インタビュー/司法改革

ひき逃げ事故で息子を亡くして

被害者の立場に立った司法を

片山隼君の両親●片山徒有さん、章代さん


 【片山隼君事件】東京都世田谷区の片山隼(しゅん)君(当時8歳、小学校2年生)は1997年11月28日午前7時50分ごろ、自宅近くの信号機のある交差点で、ダンプカーにひかれて死亡した。警視庁成城署は運転手を業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)容疑で現行犯逮捕したが、東京地検は「隼君が青信号で横断したとの目撃証言がない」などとして嫌疑不十分で不起訴処分にした。

 このため、父親の徒有(ただあり)さん(43)と母親の章代さん(39)は98年5月、東京第二検察審査会に不起訴不服を申し立てるとともに、翌月には東京高検に不服申し立てをした。さらに両親は不起訴不当を訴えて署名活動を続け、事故と不起訴処分はマスコミでも大きく取り上げられた。

 東京高検の指示を受けた東京地検は、不起訴処分を取り消して再捜査を始め、新たに「青信号が点滅したので隼君は横断歩道を引き返そうとしてダンプカーにひかれた」との証言を得て、98年11月に運転手を業務上過失致死罪で起訴した。ひき逃げ容疑については改めて、嫌疑不十分で不起訴処分とした。一方、検察審査会は99年1月、ひき逃げ容疑について不起訴相当を議決した。99年2月に東京地裁で初公判が開かれ、現在も審理が続いている。


●裁判が見えてこない●

 刑事裁判にかかわってみて分かったのですが、裁判で被害者のいる場所は、野球で言えばネット裏みたいな感じがします。「ベンチ入りさせてくれ」とは言わないまでも、せめてグラウンドの中に常にいられる場所がほしい。今の司法制度では言葉の意味や解釈にとても細かくこだわるのですが、一般市民には分かりにくいです。

 裁判には毎回傍聴に行っていますが、検察官に後日、何回も説明してもらったり話し合いを重ねたりして、初めて裁判の内容が分かるんです。傍聴しているだけでは、証拠書類が手元にないから、ほとんど何も分かりません。証拠として示される写真や図面にしても、傍聴人には一切見えない。何について議論しているのかが分からないのです。事件の形や中身が見えてこないのです。

 弁護士を通じて入手した実況検分調書を見ながら質問したら、検事さんが「どこから手に入れたんですか」と驚いていました。被害者がそんなものを持っていること自体が、その検事さんには初めての経験だったのでしょう。そういう捜査記録の書類を見ながら、一つひとつ「これはどういうことなんですか」と質問していくことで、初めて私たちは事件の内容について分かっていくのです。すべてを頭に入れるのには時間がかかります。捜査記録をすべて見ることができれば、被害者として次から次に出てくる疑問点も解消できると思うのですが。

 例えば、事故を起こした車の写真はモノクロのコピーだと画像がつぶれてしまいますけど、カラーのデジタルコピーであれば、ほこりや血痕などが鮮明に見えて状況がはっきり分かります。実況検分調書の原本にはカラー写真が載っているのですが、私たちの持っているのはコピーだからモノクロなんです。そういう捜査記録は本来開示すべきではないでしょうか。

 被害者としてこだわっている問題というものもあります。構造的にダンプカーに死角があるのは分かっていますが、運転手はバックミラーの向きや視点を変えるなどして安全確認しながら運転しなければいけないと思います。「死角があるから気が付かなくても仕方がなかった」と言うのは無理がある。私たちからのそういった質問の積み重ねを通して、検事さんも被害者の立場や気持ちが少しは分かってきたようです。

 「被害者とともに泣く検察」と言われますよね。検察は被害者と一緒に歩んでほしいと思います。捜査段階から被害者とコミュニケーションを十分に取って、被害者が納得できるような形で進めてほしい。キャッチボールするための情報が被害者側にないと、検察側にボールが投げられません。供述調書などの捜査記録は山のようにあるのに、被害者に一切公開されないのはおかしいと思います。

●被害者の声を聞いて●

 不起訴の理由を説明してくれた東京地検交通部の副部長さんに、2時間ほど続いたやり取りの最後近くになって、私たちは息子が元気だった時の写真を10枚ほど並べて「こんな子がダンプカーにひかれて死んだんです。分かってもらえなくて悔しい」と訴えました。するとそれまで「物わかりの悪い親だな」という顔をしていた検事さんが、涙をポロポロこぼし始めたんです。話せば気持ちが分かってもらえるのかな…。捜査の流れが変わった瞬間ではないかと思います。

 その後で東京高検が、業務上過失致死とひき逃げの2つの罪で事故を調べ直すように指示しました。嫌疑不十分でひき逃げの方は不起訴になりましたが。

 裁判が始まった当初の担当検事さんと話をしている時に、「2時間も我慢して話を聞いてやっているんだ。(捜査報告書や調書などの訴訟書類は)刑事訴訟法47条で非公開と決まっているんだ」と怒鳴られたので、東京地検の公判部長さんに、担当検事を交代させてほしいと直談判しました。私たちは起訴前から、まず情報公開を求めていました。法務大臣も「ご両親の気持ちは痛いほどよく分かります」と涙まで流してくれたのです。だからこそ、検事さんのあの言葉はとても納得できませんでした。

●書類だけで進む裁判●

 検事さんはよく「裁判官に分かればいい、訴えたい部分は裁判官には伝わっている」などと言いますが、被害者にしてみれば、加害者の責任を問う裁判だから法廷の雰囲気はとても大事だと思うんですよ。被害者が精神的に安定して見ていられるような、被害者の気持ちを分かって仕事をしてくれているということが、伝わってくるような法廷であってほしいのです。

