「君が代」伴奏拒否訴訟

だれに向かって奉仕する?

「教員処分は合法」と東京地裁


【前文】「君が代」のピアノ伴奏を拒否して処分された小学校音楽教諭に対し、東京地裁は処分を合法とする判決を言い渡した。東京都内の公立学校では「日の丸・君が代」の強制が急ピッチで進んでいるが、偶然にも都教育委員会が国旗・国歌の通達(実施指針)を出して間もないタイミングの判決だった。教育公務員に思想・良心の自由はないのだろうか。

●「思想・良心の自由は制約される」●

 入学式で「君が代」のピアノ伴奏を拒否したことを理由に、戒告処分された東京都日野市の市立小学校の女性音楽教諭(五〇歳)が、都教育委員会に処分の取り消しを求めた訴訟で、東京地裁は二〇〇三年十二月三日、訴えを棄却する判決を言い渡した。

 山口幸雄裁判長は「全体の奉仕者である公務員の思想・良心の自由は、公共の福祉の見地から制約を受ける」として、「処分は憲法一九条に違反しない」と述べた。

 判決によると、女性教諭は一九九九年四月、入学式の「君が代」斉唱の際に校長からピアノ伴奏を命じられたが従わず、式場にはテープ伴奏が流された。都教委は同年六月、地方公務員法違反(職務命令違反、信用失墜行為)として教諭を戒告処分にした。

 教諭側は「斉唱や伴奏は強制すべきものではない。処分は思想・良心の自由を保障した憲法第一九条に違反している。『君が代』が日本の過去のアジア侵略で果たした役割など歴史的事実を教えず、思想・良心の自由を保障しないで歌わせるのは、子どもの人権侵害に加担することになるからできない」と主張したが、判決は「公務員であっても思想・良心の自由は尊重されなければならないが、伴奏を命じた職務命令は外部的行為を命じるものだから、内心領域における精神的活動まで否定するものではない」と述べ、教諭側の主張を退けた。

 さらに判決は「公務員は公共の利益のために勤務し、職務遂行に全力を挙げて専念する義務があり、思想・良心の自由は公共の福祉の見地から内在的制約を受ける。制約は受忍すべきもので、憲法第一九条に違反するとまでは言えない。校長が教諭に対してピアノ伴奏の職務命令を発したとしても、子どもや保護者の思想・良心の自由が侵害されるとまでは言えない」と判断した。

●上司に従うのが全体の奉仕者か●

 教諭側代理人の吉峯啓晴弁護士は「伴奏の職務命令は江戸時代の踏み絵と同じで、キリストを踏むように命じることは内心の自由と無関係ではあり得ないが、判決ではその論証が全くされていない。公共の福祉によって人権が制約されるという判断も、あまりに古い憲法論を持ち出してきている」と話す。

 「公務員の思想・良心の自由は制約されるとする判断は都教委側の主張を無批判に肯定するだけで、原告の主張に対して納得できる根拠が示されておらず、到底受け入れられるものではない。権力に追随するだけのあまりにひどい判決内容に、日本の司法の危機的状況を感じる」と怒りをあらわにした。

 東京地裁の審理過程や訴訟指揮そのものは公正だった。「教諭の同僚や保護者、最先端の憲法研究者など、原告側が申請した多くの証人を認めてくれて、聞く耳をまるで持たないといった法廷ではなかった。そういう意味では裁判所の真面目な姿勢を感じていたのだが、それだけに耳を疑う判決内容だった」と吉峯弁護士は言う。

 訴訟指揮が公正に見えても、判決が憲法や人権、市民感覚に照らし合わせて説得力を持つかどうかは、必ずしも合致しないというのはよくあることだ。今回の裁判もそうした事例の一つなのかもしれない。

 早稲田大学の西原博史教授(憲法)は「上から言われたことに無批判に従うことが、全体の奉仕者ということにはならない。もちろん公務員には職務遂行に専念する義務があって、一般論としては正しいと思うが、執行してはいけない命令もある。独立した判断は個人にゆだねられていて、命令を拒否しなければならない場合もある」と解説する。

 「教育がだれの方を向いて存在しているのかの問題です。文部科学省と教育委員会と校長が縦の服従関係になっていて、そこに先生と子どもがいるのだが、先生が上を向いて仕事をするのが全体の奉仕者と言えるのか。思想・良心の自由と外部的行為との関係性を認めて、裁判所が原告側の土俵に乗ったという点では評価できるが、憲法の答案としては四十点だ」と判決を厳しく批判した。

