シリーズ・教育ルポ

高校の道徳教育義務化のゆくえ

「道徳」を持て余す学校現場

茨城・埼玉・神奈川の現状から


【前文】新しい学習指導要領は2010年度から、高等学校の道徳教育について学校ごとに全体計画を作成することを義務づけた。道徳教育に対しては、積極的に歓迎する声と激しい拒否反応と、教育現場の受け止め方は二分される。「義務化」をめぐって、学校はどんな状況にあるのか、そしてどのような課題がクローズアップされているのか。茨城・埼玉・神奈川の現状を報告しながら、道徳教育の今後を考える。


●新指導要領で全体計画作成を義務化

 2009年3月に告示された新学習指導要領は、高等学校の道徳教育について、「人間としての在り方生き方に関する教育を、学校の教育活動全体を通じて行う」として、2010年度から学校ごとに全体計画を作成することを義務づけた。

 小・中学校ではこれまで週に1時間(年間35時間)の「道徳の時間」が実施されているが、高校には道徳を教える時間そのものがない。このため文部科学省は、「人間としての在り方生き方に関する学習の充実」を、公民科や特別活動のホームルームなどを中心にして教育活動全体で教えるとしている。

 しかし、ひと口に「道徳」と言っても、何をどんな立場でどのように教えるか、その捉え方や視点はさまざまだ。心の教育に国家が深くかかわる動きについては、愛国心教育の義務化や特定の価値観の強制を危惧し、戦前の「修身」や「教育勅語」の復活を懸念する意見が根強くある。

 一方で、安倍晋三内閣(当時)の教育再生会議は、道徳の時間を「徳育」として教科化するとともに、教科書や教材を作ることも求めたが、文科省の中央教育審議会がこの提言を見送ったため、保守派の間には不満の声がくすぶる。

 社会の一員として生きていく上で、不可欠な道徳心や規範意識を、家庭や学校で必要に応じてアドバイスすることに異論は多くないだろう。だが、わざわざ授業時間を設けて、あるいは特別の教科として、さらには教科書まで作って一律に教えるようなものなのか、教育行政が学校をがんじがらめに仕切って一方的に押し付ける形でいいのか、という疑問を訴える声は学校現場に多い。

 重要なのは、現場の教員が何をどのように教えるかということだろう。新学習指導要領には、「民主的な社会および国家の発展に努め」と明記されている。その文言に従うのであれば、誠実・責任感・礼儀・寛容・権利と義務・法令や規範の遵守・差別や偏見のない社会の実現……といった昔ながらの「定番メニュー」に、道徳教育の内容がとどまっていていいとは思えない。自立した市民として、政治参加や司法参加、社会の貧困問題などについても目を向けた教育を模索する動きも実際に出てきている。

         ◇◇

 本稿ではまず、全国に先駆けていち早く全県立高校で道徳教育の必修化に乗り出し、道徳テキストを作成した茨城県と、それを追いかけるように生徒用テキストを作った埼玉県の現状を報告する。続いて、「シチズンシップ教育」と銘打って新たな教育活動を始めた神奈川県の状況を見てみたい。

●茨城県立高の全校で全国初の必修化

 茨城県教育委員会は2007年度からすべての県立高校で、全国で初めて道徳の授業を必修化した。2003年度から道徳教育研究推進校10校を指定して実践や教材研究を続けるなど、茨城県教委は高校の道徳教育に力を入れてきたという。2006年には、県立高校教員10人を作成委員会委員として生徒用テキストを編集したほか、教師用の指導資料も独自に作成した。

 生徒用テキストはA4判で106ページ。タイトルは「高校生の『道徳』/ともに歩む/−今を、そして未来へ−」。中田英寿さんの公式ブログ、恩田陸さんの小説のほか、ナチスの迫害からユダヤ人を助けた元外交官・杉原千畝の妻幸子さんの著書「六千人の命のビザ」や、全米で人種差別撤廃運動に取り組み暗殺されたキング牧師のスピーチを引用するなど、生徒の作文も含めて計35編を掲載する。

 テキストは生徒に1冊500円で購入させている。授業での使用は義務ではなく、各校の判断に任されているが、県立高校100校のうち99校がこのテキストを活用する。生徒の学力実態に配慮した1校では、新聞や雑誌の記事を切り抜いてプリントするなど、オリジナルの教材を使っているという。

