「つくる会」歴史教科書を使ったら…

「教師の力量」に不安の声

愛媛・東京の教育現場から


【前文】「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社の歴史教科書は、教育現場でどのように使われているのだろうか。国内外から歴史観の偏りなどが指摘されているこの教科書を、批判的に使いこなせる力量が現場教師にはあるのだろうか。実際に授業をしている愛媛県立中高一貫校の状況などを通して、教科書と「教師の力量」について考える。

 「こういう教科書が自分の中学生時代にあったら、もっと歴史が好きになったのにと思いますよ」

 愛媛県立松山西中学・高校の宇都宮博晶校長は、扶桑社の中学校歴史教科書をそう評価して笑った。

 同校は二〇〇三年に開校した県立の中高一貫校だ。愛媛県教育委員会は〇二年、同校など県立中高一貫校三校について、一般公立校として初めて扶桑社の教科書を採択した。

 これまでの教科書を「自虐的だ」と批判し、「新しい歴史教科書をつくる会」が主導する扶桑社の中学校歴史教科書は、〇一年に続いて今年も検定合格したが、「侵略戦争を賛美」「歴史観に偏りがある」と内外から批判されている。私立校や養護学校のほか、愛媛の三校と今春開校した東京都立初の中高一貫校(白鴎高校附属中学校)が採択するだけだ。全国採択率は〇・一%に満たない。

●評判教師/先生の授業は面白い●

 松山西中学校で実際に歴史を教えている野澤道生教諭(41歳)は、「授業に不満の声を聞いたことはないですね。授業が面白くないと言われたこともない。生徒の食い付きはいいですよ」と話す。

 野澤さんは高校教員だった。中高一貫校の開校で、「ぜひ新しい学校に」と白羽の矢が立った。

 「それなりの人材に来てもらっている。野澤先生の歴史の授業には定評があるんです。授業を工夫して生徒に興味や関心を持たせる。『野澤ノート』は他校の生徒にも人気があって、これで大学合格したと評判になるくらいだから」。宇都宮校長は手放しで野澤さんを絶賛する。

 高校で教えていた時から授業用のノートを作っている。中学と高校で同じ内容のところがあるので、中学生用に必要な事項を選んで板書していくという。「教科書を利用しながら、高校での経験をもとに授業を組み立てています」。ノートを見せてもらうと、単元ごとに整理された図解がきれいにまとめられていた。

 「扶桑社の教科書は説明が詳しいのがうれしいですね。例えば『禁中並公家諸法度』という言葉はほかの教科書には出てこない。細かく書いてあるので、つい話し過ぎて授業が遅れたりもしますが、高校で大学受験を指導していた者にとって詳しく書いてあるのは使いやすい」

 野澤さんの授業が生徒に評判がいいというのは確かなようだ。

 「野澤の授業ってすごく面白い。野澤の授業が一番好き。来年の政経も野澤にやってほしいなあ」。女子中学生が友達とそんな会話をしているのを耳にした。

●自信満々/問題ない大丈夫です●

 一方、侵略戦争や近現代史などに関して扶桑社の教科書が批判されていることについて、野澤さんはまったく気にはならないという。

 「教科書によって見る方向が違います。侵略が起こったのは事実。扶桑社の教科書はむしろ侵略戦争を批判的に書いていたりする。過ちは過ちとして認めて、なぜそういうことが起きたのかを考えさせたい。当時の日本政府が『大東亜戦争』と命名したのは事実。歴史的評価が分かれる部分については、こういう意見や説もあると資料を示して、『僕はこの意見には反対』といった説明はします。いろんな見方や考え方があることを理解させたいですね」

 そして、「どんな理由があっても戦争は絶対によくない。戦争賛美の誤った歴史観を生徒が持つことは絶対ないですよ」と強調した。

 「教科書を隅から隅まで読めというわけではないし、うちの生徒は選抜されて入学しているので、教科書を読みこなせます。優秀な生徒は授業と照らし合わせて教科書を使っているから問題ありません」

 神話の記述が際立つことも、野澤さんは違和感を感じないという。

 「厳密に読んだら神話であると取れるので歴史的事実と混同することはない。支配した側が国の統一を物語に折り込む意図が神話にはあるんです。嘘ばかりではない。建国神話とは何か理解させて説明します」

 同じく、もう一つの県立中高一貫校の今治東中学校で歴史を教えている田坂敏教諭(43歳)も、扶桑社の教科書は「内容が詳しいので使いやすい」と評価する。

 「詳し過ぎてどこを端折っていくかという悩みはありますが、高校で習う内容も出てくるので上へとつながりやすいです。教科書に書かれていることを全部教えるわけではなく選んで教えるので、教材研究など教師側の工夫は必要でしょう」

 神話や戦争の記述について、野澤さんに聞いたのと同じ質問を田坂さんにもぶつけてみた。

 「神話を一つ一つ取り上げるのではなく、神話が生まれた過程や建国の意味合いを教えます。戦争は絶対にしてはならないというのが前提です。南京入城の際に捕虜に対して痛ましい行為があったことは簡単に伝えた。目的はどうであれ強制連行が間違っていたのは事実です。日本人のしてきたことを自分なりに説明したつもりです」

 田坂さんは教科書のほか、資料集をベースに、インターネットや写真集も使いながら授業を進める。「特定の教科書を使ったから偏った授業になるということはない。教科書がすべてではない。執筆者や編集者の歴史観はつきまとうが、授業は教える側の歴史観や倫理観があってのものだ」と力説した。

 教師が「分かりやすく魅力的な授業」をすべきなのは言うまでもないが、同時に教師にはバランスのとれた歴史観や問題意識も必要だ。過去の過ちをなかったことにして自国に都合のいい部分だけを強調する教育では、世界から信頼され尊敬される日本人は決して育たないだろう。

