23/9/16
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理論武装塾

低料金不妊手術


アニマルポリス(動物の不妊去勢と尊厳死を考える会)は健康体でも安楽死は必要だと提言します。

安楽死の必要性については、動物が健康かどうかの問題ではなく、《正しく飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題。動物人口過剰だからこそ、苦痛死されている。

福島県も苦痛死を温存。苦痛死の最高責任者は佐藤知事。そのため、当方は安楽死に協力してくださる獣医を求めています。

愛護団体の多くは、行政に苦痛死から安楽死へ改善するようにと要望している。それは、全頭を行政処分場から救出するのは不可能だと理解しているからだ。残念ながら、行政に安楽死に改善するように求めても一向に変わらない(下関市は改善済)。

行政が改善しないなら、自分が行政の代わりにしようと考えるのが、
動物愛護者なら自然の流れ

その自然の流れに沿って捨て身で実践していたのが、動物福祉協会阪神支部だった(現在は「CCクロ」)
その勇気ある行動を愛護団体が批判するのは大いに矛盾する。
行政に対しては、安楽死に改善するようにと求める連中が、自分らは決して安楽死には拘わりたくないというのは卑怯ではないのか。

それでいて、彼らにはその自覚がない。つまり、他力本願が染みついているということ。行政へは要望するが自分では絶対にやらず、それを正当な活動だと思い込んでいる。

彼らが『自分は決して殺したくない』という感情を貫くには、安楽死に拘わらないで臭いものに蓋をし、改善意欲があるとは思えない行政に対して、処分方法を改善するに止まるのが楽なのだろう。今日も明日も明後日も動物たちが苦しみながら死んでいこうが構わないということ。それでいて、それを自覚できていない。

彼らは目に見えない現実を見ようとしない。目に見えようが見えまいが、現実は存在する。毎日毎日、苦痛死していく動物たちが存在するのは否定したくても否定できない事実。



【健康体の安楽死の必要性】

処分を減らす為に去勢避妊を徹底させる・里親探しをすべきなのは、誰でもわかるが、そう簡単にはいかない。まず、動物福祉に携わる有志はごく僅か。そして、有志が不妊手術や里親探しをするのと時を同じくして、保健所へ持ち込む飼い主が後を絶ちません。
一例を言うと、福島市で不妊手術に奔走している時に、郡山市の住民が保健所へ持ち込んでいる。だからこそ、保健所へ持ち込まずに、病院で安楽死をすべきだと啓発すべきではありませんか。

繁殖を正しいと思い込んでいる人の意識を覆すには、相当なエネルギーを要する。だかこそ、これだけ処分数が多い。行政処分数から見ても、処分ゼロを目指す人は多くても処分ゼロにできた人はいないと解る。

自分が健康体の安楽死に携わりたいかどうかではなく、動物人口過剰の為、健康体が毎日、苦痛死させられている現状からを直視して欲しい。年40万匹として、過去2年で80万匹、過去3年間では120万匹が苦痛死処分された。その命は苦痛死で良かったのですか? 




【動物人口と正しく飼える世帯の比率】

安楽死の必要性については、動物が健康か病気の問題ではなく、《正しく飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題ではありませんか。有志が助けた命は全体の一部に過ぎません。助けられなかった命は苦痛死で良かったのですか。自分がどうしたいかではなく、苦痛死処分されていく動物の立場から考えてみませんか。



【健康体でも悪い人が飼うと動物は病気になります】

虐待されても動物は自力で脱出できません。だからこそ、里親探しは慎重でなくてはいけません。悪い人へ渡すくらいなら健康体でも安楽死したほうが動物の為ではありませんか。動物は喜怒哀楽の感情と、痛覚を持ち、自活能力がないからです。



【木を見て森を見ていない】

視野の狭い人は、僅かに助けただけで、全頭、助けた気でいますが、その人達は、全体の一部しか助けていません。有志が一匹助けている間に、時を同じくして他の場所では苦痛死されているのす。有志は苦痛死された動物をも同時に助けたのですか?助けきれていないからこそ、これまでの永い永い間、数え切れないほどの命が、苦しみながら処分されてきたのではありませんか。
時間と空間の広がりを持たせて考えてみませんか。



【トンチンカンなNPO】

「ウチの団体は一匹たりとも安楽死せずに全頭助けている」と言うNPOがある。それは思い違いに過ぎない。狭小範囲に限定して助けているに過ぎない。「ウチの団体は去勢避妊を必ずしますから、安楽死はしません」とまでも。ここまでくると知性レベルを問いたくなる。
当方は、産ませて安楽死しろと言っているのではないし、言うはずもない。頭を叩くとおしりが痛いと反応するような知見の者らが動物福祉NPOとして活躍(?)している。



