予想よりも早くきてしまいましたね。歌については再検討されたらいいなと本当は思っているんですけどね。推薦を受けた時点で自分は一線を越えたのかもしれない」

 立場にあるから仕方なくやっているんだ、と考えている校長は決して少なくない。管理職であることを考えたら、個人的な考えとは別に動かなければならない。

 「管理職の立場に立つということは、教育委員会サイドに立つということです。『私』はなくなったようなものですね」。卒業式が終わった後に県教委に呼びつけられた水上元校長は、そう言って寂しそうな目をした。

 水上元校長は、日の丸にはそれほど抵抗はないが、君が代は「今の世の中には抵抗があるな」と個人的には思っている。国民学校一年生の時だった。冬の寒い日に教育勅語を起立して聞いていて、鼻をすすってこっぴどく怒られた記憶が今も鮮明に残っている。しかしだからと言って、職員会議の場でそんな話をするわけにはいかない。教職員には「メロディーだけやらせてほしい」と説得を試みたが、結局は卒業式で君が代を流すことはできなかった。

 「私も管理職になる話があった時に、校長になって日の丸・君が代をやらなければならなくなったら、どうしようと迷いました。自分の思いを曲げなければならないけど、でも、できるだけ最低限のところで足並みをそろえていけばいいのではないかと。それに学校は日の丸・君が代だけではないから。教員である以上、生徒に対する取り組みが一番ですからね。人によっては、学校経営の方が好きだという人もいますけど」

 管理職という立場にあるのだから、指導要領に従ってやるのは仕方がない。県の指示があれば個人の考えを出すわけにはいかない。それでも、どうしても君が代への割り切れない思いは残る。

 今年3月に定年退職した北村良治元校長(仮名)は、卒業式全体の雰囲気と曲のムードを考えて、君が代を抱き込むような形で前後にビバルディの「四季」から「春」を流した。「学校生活の思い出をスライド上映したら生徒たちはとても喜んでくれた。そこに君が代だけ唐突に流したらおかしいでしょう」

 日の丸と違って、反対している人の口を無理に開いて歌わせるわけにはいかないだろう、と北村元校長は思う。「先生たちの気持ちを考える校長や、良心的な校長は悩むことになるでしょうね」

 ●変節/割り切れたら楽

 ある高校教諭は昨秋、校長から管理職に推薦したいんだけどと言われたが、「自分はそんな器じゃありませんから」と断った。管理職になったら、日の丸・君が代を掲揚・斉唱させる立場になる。それは自分の信条に反する。「もちろん学校は日の丸・君が代だけではないし、校長としてやれることはたくさんあるだろうが、自分を捨てる立場にはなりたくない」と胸のうちを明かす。

 管理職に推薦したいと思っていた教諭にこんなふうに断られましたよ、と言って矢野校長は苦笑した。「旗や歌の話をしている校長さんを見ていると気の毒で、自分にはとてもできません。遠慮しときます。勘弁してください」。これまでに2人から辞退されたという。「同じ苦労をお前もやれよと説得したんだけど…」

 ところが一方で、ほとんど悩むこともなく、学校行事で日の丸・君が代を掲揚し斉唱している校長が大勢いる。かつては仲間と一緒に教職員組合で活躍していたはずの教員が管理職になって、むしろ日の丸・君が代に積極的になる場合もある。そんな姿に違和感を感じる組合員は少なくない。

 教職員組合で執行部役員を務めた江川春吉さん(仮名)は、昨年3月に定年退職した元校長だ。現場の強い反対があったので掲揚も斉唱もできなかったが、「絶対にやらないという立場は取りませんよ」と断言する。「管理職の立場と矛盾するでしょう。やらないのなら最初から管理職にはならないです。職務をやらないで批判しても説得力がないからね」

 岩佐晴夫さんは教職員組合の元執行委員長で、昨年3月に定年退職した元校長だが、日の丸を掲揚塔に揚げている。「掲揚率を上げないと県教委が議会でもたなくなるだろうと思った。なりふり構わない強制介入を呼び込まないため、組合組織を守るためにあえてやったんだ。式辞やあいさつの中で、背景については生徒に説明した」

