「もっとショスタコを聴かせてくれ!」

ショスタコーヴィッチ・フェスティバル1998に寄せて

ポスト・マーラーはショスタコか?
 マーラー・ブルックナーの次のブームはショスタコーヴィッチだといわれるようになって、もうどのくらいたったのでしょうか。はじめて「次はショスタコ」と聞いたのは10数年以上前でなかったでしょうか。果たしてショスタコのブームは来たのでしょうか?
  マーラーやブルックナーのブーム(オペラも同様か?)はたぶんにバブル的側面があって正しい?ブームとは思えないのだけれど、それにしても云われるほど彼の音楽が一般的になっているのでしょうか。

 ショスタコといえば何と言っても交響曲5番、ちょっと古いけど1997年版の音楽の友社のCD&LD総目録ではざっと30種くらいのディスクがあるようです。これは同じSのシベリウスのどの交響曲より、R.シュトラウスの「ツァラ」より多いディスク数です。ところが他の交響曲は1・9・10番以外は10種にも足りません。全集に至ってはインバルの1種のみ(実際に入手可能な全集はハイティンク・ロストロ・コンドラシンなどありますが)で、ショスタコといえば交響曲5番のみといった状況です。これは実際の演奏会でも同様のようで、5番のシンフォニーは国内外のオケを問わず比較的よく演奏会にのるのですが、ソ連崩壊後のロシア・オケの来日ラッシュでも5番以外のシンフォニーはなかなか取り上げられません。(ボロディンのシンフォニーなんていうのもあったりするのに。)

 かく言う私も半年ほど前までは交響曲なら5・9・10番くらいしかまともに聴いたことがなく、交響曲以外となるとチェロ・ソナタしか聴いたことがないような状態でした。ショスタコのシンフォニーをもっと聴いてみようと思ったのは、FJのニュースでショスタコのシンフォニーに関して色々と書かれていたのを読んで興味を引かれたからですが、FJのニュースもそうですし、Classical CD Collectionsの掲示板でもショスタコは結構取り上げられています。そのようなクラシックをよく聞き込んでおられる方々にはショスタコのシンフォニーは身近なようですが、標準的(?)なクラシック・ファンな人々にはやはり馴染みが薄いのではないでしょうか。

 あくまで私の場合ですが、普通一曲気に入った曲ができると、同じ作曲家の別の曲へ、同じ曲の異なる演奏家の演奏へと触手が伸びていくものですが、ショスタコの場合は早い時期に5番は好きになったものの、なぜかそういう展開がありませんでした。
 まず第一に他のシンフォニーが5番ほどとっつきやすくなかったような気がします。5番の次に聴いたのは10番だったのですが2楽章はとても格好良かったものの、他の楽章は今いちでした。もっとも私の場合まだベートーヴェンのシンフォニーでさえ5・6番しか聴いたことがなかった時期なので仕方がない気もしますが、その後9番を聴いたときには5番のようなシンフォニーを当てにしていたので、すっかり肩すかしをくらいました。また13番ではロシア語の歌がネックになって「うーん・・・」でした。
 また同じ5番のシンフォニーも2枚目でバーンスタイン(旧盤)を聴いてすっかり気にいってから、他の演奏を聴く気があまりなくなってしまったのと、たまにFM放送などで他の演奏の5番を聴いても「やっぱりショスタコの5番だぁ」としか思えませんでした。

ショスタコの音楽は誰がどう演奏してもショスタコ?
 ショスタコの音楽って誰が演奏しても余り違いがでない気がしませんか?バッハの音楽は様々なアプローチが試され、それぞれが成功しながらも(勿論、失敗もあるでしょうが)確固としたバッハの音楽が、そこにある・・・みたいなことがいわれます。ショスタコの音楽は、バッハの場合ように肯定的・建設的な意味でなく、色々なアプローチをしてみても画一的なショスタコ像しか浮かんでこない・・・というような感じがします。
 既に物故した今世紀の巨匠や現役のスター指揮者でも、全曲の演奏へ向かうタイプと、全く手を着けないか、ディスコグラフィの一つとして5番だけ残すタイプの両極に分かれがちですが、これもひょっとしたら新しいショスタコ像を作り出せないから、あえて自分がディスクをリリースあるいは演奏会で取り上げる意味を見いだせないと考えているからなのかもしれないと思ったりします。

