インタビュー/司法改革

民主主義と市民参加を考える

社会科授業に「12人の怒れる男」

兵庫県立尼崎西高校教諭●梅原俊夫さん


◆社会科の授業は面白い◆

 ──社会科の授業にビデオを取り入れたのはいつからですか?

 梅原 もう20年以上も前から授業の中で映画を使っています。管理社会の閉塞状況の中では「人格の死」というものが大量に発生しているのではないか、との観点から、そこのところを生徒たちに直観として感じてもらいたかったので、チャプリンの「モダンタイムス」を見せたりしました。そのほかにも、核戦争・原水爆の恐ろしさだとか、環境破壊の深刻さを訴えるようなビデオをいくつも授業で見せています。

 高校の社会科はちょっと面白いんだぞと思わせるように、ただ単に暗記するだけではなくて、生徒の問題意識を深めるための授業をしようという気持ちがあったんです。

 「12人の怒れる男」は10年以上前から現代社会の授業で使っていますね。ここ最近は年度当初に見せています。

 ──なぜ「12人の怒れる男」を、現代社会の授業で使おうと思ったのですか。

 梅原 論理的にいろいろなことを考えられる面白いドラマでしょう。真実を知るためには緻密に観察して、さまざまな角度から考えることが必要になってくる。一つの場面だけで論理的に追及していって結論が出るというのは、今の文化とは全く逆ですよね。フィーリングとか直感とか、そういうもので判断するイメージ重視の発想とは全く逆のところが面白いと思います。

 この作品を見ていると、自分自身がどれだけ主人公のような姿勢が貫けるかなあとも思いますしね。生徒たちに「これからこういう姿勢で社会科の授業をするよ」なんて説明するのにも、いろいろと話を膨らませやすい映画なんですよね。

◆民主主義って何だろう◆

 ──映画「12人の怒れる男」を通して生徒たちに伝えたいのはどんな点ですか。

 梅原 「民主主義って何だろう」ということです。高校生に理解してもらいたい民主主義のポイントは、政治は偉い政治家に任せるのではなくて、普通の市民がみんなで知恵を出し合って参加していくことの大切さです。自分たちが主権者として政治のありように責任を持っていく姿勢。それをぜひとも分かってほしいと考えています。

 そして、何といっても勇気を持って発言していくことの重要性です。「ここで発言しなければあかん」と思いながら黙っていることが、不正を許すことになりますからね。

 ナイフの刺さった角度について議論する場面は重要だと思います。スラムに育った陪審員がいなければ、いくら優秀な裁判官であってもナイフのけんかなんかしたことがないだろうから、気付かない疑問点でしょう。ナイフのけんかを見たことがある人でなければ分からない視点だろう、というような話を生徒にします。

 話し合いの大切さだとか、多数決が民主的な方法であるためには、少数意見の尊重が必要だということを話しながら、生徒たちの経験なども織り混ぜて話していきます。

 陪審員の1人にナイターのチケットを持っているおっちゃんがいるんですが、例えばホームルームが長引いたりしたら、そのおっちゃんみたいに「早く終わらせて帰ろうや」なんて言い出して、この人と同じような態度を取る生徒が何人もいるんですよね。「君らにはそんな経験はないか。時間をかけて話し合わなければならんことはあるだろう」などという話もします。

◆普通の市民こそ主人公◆

 ──授業は、どのような感じで進めていくのですか。

 梅原 まず、ビデオを見せる前に1時間ほどかけて、戦後史と絡めながら僕自身の自己紹介をするんですよ。僕が生まれたのは広島で、育ったのは煙突がいっぱいあって煙がもくもくという大阪市の西淀川区で、などという話から始めます。小学校の時は公害病患者で喘息だったから、「発作が起きるかもしれない」と言われて修学旅行にも連れて行ってもらえなかったことを話します。当時は公害が深刻な状況で、煙が繁栄の象徴だったけれど、そうでない時代へと変わってきたというようなことや、ベトナム戦争とか南北問題まで、話はあっちこっちに飛んでいきます。普通の自己紹介ではありません。

