検証・甲山事件報道

思い込みで作られた「犯人視」

警察と一体化する報道の罪


【前文】無罪判決が言い渡されたにもかかわらず、新聞社の編集局の中には「有罪に決まってる」「あれはやっているよ」と平然と繰り返す部長やデスクがいる。容疑者を犯人と決め付ける思い込みが、多くの冤罪や報道被害を生み出してきたというのに…。推定無罪を無視した「犯人視」報道や、捜査当局と一体化してしまう取材方法の在り方は変わったのだろうか。

●警察官と同じ視線に●

 甲山事件でマスコミは、頭から山田悦子さんが犯人だと決め付けるばかりか、交友関係やプライバシーまで詳細に書き立て、さらに逮捕の際には遺族に「やっぱり」と言わせるなど、予断と偏見にあふれる報道が展開された。

 在阪のある新聞記者(39歳)は十年ほど前、実際に甲山事件の裁判資料を読んでみて、検察側の出した物証や証言などの矛盾やおかしさがとてもよくわかったと言う。山田さんの完全無罪が確信できた。事実を客観視して自分で確かめたからだ。でもそれまでは、自分も「人権と報道」の視点はまるでなかったと振り返る。

 「いかに警察に食い込んで、警察官と親しくなってネタを取るかに奔走する記者でした。犯人を警察よりも先に見つけるという習性を植え付けられていたんです。そうやって警察官と同じ視線に慣らされていくんですよ」

 この記者は入社して間もない地方支局時代に、交通事故取材に関連して警察に参考人として呼ばれたことがある。朝から晩まで同じことを何回も何回も聞かれるうちに、だんだん面倒になって取り調べ官に迎合していく自分がいた。「これじゃあ、やってない人間でも自供するのは当たり前やな」と感じたという。

 そんな体験があっても、甲山事件について最初のうちは「裁判所は無罪だと言っているけど本当かな」と思っていたという。

 警察が逮捕したから「あいつは犯人や」となぜ思ってしまうのだろう。自分で調べたわけでもないのに伝聞でそう思い込む。思考停止をしてしまうのだろうか。

 テレビ局員の男性(49歳)は、山田悦子さんの再逮捕時は兵庫県警記者クラブに所属していた。

 「正直言って山田さんが犯人なのかそうでないのか、よくわからなかった。でもそれは他社みたいな警察取材から逃げていたからなんです」。取材体制に余裕がない上に熱心な警察担当者でもなかったから、捜査員の自宅へ夜討ち朝駆けをしたことがない。

 記者クラブでは「彼女が犯人でなかったら、ほかにだれがおんねん」という見方が圧倒的だった。犯人は山田さんしかいないとする根拠を、この放送記者は他社のベテランの新聞記者から何回も聞かされた。「よく取材しているなあ」と思った。だが、そうした話はどれも「捜査員による話」であり「捜査員の見方」だった。

 事件進展の節目ごとに山田さんの姿をカメラに収め、園児の周辺を取材して弁護団の動きをマークする…。それが会社から与えられたテレビマンとしての仕事だった。もしも山田さんが犯人でなかったらどうすればいいのだろう。「よくわからない」というだけでは続けられない。悩みながら、しかし結局は辞めないまま仕事を続けた。

 山田さんが起訴されてから、個人的に手紙を出して会ってもらった。それがきっかけで、人権と報道について考えるようになったと言う。「当時の自分は鵜飼の鵜と一緒だったんです」

●報道加害者の視点で●

 地元放送局のサンテレビジョン報道部記者の大同章成さん(42歳)は今年九月、「事件報道の被害」をテーマにして甲山報道の検証番組を作った。

 当時のニュース原稿のほか、山田さんや園児の顔写真、連行映像などかつて放送した自社制作番組を紹介するとともに、松本サリン事件で犯人扱いされた河野義行さんのインタビューも交えて「警察とマスコミと世論が冤罪を生み出した」と厳しく断じた。番組は約九分間。山田さんの三回目の無罪判決前日に、夕方と最終版のニュースの中で放送された。