ショスタコの音楽の印象(あくまで私見)
 その、ショスタコのどの演奏からも受ける画一的な印象というのは、誤解を恐れずに言えば(ロシアの音楽ではなく)「ソビエトの音楽」という印象です。
ロシアの音楽が大地に根ざしたメランコリックで夕暮れの空を思わせるような色彩の音楽に対して、ソビエトの音楽というのは都会的・官僚的でシルバーグレイを基調としたメタリックで単色な色彩の音楽といったら良いでしょうか。(なんとなくネガティヴな表現ですが決してけなしている訳ではありませんよ。)
 この戯言は5番のシンフォニーを念頭に置いて聞いて下さってもいいのですが、ショスタコの音楽には満たされた感覚あるいは暖かい喜びの感情みたいなものに決定的に欠けている気がします。
(メタリックで単色的な印象に関わらず)音響的な快感に事欠かないショスタコの音楽ですが、彼の音楽に少なからず現れる加速・前進というより暴走・突進するような部分では、それはポジティヴな情熱というよりは、耐え難いストレスからの逃避がエネルギーとなっている気がします。
 これまたよく現れる一見(一聴?)華やかなお祭り騒ぎにも、真に明るい感情ではなく自虐的な嘲笑の響きがつきまといます。この自虐的で時に自己風刺のような響きは、彼の音楽の一方の特徴でもあるクールでスタイリッシュな部分からも聞き取ることができます。
 ショスタコの音楽がロシアでなくソビエトを感じさせる原因のもう一つは土臭さを感じさせない点です。寂寥感ただよう静かな曲調の部分でも、哀愁とかメランコリック・ノスタルジックではなく、自然と会話する術を失った現代人が無口な自然を前に呆然と佇んでいるような趣を感じさせます。
 総じてショスタコの音楽は、決して聴き心地の良い甘口なものではなく、私にとってどんな曲にも多かれ少なかれえん下するのに何かしら苦痛を伴うものです。(勿論嫌いという意味ではない。)

得体のしれないショスタコ(ショスタコを取り巻く様々な憶測)
 ショスタコの音楽を聴く上で、ショスタコと体制との関係の様々な見解も、我々聞き手に難しい問題を投げかけます。ショスタコと当局との芸術上の軋轢があったことは確かなようですが、それがショスタコの音楽に具体的にどう影響したかは様々な見解があり、はっきりしません。一見肯定的な音楽が、実は毒気を隠したアイロニーなのか、ただ批判をかわすだけの方便なのか。多くのパロディや引用も含めて、例の「証言」以来、色々なことが云われていますが、結局ショスタコの音楽をさらに分かり難くしている気がします。

5番の次に何を聴くか?
 さて、そんなショスタコの音楽に馴染むためには、5番のシンフォニーの次に何を聴くのが良いのでしょうか。
 まだ自分自身カバーできている範囲が狭いのですが、そんな私としてはとりあえず1番のシンフォニーをお薦めしたいと思います。1番のシンフォニーにはショスタコの様々なスタイルの萌芽がちりばめられているので、1番を聴きながらショスタコの音楽のどの部分に己の琴線が触れるのか探ってみると、さらに次に聴くべき曲の方向性が見えてくるかもしれません。
 もしショスタコの音楽の粋でスタイリッシュな側面に興味がわけば9番や15番のシンフォニーなどへの展開も考えられるし、以外に民族的な側面や親しみやすさを感じたなら初期の管弦楽曲や12番のシンフォニーなどを聴いてみるのもいいかも。
 音響的な快感にひたることが好きな方(自分自身はこれに一番近い)なら4番や8番のシンフォニーをお薦めします。実際8番のシンフォニーは5番によく似ています。(特に1楽章は似ている。)
 4・8番は5番のシンフォニーにもう少し毒気を強くしたようなところがあり、ある種の聞き易さと「食道の通過障害」感みたいなものが同時にあって、5番を聴くときよりアドレナリンの放出量が増えるような気がする大好きな曲です。11番も好きなのですが、これはもう少し苦みがきついというか、ショスタコ独特の「痛み」の分量が多い気がします。
 あと室内楽に抵抗のない方なら弦楽四重奏を中心とする室内楽はどれも楽しめるのではないでしょうか。ショスタコの室内楽には、粋でスタイリッシュでありながら民族色もちょっと感じさせるし、独特の「痛み」を持ちながら親しみやすさもあり、(室内楽としての)音響的快感もありながらインティメイトな音楽であるといった風に、実にバランスよくショスタコの特徴が現れている気がします。