 道徳を専門に教える教員はいない。茨城県教委によると、道徳を担当するのは7割が学級担任で、2割が副担任、残りの1割が生徒指導主任や教務主任、学年主任だ。成績は数値による評価ではなく文章で記述する。

 茨城県教委では担当教員に、「◯◯について思いやりがあり、◯◯についてもよく考えているところが見られる。◯◯のような取り組みが見られた」といった評価を一人ずつの生徒について書くことを求める。

 道徳の授業は1年生が対象。茨城県教委では、「総合的な学習の時間」を利用して週1時間(年間35時間)を道徳教育に使うとしている。

 「学校によってテストや学校行事などの都合もありますが、だいたい年間に30時間前後は道徳の授業をしているはずです。少なくとも25時間以上はやっていると各校から報告を受けています。そのうち6時間程度を目安にして、体験学習や奉仕作業などのほか、振り返って感想文を書く時間などに充てていいことになっている」と県教委の道徳教育担当者は説明する。

 だが、学校現場での実際の対応や取り組みには、かなりばらつきがある。「あまり道徳のために時間を使いたくない」というのが教員の本音のようだ。「県教委が作成した道徳のテキストを使って授業するのは、年間6〜7回くらいではないか。あとは講演や体験談を聞かせたり進路指導をしたりする」と話す教員もいる。

 「高校教員が一番エネルギーを使うのは、部活動や担当する教科・授業の準備、それからホームルームと生徒指導ですよ。それだけで気力はほとんど尽きる。道徳教育なんか当たり障りのない教材を選んで、どこもみんな適当にのらりくらりとやっている人が多い。ずるずるといい加減に、なし崩し的にのほほんと対応しているのが実情でしょう」

 教育委員会の指導主事が各校を訪問して、校長ら管理職と授業を巡回する機会は年に2回あるが、県立高校100校のすべてで、道徳の授業だけを細かく見て回ることなどまず無理だろう。道徳教育の公開授業や研究発表も開かれているが、関心を示す教員や熱心な教員は数人ほどだという。

●生徒用テキストの内容に厳しい批判

 テキストの内容については、茨城県高等学校教職員組合が厳しく批判する。「ざっと見るとありがちな話が並んでいるが、事実と違う稚拙な内容やレベルの低い材料が多い」などと、いくつも問題点が指摘される。

 その中でも、村上和雄・筑波大学名誉教授(遺伝子工学)の著書「生命のバカ力」(講談社)から引用した文章は、「特定の宗教教育を広める内容が含まれており、憲法や教育基本法に違反する」と断じている。

 テキストの文中には、「こうした奇跡的な現実を前にしたら、どうしてもサムシング・グレート(何か偉大なもの)のような存在を想定しないわけにはいかなくなります」という文章が引用されている。ところが、村上名誉教授は別の著書の中で、「サムシング・グレート」とは天理教の「親神様」のことを意味する言葉だとして、「天理教の人だけではなくて、教祖の教えを知らない人にも伝えたいと思っています。だから私は、最近の本では『サムシング・グレート』というコトバを使っています」と書いていることが明らかにされた。

 しかも、テキストに引用された「サムシング・グレート」のくだりからは、引用元にはあった「大自然の偉大な力とも言えますが、ある人は神と言い、ある人は仏と言うかもしれません」という部分が、断り書きなしに省略されていた。生物の進化を神による生命の創造とする村上名誉教授の宗教観を、意図的に隠すような掲載の仕方で、これでは、「サムシング・グレート」が自然科学的事実である、と受け取られかねない。

 「茨城県の県立高校では、必修の道徳授業が特定の宗教教団の布教活動の場になっている」と高教組は批判する。

●杉原千畝の話でも恣意的な引用が

 また、杉原千畝を紹介した「六千人の命のビザ」についても、本国政府(外務省)の訓令に背いて千畝がビザを発給した事実は、テキストではなぜか引用されていない。訓令違反による免職や身の危険も覚悟し、領事権限でビザ発給を決断した千畝が、苦悩し葛藤する描写はすべて省略されている。

