またまた、無伴奏チェロ組曲

 またまた、無伴奏チェロ組曲をとりあげます。なんかチェロと無伴奏とチャイコフスキーばっかりのような気がしますが・・・。
 以前に清水靖晃のテナーサックスでのバッハの無伴奏チェロ組曲について取り上げたことがありました。最近エプソンのデジカメのCMで4番のGIGUEが流れていたので、もしや残りの4・5・6番もリリースされたのかと気にかけてレコード店に通っていたら11月20日に発売になったようですぐに購入しました。レコード店でもCM使用曲と銘打ってポピュラー・クラシックのフロアともにディスプレイされていたので、評判のディスクではあるのでしょう。
 基本的には1・2・3番と似たようなコンセプトの演奏だと思いますが、今回の演奏の方が余裕というか良い意味での慣れというか練れた感じがあって、私には前作ほどセンセーショナルではありませんでしたが逆に素直に楽しめる演奏になっていました。
 前作の1・2・3番を聴いた時から、その演奏の面白さとは別にある興味があって残りの3曲の録音が実現されるのを半信半疑ながら心待ちにしていました。その興味があった部分とは6番のプレリュードの冒頭です。

 前に「脳内対位法」のページでも書きましたがチェロの調弦は左のように上からADGCとなっています。無伴奏チェロ組曲の6番はこの上にE線を張った5弦のチェロを想定して書かれているのですが、モダン楽器の演奏では普通の4弦の楽器で演奏するので、他の5曲に較べて技術的な難度が高くなっています。(といってもプロにとっては別に超絶技巧というわけではありません。)

 チェロでこのパッセージを引く場合、拍の最初のDの音はG線を押さえて、3連符のまん中のDの音(旗が上に付いている音)はD線の解放弦でスラーの中で移弦(一方の方向に弓を動かしながら弾いている弦から別の弦へ移動する)しながら弾きます。3連符の一つ目と二つ目の音は一見タイで結ばれているように見えますが、同じDの音ながら別の音と音を結ぶスラーなのです。スラーのかかっていない3連符の最後の音符はスタッカート気味に弾きます。これによって同じDの音程の音ながら指で押さえたG線の音、解放弦の音、スラーとスタッカートとに弾き分けられる効果がでるわけです。これがサックスでどう表現されるのか興味津々だった訳です。管楽器には一つの音程を出すための指使いが複数あるらしく、トリルなど非常に早く音を切り替える必要がある時にはスタンダードな指使いでなく、早く演奏しやすい指使いをとったりするらしいです。ひょっとしたらそういう替え指なんかの小細工をしたらどんな感じになるのだろうか・・・とか考えたりして。

冒頭
[プレリュード冒頭]

 結果は・・・なんかどう演奏しているのか良く分からないんですよね。ちょっと聴くと意外にも普通に吹いていてなお且つチェロで演奏されるのを聴くのと特に違和感がないのです。まぁ考えてみれば口三味線でもそれらしく歌えるのですから、そんなものかも知れません。でも何となく2つ目の音はオクターブ低く吹いているようにも聴こえるし、ただ音色の違いのようでもあるし。サックスについては良く知らないのでどなたか分かる方がいらっしゃれば教えていただきたいと思います。

 バッハの無伴奏チェロ組曲は私のお気に入りの曲の一つなので、今この曲の演奏で最もお気に入りの鈴木秀美のディスクは自宅と職場の2組を置いてあります。やはり最近発売された、私の最もお気に入りのチェリストである長谷川陽子のディスクもすぐに購入しました。まぁお気に入りの曲という割には決して多くはありませんが、この他には現在のところヨーヨーマ(新録)、ビルスマ(新・旧録)が手元にあるディスクです。LP時代や友人から借りたものを含めると今まで聴いた(演奏会やFM放送・TV放映などの意識的な視聴の繰り返しが不可能な体験を除く)のは、ナヴァラ、カザルス、フルニエ(新・旧録)、ジャンドロン、ロストロ(新盤ではない抜粋)、ヨーヨーマ(旧録)とメジャーな演奏家の入手しやすいディスクばかりで、改めて書き連ねてみると非常にスタンダードな選択ばかりです。