 かつて組合で役員を務めたことのある鎌田三郎校長(仮名)は、日の丸掲揚も君が代斉唱もやっている。「雇用者が掲げなさいと言えば掲げるのは当然。雇われているんだから。個人のこだわりには踏み込みたくないが、職員としてやるべきことをやってもらえればいい。日本人だけが国の旗や歌を隠すのは恥ずかしいですよ」

 中にはこんな論理を披露する校長もいる。「日本の民主主義はそんなにヤワではない。ちょっと強い風が吹いてもなぎ倒されることはない。労組や市民運動の力が大きいから再び侵略戦争の旗になったりすることはないでしょう。職員会議でもそう話しています」

 ●信念/割り切れません

 県立高校に対する神奈川県教委の厳しい姿勢に、小・中学校の校長も落ち着かない様子だ。

 神奈川県内の小学校の草壁和希校長(仮名)は、学校行事で日の丸・君が代を一切やっていない。「市教委からの指導は、そりゃあ厳しいですよ。(広島の校長みたいに)私も殺す気なのかって言ってるんですけどね」

 原点は中学教師だった叔父さんにある。「日の丸・君が代の下にどれだけ多くの人が死んでいったか、いつも聞かされていました。そんな旗と歌を強制されることには反対する立場で私もずっとやってきた。『よき組合員であることは、よき教師である』という時代に育ち、それが子どもの幸せにつながると信じてきたんですね」

 管理職に誘われた時には迷ったが、当時の市教委幹部の柔軟な姿勢が草壁校長の胸を打った。「日の丸・君が代を校長の裁量に任せたんです。こういう人がいるならやっていけると感じました」

 ところが、リベラルな市教委幹部は今はいない。法制化されれば指導はさらに強化され、校長会は右へならえになるだろう。「その時に自分だけやらないと言えるだろうか。校長会や市の中では村八分になると思う。私も割り切って整然とやれたらいいんですがね。そうはいかないから…」。草壁校長の顔色は冴えない。

 そして再び県立高校。「現場の大変さを県教委は何も分かっちゃいない」。宮崎憲一校長(仮名)は怒りを隠さない。

 宮崎校長の学校はいわゆる課題集中校(底辺校)だ。たばこ、覚せい剤、シンナー、恐喝、ひったくり…。そんな事件が、毎日続出する。生徒指導はこの一学期だけで既に百件近くに上った。「先生方は飛び回って生徒指導してくれている。うちみたいに大変な学校の校長は日の丸・君が代なんて考えていられないですよ。現場の先生とうまくやらないとやっていけないんだから」

 現場教師との信頼関係があるからこそ、何とか学校が成り立っている。そこに、現場が反対している日の丸・君が代を持ち込むなんてとんでもない話だ、と宮崎校長は訴える。

 「県教委に呼び出されて、お前はダメな校長だと言われている間は黙って下を向いているだけ。ほんの1時間だけ我慢すれば、(役人には)364日は会わなくていいんだから。申し訳ありませんでしたと謝るだけですよ。個人的には、日の丸・君が代にそれほどの違和感はないが、364日は現場の先生と付き合っているわけですからね」

 今までは、ごまかしごまかし何とかやってこれた。現場の先生の方を向いていても平気だった。けれども、今度の卒業式は県教委の方を向かないといけないだろう。「そこまでして管理職にしがみついていても仕方がないからね。それなりの覚悟を考えている」と宮崎校長は思い詰めた様子だ。

 真剣に考える校長ほど追い詰められていく。

初出掲載(「週刊金曜日」1999年9月10日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります


●写真説明(ヨコ):だれもいない教室。生徒や教師は「日の丸・君が代」を拒めるのだろうか…

●写真説明(タテ):がらんとした廊下。個人的感情と管理職の立場との板ばさみ。苦悩する校長は孤独だ


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