医療裁判と鑑定制度の今後

求められる迅速さと公正さ

裁判官は鑑定医に丸投げするな


【前文】提訴から判決まで、審理に時間がかかり過ぎると批判されることが多い医療裁判の改革が、少しずつ進められている。裁判長期化の大きな要因は「鑑定の引き受け手が見つからない」ことにあるとして、最高裁判所やいくつかの地方裁判所では、法曹関係者と医療専門家との意見交換や交流、鑑定人選任のシステム充実に取り組んでいるという。医療訴訟改革と鑑定の在り方について、問題点と今後の課題を追った。


●裁判に時間がかかるのはなぜ?●

 最高裁民事局によると、年々増加している医療訴訟の審理期間は、地裁の民事訴訟全体の平均に比べて約四倍もかかっているのが現状だ。最高裁まで争うと十年以上になるケースもある。医療訴訟の審理が長引くのは、鑑定人の選任に時間がかかり過ぎ、さらにその後の鑑定書提出にも長時間を要することが、最大の原因だとされている。

 鑑定の引き受け手を見つけるのが難しい理由として、医療関係者の多くは「時間と労力を取られて精神的負担が大きい、法廷で人格攻撃などの尋問をされるのが不快だ、鑑定後の結果報告などのフォローがない」といった不満を挙げる。「そもそも何をどのように鑑定すればいいのか分かりにくい」と指摘する声も聞く。

 最高裁は二〇〇一年七月、鑑定人の早期選任などを目的として、医事関係訴訟委員会をスタートさせた。委員会のメンバーは、医師や弁護士、有識者ら十三人。委員会は二カ月間隔で開かれ、各裁判所から鑑定人候補者の選定依頼を受けると、それぞれの事案にふさわしい専門分野の医学会に鑑定人の推薦を頼む。医学会から推薦されてきた候補者を、委員会は各裁判所に推薦し、裁判所が鑑定人として選任するというのが大まかな手順だ。

 今年二月までに、二十の学会から三十八件の鑑定人候補者の推薦があった。学会によって対応に差があるが、委員会が依頼してからほぼ一〜二カ月の期間で候補者が推薦されているという。

 「まず各裁判所で鑑定人を探して、どうしても見つからない場合に委員会に依頼するようにお願いしています。個別に探し続けるよりは、迅速に選任できているのでは。候補者推薦の体制が整っている学会とそうでない学会があるが、少しずつ制度に対する理解が深まっていくと思います」

 最高裁民事局ではこのように話し、鑑定人をスムーズに選ぶ試みは順調に機能していると自信を深めているようだ。鑑定人選定の公正さについては次のように説明する。

 「推薦依頼の際は当事者から、鑑定人についての留意事項を書いてもらっています。推薦された鑑定人候補者と被告の病院理事長が大学の同期生だったので、鑑定人には不適任として選任されなかったケースが一件ありましたが、これ以外に問題はないですね」

●裁判所の認識と姿勢にも変化が●

 一方、東京地裁は二〇〇一年四月、大阪地裁などとともに全国で初めて、医療訴訟を集中的に扱う医療集中部を、民事十四部など四部に設置した。事実関係は診療経過一覧表にまとめ、当事者と争点などについて議論・整理した上で、一日のうちに証拠調べを集中して終わらせるなど、迅速で分かりやすく、納得できる審理を進めているという。

 今年一月には、ラウンドテーブル(円卓)の法廷で三人の鑑定医が議論する「カンファレンス(討論)方式」の鑑定が、東京地裁で初めて行われた。医師の過失の有無などについて、裁判資料をあらかじめ読んで検討してきた鑑定医が、それぞれの立場から鑑定意見を述べ、同席する裁判官や代理人らと質疑応答を重ねる。見解が一致した部分もしなかった部分も、約三時間の討論のすべてが鑑定として録音記録された。

 もちろん、いきなり複数の専門家がラウンドテーブルで討論を始めても、医学に素人の裁判官や弁護士は理解できないし質問もできない。鑑定医には事前に、鑑定結果や理由を簡単にまとめた報告書を出してもらい、弁護士はそれに基づいて調査や反論準備をしておくことが必要となる。今回、鑑定医はカンファレンス実施の一カ月前に報告書を提出した。

 東京地裁所長代行の萩尾保繁判事は「お互い目の前で疑問点を質問するので、意見の違いや争点が浮き彫りになる。素人にも議論が分かりやすいと評価されました」と話す。

 「裁判官も弁護士も医療の専門家ではないから、専門家の助力がなければ適切な事件処理はできません。医学界とのつながりを築いた上で、専門家の立場から裁判運営に理解と協力をお願いしています」

 東京地裁は一年前から、東大、東京医科歯科大、慶応大、順天堂大の都内四つの大学病院と弁護士会で、協議会を設けて意思疎通を図っているが、医療機関側から「現場では治療方法などについて日常的にカンファレンスをしている。裁判でも取り入れてみたら」と提案があったという。医療機関側に鑑定医を依頼してから、カンファレンス方式の鑑定実施まで、わずか二カ月足らずだった。

 カンファレンス方式は、複数の専門家が議論することで争点が見えやすくなるだけでなく、鑑定医の精神的負担も相当少なくなる。文書の鑑定だと厳密な言葉遣いが要求されるが、口頭ではそうした労力が軽減され、一人で鑑定を背負い込まなくていいという面でも心理的に楽だという。

