「偏向授業」と決め付けた都教委の「いじめ」

つくられる「指導力不足」教員

学校を混乱させているのはだれ?


【前文】「自分の頭で考えて判断できる人間に」──。そんな授業を実践してきた中学校の家庭科教員が、学校現場から排斥されようとしている。「偏向授業」と決め付けられ、事実をねじ曲げた情報が流されて、地域ぐるみで吊し上げられる光景は、まさに「いじめ」やファシズムそのものではないか。


●保護者会が糾弾会に●

 学校現場から排斥されようとしているのは、東京都多摩市立多摩中学校の家庭科教諭・根津公子さん(五一歳)。「授業について市民から苦情の申し立てがあった」などとして、今年四月に東京都多摩市教育委員会から事情聴取を受けていた。

 根津さんの授業を、多摩中学校の前島俊寛校長と市教委が「偏向教育」だと決め付け、授業監視などの介入をしたことは、本誌365号(六月一日号)で背景も含めて詳しく報じた通りだ(→記事「『偏向授業』と決め付け」)。あまりに不自然で意図的な校長や市教委の姿勢に対し、同僚教員や子どもたちの間から反発する動きが出た。

 しかし校長はその後、「根津先生は子どもを扇動している」「根津先生の授業は学習指導要領を逸脱している」などと生徒に伝えるとともに、PTA役員など一部の保護者と連携して根津さんへの非難を強めた。その結果、根津さんに反抗的な態度を見せる生徒も出てきた。今年九月、校長からの調書提出を受けて市教委は、根津さんを「指導力不足等教員」として東京都教育委員会に申請した。

 多摩中学校の体育館で六月二十二日の夜、全学年を対象にした緊急保護者会が開かれ、百人ほどの保護者が出席した。

 約二時間半の会議のうち、およそ三分の二の時間が、「根津先生は子どもたちを利用した」「子どもたちの心を傷つけた」という批判に費やされた。三月中旬に、市教委の指導主事らが根津さんの授業を見に来たのを疑問に思った生徒たちが、校長室へ質問に行ったことが問題になった。一方的な授業監視に対する純粋な憤りの気持ちから出た子どもたちの行動が、いつの間にか根津さんが「子どもたちを扇動した」ことにすり替えられたのだった。

 さらに、「慰安婦なんて生々しいものを授業で取り上げないでほしい。うちの子どもは出席させたくない」といった意見のほか、教職員組合のチラシを非難する声もあった。市教委による授業介入など、根津さんをめぐる一連の出来事に対して組合が説明チラシを配ったのだが、多摩中の恥を外にさらすことになるからやめてほしい、というのだった。

 根津さんを批判する保護者グループ十数人が、泣いたり絶叫したりしながら次々とマイクを握って話し続ける。中には「みんなが根津先生に反対しているわけではないんじゃないか。一方だけでなくいろんな意見を聞きたい」「どうしてこんな大騒ぎになってしまうんですか」といった発言もあったが、話がはぐらかされ、またすぐに根津さんを批判する発言が繰り返されたという。根津さんは事実誤認の部分について釈明したが、理解は得られなかった。

 出席していた保護者の一人は、この時の様子を振り返り、冷めた口調でこう話した。

 「進行がとても作為的でした。やらせと言うか、吊し上げや魔女裁判みたいな感じで、一人の教師を追放する方向に持っていこうとしていて不自然なんです。問題になっている学級崩壊を解決しようとせず、こんなことに情熱を傾ける。多くの親はあきれて見ていたように思いました」

 七月に入って三年生の保護者会が二回開かれた。根津さんは保護者への弁明を希望したが、出席はいずれも認められなかった。

●子ども市議会で質問●

 多摩市の市制施行三十周年を記念し、八月二十三日に「子ども市議会」が開かれた。市内在住の中学二年生十五人が「子ども議員」として質問し、市長や教育長らが答弁する。子どもたちに市政を身近に感じてもらおうと、多くの市で実施している行事の一つだ。

 この中で、多摩中学校の女子生徒からこんな質問があった。

 「私の通っている中学校のある教師が、国旗・国歌について、教師にあるまじき発言をしたことについて市はどういう対応をしたのですか。国の象徴を汚すような発言をする教師の授業は受けたくありません。市はどのように考えているのですか。入学式や卒業式の朝、校門の前で『日の丸・君が代はいらない』と書いたビラを配る大人たちがいました。やめさせてほしいと思います。市はこのような大人たちをどう思いますか」