 その次の時間から「12人の怒れる男」のビデオ上映になります。長いので前後編に分けて、2時間かけてじっくり見せます。その後でこれから1年間の授業の導入の話につなげていきます。「自分を大切にして、批判的精神を身に着けることが何よりも大切だ」と。教師の話を疑ってかかれ、それだけでなくて教科書も疑えということを言います。批判的精神からいろんなものが生まれてくるんじゃないかということなんですね。戦後の教育は教科書に墨を塗ることから始まったといえると思います。

 で、あの「12人の怒れる男」のビデオの中で、監督が言いたかったことは何だったのだろうと考えてもらいます。生徒たちに発言をさせながら、主演のヘンリーフォンダがたった1人でほかの陪審員を説得していくことから、勇気を持って発言することの大切さや、自信を持って発言していこうという話を始めるわけです。

 普通の市民が政治の主人公であって、自由と平等が最大限に尊重される社会や、リンカーンが演説した「人民の人民による人民のための政治」が民主主義なのだという基本的なことや、言葉の定義を押さえてもらいます。そのうえで、民主主義の実現のためには何が大切だと思うか、各自の意見を文章に書かせます。

 偏見の話も大きなウエートを占めますね。在日韓国・朝鮮人や部落差別の問題も大きな課題だと思っていますし、授業でもそれぞれ1時間以上かけて話をするので、その導入の意味もあります。映画の中ではスラムの人たちへの偏見だったわけですけれども、自分たちの中にそういう偏見を持っていないかどうかについて話をします。

◆発言すれば社会は変化◆

 ──この授業をはじめとして、梅原先生の狙いはどんな点にあるのですか。

 梅原 異議を申し立てて発言していくことの積み重ねの中で、社会が変わるんだということ、主権者にふさわしい自分たちでなければならないということを自覚してもらうことを、大事な狙いにしています。教科書もそんな姿勢で書かれていると思いますからね。

 「12人の怒れる男」は教科書には載っていませんが、民主主義ということを理解しようということですから、もちろん教科書に沿って憲法の話や、民族問題、国際関係、戦後補償、平和主義なども学んでいきます。憲法についてはその後もずっと関連する項目がありますから、1年間のうちの半分から3分の2は憲法に関する話になると思います。

 ──視聴覚教材は「12人の怒れる男」のほかにも活用しているのですか。

 梅原 ほかにも、民主主義の大切さを再確認するために「ホロコースト」というビデオを見せています。NHKで放送されたドキュメンタリー番組なんですが、ファシズムの恐ろしさを実感してもらうのが目的です。

 目を覆いたくなるような映像ですけど、ファシズムの特徴を押さえさせた上で、そうした特徴を産み出さないことが大切なんだということを知ってもらいます。ファシズムに対抗するような人として、非暴力主義のキング牧師やガンジーらを紹介したテレビ番組のビデオを見せたりもします。

 ──授業の中で特に工夫していることはありますか。

 梅原 生徒自身に「勇気を持って発言することの大切さ」を実践してもらうために、ビデオのあらすじや感想や意見を一度ノートに書かせてから、それをみんなの前で発表してもらうんですよ。前もってそれぞれ自分のノートに、自分自身で発表できるかどうか、僕が代読するなら全員の前で読み上げても構わないか、それとも全く読み上げられたくないかを記入させておきます。人前で発言するということに対する生徒たちの抵抗感は、年々強くなっていますね。無理やりやらせるとすごく嫌がります。

 だけど、「普通の人がものを言っていくことから世の中はまともになっていくんや」という発想は、生徒にずっと持ち続けてほしいなと思っているし、授業でもそのことを言い続けているわけですから。頭で理解できても行動に移すことは難しいですからね。