 課題もある。最も重要なのは、争点整理がきちんとできているかという点だ。何が問題なのか、当事者と裁判官に共通認識がなければ議論ができない。また、当事者と複数の鑑定医が一堂に会して議論するため、日程が合いにくいのも難点だ。

●納得できる判断と争点整理こそ●

 千葉地裁では二〇〇一年十二月から、全国に先駆けて複数鑑定が行われている。三人の鑑定医がディスカッションして、コンセンサスを得た結果を代表一人が一通の鑑定書にまとめる「ディスカッション方式」と、二〜三人の鑑定医が個別に鑑定書を提出する「個別提出方式」の二通りが実施された。

 これまで行われた鑑定は計五件だが、鑑定採用決定から鑑定書提出までの期間はいずれも一〜二カ月だった。千葉地裁も、千葉大など県内の六つの大学病院と弁護士会の三者で委員会を設け、各大学病院長らに鑑定人の推薦を依頼している。

 前千葉大附属病院長で、複数鑑定導入の中心メンバーだった千葉大大学院の山浦晶教授は「裁判所の医療裁判改革の意欲を知って協力する気になった」と振り返る。千葉地裁の二つの複数鑑定方式も、東京地裁のカンファレンス方式と同じように、鑑定医の受ける精神的なプレッシャーやストレスは単独鑑定よりも少なく、鑑定人が早く決まるので裁判は迅速になるという。

 「一人で鑑定を書くより三人の方が公正さは担保される。ただ、ディスカッション方式の場合、年長のボス的な人が意見をまとめてしまうと具合が悪い。そこが欠点かな。個別提出方式の複数の鑑定人は、お互いに連絡を取らないのが鉄則です」

 医療裁判で一番の問題は、法律家として判断すべきことを医療の専門家に丸投げしてしまう判決だろう。それでは裁判官は思考停止していることになり、司法の役割を放棄したに等しい。一方、鑑定医にも「自分の鑑定が被告や原告の運命を決めてしまう」といった「誤解」があるが、鑑定はあくまでも重要な資料の一つで、裁判の結果を決定付けるものではない。

 山浦教授は、こんなふうに指摘する。

 「三人で複数鑑定をして、ぴったり一致する必要はない。経験や考え方が異なるのだから多少違って当たり前で、違いを判断するのは裁判官の仕事。医者は神様みたいな気持ちで鑑定しなくていいんです。複数鑑定が増えれば、裁判官は自分の頭で考えて結論を出さなければならないから、鑑定を丸飲みするような判決はなくなるかもしれませんね」

 埼玉県医師会の顧問を務める須田清弁護士は「鑑定の引き受け手が少なく、鑑定システムが機能不全に陥っている理由は、何が争点で何を鑑定すればいいのか、整理されないまま丸投げされるからだ」と話す。

 「いきなり裁判記録をどさっと送ってくるが、それだと医師には目的やテーマが分からない。裁判所は事実関係や争点をきちんと整理して、証拠調べなどの手続きを尽くしてから鑑定をお願いするべきですよ」

 東京地裁の萩尾判事も「ポイントを絞ればおのずと専門家の意見は得られる」と争点整理の重要性を強調する。

 「ポイントが絞り込めないから専門家に丸投げして、私に代わって判断してくださいなどということになるのでしょう。当事者と裁判官に共通認識があれば敗訴しても納得できる。民事訴訟は争点整理に尽きます」

 患者側の代理人を務める五十嵐裕美弁護士は、システマチックな鑑定人選定や迅速審理の努力など、裁判所の改革姿勢は評価しているが、「患者側からすれば、一番の問題は裁判官が無批判に鑑定に従ってしまうことだ」と訴える。

 「医療側の出してくる権威筋の鑑定や意見を鵜呑みにしないで、論理的な内容か、科学的な根拠が示されているか、裁判官はきちんと判断してほしい。鑑定人に対する尋問は鑑定の内容を吟味する重要な方法なので、制限する方向には反対です」

●医療側にも求められる意識改革●

 医療界には「医療過誤訴訟は医療の幅を狭め医師を委縮させる。訴訟が増えているのは報道の仕方にも問題があるのでは」といった不満が、まだまだ強いようだ。

 しかし、前出の山浦教授は「一九九九年の横浜市大病院の患者取り違え事件で、認識は大きく変わりましたね。医療過誤の訴えが必ずしも事実でないこともあるだろうが、それは仕方ない。訴訟や医療記録の開示請求が医療側の認識を高めるきっかけになり、より安全な医療を提供する努力をすればいい」と述べ、患者からの訴えをポジティブにとらえる姿勢を明確にする。

 萩尾判事も公正な鑑定や事実究明に期待してこう話した。「しかるべき医療機関は、医療事故や医療訴訟の増加に危機感を持っています。鑑定の在り方にも問題意識や関心を深めているはずです。おかしな鑑定を放置することは、医者の責任が問われます」

初出掲載(日本医療企画「月刊ばんぶう」2003年5月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真:東京地裁のラウンドテーブル(円卓)の法廷。東京地裁の庁舎全景。最高裁の庁舎全景。山浦晶教授、須田清弁護士、五十嵐裕美弁護士の近影。

●図版:最高裁の医事関係訴訟委員会イメージ図。


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