 一方、都教委人事部は「今回の判決については、当然の結果と考えている。今後とも服務事故に対し、毅然とした姿勢で対応していきたい」とのコメントを出した。

 「判決の影響が心配です」。原告の教諭は判決直後にそう話した。今後さらに教員の思想・良心の自由が制限され、それが子どもたちに影響しないかと危惧する声が、関係者の間に広がっている。都教委は早速、都立学校の校長に対し、今回の判決骨子を印刷して職員会議で説明するように指示したという。

 教諭側は地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。

●エスカレートする学校での強制●

 国旗・国歌法が一九九九年に制定されてから、学校現場に対する「日の丸・君が代」の強制はエスカレートしている。「国歌斉唱の際に起立して斉唱するのは教員の職務だ」とする方向に着実に歩みを進め、いくつもの学校で卒業式や入学式の際に職務命令が出されている。公立学校の教員には思想・良心の自由はないのだろうか、としか考えられないような事態になりつつあるのが現状だ。

 都教委は二〇〇三年十月二十三日、「入学式や卒業式等において教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」などと規定する通達(実施指針)を都立高校長らに示した。教職員が校長の職務命令に従わない場合は、処分する方針を明確にしている。

 「処分をちらつかせて、力づくで起立や斉唱や伴奏を強制して心の内面まで縛ろうとする。命令に逆らったら文書訓告では済まないでしょうから、おとなしく立って下を向いているしかありません」。そう言って現場の教員は首をすくめる。

 通達はすぐに、各校の創立記念行事から適用された。式典前に教職員一人一人に「会場の指定された席で国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること。着席の指示があるまで起立していること」などと書かれた校長名の職務命令書を交付。式場の体育館の舞台正面には「日の丸」と都旗が掲げられ、音楽専科教員が「君が代」をピアノ伴奏する中、教職員全員が伴奏終了まで起立した。

 都教委は式典に複数の指導主事を派遣した。八人も指導主事が来た学校もあった。

 「指導主事がこんなに大勢来て教職員を監視するなんてまともじゃない」。都立高校の教員の一人はそう言って絶句した。

初出掲載(法学セミナー増刊「Causa/カウサ」第11号=2004年1月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):「都教委側の主張を無批判に肯定するだけの判決だ」と記者会見で訴える原告弁護団=2003年12月3日、東京・霞ヶ関の司法記者クラブで


【続報】金曜アンテナ

「君が代」伴奏拒否訴訟

東京高裁が控訴棄却

学校現場への影響懸念

 入学式で「君が代」のピアノ伴奏を拒否した東京都日野市立小学校の女性音楽教諭が、都教育委員会に戒告処分取り消しを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁(宮崎公男裁判長)は七月七日、教諭に対する処分を適法とした昨年十二月の東京地裁判決を支持し、教諭の控訴を棄却する判決を言い渡した。教諭は上告する方針だ。

 教諭は一九九九年四月の入学式で、校長から「君が代」の伴奏を命じられたが従わず、式場にはテープ伴奏が流された。都教委は同年六月、地方公務員法違反(職務命令違反など)で教諭を戒告処分にした。

 教諭側は「処分は思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」と主張。東京地裁は昨年十二月、「全体の奉仕者である公務員の思想・良心の自由は制約を受ける。処分は憲法に違反しない」として訴えを棄却したため、教諭が控訴していた。

 控訴審で宮崎裁判長は口頭弁論を一回開いただけで審理を終結。教諭側は「一審判決の学校現場への影響は想像以上に大きい。判決後の現場の荒廃と混乱を裁判所はぜひ目の当たりにした上で判断してほしい」と抗議したが、宮崎裁判長は「陳述書など多数提出されている証拠は十分に検討した」と述べ、控訴棄却を言い渡した。控訴審判決は、一審の判決文をほとんどそのまま引用する内容だった。

 都教委は一審判決以降、都立学校の校長に判決骨子と解説を印刷した文書を配布するなどして、教育現場に「君が代のピアノ伴奏は教員の職務である」との指導を徹底させている。

 教諭側代理人の吉峯啓晴弁護士は、「人権が公共の福祉に制限されるという判決は、従来の最高裁の憲法判断から相当後退した。一切の証拠調べをしないで即日結審したのはきわめて遺憾。『職務命令は違法でない』という判決の結論だけが一人歩きし、都教委のファッショ的体制によって教員の正当な権利が踏みにじられることがないように願う」と述べた。

初出掲載(「週刊金曜日」2004年7月16日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


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