 法廷に出てくるのは公判部の検事さんで、被告を取り調べた検事さんとは違います。裁判を担当するということで初めて事件に関係する書類を読んで、書類だけで裁判を進めていきます。事件や私たち被害者の気持ちを理解してくれるころには裁判は終わってしまうのではないか…という不安もあります。

 書類と言えば、警察で作成された被害者調書についても違和感がありました。所轄の成城署で「容疑者の量刑についてどう思うか」と聞かれたのですが、一度も顔を見ていないし話もしたことのない人に対して、罪の形など想像もできません。「もしも謝罪の気持ちがないのだとしたら厳重な処罰を望みます」のようなことを迷いながら答えました。

 それが裁判の場でいきなり読み上げられたのです。でも、容疑者が何と供述しているのか教えてもくれないでいて、仮定の話を前提に仕方なく述べた調書が証拠として提出されたのにはとても違和感を感じました。

●検察官の意識改革を●

 担当の検事さんが時間をつくって、私たち両親に話をしてくれます。検事さんがみんなそのように被害者に接してくれたらうれしいですが、検事の人数は限られていて、一つの事件にずっとかかわるのは不可能です。妥協点を探りながら、痛ましい事故や犯罪の被害者みんなが和らぐ方法を見つけていってほしいと思います。

 国の法律によって罪を犯した疑いのある人を、国が裁くのは当然だと思いますが、被害者の立場も分かってほしいのです。

 大事なのは検察官の意識改革です。検察官の思い込みを、まず取り除いてもらいたい。不幸な事故を通じて、やっと「被害者の気持ちを教えてほしい」と言ってくれるところまできました。このことは、ほかの事件でも生かしてもらえると思っています。

 被害者の気持ちを法廷の場できちんと話せるように、いろいろな手続きを認める方向で進んでいるそうです。少なくとも今ある一定のルールの中で、検事と被害者のコミュニケーションをお願いしたいです。そのためには情報公開が必要なんです。被疑者もいるけれど被害者もいるということを、検事さんは心の片隅に留めておいてほしいと思います。

●不透明な検察審査会●

 隼の事故が不起訴になって「ほかに方法はない、これしか手段がない」ということで、2万人近くの署名を持って東京第二検察審査会に出向きました。窓口の人に「審査員に現場を見てほしい、資料を見てほしい」などと訴えたのですが、「手弁当になるから行けるかねえ。出すのは自由だから出してもいいけど…」と言われました。申し立て番号は24番でした。いつ審査が始まっていつ終わるのか、何を聞いても「非公開」の一点張りでした。

 しかも「申立人は本来は本人であるが、本人は死亡していないから、両親が申し立てすることを特別に認めたのだ」とも言われました。「不起訴をひっくり返すにはこれしか方法はない」と必死だったのに、いきなり窓口で叩きのめされたみたいでショックでした。裏切られたような気持ちになりました。刑事訴訟法では認められている被害者告発の概念が、検察審査会法では抜け落ちているのはおかしいと思います。

 その検察審査会からは「不起訴相当」とする議決書を受け取りました。検察が出してきた資料に基づいて議論をしたのでしょうが、何をもとにしてこういう結論を出したのかがまるで分からない内容でした。見るべき資料は見てくれたのでしょうか。私たちは、ダンプカー運転手経験者の「事故に気付かないわけがない」という上申書を提出しましたが、審査員がそうした資料を見てくれたかどうかは一切分かりません。

 いつの間にか審査が始まって、いつの間にか終わっていた。すごく不透明な部分があります。大阪の検察審査会では被害者を呼んで直接意見を聞いたという事例があります。検察と被害者の両方の意見を聞いて議論するなら分かりますが、東京の検察審査会はそうではありませんでした。強い不公平感を感じました。

●検察審査会は中立か●

 それに、裁判所の職員でもある審査会職員がリードするような今の運営では、検察審査会の中立は守られないと思います。さまざまな年齢や職業の審査員が11人もいると、だれかが仕切らなければ運営はできませんが、実は裁判所の職員が音頭を取っているのです。検察から資料を持ってきて、審査会と検察とのパイプ役を果たす形で議事を進めていくのです。本当に中立ならば裁判所の一部分という形ではなく、別枠で予算を取って独立した運営をするべきではないでしょうか。

 加害者は少なくとも3回の裁判を受ける権利があります。被害者には検察審査会と高検に訴えるしか方法がないのです。検察審査会は最後の手段であるのに、存在そのものがあまり知られていません。しかも審査会が「不起訴不当」の議決をしても、検察が必ず受け入れる義務はありません。

 事件に注目してもらうために、私たちは必死に署名を集めました。その結果これまでに23万人もの署名が集まりました。国会議員や法務大臣など、普通なら会ってくれるはずのない人が会って話を聞いてくれたのは世論やマスコミのおかげだなあと思っています。

 知れば知るほど法曹界は閉鎖的ですから、いきなりは変わらない。立法という形で、今ある仕組みをまず変えていかないと。大切なのは情報公開です。そしてきちんとした説明を当事者である被害者にしてほしい。私たちにも議論の場を与えてほしいのです。

初出掲載(「月刊司法改革」1999年11月号)


●写真説明(ヨコ):壁いっぱいに張られた隼君の写真の前で話をする両親の片山徒有さん、章代さん=東京都世田谷区の自宅で


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