 テキストでは冒頭で、ドイツ占領下のポーランドから千畝の駐在するリトアニアの首都カウナスへ、ユダヤ人が逃亡してきた文章が引用される。「中略」と表示されて場面は唐突に、千畝が「ビザを発行する」とユダヤ人たちに告げる描写に切り替わる。その後も合計7カ所の「中略」を挟んで、千畝が昼食も取らずに、何日もひたすらビザを書き続ける様子の引用が続く。

 外務省との暗号電報のやり取りや、ビザ発給が許可されず苦悩する描写がすべて省略されているので、千畝が身体的苦痛に耐えて休む間もなくビザを書き続け、大勢のユダヤ人を救ったというだけの話になった。そればかりか大日本帝国の戦争政策を正当化し、千畝は外務省の訓令に反したのではなく、国是としての人種平等の思想に基づいてユダヤ人を救った、といった歪んだ千畝像を教えることになると高教組では指摘する。「どの部分が引用されたかではなく、どの部分が省略されたかが重要」というのである。

 「杉原千畝の話は英語の教科書にも掲載されているので、英語の教員が補ってよく使っていますが、このテキストでは引用の仕方がそもそも間違っている。取り上げるなら、もう少し背景説明などの解説が必要でしょう。国策に逆らって人道的な決断をした杉原千畝が、これでは恣意的に利用されることになってしまいます」

 高教組で道徳教育の問題点を調べている教員は、そう危惧する。

 しかし、外務省訓令に違反して、不利益を覚悟してビザを発給する決断をした事実がテキストからそっくり消されているとしても、それならば教員がそのことをきちんと説明しながら授業をすればいいだろう。教える側の問題意識や力量次第で、生徒に考えさせる授業はいくらでもできるのではないか。

 そんな素朴な疑問をぶつけてみると、「多くの教員はこういう問題に抵抗するような気力はないし、反応もほとんどない。あまり関心がないみたいです。生徒を誘導するような変な教員もいませんね」と微妙な答えが返ってきた。

●埼玉の偉人をアピールするテキスト

 茨城県の後を追うように、道徳教育に力を入れ始めたのが埼玉県教育委員会だ。埼玉県教委は2009年度に、道徳教育の進め方として、「人間としての在り方生き方に関する教育」の推進方針を定めた。小中学校には道徳の授業があるが、高校にはなかった。生徒の非行やいじめなどの問題行動、中退者の増加などが問題になったことが、埼玉県が積極的に道徳教育に取り組むきっかけだと県教委は説明する。

 全生徒を対象に各学年で、原則としてロングホームルームなどの時間を活用し、2009年度は年に3回以上、2010年度からは年に5回以上は実施するように、県教委は各校に通知した。

 けれども、道徳教育の取り組みには学校によって差がある。埼玉県教委によると、進学校ではキャリア教育と結びつけて行われることが多く、学力の低い学校では生活指導や生徒指導と結びつけることが多いという。

 「先生方はどのように道徳の授業をやればいいか迷っていると思う。埼玉県教委でも研修会や研究会を開いて実践授業をしたり、小中学校の道徳主任の先生を呼んだりして研究を続けている。県教委では生徒用の道徳教材や教師用の指導資料集を作成したが、このほかに、小中高校の実践を一冊にまとめた事例集を作成しているところです」

 埼玉県教委も2009年度に、茨城県教委と同じような体裁で、生徒用テキストと教師用の指導資料集を独自に編集した。茨城のテキストを参考にしながら、現役の高校教員も作成委員として協力し、準備期間も含めると完成までに2年間をかけたという。

 テキストのタイトルは「明日をめざして/高校生のための『人間としての在り方生き方に関する教育』」。生徒用はA4判で123ページ、オールカラーだ。

 埼玉県教委のテキストは「埼玉県」を前面に出してアピールしているのが特徴だ。「埼玉ゆかりの三偉人」として、日本で最初に公認女性医師となった荻野吟子、江戸時代に盲目の国学者として活躍した塙保己一、実業家として日本資本主義の基礎を築いた渋沢栄一の3人の話を大きく取り上げる。ほかにも埼玉県の名産の紹介や、埼玉県出身でプロゴルファーとして活躍する石川遼選手の成長記、棋士の羽生善治名人のエッセイも掲載しており、県教委は「これを機会に埼玉のことを好きになってほしい」と期待する。