誰の演奏で聴くか?
 ショスタコを誰の演奏で聴くか、人に推薦するのも今の自分には難しい問題です。
 ショスタコの音楽をいろいろ聴いてみたいのであれば、やはりロシアというか旧ソビエトの演奏家のものが良いと思います。それはやはりショスタコ独特の「痛み」が西側や東欧の演奏者より、より切実に聞こえるような気がするからです。これは同じ体制下で生きた生乾きの同時代性によるものなのでしょうか。だとしたらソビエトが崩壊した今後、ロシアの演奏家のショスタコの演奏スタイルがどう変化していくのか興味あるところです。
 で、具体的なお薦めですが、コンドラシンの全集というのが良いのではないでしょうか。これは分売されていた8番を聴いて感動していたところに国内版で再発売があったので、私自身も思わず購入しました。4番と8番に関しては今のところ私のベストです。
 ムラヴィンスキーも良いのですが、全曲が揃わないのと、旧い録音しかない曲もあり、音響的快感も重視してしまう私としては次点です。
 ショスタコ独特の毒気というか「痛み」みたいなものが嫌いな方は西側の演奏家から選んではどうでしょう。

 ショスタコの少し違ったスタイルの演奏を聴き較べてみたいという方には、これはとにかくいろいろ聴いてみて下さいというほかありません。(私も探しているので面白いものがあれば教えてほしい。)
 とりあえず私が聴いた中でちょっと気になったものだけ挙げておきます。

  • ビシュコフ指揮 ベルリン・フィル 交響曲5番
     全体としては特に変わったことはしていないし、純音楽的なアプローチによるオーソドックスな印象を受けます。が、純音楽的であるが故?にかなり情緒的に「乾いた」演奏で、それが部分部分に譜面の「素の響き」みたいなものを聴かせてくれます。それが時にショスタコの「乾いたユーモア」みたいなものを感じさせる演奏になっています。11番も同じ顔合わせの演奏がでています。立派な演奏ですが、曲が5番に較べて辛口なので、5番のような面白さはありません。
     ビシュコフのこの演奏を聴いたときには活躍を期待したのですが、どうも思ったよりパッとしませんね。
  • 堤俊作指揮 ベネズエラ国立シモン・ボリーバル響 交響曲5番
     やっぱりこれはちょっと反則ですかね。このディスクは東芝EMIのエキサイティング・コンサート・ライヴ・シリーズの中の1枚で海賊盤や私家盤ではありません。現時点では、ゲテモノ的興味を含んでいることは否定できませんが、南米やアフリカ発のクラシック演奏が増えてきたら「これは××の音楽ではない」と否定ばかりできなくなるのでしょうか。ちょっと楽しみな・・・。
     この演奏もショスタコはショスタコなんだけど、ある種のノリがのってくる箇所が結構あって随所に目新しい響きを感じさせます。エンディングなどはロシア系演奏家のものとはまるで違う印象を受けます。録音やオケの水準では他のCDと同列に論じられないし、市場でみかけることのめったにないCDですが、興味のある方はご一聴を。
  • ヤルヴィ指揮 ィエーテボリ響 交響曲12番
     12番のシンフォニーはショスタコの中でも最も明るさと親しみやすさを持ったシンフォニーではないでしょうか。その体制寄りの内容(といっても真実のほどは?)と簡易な作風故にショスタコのシンフォニーの中ではあまり高い評価を与えられていない曲でもあります。
     最初に12番を聴いたのはムラヴィンスキーの演奏で、これはハード系のとても格好良い演奏でした。それでは録音の新しいものをといって聴いたのがこのヤルヴィの演奏です。冒頭から引き締まった悲劇的な響きのムラヴィンスキーと異なり、明るさを感じさせる演奏で最初はちょっととまどいました。が、聴き進むうちにその明るさと分かりやすさから、12番はショスタコの「田園」かもという印象を受けました。
     1番のシンフォニーから嗅ぎ取ることのできる民族色や、ショスタコがチャイコフスキーと同じ大地の人間であることを思いおこさせる演奏だと思います。
     ヤルヴィは他のシンフォニーも録音していますが未聴です。他のシンフォニーでも同じような特色がでているのか興味があります。
  • バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル 交響曲5番他
     なにを今更ともいえそうなバーンスタインの演奏ですが、今聴き直すとはっきりロシア系の正統的な演奏とは異なるのがわかります。ただしバーンスタインの音楽性とショスタコの音楽は決して近くない気がします。バーンスタインなら何でも好きという傾向の強い私でも、特に晩年のウィーン・フィルとの演奏はどうもピンときません。だから50年代末〜60年代前半のころのCBS(当時はコロンビアか?)に残したものがお薦めです。ここでは5番を挙げましたが、本当のところバーンスタインと相性が良いのは1番や9番の方だと思います。でも一番の聴きものはプレヴィンのピアノでバーンスタイン/ニューヨーク・フィルが伴奏しているピアノ協奏曲1番です。今から考えると凄い組み合わせですが、演奏も凄いです。見事にショスタコの毒気が抜けて・・・脳天気なまでにアメリカの音楽のようです。名演です。(決して迷演ではありません。でも今こういう演奏をしたら許されないような・・・。晩年のバーンスタインも大好きだがこの頃もすげぇや。)

