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第1回地方公聴会

陪審制導入など訴える

大阪で山田悦子さんら6人

 政府の司法制度改革審議会の第1回地方公聴会が3月18日、大阪市の大阪弁護士会館で開かれた。これからの司法に対して市民が求めているものは何なのか、利用しやすい司法制度を実現するために広く意見を聴くのが目的だ。市民が裁判に参加する陪審制・参審制の是非や、市民の立場に立った裁判はどうあるべきかなどといった課題について、問題提起があった。約100人の応募者の中から選ばれた公述人6人が、それぞれの体験や立場から意見発表した。

●市民参加と陪審・参審制●

 「開かれた裁判を求める市民フォーラム」の事務局員で、模擬陪審裁判や裁判ウォッチングなどの活動をしている主婦の大東美智子さん(53歳)は「一般市民でも十分に陪審員として裁判に参加できるし、評議や事実認定には法律の知識は関係ないことが、模擬陪審裁判や『陰の陪審裁判』を続けてきた経験からよく分かった。裁判記録を読むだけで判決文を書く裁判官よりも、(一般市民である)陪審員の目で裁判を見ていろいろな角度から意見を出し合った方が、より真実が見えてくると思う。裁判の審理に市民が参加していないのは先進国では日本だけだ。司法に参加するのは国民の権利だという教育がなされていないのは残念だ」と述べ、陪審制の導入を強く訴えた。

 甲山(かぶとやま)事件で殺人罪に問われて25年ぶりに無罪確定した主婦の山田悦子さん(48歳)は「21年間の被告人としての体験から、陪審制と法曹一元は、今の司法になくてはならない課題だと認識している。法の精神は何であるかを理解する市民の思想に支えられたからこそ、無罪判決が獲得できた。市民に一番近く接する機会を持っている弁護士が裁判官になって、私たちと同じものの考え方や見方で判決を出してほしいと思う。司法の中には私たちの主権の行使がなされていない。疲弊して冤罪を作り出して止まない司法の現状を、緑豊かな大地のような司法にしていくための最初のクワ入れが陪審制の実現だと思う」と切々と訴えた。

 これ対して、民事調停委員の水田宏男さん(68歳)は「弁護士にアクセスしやすい体制整備、少額訴訟制度の充実、民事調停制度の拡充を図るべきだと考える。司法を国民に身近なものにすることに異存はないが、陪審制には賛成しかねる。真実の発見が後退し、ラフ・ジャスティスの懸念が払拭(ふっしょく)できない以上、信頼性が高い裁判官の判断に任せるのが基本だ。一方で裁判官は世間を知らないとも言われているので、一定の範囲内で民間の判断を反映させる形での参審制が望ましい。第一段階として簡易裁判所から参審制を導入して、段階的に上級裁判所に進めていくべきだ」と強調した。

●社会的弱者と民事裁判●

 全大阪消費者団体連絡会・事務局長の坂本允子さん(64歳)は「高度経済成長期に、消費者は大企業や国を相手に長い時間をかけて裁判を闘い、和解という決着を付けざるをえなかった。食品や生活用品の安全基準が規制緩和の名の下に緩められつつあることを懸念しているが、司法改革も効率性重視やシステム上の改革であってはならない。行政や立法との対等・中立性の確立、憲法に立脚したチェック機能など、国民に付託された役割に立ち返ってほしい。社会的弱者の権利や利益が守られる法的基盤の整備、制度の充実強化が大切だ」と述べた。

 自宅に隣接する工場から出る粉じんや騒音などに苦しんでいるという公務員の高津秀夫さん(35歳)は「工場などと4年間もかけて話し合いを続けているにもかかわらず、解決の糸口が見つからない。公害裁判は弁護団体制を取ることになるので費用がかかるし、弱者である被害者側が加害者側の非を証明しなければないのは大変だ。生活権は奪われて命まで蝕まれる。明らかに加害者側が悪いのに審理に時間がかかって、結審した時には原告の大半が生存していない事例も少なくない。公害で悩む人が泣き寝入りしなくて済むように、被害者にとって安くて迅速な公害裁判制度を確立してほしい」と訴えた。