 テキストには、サッカーの中村俊輔選手のエッセイ、イチロー選手の生活を紹介した文章、あさのあつこさんのエッセイ、高校生の作文なども含めて、38編の文章と11編のコラムが掲載されている。

 茨城県では1年生の生徒に1冊500円で購入させているのに対し、埼玉県教委では全生徒数のテキストを用意して、各クラスに据え置く形で各学校に無償配布する。年5回ある道徳の時間のうち3回の授業でテキストを使った学校もあるが、テキストをどのように扱うかについては各校まちまちだ。

 「道徳教材の使用は強制していません。かつての道徳教育というと、あまりいい印象を持っていないかもしれないし、戦争中のように一方的な価値を教え込むことを警戒する声もあるが、県教委が進めようとしているのはそういうことではない。学習指導要領をもとに、小中学校での道徳教育の内容も踏まえた指導です」

●「全体計画」の記入項目は最小限に

 埼玉県教委は道徳教育を推進するため、2010年度からすべての県立高校に対し、各校が行う道徳教育について、全体計画と実施計画書をそれぞれ1枚ずつ提出するように通知した。

 あらかじめ県教委が用意して示した計画書のひな形には、目指す学校像(校訓・スクールモットー)、学校の教育目標、道徳教育重点目標、各学年ごとの重点目標といった記入欄がずらっと並んでいた。さらにこのほか、生徒の実態、地域の実態、各教科・科目、総合的な学習の時間・特別活動等、生徒指導、進路指導、家庭との連携、地域社会との連携などの項目もあった。

 これにはさすがに、項目が多過ぎるし細かすぎるという批判が噴出した。

 「そもそも教育課程は各学校で自主的に編成するもので、県教委が内容や方法を押し付けることは許されない。道徳教育全体計画の項目は最小限にすべきだ」

 埼玉県高等学校教職員組合のこのような申し入れに対し県教委は、「目指す学校像」など4つは必須項目とするが、そのほかの「生徒の実態」「各教科・科目」「総合的な学習の時間・特別活動等」といった項目は必須項目とはせず、各学校の実情に合わせて、学校独自の形式や書式で構わないとした。

 現場の教員はほっとした表情を見せる。国語や公民ならいざ知らず、数学や理科や芸術などの教科で「道徳教育」をどのように教えるか検討して、「計画」を文章で示すようにと言われても戸惑ってしまうからだ。

 「数学的論拠に基づいて判断する態度を育てる」

 「生物の学習において他者への理解・尊重する心を育成する」

 「バイオテクノロジー学習において生命観・生命を尊重する心を育成する」

 こうした記入例を見せてもらったが、思わず苦笑してしまった。このようなこじつけにしか思えないようなことを考えて、それを道徳教育と称して各教科の授業中にわざわざ教える必要がどこにあるのか、残念ながら筆者にはさっぱり分からなかった。同じような感想を抱いているのは、けっして筆者だけではないはずだ。

●「どうして今さら」教員たちの困惑

 「日ごろからやってる生徒への指導とどう違うのか。今までもやってるのに、なんで道徳教育なんだ」

 それが正直な気持ちだと、埼玉県立高校の教員は困惑する。

 高校教員は教科を教えるだけでなく、進路指導、頭髪服装指導、薬物乱用防止教育、人権教育といった生徒への指導を日常的に行っている。高校生のDV(ドメスティック・バイオレンス=恋人間の暴力)など生徒間のトラブルや地域の清掃活動にも関わる。いずれも、埼玉県教委が道徳教育の具体的内容とする項目に含まれているもので、現場では「何を今さら」という思いが強いようだ。

 「少年犯罪が増加しているとか、若者の規範意識が低下しているなどと言って一部の専門家や教育委員会が危機感を煽るが、何の根拠があってそんな主張をするのでしょうか。イメージだけをもとに道徳教育の必要性を強調しているようで、学校現場の意識と大きな格差があります。むしろ、お金もないし仕事もないという厳しい社会状況の中で、生徒たちが騒ぎもしないで頑張っているのが不思議なくらいですよ」

 埼玉県の道徳教育について研究する高校教員は、そんな感想を漏らす。

 「石川遼選手やイチロー選手など成功した人の話を読ませて『夢を持とう』と教えるだけでいいのかなと思いますね。すべてを個人の心の問題に矮小化していいのか。社会の矛盾に気付いて、どうすればいいのかを考えることが必要なのではないですか」