◆民主主義実現のコスト◆

 ──司法制度や法について授業で教えることについてはどう考えていますか。

 梅原 裁判制度や陪審制そのものを中心に僕は授業をしているわけではないですが、これからは、もう少しそのへんについて話をする時間を増やそうかなあと思っています。教科書の中でも陪審や冤罪などについて、少しずつウエートが大きくなっているような気がします。副読本の資料集の中には冤罪事件の項目も載っています。全部の教科書を網羅的に調べたわけではないですが。陪審制はともかく、参審制なんていう言葉は10年くらい前にはほとんど見ることがなかったですが、今の流れの中で新聞記事にもよく出てきていますからね。

 ──陪審制についてはどのように考えていますか。

 梅原 アメリカのO.J.シンプソンの裁判について、新聞に興味深い記事が載っていました。それによると、「たぶんシンプソンが犯人だとは思うけれども、民主主義のコストとして、仮に評決が間違いであってもみんながワイワイと話し合いをしてその結果として判断を間違えた方が、偉い人が一方的に決めるよりはずっといいだろう、そういう発想がアメリカ人の中にはある。ところが、日本にはそういう発想がない」。そんなふうに書いてあったんですよ。

 僕なんかは正直言って迷いますね。生徒が11人いて僕が1人いたら、何とでも言いくるめることができる気がしますから。口のうまい人が1人いたら、なかなかそれにストップをかけるのは難しい。それがいい方向であればいいけれども。そういう意味では心配ではありますね。裁判官もいろいろあるけど、そこのところをどう判断するかは慎重に考えたいと思います。

 ただ、どんな結論が出るか見えてしまっているような、結局は権力寄りの結論が出るだろうと想像できる今の裁判よりは、陪審制の方がどんな結論が出るだろうかと期待させるだけ面白いという気はしますよね。

◆自由に発言できる社会◆

 ──社会的背景や文化の違いは大きいかもしれないですね。

 梅原 違う意見を言う人を人格的に否定するのではなくて、意見が違うけれどもお互いに人格は認め合うという文化というか風土というのは、まだ日本には十分に育っていないですよね。だから、自分は違う意見であっても、それを言ったら論争の相手から憎まれてしまうという雰囲気があることで、言いたいことがはっきりと言えない側面がある。

 自由に意見が言える文化や風土をつくっていくことも大事で、そのために学校の教師も少しは力を発揮していかなければと思うんですけど、なかなかしんどいですね。

 ──教科書から抜け出して、民主主義の在り方や司法制度について授業展開している先生はまだ少ないですか。

 梅原 教科書に出てくる文言の理解が中心という授業を通す人が多いでしょうね。そこから離れて授業をするのはかなり不安があるかもしれません。僕は政治経済が専門で、ある程度は自信があるから、半分は教科書から離れた授業をしていますが、例えば僕が世界史の授業をする時には自分の専門ではないから、教科書から離れて独自に授業をやるのはかなり勇気が必要になります。社会科というのは科目ごとに専門がありますからね。

 政治経済や倫理の教師は、最近はあまり採用されていません。受験勉強にあんまり関係がないから、進学校には要らないといいますか…。やはり日本史や世界史が受験科目の中心になりますからね。「現代社会」というのは基本的にだれでもが教えるという科目なんです。全体的に社会科の教師が減っている中で、政経が専門の教師が減ってきているんですね。


【梅原俊夫さんプロフィール】 うめはらとしお。1952年、広島県生まれ。兵庫県立尼崎西高校教諭。

【メモ・12人の怒れる男】 「父親をナイフで刺殺した」として18歳の少年が死刑に問われる。彼を裁くために集められた12人の陪審員をめぐる法廷劇。たった1人の陪審員(ヘンリー・フォンダ)が「無罪」を主張し続けて、最終的に少年は無罪の評決を得る。シドニー・ルメット監督。1957年、アメリカ。モノクロ作品。

初出掲載(「月刊司法改革」2000年12月号)


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