 そんな私のディスコグラフィの中で清水靖晃のディスクは変わり種なのですが、この他にチェロ以外の演奏で山下和仁と藤井香織のディスクを持っています。山下和仁のギターの演奏では無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータもあって圧倒的にこちらの方が好きなのですが、チェロ組曲も凡百なチェロの演奏(とは思ってないけど、言葉の綾ということで…)よりかえってかなり楽しめます。
 ほぼ楽譜通りの演奏ですが、ところどころオリジナルにない音を加えて和音を補っているようで、チェロで聴いていたときには感じられなかったちょっとした和声の色彩みたいなものが感じられる瞬間が多々あり、非常に新鮮に聞こえます。チェロの演奏を水墨画やモノクロームの写真に例えるなら、山下和仁の演奏から聴かれる印象はセピア色の写真の中に淡い色彩を見い出すような感じでしょうか。

 藤井香織のフルートによる演奏ですが、これは全曲ではなく1〜4番までのアルバムで、ご存じの通り比較的最近発売された彼女のデビューアルバムです。
 無伴奏チェロ組曲も個々の曲でみれば(アンコール・ピースなどで)フルートや他の管楽器などでも演奏されるのを耳にする機会もあるのでしょうが、プレリュードから聴くとこれはこれでなかなか面白いです。やはり原曲が弦楽器のための曲なので、山下和仁がギターで演奏しているより、ここで聴くフルートでの演奏には無理を感ずる箇所がいくつかあります。

 基本的に管楽器であるフルートには複数の音程を同時に発することはできません。それは管楽器であるサックスでも同じですが、清水靖晃はクラシック畑の音楽家ではないしこだわりがないのか多重録音や演奏会場(というより録音場所。洞窟や石切り場なども)の深いエコーを利用してらしく演奏しています。
 前に「実験 無伴奏チェロ組曲」でも触れたように、チェロで演奏しても3つ以上の音を同時には出せないのでアルペジョ奏法で演奏される訳ですが、弦楽器の場合は弓を弦から離した後も弦は振動しているので余韻や共鳴が残るので、弱いけれどピアノのペダルのような効果がでます。藤井香織もアルペジョで演奏しているのですが、管楽器であるフルートでは時間的に次の音を発声することはすなわち今の音が終わることを意味します。実際の演奏で聴くと最初は違和感がありますが、意外にポリフォニックな効果はでます。聞き慣れてくると、特にアルペジョが連続して現れるような場面ではその美しい玉を連鎖して転がすような様が、これはこれで非常に美しいものとしてななかな魅力的な音楽になっていると思います。

 弦楽器であるチェロは弦を弓で擦ることによって音を出します。発音する音の長さは弓を動かす速度によって変化はしますが、弓の長さに一応制限されます。(ちなみにちょっと意外かもしれませんが弦楽器族で一番弓が長いのはヴァイオリンで一番短いのがコントラバスです。)ただし弓を返してしまえば切れ目無く連続して音を出すことができますし、ちょっと上手になればソロでも一つの音符中で(それと分からず)弓を返すことも可能です。したがって連続的に音を出す点では実質的に制限は無いと言えます。
 一方管楽器では一つの音符の長さは奏者の息の長さに制限されます。(鼻から吸って口から吐くのを同時並行的に行う技法があるらしいのですが、音楽的な表現の幅は制限されそうです。この技法は単純なロングトーンの演奏局面でしか活用できないのではないでしょうか。)一つの音符に対してもそうですが、連続する複数の音符の演奏にしても同じです。必ず息継ぎが必要になります。人が歌うのと同じですから小難しい説明は不要でしょう。
藤井香織の演奏でも一番気になるのは、特に各組曲のプレリュードにおける息継ぎの問題です。2番のプレリュードのように結構メロディアスな曲では大きな傷にはなりませんが、ほとんど16部音符の連続となる1番や3番のプレリュードでは音楽の流れが中断してしまう印象を受けざるを得ません。プレリュード以外のテンポの速い曲ではほとんど気にならないのですが…。

