オーディオがもたらすもの

 現役の機器の中では最古参となる10年選手のCDプレーヤがついにやばくなってきました。CDのトレイが手動になっちゃって。今はお金がないのにどうしよう。でも買い換えるならグレード・アップしたいし…。一番危惧されるのは、このところ大人しくしていたオーディオの虫が騒ぎだすことなのですが。ということで今回はオーディオ・ネタです。

 トランペットはオーケストラの中でも、フルートと並んで姿形だけでなくその音も最もよく知られている楽器でしょう。一般的な意味からしても最も人気のある楽器かも知れません。実際、トランペットが鳴り響く様は爽快感があってオーケストラが奏でる音楽の中でも最も高揚感に溢れたイメージがあります。とにかくトランペットの格好良いパッセージは何を挙げたら良いか悩む程いっぱいあります。

 実際にはオーケストラの中でトランペットが単独に格好いいパッセージというのは意外に少ないものです。トランペットがオーケストラの中で輝くとき、それはホルンやトロンボーン・チューバなどの金管楽器群でつくりだす見事なピラミッドの頂点にトランペットがある場合が多いのです。

 さてそんなトランペットですが、私の最も好きなトランペットのパッセージは、実は相当に地味なパッセージです。ブラームスの交響曲1番の4楽章に皆さんご存じの次のような部分があります。ほとんどパッセージと呼ぶのも憚られるほど単純で短いのですが…。

 これは描写音楽ではないしこんな風に聴くのは邪道とは思いますが、アルプスを渡る風(フルート)が峰々にかかる雲・霧(弦楽器)を吹き払い、その切れ間から一条の光が射してくる(トランペット)ように聴こえてなりません。このトランペットの実に単純な3つの音E−C−G(ミ−ド−ソ)のなんと神々しいことか。
 このトランペットのパッセージの格好良さに初めて気が付かせてくれたのがバーンスタイン指揮ウィーンフィルのディスクでした。実に柔らかくしかしはっきりと、まさに一条の光が射し込んでくるように吹かれていました。それは多分同じメンバー・同じ会場でもう一度同じ演奏をしようとしてもできないような、一期一会とも言うべき神が宿った一瞬の出来事のようにも思えるほどです。それ以来、ブラームスのこのシンフォニーを聴く度に、必ずこの箇所でトランペットに耳をそばだててしまいます。けれどもこのバーンスタイン・ウィーンフィルで聴けたような神々しいまでの美しいトランペットを聴くことはありませんでした。

 トランペット奏者としてはこういうパッセージはどうなのでしょうか。はっきり言ってこの場での主役はフルートだろうし、取り立てて難しいとも思えませんが音をはずすような失敗でもしない限りトランペットが吹いていることにさして気が付かない聴者も結構いるのではないでしょうか。プロの演奏家がコンサートや録音でおざなりに演奏するとは思えませんが、時として「ここは凄い格好いいパッセージなんだぞ!」と言いたくなるような演奏がないでもありません。逆に美しく吹こうとするとこういう単純なパッセージが故に酷くプレッシャーがかかるのかとも想像しますが…。

 さてこの神々しいまでのトランペットですが実はこの10数年聴いていません。これはバーンスタイン・ウィーンフィルのディスクを聴いていないという意味ではなく、何となくあのトランペットに備わっていた一条の光を思わせるオーラが消えてしまったのです。原因については色々と想像はできます。何度も繰り返し聴くうちに新鮮みがなくなってしまったのかもしれません。でも思い出してみるとスピーカをTANNOYからQUADに変えたあたりから、というよりもTANNOYからしかこのトランペットを聴いた覚えがないような気がします。
 バーンスタイン・ウィーンフィルによるブラームスの1番の交響曲を初めて聴いたときにはTANNOYのスピーカでしたが、この後QUAD、SONUS・FABERと変遷しています。それを鳴らしてきたアンプやCDプレーヤも色々と変遷があります。スピーカを変えればやっぱり鳴る音楽も変わります。アンプやCDプレーヤもスピーカほどではないにしろ、やはり変わります。LP時代には(お金もなかったので)スピーカケーブルを取り替えたり、カートリッジとシェルを結ぶリード線を変えては、その変化に一喜一憂したこともありました。今だって新しい機器に変えた時には、電源の極性を合わせたり、バイ・ワイヤリングにするか、ウーファ側の端子かツィータ側の端子に結線するか聴き比べたりもしますが、今は一旦決めてしまえばそのままです。
 オーディオ機器による音楽の聴こえ方の差をどう考えるか、大きいととるか小さいととるか、変化が気になるかならないかでオーディオマニアになるかならないかが分かれるのでしょうか。実際、今までの音楽を通じての友人でも音楽的には実に色々と示唆を与えてくれる人でもオーディオとは全く縁のない人は多いですし、プロの演奏家や音楽評論家でも再生装置に無頓着な人はいっぱいいます。

 所詮オーディオ機器を変えたところで、シューベルトがドヴォルザークになったり、バーンスタインがカラヤンになったり、ベルリンフィルがウィーンフィルになったり、ペライアがミケランジェリになったりする訳がありません。お気に入りの演奏が気に入らなくなったりするような変化もありません。バーンスタイン・ウィーンフィルのブラームスの1番は相変わらず圧倒的な感動を与えてくれるし、例のトランペットも実に柔らかく美しく演奏されています。でも、あのオーラがない…。もし、今初めてバーンスタイン・ウィーンフィルの演奏を聴いたとしたも、昔初めて聴いたときと同じように感動すると思います。思いますが、例の箇所がトランペットで一番好きなパッセージという自分はいない気がします。

 これはQUADやSONUS・FABERよりTANNOYの方が素晴らしいスピーカだといっているのではありません。それぞれが素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
 例えばバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」で一番好きな演奏はシェロモ・ミンツのディスクなのですが、この本当に良い楽器をあるがままに鳴らしたような美しい演奏はQUADならではのものでした。その清々しいまでの素直な演奏から得られる爽快さは、今のSONUS・FABERでは薄まってしまいました。(しかし、SONUS・FABERはもう少し色濃い演奏になるが、そこではミンツがただヴァイオリンの美音に頼った演奏をしているのでないことがよくわかる。)
 TANNOY、QUAD、SONUS・FABERそれぞれに別の長所があって、演奏とスピーカと私自身の琴線が触れ合った時、例のトランペットのような素晴らしい一瞬が生まれるのでしょうか。
 今TANNOYのスピーカを持ち出して同じアンプやCDプレーヤで聴いても多分例のトランペットにオーラが宿ることはないと思います。(部屋や気候その他条件を全く同じにすることはできない。なりより私自身があの当時に若返ることができない。)あの演奏は二度と同じ演奏はできない一期一会のような演奏かもしれないと書きましたが、同じようにあの時あの部屋・あの装置で鳴らされたトランペットは一期一会の再生だったのかも知れません。そう思うと日々CDプレーヤのトレイに乗せるディスクももっと真摯に聴かなければと反省します。

 このページを書くにあたって感動した一瞬を思い出していたのですが、どうもTANNOY時代の思い出が多くなります。
 ヨッフムがドレスデン・シュターツカペレを振ったブルックナーの8番の終結部で見せた(聴かせた)巨大な構成物の全容が明らかになるような瞬間、アンセルメがフォーレで聴かせた馥郁たる気品、クナーパッツブッシュの悪魔のようなヴァーグナー…。これは自分自身の音楽に対するエネルギーが希薄になっているせいのような気がして、反省しきりです。それにしてもCDプレーヤをどうしよう…。

 


ご意見・ご感想はこちらまで