インタビュー/司法改革

市民感覚を持つために…

裁判官は弁護士経験を

元福岡高裁判事・弁護士●山本茂さん


◆英軍から法の支配学ぶ◆

 ──法曹としての一歩は軍隊で踏み出されたのですね。

 山本 司法科試験は在学中に合格し、1943年10月に司法官試補になりました。修習生のようなものです。大学を繰り上げ卒業して1週間ほどで入隊を命じられ、満州で初年兵として人間の限界のような生活をしました。翌年春に陸軍法務訓練所で3カ月訓練を受け、方面軍の法務部見習い士官としてビルマ(ミャンマー)に行きました。敗走と撤退を重ねたところで終戦を迎え、軍法会議の裁判官と検察官を兼ねる陸軍法務少尉になりました。

 英軍の捕虜になって、そこで英軍との折衝係みたいな仕事をさせられたのですが、英軍の「法の支配」というか、法を尊重するやり方を見て非常に感銘を受けました。日本軍とはまるで違うわけです。

 英軍はできるだけ法理を守ろうと努力するんですね。食糧が少ないとかジュネーブ条約違反じゃないか、などと申し入れると誠意を尽くして応答する。見上げたものだと思いました。内部に対しても威圧的ではない。終戦から2年後の1947年8月に帰国しましたが、裁判官としては貴重な体験でしたね。司法修習は帰国してから受けました。

◆日本で最初の違憲判決◆

 ──帰国されてからはどんな事件を担当されたのですか。

 山本 福岡地裁の飯塚支部で判事補に任官したのですが、その時に私が左陪席で起案して、日本で最初の違憲判決を出しました。父親に対する傷害致死事件で、刑法205条2項の尊属傷害致死事件です。「被害者が尊属だから普通よりも刑を重くする」という規定は憲法違反だとして適用を排除したのです。そうしたら跳躍上告といって、高裁を飛び越して最高裁に上告され、最高裁で破棄されました。最高裁判事の2人は少数意見を出してくれましたが。

 かねがね疑問に思っていたのですが、殺される親の方が悪い場合が多いのに、尊属殺の場合は法律上は絶対に執行猶予を付けられないのです。後になって最高裁は、尊属殺人罪については違憲だと判例を変更するわけですが。でも理屈から考えると、尊属傷害致死も普通の傷害致死と同じなんです。

 ──免田事件は福岡高裁の裁判長の時ですね。再審への道が開かれました。

 山本 あの事件は「総合判断で証拠が十分でないから有罪にするわけにはいかない」という考え方ですね。白鳥事件で最高裁が再審への道を開いていたので、その線に沿って審理したわけです。たまたま死刑囚の再審無罪が確定して有名になりましたが、最高裁がそういう路線をつくってくれていたんです。

 ──死刑事件の判決を言い渡した経験はありますか。

 山本 裁判官を辞める間際になって続けて2件、死刑判決の言い渡しをしました。それまで死刑事件を担当したことはなかったのです。死刑判決は大変ですよ。通常判決が膨大になるので、言い渡しは圧縮した要旨を作成することもあるわけですが、それとは別に新聞記者や一般の人がわかるようにもう一つ要旨を作る。その場合は3通り書かなければならないんです。

 「判決をもう少し簡単にわかりやすくできないのか」と言われますが、なかなかそうもいかないんですよね。心魂を傾けて書いているわけだけど、こっちも精神的な圧力を受けるしね。死刑判決の後で「四国の霊場巡りでもせにゃいかん」なんて話したら、それが新聞で大きく書かれたことがありました。死刑事件のプレッシャーは特に大きいですよ。

◆人手不足で判事は大変◆

 ──裁判官はあまりにも忙しくて余裕がないと言われていますが。

 山本 判事補の時に鹿児島に転勤して、5年目でいきなり単独事件が200〜300件も係属している係を担当させられました。それまでは刑事事件がほとんどで、民事事件の経験があまりないのに、冷や汗を流す思いがしましたよ。

 東京地裁に3カ月間の填補に行った時は1カ月ごとに部を替えられました。民事の集中審理を一人でやっている判事がいて、その代行もさせられました。証拠調べをしたらすぐに判決が出る。判決を書く機械みたいに言われましたが、今では集中審理方式が普通に取り入れられるようになりました。だらだら審理をしたら大福帳みたいに記録が分厚くなってしまうけど、集中審理をすれば記録が薄くて審理期間も短くて済みます。弁護士としてはきついかもしれませんが。

 福岡高裁民事1部では係属事件だけで800件も持っていたこともあります。そこに新しい事件が毎日30件近くやってくる。主任1人が400件くらいを担当して、ほかに抗告事件もあるわけで、とても人間技では考えられない重労働でした。呉服屋さんみたいに大量の記録を抱えて、裁判所と自宅の間を毎日運ぶんです。宅調と言って、一日中ずっと自宅で記録を読んだり判決を書いたりしてから、翌日に裁判所で審理をするというやり方をしていましたが大変でしたね。