【理念高き福祉団体】

(社)日本動物福祉協会・阪神支部の活動を、現状に即した最も正しい活動だと評価します。同協会阪神支部は、苦痛死を慣行する保健所へ渡されるのを防ぐために、捨て身で、飼い主から見捨てられた多くの命を引き取り、
●正しく飼える方への確実な譲渡 ●去勢避妊の啓発、実践 
●保 護 ●安楽死 ●メディアや行政等へのアクション 等を行ってきた。
 
心から動物を慈しみ、捨て身で正しい活動を行ってきた優しさ溢れる有志たち。



【大は小を兼ねる】

たった1〜2匹で大変だと嘆いている人ばかりが多い中、何十匹も何百匹も抱えている有志が、簡単に全頭に里親探しができると思いますか。



【命を尊重するには物理的要素を整える必要がある】

多くの人は、命を尊重するべきだと安易に言うが、命を尊重するには以下の物理的要素を整えなくてはいけません。
● 安全な場所の確保 ● 安定したエサの供給
● 毎日の世話 ● 去勢避妊やワクチン、病気時の医療費、は必要最低条件。

多頭保護は、必ず経済的に行き詰まります。里親さんが簡単に見つかるわけでもありません。悪い人を無理矢理、良い人に見立てて渡すと動物を不幸にします。
なので、健康体でも安楽死も考えてみませんか。安楽死が必要かどうかは、動物が健康か病気かの問題ではありません。
《正しく飼える世帯数》と《動物人口》の比率の問題です。

口だけは出すが、お金も労力も出さない人や、論理性なき人は「生かすべきだ」と叫んだだけで生かせると考えているようだが、物理的思考が必要です。

一匹の犬の餌代が一日○円だから、50匹だと合計で一日○円になり、それを○年続けたら、エサ代だけでも○円になる。一匹の犬の散歩にかかる時間が△分だから、50匹では△分になる、それに必要な人員は△人だが、毎日△人の散歩スタッフを確保できるのか、というように物理的思考が必要です。特に算数が苦手な方は要注意。

思考力のない輩がマスコミを煽動し、一時は間違った世論形成がされたが、最近はその間違いに気づく人も多くなりました。



【繁殖は諸悪の根源】

【因果関係】
  
去勢避妊を受けさせない飼い主・繁殖業者・ペット店から買う人を容認したまま、里親探しに奔走したところで解決にはなりません。繁殖する人を犯人扱いしない限り社会は変わらないでしょう。ただ、心からの善意で誤って繁殖してしまう人もいます。なので繁殖する人が悪人とは限りませんが、それでも繁殖は犯罪です。人を憎まず罪だけを憎むことも必要でしょう。私は根っからの悪人については罪も人も憎みます。


【去勢避妊を受けさせない飼い主を探しだして啓発を】

「処分反対」と叫んだところで、不妊手術が進まなければ処分数は減りません。逆に処分反対と叫ばなくても手術が進めば処分数は必然的に減ります。


【誓 約 書】 

保健所からレスキューして、去勢避妊の確約さえも取らずに里親へ渡す人がいますが、悪循環では? 誓約書は必要ですし、誓約内容を履行しない場合、返還してもらうという事項を入れない限り、誓約書の意味がありません。
里親探しの頭数を多くすることに傾注し、かえって動物を不幸にする団体があります。現に、横浜の複数猫連続虐待犯人へ猫を安易に譲渡したのは、横浜市から里親探し事業として助成金をもらっている病院と、千葉の愛護団体だったのです。



【行政へ苦痛死から安楽死へと改善を求める場合】
必要な条件は最低でも二つ。
●行政から尊敬されること。●行政よりも力を持つこと。

要望するには、『処分の可視化』と『引取りの可視化』も求める必要がある。その理由は、仮に安楽死に改善すると決まった場合、10匹引き取ったとしても1匹しか引き取っていないと偽装し、1匹のみを公開で安楽死し、残りの9匹は陰で苦痛死ということもあり得るからだ。



そ  の  他

【「飼う」と「保護」は別】
 
自分の気持ちを癒すために飼うのと、不幸な動物を見過ごすことができなくて保護するのは次元が違う。表面は同じに見えても中身が違う。


【飼わせて頂いている】 

自分の気持ちを癒すために飼っている人は《飼わせて頂いている》という意識が必要。動物から頼まれてもいないのに、勝手に飼育しているので《少なくとも自分の家からは一匹たりとも不幸な動物を出してはいけない》という最低限のマナーを守りましょう。
猫一匹すら、まともに飼えない人間が子供を産んではいけません。子育ては猫一匹を飼うことより遙かに難しいのだから。子供を持つ権利を簡単に与えてはいけない。ろくでなしの子はろくでなしにしかなれないのだから。