「未完成」の続き

 「グレート」のページを作ろうとスコアを見ていたら、なんとなく「未完成」の3楽章の譜面に目が止まってしまいました。未完の曲を後の作曲家が完成させようという試みは「未完成」も含めて数多くなされてきましたが、やっぱりなかなか「試み」の域を超えるものとはならないようです。作曲家の死後に補筆して完成した曲では、モーツァルトのレクィエムは完成した形で演奏されますが、多くは未完成のまま演奏されることが多いようです。
 以前、アマチュア・オケでブルックナーの交響曲9番の完成版の演奏を聴いたことがありますが、4楽章はなんか急に若い番号の交響曲に戻ったような違和感がありました。モーツァルトのレクィエムもLP時代ではA面(ラクリモーザまで)で聴くのを止めてしまうことが多かったし、マーラーの10番は完成版の演奏を聴いたこともありません。プッチーニの「トゥーランドット」もリューが死んだところで止めてしまうことが多いです。やはり万人の納得のゆく補筆って無理なんでしょうね。

 シューベルトの「未完成」ですが、3楽章のTrioの最初までのピアノ・スケッチとオーケストレーションされた9小節のスコアが存在するようです。ピアノ・スケッチは左手の声部がなかったり、不明な箇所や明らかにおかしげな所もありますが、とりあえず音にしてみたので聴いて見て下さい。(下の譜面はピアノ・スケッチの冒頭)

ピアノ譜

オケ譜

[ピアノスケッチ]

[オーケストラ]

 うーん。どうもイマイチ冴えませんなぁ。シューベルトがこの曲を完成させなかったのは勿論死によってはばまれた訳でなく(死の6年前に書かれているらしい。)、3拍子の楽章が3つも続いて行き詰まったとか、音楽的に2楽章で完成してしまって書けなくなったとか想像されているいみたいです。でも結局未完成のままお蔵入りしてしまった(死後37年後の1865年に初演)ということは、シューベルトの気に入らなかった何かがあるのか・・・。

 あくまで私見ですが、シューベルトの器楽曲の3・4楽章は1・2楽章に比べて軽いものが多い気がします。だから、重要なドラマ・語るべきもの・音楽的な冒険など「ゾッ」とする瞬間みたいなものは1・2楽章で語り尽くされ、3・4楽章は衝撃(感動)を受けた音楽的感覚をシューベルトの美しい音楽に浸ることでクール・ダウンしていく・・・みたいな聴き方になってしまいます。
 そういう聴き方をしてしまう自分にとっては「未完成」の後を引き受ける3楽章にこのピアノ・スケッチではちょっとインスピレーションが薄いというか、役不足の感は否めません。ひょっとしたら埋もれたままになっていたかもしれない2つの楽章が「未完成」として世に出ているだけでも良しとするべきなのでしょう。

 

 


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