 この日、質問のため登壇したのは市内に十校ある市立中から選ばれた十人と、私立中に通う生徒ら公募による五人。一人当たりの持ち時間は、答弁も合わせて十五分ずつ。ほかの生徒がごみ問題や図書館、ボランティア活動、部活動などについて質問する中で、この質問は異色だった。

 これに対し、石川武教育長(当時)は次のように答弁した。

 「現在までの途中経過ですが、校長をはじめ関係者が授業を参観し指導を行い、よりよい授業となるよう努力しています。学校では学習指導要領に基づき、入学式や卒業式などの学校行事において国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱することとなっています。学習指導要領を無視する態度は、教員としては許されない行為です」

 「学校の校門の前で学校批判のビラを配るということが、どれほど子どもたちの心を痛めることになるのか、そんなこともおもんぱかれない大人がいることは、きわめて残念です。これからもし、そのようなことがあったら、すぐに先生方に伝えてください。先生方は、すぐに駆けつけて行ってやめさせてくださるはずです」

 今年三月に開かれた多摩市議会予算委員会で、自民党と公明党の議員が「中学校の家庭科で不適切な教材を使う教員がいる」「自分の主義主張を押し付けて洗脳して困る」などと質問したのと同じように、実名こそ出さないものの、この質問と答弁が根津さんを批判しているのは明らかだった。

 もちろん、子どもの意見表明権は最大限尊重されなければならない。この生徒は「子ども市議会」の場で、自分なりの率直な思いを述べたのだろう。

 だが、国旗・国歌についての発言を「教師にあるまじき」と断定して、「ビラを配る行為をやめさせてほしい」と行政に求めるのは、憲法で明確に定められている思想・信条・表現の自由の観点から、かなり問題のある質問だと言わざるを得ない。

 そういう意味では、むしろ批判されるのは教育長の答弁だろう。憲法順守義務を課されている公務員として、思想・信条・表現の自由を尊重する立場から、教え諭す内容の答弁をすべきだった。

 議場で「子ども市議会」を傍聴していた市議会議員の一人は、教育長答弁を厳しく批判する。

 「疑問があるなら先生と十分に話し合ってください、というふうに教育長は子どもに答えるべきです。大人たちの配っているビラを一方的に批判するのもおかしい。世の中にはいろんな考え方があるということをフォローするのが本当の教育でしょう」

 多摩市教委の原田美知子指導室長は「子どもたちのいろいろな考えが『子ども市議会』では出たと思う。子どもたちの質問内容は学校ではチェックしていない。教育長答弁は、教員が襟を正さなければならないということを述べただけだ」と説明している。

 「子ども市議会」の様子は、地元ケーブルテレビ局が夏休み特集として一時間番組に編集し、九月初旬から一週間にわたって一日四回、合計二十八回放送した。同局には多摩ニュータウンを中心に約五万世帯が加入している。

●延々と続く授業監視●

 七月中旬から始まった市教委や都教委の指導主事らによる根津さんの授業参観は、二学期に入っても続けられ、すべてのクラスを見に来るようになった。

 前島校長は九月十四日付で、根津さんに授業改善の職務命令を出した。内容は、年間指導計画の書き直しを求めたのに提出していない、学習指導要領と授業の関係が明確でない、生徒に討論させたり新たな課題に気付かせたりしていない、生徒との応答を一問一答で終わらせている、授業開始時の生徒の把握が不十分、一部の生徒しか授業に参加せず私語したり眠ったりしても放置している、途中で教室から出て行く生徒に声かけをしない──など。

 九月下旬には前島校長から市教委に、根津さんの「指導力不足等教員」申請調書が上がり、市教委から都教委へ申請が出された。

 それまで根津さんに向けられていた批判が、授業内容から指導方法へとシフトしていった。「授業で慰安婦や同性愛の問題を扱うのは偏向している」「『日の丸・君が代』に反対するなんてけしからん」などとされていたのが、いつの間にか「指導力不足等教員」ということになっていた。