 道徳教育によって何を目指すのか、現場でも一人一人の教員の考える定義やイメージはそれぞれ違う。県教委も「各学校で判断」という形で、現場に任せる姿勢を示す。

 むしろ埼玉県教委が重点的に取り組んでいるのは、道徳教育ではなく大学進学だろう。生徒や保護者のニーズはもちろん、圧倒的に進路指導に傾いている。夏休み中もみっちり4週間の補習授業をするなど、教員も一生懸命だという。

 「現場とは関係ないところで、わざわざ道徳教育をやれなんて言われても、ムチャぶりですよ」

 県立高校の教員の多くは、埼玉県教委の道徳教育推進の方針を持て余しているというのが実態のようだ。

●川口の小中学校では「道徳の通知表」

 比較的のんびりしている様子の埼玉県立高校と比べて、年間35時間が必修になっている小中学校では、道徳教育についてかなり踏み込んでいるところもあるようだ。

 埼玉県川口市の市立小中学校では2009年度、クラスの子どもたち全員に「道徳の通知表」が配られた。川口市教育委員会が各校に対し、道徳教育の「全体計画」や「年間指導計画」のほかに、全児童・生徒分の「学級における指導計画」を作成して、子どもたち一人ずつに配ることを求めたためだ。

 県教育委員会が用意したひな形をもとにした「通知表」(「学級における指導計画」)には、「学級における道徳教育の基本方針」や「教師の願いを実現するための具体的手だて」などの項目のほかに、子どもと保護者のそれぞれに目標を立てさせて、あらかじめ記入する欄が設けられている。その上で、子どもと家族から見たそれぞれのひと言、教員によるひと言の評価を学期末に記入する構成になっていた。

 川口市教職員組合によると、2009年度は市立の小学校47校、中学校24校のうち約半数の学校で「道徳の通知表」が作成されて各家庭に配られた。残りの約半数は、個人向けの記入のない計画部分だけを書いて対応したという。

 川口市教委は「児童や保護者も記述できる部分を設けるなど、学級や家庭で日常的に活用できるように工夫すること、と示されている文科省の学習指導要領解説を反映させただけだ」と説明する。しかしこれには、「あまりにも教職員の負担が大きい」「通常の通知表の所見と重なる」などの悲鳴が現場から噴出した。そればかりか、校長の間からも「そこまでする必要はないのではないか」といった声が出た。

 このため市教委は、2010年度からは書式や内容や活用は各学校の裁量や工夫に任せるとし、全員分を作成する「道徳の通知表」のようなものは提出しなくてもいい、と姿勢をトーンダウンさせた。

 道徳教育に力を入れる川口市は、2008年から10月9日を「道徳の日」と定める。各学校ごとに授業の様子や取り組みなどを模造紙にまとめて、毎年この時期にキャンペーンとして市役所ロビーで展示している。2008年は市内の小中学校の3分の1の27校が参加し、2009年は半数を超える50校が参加した。

●「市民」育てるシチズンシップ教育

 神奈川県教育委員会は2007年度から、「シチズンシップ教育」という新しい試みを始めた。県教委高校教育企画課の担当者は、「自立した社会人を育成するため、積極的に社会参加する能力と態度を育てる」とシチズンシップ教育のねらいを説明する。

 シチズンシップ教育は、政治参加、司法参加、消費者教育、道徳教育の4つを柱として掲げる。具体的には、国政選挙に合わせて実施する模擬投票などを通じて政治意識を高めるほか、裁判傍聴や模擬裁判などを通じて裁判員制度への理解を深めたり、司法参加に対する意欲を養ったりする。また、消費者教育では、金融トラブルの未然防止など消費者の権利と責任を学ぶ。道徳教育では社会規範意識を高め、人間尊重や共生などについて理解するとしている。

 県教委は、2007年度から2009年度まで8校を指定して実践研究を積み重ねて、2010年度には全県立高校で試行・準備を行っている。2011年度から本格実施させる計画だという。