●司法試験とロースクール●

 大阪大学大学院の法学研究科生の丸山敦裕さん(28歳)は「法曹養成制度は限界にきている」と主張した。「法曹志望者の学生の多くは学習の本拠を司法試験予備校に置いている。ダブルスクールを余儀なくされて、大学の講義よりも司法試験予備校に熱心に出席しているのが現実だ。学生や保護者の生活を圧迫する現在の司法試験は『資本試験』となっている。豊かな人間性や法律知識に限られない学問的素養を身につけるべきなのに、試験に合格するために機械的暗記を繰り返しているが、これでは血の通わない判断を生み出す恐れがある。法曹志望者が十分な基礎的教養を修得するためには法科大学院(ロースクール)が望まれる」と話した。

 一通り公述人が意見を述べた後、審議会委員から公述人に対して質問が出された。中でも陪審制については活発に意見が交換され、「陪審制は本当に日本人には合わないのだろうか」「外国では陪審員に選ばれた人や家族が脅迫されるケースがあるが、日本で実施するなら関係者を守るシステムも考える必要があるのではないか」などの指摘があった。また一方で「ためらうよりも、まず敷居を越えて行くことも必要ではないか」という声も出された。

 この日の地方公聴会に出席した審議会委員は、佐藤幸治(会長)、石井宏治、高木剛、中坊公平、藤田耕三、水原敏博の6氏。会場には法曹関係者や市民、学生ら約200人が傍聴者として詰めかけて、熱心に意見発表に耳を傾けた。同審議会の地方公聴会はこの後、6月に福岡、7月には札幌と東京でそれぞれ開かれる予定だ。

●市民主催の「公聴会」も●

 続いて午後からは同じ会場で、市民グループ「当番弁護士制度を支援する会・大阪」と「司法改革大阪各界懇談会」の主催で、「市民が創る司法改革公聴会」が開かれた。市民の視点から審議会をチェックし、司法改革について論議するのが目的だ。

 司法制度改革審議会の経緯説明、午前中に行われた公聴会の内容についての概要報告や分析があったほか、参加者から司法改革への期待や提言などが相次いだ。


◇地方公聴会での山田悦子さんの発言(要旨)◇

「最初のクワ入れが陪審制」

 昨年まで21年間、甲山(かぶとやま)事件の被告人だった。その体験から陪審制と法曹一元は、今の司法にはなくてはならない課題だと認識した。

 中学校の時に「青年の主張」を見て、知恵遅れの施設の保母さんの主張にとても感動して、私は甲山学園に就職した。2年目の春に事件が発生して、無罪が確定されるまで実に25年間の歳月を費やした。その中で法の精神とか正義というものを学んだ。日本の司法によって2度も逮捕されたが、法の精神がいかなるものであるかを学んだ。

 1審の無罪判決の時に完全無罪判決を聞いて、感覚的に「ああ、法の精神ってこのようなものなんだ」と魂が打ち震えた。

 甲山事件というのは、知恵遅れの園児証言をどのように判断するかによって、無罪か有罪か分かれる事件だ。検察官は目撃証言を証拠として作り上げて再逮捕した。園児といっても10代から20歳近い。その証言を正当化するために「知恵遅れの子どもに作話能力はない」と言った。「見た」ということを支える周辺の証言はとても矛盾して錯綜している。それらをカバーするために「知恵遅れの子はうそはつけない」という論陣を張った。

 それに対して弁護団は、検察官が抱くような偏見で「知恵遅れの子だからうそを言う」という論陣は張らなかった。それはどちらも私たちの社会が持っている知恵遅れの人たちに対する偏見だ。その2つの偏見を凌駕(りょうが)したところで論陣を張った。私たち健常者も知恵遅れの人たちも、ともに人格を持った一人の人間として証言の矛盾性を弾劾してほしいということを、裁判所に訴えた。それが裁判官の胸に届いて完全無罪判決が出た。

