司法改革●クローズアップ裁判

東京・目黒から八王子へ不当配転

子育てしながら働けない

提訴から12年、不利益認められず敗訴

 配転命令を拒否したために解雇された女性が、大手音響機器メーカーの「ケンウッド」(本社・東京都渋谷区)を相手取り、社員としての地位確認などを求めていた訴訟の上告審判決が1月28日、最高裁の第3小法廷であった。女性は共働きをしながら子育てをしており、自宅から片道約1時間40分かかる事業所へ異動すると、保育園への送迎に支障が生じるなどと主張していた。金谷利広裁判長は「今回の異動命令には業務上の必要性があり、不当な動機や目的でなされたものとは言えない。原告が受ける不利益は必ずしも小さくはないが、我慢の限度を著しく超えるとまでは言えない」との判断を示し、2審の東京高裁判決を支持して女性の上告を棄却した。

●子育てできない異動●

 訴えていたのは、東京都品川区の柳原和子さん(47歳)。柳原さんは中学校を卒業後、地方工場に製造現場労働者として勤務し、希望して途中から一般職へ移った。

 1988年1月、東京都目黒区青葉台の事務所から八王子市石川町の事業所への異動を内示された。技術開発本部企画室の庶務から現場で製造ライン検査をする仕事へと、職種変更の伴う配転命令だった。当時は共働きをしながら3歳の長男の子育てをしており、品川区の自宅から目黒区の事務所までの通勤時間は約50分で、港区南麻布にある夫の勤務先までは約40分かかる。夫は外資系の通信機器関係の会社に勤めていることから残業や出張が多く、1年間の出張は延べ19回で87日間(そのうち海外出張が59日間)にもなる。曜日によって夫婦それぞれが保育園への送迎を分担するほか、パート勤務の保母に自宅保育などを依頼していた。

 柳原さんは「自宅から片道約1時間40分かかる八王子の事業所へ異動すると、保育ができなくなるし家庭が破壊される」と主張して異動を拒否。長期間出勤しなかったため、同年9月に懲戒解雇された。

●12年目の最高裁判決●

 柳原さんによると、長男を妊娠した際に「母親は子育てをするべきだ」などと上司に何度も言われて退職を促された。また前年の夏、同僚が送別会の2次会で上司の悪口をぶちまけるというハプニングがあったが、上司の怒りは幹事役だった柳原さんに向けらて嫌がらせが繰り返されていたという。

 裁判ではそういった社内事情については一切考慮されず、1審、2審ともに柳原さん側の言い分は受け入れられなかった。そして提訴から12年目にして出された最高裁判決も上告棄却。「不利益は必ずしも小さくはないが、我慢の限度を著しく超えるとまでは言えない」として、会社の言い分を全面的に認める内容だった。

 配転命令が出された後、柳原さんは上司から「ヘリコプターを買ってでも通勤しろ」とまで言われたという。

 「裁判官っていうのは、大岡越前や遠山の金さんのような人だというイメージがありました。悪いものは悪いと言ってくれるものだとばかり思っていたのですが…」。柳原さんの抱いていた裁判官像はすっかり崩れ去ってしまった。「子育てができないような異動をする会社の言い分を平気で受け入れてしまうとは驚きです。もっと市民感覚を持った裁判官であってほしいです」

 しかも裁判にかかった年月があまりにも長過ぎる。1審に5年8カ月、2審が2年余、最高裁は4年の審理期間を費やした。「これだけの時間をかけてこんな判決。でも会社に対してあれほど嫌な思いをしたというのに、残念だけど人間って怒りの気持ちをだんだん忘れてしまうものなんですね」と柳原さんは寂しそうな表情を見せた。

●裁判官に感覚のずれ●

 柳原さんの代理人を務めた杉井静子弁護士は、最高裁判決の「非常識さ」には怒りを隠さない。

 「都内の異動だからいいじゃないかと、企業側の主張を全面的に認めてしまっていますが、とんでもないですよ。私たちは品川から八王子まで通勤に2時間かかると立証したつもりだったのですが、机上の空論で裁判所は1時間40分だと出してきた。人間の行動はそんな機械的にはいきません。仮に1時間40分としても往復で3時間を超える通勤時間はまともではないというのが常識でしょう」。感覚がずれていると言うのだ。

 「子育てをして働く女性がこんなに長時間の通勤をするなんておかしいですよ。朝起きてごみを出して朝食を作って子どもに食事をさせて、出勤準備をして保育園に連れて行ってから会社に出かける。帰宅してからは子どもを寝かせて、連絡簿を見て書いて洗濯をする。人は通勤や仕事だけで生きているわけではない。それだけなら長距離通勤も大変ではないかもしれないが。裁判官は自分自身が共働きで子育てをした経験がないし、身近なところでも見ていないだろうから、大変だということが分からないのでしょう」。裁判官自身が3年ごとに頻繁に転勤させられ、全国各地を将棋の駒のように動かされている。だから異動は「仕方ないんじゃないか」という意識があるのではないか。杉井弁護士はそんな見方もしている。

 さらに、幼い子どものいる女性社員に対して会社が遠距離異動を命じる背景には「退職を迫る意図があるはずだ」と指摘する。年齢が高くなれば給料水準は上がるし、子育てをしながら働く女性に対しては産休や育児時間などの保証もしなければならなくなる。会社としては非効率的だと考えるのだろう。「しかし、本当は経験のある人が長く仕事を続けたほうが会社にとっても財産になっているはずなんですけどね」

 口頭弁論も開かず書面審理だけで上告を棄却した最高裁に、杉井弁護士は「4年もかけて何をしていたのか、これで市民の司法と言えるのか」と疑問をぶつけた。

●補足意見は付いたが●

 最高裁判決は全員一致だったが、補足意見が付けられた。弁護士出身の元原利文裁判官は「高学歴とは言えない女性労働者については、特段の事情のない限り、広域での異動をしないことが雇用契約では黙示的に合意されている」として、「男女の雇用機会の均等が図られつつあるとは言え、とりわけ未就学児童を持つ高学歴とは言えない女性労働者の現実に置かれている立場にはなお十分配慮を要する。この判決によって、予期しなかった広域の異動が許されるものではない」と付け加えて、家庭生活を無視した形での遠距離異動にくぎを刺した。

 ただし、今回のケースは「転居せざるを得ない異動とは言えない」との判断を示した上で、「転居しないで妻が長距離通勤する、家族全員で転居して夫が長距離通勤する、妻と長男だけが転居して夫と別居する…などの選択肢が家族にはあったが、妻が転居しても夫の通勤時間の延長は比較的短く抑えられるし、転居先での保育園の確保もさほど困難ではない」と述べて、こうした事情を考えると「不利益は小さくないものの、我慢の限度を著しく超えるとまでは言えない」とした。

初出掲載(「月刊司法改革」2000年6月号)


●誌面の都合で雑誌掲載時にカットされた部分を復活させました。


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