ロストロポーヴィッチのショスタコ(ショスタコーヴィッチ・フェスティバル1998)
 ショスタコの音楽に興味を持って集中的に聴き始めて生演奏の渇望が強くなっていたときに、ロストロポーヴィッチが室内楽を含めて集中的にショスタコを取り上げるというのは、個人的に非常にうれしいニュースでした。が、集中的にというのが逆にネック(金銭的にもだが、頻繁に定時退社できる状態でなかった)で11番と12番の演奏会にだけいきました。
 正直言って、ロストロのショスタコというのは彼の粘性の高そうな音楽とショスタコの音楽との相性にピンとこなくて聴いたことがなかったので、今回のショスタコ・フェスも5番以外のシンフォニーが聴けるという点にのみ興味がありました。
 12番は読売日響の、11番は新日フィルの定期でもあったわけですが、望外のすばらしい演奏を聴かせていただきました。ロストロのショスタコを演奏することに対する使命感のような想いがとにかく熱い演奏で、冷静に考えるとやや雄叫びすぎな気もしますが、でも雄叫びをあげずにはいられないような熱いものが強烈に伝わってくる演奏でした。オケもロストロの想いが乗り移ったように定期とは思えない本気の演奏で、時には感動を通り越して恐怖に似たような感覚にも襲われました。ロストロさんにもオケにも興味を持たずに聴きにいった自分がとても恥ずかしくなりました。
 この演奏会は前述のとおり定期でもあったので、必ずしもショスタコ好きな聴衆ばかりではなかったと思うのですが、聴衆の受けや沸き具合も上々でした。このレベル(といって相当なレベルだと思うけど)の演奏が時々行われるようになれば、ショスタコの音楽も今よりずっと市民権を得られるのに・・・。
 今回のフェスティバルのプログラムは生前にショスタコが自ら選んだものとのことですが、ぜひそう遠くない将来に、今度はロストロさんが今回取り上げなかった曲からプログラムして、フェスティバルの続編をやってもらいたいものです。そのためにもロストロさん、お体に気をつけて。

 このフェスティバルの演奏を聴いてから、すっかりCDでショスタコを聴く気が失せてしまいました。ロストロの熱気に当たってしまったのでしょうか。しばらくリハビリが必要かも。(あー。それにしてももっと多くのプログラムも聴きに行けば良かったと後悔しきり。)

もっとショスタコを聴かせてくれ!
 ショスタコ・フェスティバルで益々5番以外の演奏の渇望が強くなってしまったのですが、少しだけその渇望を癒してくれそうな団体があります。ショスタコ好きがショスタコの演奏をするために結成された(らしい)オーケストラ「オーケストラ・ダスビダーニャ」がそれです。前から存在は知っていたのですがまだ聴いたことがありません。アマチュア・オケですが結構腕達者な人が揃っているらしいので期待しても良いのでは。既にシンフォニーは全曲の半分くらいは演奏しているとか・・・。
 とにかくショスタコ好きな、あるいは興味を持っているクラシック・ファンの皆さん。もっと大きな声で叫びましょう。「もっとショスタコをきかせてくれ!」

 

 


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