 授業技術に長けただけの教師や、教科書を右から左に教えるだけの教師が、もしも扶桑社の教科書を手にしたら……。そんな不安を抱く保護者や教育関係者は少なくない。

 愛媛県立中学校に子どもを通わせている保護者の一人は、「子どもが授業をどのように受け止めているのかは正直よく分からない。親からの影響や友達の影響などがあって、その一つとして授業の影響というのもあるでしょうね。教育委員会がお墨付きを与えた教科書の存在はやはり大きいと思う」と話す。

●模擬授業/まるでドラマみたい●

 今年三月。東京・調布市内で、扶桑社の教科書を使った「模擬授業」が開かれた。授業をしたのは、私立中学校教諭の富永信哉さん。この日は「大東亜戦争」を取り上げた。

 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋において、アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」

 授業冒頭で、日本の太平洋戦争突入を知らせるラジオの臨時ニュースが読み上げられた。すかさずプリントが配られる。「臨時ニュースに列島興奮」と題された読売新聞社発行の資料記事だった。「国民の気分は一気に高まり、日中戦争の陰うつな気分が一変した」という教科書の記述を補強する教材だ。

 続いて富永さんは、「どうして日本は米国と戦争することになったのでしょう」と生徒たちに問いかけ、米国などの経済封鎖によって日本がどんどん追いつめられていく背景を解説する。そうやって「仕方なく」戦争することになってしまった日本だったが、日本軍はまたたく間に東南アジアを占領していく。ハワイ、シンガポール、フィリピン……。日本の進撃が続いた地域に印を付けるように、生徒たちに指示が出る。

 そこで富永さんは、「自存自衛とアジアを欧米支配から解放して大東亜共栄圏を建設する」のが大東亜戦争の目的だったことを説明し、「独立への夢と勇気を育んだ」という教科書の説明を確認させた。

 ベテラン教師の話術とふんだんに用意された資料によって、飽きさせない。こんな感じで約四十分の模擬授業は終わった。

 実はこの日の授業は、扶桑社発行の教師用「指導書」を参考に進められた。扶桑社の「指導書」は、生徒への質問の仕方から資料を出すタイミングや確認させるべき重要ポイントまで、実に細かく授業展開例が示されている。まるで演劇やドラマのシナリオのようだ。ほかの教科書会社の「指導書」にはこれほど詳細な指示は書かれていない。

 「扶桑社の教科書は、戦争の原因についての記述が根本的に間違っていると思います。米国の経済封鎖によって日本が追い込まれたという構図を強調することで、中国とのかかわりが分からなくなっている。大東亜共栄圏は日本の経済圏をつくることが目的で、独立運動はさせないのが本音。軍隊が国民を守らなかった沖縄戦の実態も書かれていない」

 富永さんは「なりきって授業するのは苦痛でした」と苦笑した。

●研究熱心/批判的授業できる?●

 授業内容は教える側の力量次第でどうにでもなるのではないのか。しかし、愛媛県の県立高校社会科教員は、「教員の見識や問題意識は決して高くはない」と悲観的だ。

 「スカートが短いことを注意したりケータイを取り上げたりするのは熱心だけどね。職員会議で自分の意見を言わないような先生に意欲的な授業ができるわけがない」

 同県の公立中学校社会科教員は、「愛媛の教員は研究熱心で授業もうまいですよ」と話す。教材から子どもたちが主体となって調べて追求していく「問題解決学習」は、愛媛の伝統的な授業法だという。

 「でも、それは決められた一定の枠内での自由。愛媛の教員が熱心なのはあくまでも授業の方法論で、お上が決めた教科書に沿った工夫なんです。与えられた教科書が代わればそれに応じた授業をやってきたし、これからもたぶんそうする。教科書を批判的にとらえて面白い授業をしようなんて考えないでしょう」

 一方、東京都内の公立中学校の社会科教員は、「プリントを作って配れば、扶桑社の教科書の問題点が見えてくる授業になると思うが、今の教員は雑務が多くて勉強する時間も余裕もない。新採用の教員は研修漬けになっている。蓄積のない教員が扶桑社の教科書を使って教壇に立つと非常に怖い」と指摘する。

 広島県の公立中学校教員も、「教科書を材料に自分で授業を組み立てるには、準備に時間が必要で教員の負担がすごく大きい。能力的にもそこまでできる教員は少ない。教科書に書いてあればそのまま教える。教科書を読んで説明する授業になってしまいがちだ」と話す。

 東京都内の公立中学校では最近、「従軍慰安婦」や「南京虐殺」などのテーマには触れにくくなっているという。保護者の一部から「偏向授業だ」と教育委員会に通報され問題になるケースもある。授業で配ったプリントは回収する教員もいる。

 「いつ教室の後ろがガラッと開いて校長や教頭が入ってくるか、ドキドキしながら授業をしています」

 そんな状態の教育現場に扶桑社の教科書が持ち込まれたら、生徒は一方的な歴史観だけを学ばされることになってしまうだろう。

初出掲載(「週刊金曜日」2005年4月22日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):2001年〜02年の採択当時、愛媛県内では扶桑社の教科書をめぐって、「つくる会」派と反対派が激しいビラ合戦を繰り広げた

●写真説明(ヨコ):扶桑社の歴史教科書を使って授業をしている愛媛県立松山西中学校=松山市久万ノ台

●写真説明(ヨコ):扶桑社の歴史教科書を使って「模擬授業」をする富永信哉さん。扶桑社の教師用「指導書」に沿って「大東亜戦争」を説明した=2005年3月18日、東京都調布市


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