 無伴奏チェロ組曲はどんな楽器で演奏しようと、そのヴァーチャルなポリフォニックが感じられなくては面白みがありません。これは音楽自体がそのように書かれているので普通に楽譜通り演奏すればある程度は実現されるはずです。その点では藤井香織のフルートの演奏もなかなか楽しめるのですが、部分的に「あれれ」と思わせる部分があります。

 譜面は1番のプレリュードの終わりの方の一部分ですが、この6小節間では音符一つ間隔でずっとAの音が連続しています。これはチェロではA線の開放弦で演奏します。つまり常にAの音を鳴らしながらD線上でメロディラインを演奏する事になります。D線上のメロディは徐々に上昇し3小節後半から4小節前半でAの音を通過します。このときチェロで演奏される分にはベース音のAとメロディラインのAは別の弦で演奏されるので2声部に分かれて聞こえるのですが、フルートで聴くとメロディラインがAの音になると同じ(音色の)Aが連続してしまって2声部に分かれず、突然「おっとっと」といった感じになります。

冒頭
[フルートだと・・・]

 こんな風に書いていると藤井香織の演奏が気に入らなかったようにとられるかも知れません。確かに音楽的な完成度みたいなものは今一つかも知れませんが、私は結構このディスクを気に入っているのです。(だからここで取り上げたのだし、3月の藤井香織のコンサートのチケットも買いました。無伴奏チェロ組曲もプログラムに入っています。)

 正直なところ私には結構怠惰な性向があって、これがたまに表面に現れてしまうと真っ当な社会生活との整合性をとっていくのが辛くなる時があります。まぁ単なる甘えでしかないのですが。私自身はなぜかオーケストラの中の楽器としてはフルートにはあまり興味がないというか痺れるということの少ない人間なのですが、そんな精神状態でソロ(無伴奏)のフルートの演奏を聴くとゾッとするようなどうしようもない孤独感に襲われて酷く辛くなります。でも、そんな暗がりで膝を抱えてじっとしている自分を他人の目で見ているような、妙な解放感みたいなものもあり、それは決して嫌な感覚ではなくて音楽的な快感なのです。
 普通の精神状態であってもフルートやリコーダーのソロには、その音色が響き消えゆく果てまでも一人ぼっち…みたいな寂寥感が寒々と染み込んでくるようなところがあって、このディスクの演奏も無伴奏チェロ組曲の演奏という興味だけでなく、純粋に音楽として楽しませて(寂しい想いをさせて?)もらいました。

 にしても、なぜフルートのソロって寂しさを感じさせるのでしょう。オーケストラの中の楽器で考えてみると、フルート(ピッコロ)は唯一振動する実体を持たない楽器です。たとえばオーボエやクラリネットにはリードという厳然たる物理的な振動子があり、これが空気を振動させて音として伝わる訳です。金管楽器は奏者の唇の振動が音になっています。弦楽器には弦、太鼓には皮、歌手にも声帯…そういう振動する実体がフルートにはありません。音響物理学か流体力学か何の話になるのか、何ににしろ私には全く解りませんが、フルートは奏者の息を歌口に吹きつけることで直接空気を振動(すなわち音!)させて音を奏でます。正に風の音とでも言うべきフルートですが、そんな振動する実体のなさがはかなさを、純粋に空気のみの振動であることが汚れのなさを感じさせるのでしょうか。

 余談になりますが、やはり最近の新譜で有田正広が作曲された時代に合わせて様々な時代のフルート(オリジナル楽器)で演奏したCDも購入しました。レコード店の店員さんの話ではサンプル盤を流していた時から評判が良く、非常に良く売れているそうです。このディスクの1曲目のシリンクスを含め何曲か無伴奏のフルートを堪能させてくれます。

 


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