「教育職」じゃないの?

教育現場を支える学校司書

不安定な身分と学校図書館の将来


【前文】学校図書館を支えてきた「学校司書」が揺れている。二〇〇三年度から全国の学校に「司書教諭」の配置が義務化され、教諭ではない学校司書の職務や雇用へ影響があるというのだ。その背景には、学校司書が行政職(事務職)とされている問題と、図書館を軽視する日本の教育行政の姿勢がある。

●生徒引率もダメなの?●

 「あなたは教員じゃないから、入試合否を判定する会議への出席は認められません」

 神奈川県内のある県立高校の学校司書は今春、校長からそう告げられて職員会議からやむなく退席させられた。これまでは、ほかの教員と同じように職員会議や入試判定会議にも出席していたし、学校行事の役割分担なども引き受けてきたから、管理職のこうした発言はショックだった。

 教員と学校司書をことさらに区別して、学校運営から学校司書を外そうとする動きは、県立高校校長会の一部から出ているようだと関係者は指摘する。

 神奈川県では百六十一校のすべての県立高校に、専任の学校司書が一人ずつ置かれている。身分は全員が行政職採用だが、学校運営にかかわる分掌などは教員と同じ仕事をしている。職務的には限りなく教育職に近い存在だ。

 学校司書への対応は校長によって異なる。行政職であることを理由に会議への出席をかたくなに拒む校長や、校長会を気にして困った顔をする校長がいる一方で、特にそうした身分を問題視しない校長も大勢いる。

 しかし数年前から、学校司書に対する締め付けが厳しくなってきたという。入試の採点業務から排除されたほか、部活動の顧問やクラスの副担任など、これまで普通にしてきた仕事が制約を受けるようになった。他校の図書委員会との交流会に生徒を引率すること、図書選定のために書店に生徒と出かけることにも、教育職でないことを理由に制限しようとする動きが出ている。

 「学校運営はすべての職員が協力してかかわっていくものだと思うのですが、そういう場から学校司書が外されようとしているのが気になります。学校司書は図書館事務だけやっていればいいというものではなくて、普段の生徒との会話があって初めて成り立つのです。養護教諭と同じような専門職として位置付けてほしい」と学校司書の一人は話す。

 学校図書館は、教室に居場所のない生徒たちの受け皿にもなっている。悩みを聞いたり相談に乗ったりもする。そんな図書館常連の生徒が二十人近くいる学校もあるという。

 神奈川県教委高校教育課の鈴木彰課長代理は「入試の判定会議に学校司書は出席しない方が好ましいと考えるが、それは学校司書を排除するわけではなく、校長がそれぞれ判断して決めること。副担任や部活動の顧問については、学校教育法や文部省(当時)の応答集に基づいて、教育専門職である教員が行うのが適当だと指導している。生徒の引率は教員と複数で行うのであれば問題ありません」と説明している。

●身分も対応もバラバラ●

 多くの公立学校で図書館の運営を支えているのは学校司書だ。専門職として図書館の仕事をする学校司書の身分は大半が行政職(事務職)だが、都道府県や市町村によって臨時職員や嘱託など雇用形態はさまざま。大阪府立高校や千葉県立高校のように、教育職である実習助手として配置されているところもある。

 全国のほとんどの公立高校には学校司書が置かれているが、小中学校では岡山市など一部の自治体を除いて、専任の学校司書がいない学校が圧倒的だ。図書係の教員や保護者らが、ボランティア的に開館や貸し出し業務の面倒を見るといったケースも多い。

 一九五三年に制定された学校図書館法は「学校図書館には司書教諭を置かなければならない」と定めているが、付則として「当分の間、司書教諭を置かないことができる」と猶予期間を設けた。このため人的余裕のない自治体では、専任の管理者不在のまま学校図書館が書庫のように扱われ、公立高校や一部の自治体は司書教諭の代わりに学校司書という専門職を配置して、学校図書館を維持運営してきた。

 こうした現状に対して学校図書館法が見直され、二〇〇三年度から、全国の十二学級以上の学校に司書教諭を配置することが義務化された。司書教諭は教員免許のほかに資格が必要となる。夏休みに大学や教育センターで講習を受けて資格を取得した教員の中から、各校の校長が司書教諭を発令するのが一般的だが、専任の司書教諭はまずいない。授業や担任をしながら、校務分掌として図書館の仕事も受け持つのがほとんどだ。