 大同さんは甲山事件の取材経験はない。でも、カメラを向けるという点では自分も常に加害者としてかかわっている。そんな加害者としての視点でメディアの責任を考えたいと思ったと話す。

 番組では、山田さんの映像は一切出さなかった。昔の映像は加工して流した。名前も「元保母」で通した。山田さんが、名前も顔も公開されることに反対しているからだ。同僚ディレクターらと話していて自然に決まった。

 テレビ局としての原則は実名報道だが、山田さんの場合は本人が嫌がっている。「警察が逮捕したのだから犯人だろう」といまだに偏見を持っている人がいるのに、わざわざ映像を流して加担することはない。そう考えた。

 同局では判決速報の生放送を除いて、昨年の二回目の無罪判決から名前も顔の映像も一貫して出していない。

 ある全国紙の大阪本社社会部記者は、大事件になると現場記者の意思だけではどうにもならないと話す。「振り返ればおかしいと反省もするけれど、警察捜査に依存する取材システムが変わらないと同じでしょう。容疑者呼称を付けたりして表現の面では多少変わってきているけどそれは小手先だけで、当局が犯人だと見たらその通りに書いてしまう」

 他社との競争があれば、書かざるを得ないプレッシャーもある。「個人的には書きすぎだと思っても、他紙に比べて(記事量が)少ないとデスクに言われたら、無理してでもと思いますしね」

●批判的に見られない●

 三十歳代の元全国紙記者は、新聞社での取材に疲れて会社を辞めた。デスクや先輩記者は、甲山事件についてよく知りもしないのに「あれはやっているよ」と口をそろえるような人たちだった。

 「警察や検察にべったりでシンパシーを感じていたら、先入観を持ってしまうのも当然ですよね。発表をそのまま書く立場で仕事をしているんだから。中立の立場で取材していたらおかしいって思うんだろうけど」

 そう話すこの元新聞記者も、日ごろの事件取材では「犯人探しに一役買いたい、自分で犯人を見つけて警察に伝えたい」という気持ちがあった。警察の捜査に待ったをかけるなんて考えもしなかったという。そもそも記者に対して、警察に客観的で批判的な目を持てというのは土台無理な話だと、元新聞記者は主張する。

 「心情的にも近付かないと情報は取れないんですよ。ネタを取ろうと思ったらそこまでいってしまうんです。ぎりぎり食い込んでいく付き合い方を日々していると、相手に対して冷ややかな目を持つことはできませんでした」

 残念ながら事件報道や取材姿勢は、本質的には何も変わっていないのかもしれない。


 ◇報道各社コメント◇ 甲山事件報道について、在阪マスコミ各社の考え方と対応は次の通り。事件を当時担当した記者への取材は、いずれも拒否された。

 朝日新聞大阪本社社会部・広報室 朝日新聞は、人権に配慮した報道を心がけてきました。今後もその姿勢を貫きたいと考えています。なお、当時の記者への取材はお断りします。

 毎日新聞大阪本社・深井麗雄社会部長 毎日新聞では、第2次控訴審判決後の10月5日付朝刊メディア面に掲載した「検証・甲山事件報道」で詳細に論じ、編集局次長のコメントも付けて紙面化しているところです。従って、弊社の考え方については、同記事を参照いただきたく思います。

 読売新聞大阪本社広報宣伝部 読売新聞では、1982年に「報道と人権」についての考え方をまとめ「書かれる立場 書く立場」として、95年には社会状況の変化を受けて全面改定し「新・書かれる立場 書く立場」としてそれぞれ刊行し、報道の基本姿勢や記述の原則を明らかにしています。こうした現在の基準からみると、捜査当局や裁判の動きを伝えた初期の報道は、表現や見出しに一部人権への配慮に欠けた面があったことは否めないと考えます。無罪確定を機に社内で改めて論議し、今後の事件報道の教訓にしていきます。紙面は読売新聞として作成したものであり、個々の記者に対する取材協力は差し控えます。

 産経新聞大阪本社社会部 回答は控えさせていただきます。

 共同通信社総務局法務室 回答なしということでご理解いただきたい。


初出掲載(「週刊金曜日」1999年11月12日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


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