 今とはちょっと事情が違うとは思うのですが、とにかく人手がものすごく足らないんですね。特に大都市の民事担当なんて極限まで働かなければならなかった。判事補でもずいぶん働いた。人手が足らないんだから仕方がない。事件は山積している。自分に余裕がなかったけど、若さと元気に任せてとにかく働いて切り抜けようとしました。

◆判事補制度を見直そう◆

 ──若い裁判官が、他人の人生を左右するような判決を出しています。

 山本 ビルマで英軍に交渉に行った時に、軍法会議の裁判官だと言うと、相手からいぶかしげに「トゥーヤング(あまりにも若すぎる)」と言われましたよ。そんな若い裁判官がいるはずがないというのです。

 人生経験が浅くて人を裁く立場に立っているのがいいことなのかどうかというのは、根本的な問題ですね。それと憲法が「裁判官は独立して職権を行う」と書いているのは重いですよね。司法試験を通って2年、現在は1年半の修習をして、すぐに判事補になって裁判官をやるという現状を、憲法が想定していたのかというと極めて疑問ですよね。戦後、法曹が非常に少なくてどうにもならなかった時代はやむを得なかったことかもしれないけれども、ここまでくればそこのところを考えなければと思いますよ。司法改革にとって大事なことです。

◆裁判官は弁護士経験を◆

 ──どのような人が裁判官になるのが理想なのでしょうか。

 山本 弁護士の経験を10〜20年も積んで、弁護士会でも「立派な人だから、ぜひ裁判官になってほしい」と言われるような人で、一般国民にも認められるような人が裁判官になるのが理想だけど、現実にはなかなかそういうわけにはいかないでしょう。

 裁判官を辞めて弁護士をやってみて、裁判官になるにはやっぱり弁護士の経験が大事だなという気がします。ある程度の弁護士経験を積ませたうえで裁判官に採用するという制度が、望ましいんじゃないかなと思います。若い時から裁判官ばかりをずっとやっていると、庶民感覚がどうしてもつかみにくい面があります。一種の特殊な社会にいるという感じがするんですね。

 弁護士をしていると思いもしないような事件にぶつかります。被告人や被疑者は、弁護士にもなかなか本当のことは言ってくれません。依頼者が弁護士を信頼して何でも話してくれるというのはとても難しいことです。しかも裁判所に持ってくる時には、民事にしても刑事にしてもそれなりに料理されてくるわけで、きれいな料理ばかり食べている裁判官には、本当のところの理解が十分できない。弁護士をある程度やっているとわかるんじゃないでしょうか。

◆弁護士会の責任は重大◆

 ──判事補制度の改革を含めて、具体的にはどのような制度が考えられますか。

 山本 司法制度改革審議会は判事補制度をどうするかについて、はっきりと言及していません。私としては判事補制度はやめて、弁護士経験者を入れて、長い経験を積んだ人が裁判官になるのが正しい方向だろうと思っています。

 最高裁が判事補制度にこだわって、判事補は10年間は裁判をしないとか、裁判官の補佐官というような形でやるというのならそれは一つの考え方でしょう。そうなったら一定期間を弁護士会に出向させるのかもしれないけど、それで本当のところがわかるかどうかは疑問ですね。お客様扱いされるかもしれない。だったら実際に弁護士の経験を積んだ方がいいと思います。弁護士を3年やって裁判所の調査官みたいなものをやれば、裁判官の訴訟指揮や判決起案技術も習得できます。

 判事補は裁判官ではないと位置付けるのなら、その分の補充が必要ですが、弁護士会がすぐ補充できるかという問題はあります。

 弁護士を10年から15年やってから裁判官になっても、なかなかすぐには一人前の仕事はできないでしょう。やってきたことが違うのだから。キャリア裁判官にしても、民事ばかりやってきた裁判官が刑事に移るとか、その逆の場合も大変で、しばらくは戸惑うのが当然なんです。相当有能な弁護士でも、すぐにキャリア裁判官と同じような仕事をするのは難しい。弁護士から裁判官になった人を、少なくとも当分の間はきちんと補佐する機関が必要でしょう。

 弁護士から裁判官になる人が少ないというのは当然ですよ。基盤整備ができていないんだから。でもそんなことを言っていたら、いつまでたっても実現しません。キャリア裁判官の空気に弁護士がなじまないということもあるはずだから、補佐する機構のようなものを作れば、弁護士から裁判官の成り手が少ないというのも解消されるでしょう。

 ──裁判官人事の透明性が重要なポイントになってくるのでしょうか。

 山本 現在の制度では、判事補は10年経ったら原則的に判事になっていますが、一律に10年というのはおかしいという問題もあります。研修や経験を積んで、できるだけいい判事にしようと、最高裁は合理的で適切な方法を検討しなければなりません。でもそうしたら、今度はだれを落としてだれを落とさないのかというのが、大問題になります。かつて再任を拒否された宮本判事補がそうです。なぜ不適任なのかがわからない。客観性や透明性の問題は難しいところですね。