 司書教諭の配置義務化が「法的にきちんと位置付けられ学校図書館の役割が認知された」と評価される一方で、これまで専門職として学校図書館を支えてきた学校司書への影響を懸念する声も広がっている。職務内容や雇用に深くかかわってくるからだ。

 司書教諭と学校司書との役割分担をどうするか、学校司書が司書教諭の補助的事務を担うだけにならないか、という不安は学校司書にとって大きい。このほかに、学校司書全員の身分を司書教諭へ移行させることもあり得るのか、将来は専任の司書教諭を採用する方向に進むのか、などといった身分保障の問題もある。

 東京都は学校司書から司書教諭への「切り替え選考」を進めているが、合格者は受験者の四分の一ほどで、全員が司書教諭に採用されるわけではない。異動や退職者の急増で、学校司書不在の学校が出ているとの批判も聞かれる。

 全国学校図書館協議会の石井宗雄理事長は「まだ半年なので漠然としているが、専任の司書教諭が常駐配置されたのでなく、授業をしながら図書館の仕事も兼務するということで戸惑っている人が多い。十五時間の講習を受けただけでは本の専門家ではない。まだまだこれからでしょう」と話す。

 一方、学校司書が学校教育の中できちんと位置付けられず、事務職としか見られていない現状は、図書館職員の本来の在り方として問題が多いとも指摘する。

 「子どもたちがいつでも本を使えるように、疑問に答えられるようにメンテナンスする仕事は学校司書がいないとできない。知識を体系化して考えていくために学校図書館はある。図書館を知の宝庫として活用するためにも、学校司書は法律と予算で定められた教育職であるべきです」

●図書館は学校の心臓だ●

 学校図書館はここ数年、ただ単に本の貸し出しをするだけの場所ではなくなってきた。特に「総合的な学習の時間」の導入で、学校図書館と学校司書が授業で果たす役割は大きくなっている。

 図書館利用の仕方を指導することから始まって、新聞や雑誌記事の調べ方、検索方法、資料の探し方までを教え、資料提供やレファレンス(相談)などの情報サービスに応じ、さらに教科担当教諭とのチームティーチングも担うという。総合学習だけでなく、家庭科や政治経済などの授業でも、図書館が生徒の自主的な調査研究の場として使われている。

 神奈川県相模原市の県立上溝高校で学校司書をしている高橋恵美子さんは今年四月、休暇を使って米国ニューメキシコ州の図書館大会に参加した。学校司書として三十年の経験があり、大学で司書教諭養成講座の授業を持つ高橋さんは、日本のマンガ文化を紹介し、学校図書館にマンガが増えている現状を報告して注目を集めた。

 高橋さんが現地の小学校や高校の図書館を見学して何よりも印象的だったのは、「図書館は学校の心臓です」という米国の学校関係者の言葉だったという。

 米国では図書館は学校の中心部に位置していた。心臓である図書館が機能しなければ、学校教育全体が機能しないと考えられている米国と、図書室はおまけのように校舎の隅っこに追いやられている日本との格差は衝撃的だった。

 日本の学校図書館を取り巻く環境と比較して、米国の学校図書館は高橋さんにとってうらやましくてたまらない存在だ。

 「さまざまな情報をどうやって調べて使って表現するか、そういう情報教育を学校図書館で学ぶ米国の子どもたちに対して、日本の情報教育はコンピューターの使い方に終始している。自立して学び考える力を身につけて、民主主義を支えるために学校図書館があるはずなのに、日本ではそういう使われ方がされていないし、学校司書の果たしている役割への理解もあまりにも低い。学校司書を生徒から切り離そうとする動きは、教育スタッフからの排除です」

 図書館と司書の存在は学校全体の財産だ。これを子どもたちの教育に生かさないというのは、あまりにもったいない。

初出掲載(「週刊金曜日」2003年10月31日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):放課後になると生徒たちが図書館に集まってくる=神奈川県相模原市の県立上溝高校で


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