 甲山事件の無罪判決というのは、市民の思想に支えられている。弁護士も知恵遅れの人たちの実態を知らない。弁護士は手弁当で市民と対話し、偏見で無罪を獲得してはならないということが徹底して話し合われた。

 3度の無罪判決が出た。検察官の主張を木っ端微塵にしたとても素晴らしい判決だった。その判決を引き出す論陣を張ったのが弁護士で、それを支えたのが市民の思想だ。無罪判決は裁判官一人では出せなかった。私たちが無罪を獲得するにあたって、法の精神の思想をいかに市民が持っているかということを学んだ。

 弁護士は市民に一番近く接する機会を持っている。そういう弁護士が裁判官になって、私たちと同じものの考え方や見方をすることで、法廷をとても生き生きとさせることができると思う。

 2審の差し戻し判決を出した裁判官は、廷吏を通じて尋ねてきた。「甲山事件というのはどのうような人たちが支援して傍聴に来ているのか?」。どのような意味か分からなかったが、答えは判決の中にあった。「犯人を弁護士と支援する人たちが寄ってたかって隠している」という、とても偏見に満ちた判決内容だった。裁判官の閉鎖的な、市民の支援する側に対する偏見がとても強いことを感じた。

 弁護団の中に元裁判官がいたが、裁判官時代はとにかく裁判官は世俗のあかにまみれないように、裁判所を出てだれにも会わないで自宅にまっすぐに帰る、それが真っ白な心で法廷に臨むことだと思っていたそうだ。裁判官を辞めてそういうことから解放されて周りを見渡すと、南海電車にはとてもべっぴんさんが乗っていたことが分かって、それからはとても人と話したくなったという。

 「裁判官は本当に狭い世界で生きていて、市民の心が分からなくなっているんだ」と話していた。そのくせ、自分が出した判決がどのようにマスコミに評価されているのか、とても気になるのだという。裁判官は赤堤灯に行っては下品だという雰囲気がある。視野が狭くさせられている。

 裁判が確定して、甲山事件の裁判をどう思うかというインタビューにBBCの東京支局長が答えて、一言「クレージー」と言った。先進国から見ると日本の裁判制度はクレージーと見られてしまっているわけだ。国際化が言われているのに、司法が疲弊している国は世界から決して信頼は得られない。

 司法・立法・行政の中で、司法に主権の行使はなされていない。戦後民主主義の教育で育ち、主権在民、主権の行使を学んだ。私たち素人は法律には無知だが、正義が何であるか、法の精神が何であるかということは感覚として分かる。

 冤罪を作り出して止まない司法、荒れた司法に、緑豊かな大地のような司法にしていくための最初のクワ入れが陪審制だと思う。陪審制の実現に向けて、委員の皆さん方に力を注いでいただけたら大変うれしい。

 人間の尊厳を獲得する時に、私たちは崇高な理念を掲げるが、実践が伴わなければならない。理念と実践がないところでは正義は存在しない。

 刑事裁判の鉄則であるはずの「疑わしきは罰せず」が実際の裁判では機能していない。冤罪で無実を訴えている被告人の声を聞くのではなくて「あんたが犯人でなければ、じゃあだれが犯人なんだ、それを弁護士が提示しろ」というのが現在の裁判官の意識だ。

 法の精神を私たちが享受することには異議がないと思うが、そのために何をしなければならないのかというのが差し迫った課題だ。第一歩のクワ入れが必要。正義は痛みを伴わないと実現しない。基本的人権を陪審制で実践して何が悪いのだろうか、私たちの司法ではないか。


【写真説明】 市民が求めている司法とは…。公述人からは体験に基づいた具体的な意見や提言が述べられた=3月18日午前、大阪市北区の大阪弁護士会館で

初出掲載(「月刊司法改革」2000年5月号)


●誌面の都合で雑誌掲載時にカットされた部分を復活させました。


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