 弁護士から裁判官に採用するにしても、弁護士会の助力がなければできないでしょう。最高裁だけで仕事をやれる時代はもう過ぎたのでは。裁判官が欠員になったら弁護士会が責任を持たなければならない。弁護士会の責任は重大です。

◆検察を信用する裁判所◆

 ──裁判官は自白調書を全面的に信用してしまう、という批判がありますが。

 山本 警察の代用監獄に長い間入れられて責め立てられると、ちょっとおかしくなりますね。それで自白したら、後から違うと言ってもなかなか訂正できないということは相当あります。どういう状況で自白したか、裁判官はなかなか理解できないんですね。

 何かやっとるに違いない、何か言わないと帰さないぞと警察は言うのですね。そういう見込み捜査もある。人権というものに、もっと裁判所は目を光らせなければならないですよね。弁護士を長くやっていれば、経験からそのあたりの事情はわかるでしょう。

 警察や検察庁を、裁判所は信用しがちなんです。身柄拘束されてしかも長い時間かかって自白したような事件は、相当注意しなければいけません。できれば自白だけでなく、客観的な証拠で事実認定をすることが大事なんですが、どうしてもまず「自白」ということになりやすい。

 キャリア裁判官は「うその自白をするわけがない、やってないのに自白するのはおかしい」と頭から思ってしまいやすい。やりもしないことを自白しないだろうと、私も考えがちでした。しかし、弁護士を経験してからは「自分がもし被疑者の立場になって拘束されたとしたら」と考えるようになりました。仮にやっていなくても、果たして最後まで頑強に否認できるかというと疑問ですね。

 ──人事異動や上司の目を気にして、裁判官自身が自己規制しているという批判も聞こえてきます。

 山本 そうだとしたら情けないなあ。卑屈な裁判官では国民が困ります。なおさらキャリア裁判官のシステムを変えなければならないと思います。戦前の軍隊ならいざしらず、言いたいことを自由に言って、それで不利益になるというのならば大問題です。

 先の尊属傷害致死の判決にしても、最高裁では大激論になって結局破棄されましたが、今では当時の最高裁の多数意見の方がおかしいと学者はみんな言っています。後世の批判に耐えられるかどうかの問題でしょう。

 ──行政訴訟や企業が相手の公害訴訟では住民側がなかなか勝てない、不利だという不満の声もよく聞きます。

 山本 大きな事件では住民側が立証するのは大変だろうと思いますよ。相手は強いですからね。それに、国の代理人を務めた人間が裁判所に戻ってきて類似の行政訴訟を担当するというのは、やはり誤解を招きますね。国といえども裁判を受ける立場に立ったら一当事者になるわけですからね。

◆陪審の課題は「判決理由」◆

 ──陪審制度の導入についてはどのように考えますか?

 山本 民事事件にまで一挙に広げるのは、国民の負担も考えなければならないからどうかと思いますが、当面は刑事の重大事件で、被告人が否認していて陪審を希望している場合は導入していいと思います。国民の司法参加になるし、集中審理もできるので結論が早く出るでしょう。

 ただ、今度の司法改革は憲法の範囲で考えなければならないと思います。憲法を逸脱したら難しい。評決の効力が裁判官を拘束するとしたら、憲法の「裁判官は独立して職権を行う」という規定との関係がどうなるのかという問題があるでしょう。全員一致などの米国式の陪審制度を、そのまま導入するのもどうかと思います。

 それに、裁判である以上は「判決理由」がとても大事でしょう。「理由」を書くことによって判断の客観性や正当性を検証しなければならない。裁判官の中には何通りもの理由を書く人もいます。こういう理由でこの裁判をしたんだということを国民に告知しなければならないのです。国民に代わって裁判をしているのだから、こういう理由で結論を出しましたと説明する義務があります。裁判に理由を付さないのが許されるのかというのは、裁判の本質論になりますが。理由のない裁判が近代裁判と言えるかどうか。

 現在停止中の陪審法では、陪審の答申を採択して判決する場合には、証拠理由に関する判断を示す必要はないとされています。そうした規定には疑問を持たざるを得ません。

 一般の人は簡単に考えているかもしれませんが、「理由を書く」のは難しいですよ。理由を論理的にきちんと書くのは非常に難しい。裁判官が非常に苦労するところです。仮に何百人で決めたとしても、国民の一握りに過ぎないわけで、理由なくして裁判をしても客観性は保たれない。人民裁判みたいなものになってしまうと言われかねないでしょう。


【山本茂さんプロフィール】 やまもとしげる。1919年、福岡県生まれ。九州帝国大学卒。松山家裁所長、鹿児島地・家裁所長、福岡地裁所長、福岡高裁判事などを歴任。定年退官後の1985年に弁護士登録。2000年6月に福岡で開かれた司法制度改革審議会の第2回地方公聴会で、公述人として弁護士経験者の裁判官任官の必要性などを訴えた。

初出掲載(「月刊司法改革」2001年4月号)


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