 校長が出した「授業改善命令」に対して、根津さんは「授業は指導要領の趣旨に則していて問題ないはずです。授業監視などの影響で動揺が見られる中、子どもたちは授業によく参加して発言も活発だったし、一人二人が私語をしていたが注意したらすぐに止めました」と反論している。

 都教委は根津さんに「弁明の機会」を設けた。根津さんは弁護士同席で弁明に臨んだが、市教委が都教委へ出した申請内容がなかなか明らかにされないことから、話がかみ合わない。根津さんは「手続きを進める前提として、指導力不足の理由を特定してほしい。何が審理の対象になっているのか明確にされなければ弁明できない」などと主張した。

 これに対し、都教委は「農薬などを扱った授業内容は学習指導要領とどう関係するのか、授業参観の学習指導案を出さなかったのはなぜか、生徒の授業ボイコットへの対応はどうだったのか」など四点を示した。だが、根津さん側は「争点が少しずつずれてきていている。本気で弁明に耳を傾けて判定材料として受け止める気があるのだろうか」と、都教委の姿勢に疑問を投げかける。

 さらに、公の場での弁明であるのに、指摘するまで都教委が記録を残そうとしないことも、不信感を募らせることになった。

 数回にわたる弁明を、隣に座って聞いていた根津さんの代理人の萱野一樹弁護士はこう話す。

 「校長がデマやうそを流し、ことさらに保護者や生徒を煽って不信感や反感をつくり出しているのが最大の問題点です。従軍慰安婦や男女共生社会を取り上げた授業が指導要領を逸脱しているなどと言って、根津さんへの不信感を意図的につくっている。教員が保護者や生徒とトラブルになったら、冷静な話し合いをするように調整役に入るのが校長の果たすべき職責でしょう。教員を教育現場から排除するのを前提に、自らバッシングを組織して旗振り役を演じるなんてとんでもない話です」

 多摩中学校の前島校長は「いろいろと影響があるので対応しません」と述べ、取材拒否した。

●明確でない判定基準●

 都教委は「指導力不足等教員」の定義を「要綱」で、「児童・生徒を適切に指導できないため、人事上の措置を要すると決定された者」としている。都教委人事部は「管理監督者である所属長が問題を整理して改善指導し、様子を見た市町村教委からの申請を受け、都教委の判定会の審議を経て決定する」と説明するが、どのような事例が「指導力不足等教員」に当たるのかという具体的な判定基準は全く定められていない。

 一方、文部科学省は、改正地方教育行政法の来年一月からの施行にあたり、今年八月に都道府県教委と指定都市教委に通知を出したが、この中で指導力不足教員について三項目を示している。専門的知識・技術等が不足しているため学習指導が適切にできない、指導方法が不適切である、児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導が適切にできない──の三点だ。

 根津さんのケースについて、都教委の新井清博・職員課長は「市教委から申請が出ているので、意見陳述の場を設けて本人の話を聞いたうえで、客観的事実に基づいて判定することになる。文部科学省の通知に当てはまるかどうかも見ていく」と話しているが、明確な基準がなければ恣意的な判断も可能になるだろう。

 「指導力不足」で学校を混乱させているのは、そもそもだれなのだろうか。

初出掲載(「週刊金曜日」2001年11月16日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):「根津教諭を学校現場から外す根拠を知りたい」と質問する市民に答える、都教委人事部の新井清博職員課長(右)=10月10日午前10時35分ごろ、都庁第2庁舎28階の都教委会議室で

●写真説明(ヨコ):都教委の呼び出しを受けて、「弁明」に臨む根津公子教諭(右)と代理人の弁護士。後方では、支援の市民と都教委職員の間で押し問答が続いた=10月22日午後3時、都庁第2庁舎28階の都教委会議室前で

●写真説明(ヨコ):教員仲間の有志が「根津さんは指導力不足ではない」と主催した集会。100人近い市民らが集まった=10月27日午後6時半ごろ、東京都渋谷区の勤労福祉会館で

◇写真説明(未使用):「指導力不足等教員」と判断された教員が研修を受ける東京都教職員研修センター=東京都目黒区目黒1丁目で

◇【編注=固有名詞の読み方】根津公子(ねづ・きみこ)/萱野一樹(かやの・かずき)


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