司法改革●クローズアップ裁判

カオル裁判(ポロシャツ憲法九条訴訟)

憲法尊重がなぜ違法?

福岡地裁判決に驚きの声

 6年前、憲法第九条の条文が書かれたポロシャツを着たことを理由に、文書訓告を受けた北九州市立養護学校の教諭が、市などを相手に損害賠償請求訴訟を起こした。そして昨年7月。福岡地裁は「憲法九条を尊重し擁護するのは、特定の政治勢力の主張を表明することになる」という内容の判決を出した。公務員の憲法擁護を否定した判決文と裁判官の司法感覚に、教育関係者や憲法学者から驚きの声が上がった。

●主文は「勝訴」だったが●

 北九州市の市立養護学校教諭の牟田口カオルさんは1994年10月、市内の小学校で開かれた研究発表会で、日本国憲法第九条の条文が書かれたポロシャツを着て登壇しようとしたのを、校長らにとがめられた。登壇を制止された際に牟田口さんは軽いけがをし、同年12月には「反戦を主張するポロシャツを着たまま発表しようとし、校長の命令に従わなかった」との理由で、市教委から文書訓告を受けた。これに対して牟田口さんは、市などに損害賠償請求した。

 牟田口さんが研究発表会の日に着ていたポロシャツは薄いグレーで、左胸に「戦争を永久に放棄する、日本国憲法第九条」という文字が、縦4.5センチ×横7.5センチの大きさで書かれていた。背中の襟の下には猫のイラスト。それとともに「せんそうはいやだニャー」という言葉が、縦4センチ×横6.5センチの大きさで書かれていた。どちらの文字も、近くに寄って注意して見なければ分からないほど小さい。

 福岡地裁小倉支部(池谷泉裁判長)は2000年7月、牟田口さんにけがをさせたのは行き過ぎだとして、北九州市の責任を認めて55万円の支払いを命じる判決を言い渡した。このような事件の裁判の慰謝料としては、破格の高額だと言える。教諭側の勝訴だった。判決を伝える新聞の見出しにも「勝訴」の文字が踊った。

 しかしすぐに、勝訴だと手放しで喜んでばかりはいられないことが分かった。主文に続く判決理由に、要約するとこんなことが書かれていたからだ。

 「憲法九条を尊重し擁護するのは、特定の政治勢力の主張を表明することであるから、教育公務員としての政治的中立性に反する不適当な行為である」──。

●特定の政治的主張って?●

 判決理由を読んで、牟田口さんは「政治的色彩って何なんだろう。憲法についてこんなひどいことを書いているのか」と怒りがわいてきた。先に判決文を読んでいた弁護士が、むっとした表情をしていたわけがよく分かった。

 主任弁護人の山本晴太弁護士は、「政治的色彩を帯びた行為だから処罰できる」とした一文に疑問を唱える。「政治的色彩」などという言葉を使った判決文は、これまでに読んだことがないと言う。

 「表現の自由は一番大事な人権だ。最低限の制約は許されるが、制約の境目があいまいではいけない。委縮効果が生まれて自由な表現ができなくなるから、厳格でなければならない。今回の判決は、憲法論の基礎を踏まえていない乱暴でずさんな結論で、こんなことで処分されるのなら何も表現できなくなる」

 山本弁護士は「結論が先にありきだ」として、判決理由を起案した左陪席の裁判官を厳しく批判する。「特定の政治勢力」とどう結び付いているのか、「政治的主張」が記載された服を着て研究発表しているなどとだれが認識するというのか。事実を曲げて、あり得ないような強引な解釈をして乱暴な結論を導いていることに、呆れ果ててしまったと言う。

 一方、牟田口さんは「障害児教育についての考えを発表したかっただけなんです」と話し、市教委の対応に疑問を訴える。研究発表会は儀式的なものなので、文部省の推進する「分離教育」に批判的な発言をさせたくなかったのだろう。発表内容そのものに文句は言えないから、服装のことに対してクレームをつけたのではないかと推測している。

 「授業の時に教室でも着ているポロシャツなんです。意識して着たと批判する人がいますが、そんなことはありません。まさか『政治的主張だ』なんて言われるとは思ってもみなかったので、びくりしました。ピースマークと同じようなものです。憲法九条の言葉や猫のイラストが好きなので、それで自分の気に入ったデザインの服を着る感覚で着ただけで、アピールだなんてこじつけの言いがかりです」

●尊重は公務員の義務です●

 憲法の条文はポロシャツの胸に小さく書かれていて、注意しなければ分からない。スライドやOHP(オーバーヘッドプロジェクター)などの装置を使うために会場は薄暗く、登壇した発言者のポロシャツの文字が最前列の席に座っていた人から見えるかどうかは疑問が残る。

 そもそも公務員には、日本国憲法を尊重して守っていく義務があるはずだ。判決が憲法順守を認めないのが、牟田口さんにはどうしても納得できない。

 「平和な民主主義の社会をつくるということが、教育現場で働く根底にあります。それは教育基本法にも書かれている。『改正されないように』というよりも、憲法を踏まえ、憲法の理念を実現させるように考えながら仕事をしているんです」

 早稲田大学の西原博史教授(憲法)は、地裁判決の論理展開に頭を抱える。「憲法は日本社会を組織するための規範で、日本が国として成り立つための根本的な決まりごとです。争いはあるものの、国民の中で承認されているものと思いたかったのですが」

 そして、司法の「ダブルスタンダード」に問題があると述べて、次のように指摘した。

 「『政治的メッセージ』の線をどこで引くかが問題です。しかし『政治的メッセージ』なのに『政治的』とされていないものがある。例えばそれが国旗・国歌なんですね。公務員の政治的中立性と言いますが、実は中立性の問題ではなくて、政権政党の主張に反するかどうかが判断の根拠になっている。市民集会で発言したり新聞に投書したりして、最高裁から注意された寺西和史判事補がその典型的な例でしょう」

 市の責任を認めた主文を評価して、牟田口さんは控訴しない方針だった。しかし市側が控訴したため、牟田口さん側は「一審の認定は間違っている」として全面的に争うことにした。舞台は福岡高裁に移った。

 それにしても、裁判所が憲法尊重を否定するというのは、あまりにも違和感が大き過ぎる。裁判官の姿勢と憲法感覚を、根底から疑いたくなるような判決だとしか言いようがない。山本弁護士はうんざりした表情で言った。

 「こういう裁判官はいくらでもいますよ。5年、10年と裁判官をやっていると憲法を忘れてしまう人は多い。既に司法修習中に忘れてしまっているかもしれませんね」

初出掲載(「月刊司法改革」2001年3月号)


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