 神奈川県立総合教育センター(藤沢市)は2009年3月、シチズンシップ教育の意味やカリキュラム、実践例などを「推進のためのガイドブック」(A4判、59ページ)にまとめて、教職員の参考にしてもらうため、県内の公立の小中学校と高校にそれぞれ1冊ずつ配布した。

 これまで、実践研究校で政治・経済などの授業の一環として模擬裁判や裁判傍聴を行ったほか、2007年7月の参院選の投開票に合わせて、実践研究校4校で模擬投票を実施している。2010年7月には神奈川県立高校144校のすべてで全生徒が参加して、参院選の模擬投票をした。

 模擬投票では、生徒は事前に選挙公報やインターネットを使って各政党のマニフェスト(政権公約)を調べ、主な政策を比較検討する。その上で、実際の投票所で使われる記票台や投票箱を使って、本番と同じ形式で一票を投じるという流れだ。

 現代社会や政治・経済のほか、ホームルームや総合的な学習の時間などが事前学習の場となる。生徒は選挙制度の仕組みや、有権者として意思決定するための情報収集の意義などについて学んだ。投票内容はすべて生徒の判断に任せ、棄権の自由があることも教わるという。

 模擬裁判は、刑事裁判の手続きや意味について学ぶのが目的だ。被告人・弁護人・検察官・裁判官・証人・事務官・廷吏・刑務官・傍聴人の役割を生徒が分担し、用意されたシナリオに基づいて裁判劇が進行する。実践研究校では、証拠や証言をもとに争点を整理して事実認定し、評議は参加した生徒全員が討論形式で行った。

 日程や予算の都合が付いたクラスでは、横浜弁護士会の弁護士が事前準備や模擬裁判に参加した。事前学習の一環として希望する生徒を引率して、夏休み中に裁判傍聴を行った学校もある。

●シチズンシップは「新しい道徳」か

 自立した市民・主権者として社会のあり方について理解を深め、自分の考えをしっかり持った社会人を育成するのは、教育の大切な役目だ。シチズンシップ教育にはそういう役目があるし、担当する教員の問題意識と力量によって、どのようにでも料理できる可能性がある。授業を生かすのも殺すのも教員次第なのは間違いない。

 分かりにくいのは道徳教育との関係だ。シチズンシップ教育とは、道徳教育の新しい形なのだろうか。それとも、社会科が進化・発展した形なのだろうか。

 「道徳教育とシチズンシップ教育とは別ものではない。両者は相関関係にあります」と神奈川県立総合教育センターの担当者は説明する。教育センターがまとめた「ガイドブック」では、参考にしたシチズンシップ教育の「先進校の取り組み」として2つの事例が示されている。

 1つは、「提案や意思決定の学びを通して市民的資質を育む教科」として、2001年度から実施されているお茶の水女子大学附属小学校の「市民科」。もう1つは、従来の道徳と総合的な学習の時間、特別活動を融合させて、2006年度から実施された品川区立小中一貫校の「市民科」だ。神奈川県では、高校だけでなく小中学校でも実践することを視野に研究してきたという。

 また、神奈川県教委高校教育企画課のシチズンシップ教育の担当者は、「道徳教育の全体計画の中にシチズンシップ教育は位置づけられている。各教科や総合的な学習の時間、ホームルーム、特別活動などの中で、各校の実情に応じて実践してもらうのが望ましい」としている。

 一方、神奈川県教委高校教育指導課の道徳教育の担当者は、「茨城県のように道徳教育の時間を確保して必修化するとか、東京都のように奉仕体験活動を必修化するようなことは神奈川県は求めていません。それぞれの学校の特色や独自性に応じて、さまざまな教科や特別活動の中で工夫して道徳教育に取り組んでほしい。『人間としての在り方生き方に関する教育』をするのが道徳教育であって、よりよき市民を育成するのが目的のシチズンシップ教育とは違います」と話す。

 道徳教育であってもシチズンシップ教育であっても、あるいはどの教科でも同じだろうが、やはり教える側によってどうにでもなるということなのだろう。

初出掲載(教育研究所「ねざす」No.46=2010年10月号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


 【取材メモ】このルポは、財団法人・神奈川県高等学校教育会館の教育研究所から依頼されて、同研究所の機関誌「ねざす」の巻頭特集「道徳教育・シチズンシップ教育」のために執筆した。


(C)池添徳明(いけぞえのりあき)2010年


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