教員処分を検討する東京都多摩市教委

「偏向授業」と決め付け

意図的な「事情聴取」に疑問の声


【前文】「授業について市民から苦情があった」ことを理由に、市教育委員会が教員を処分しようとしている。ただ「苦情があった」というだけで事情聴取を進め、苦情内容さえ明らかにしようとしない市教委に、市民や同僚教員からは「あまりにも意図的だ」と疑問の声が出ている。


●問答無用の事情聴取●

 市教育委員会から事情聴取を受けているのは、東京都多摩市立多摩中学校の家庭科教諭・根津公子さん(五○歳)。「男女共生」のテーマを、社会的事象を通して考えさせる授業に取り組んでいることで、家庭科教育の研究者や教員仲間に知られる先生だ。

 「授業の進め方などについて、市民から苦情の申し立てがあったので事情聴取します」──。

 今年四月下旬、多摩市教委は根津さんを市庁舎の委員会室に呼び出した。しかし、具体的にどんな苦情がどんな形であったのか、内容を一切知らされないままの状態で、根津さんは事情聴取を受けようとしていた。そのことを知った市民や保護者ら数人が心配し、市教委を訪問して事情聴取の姿勢を問いただした。

 「市民からの苦情とはどういうものですか。もし授業に問題があるのだとしたら、まずは先生と市民が話し合って現場で解決すべきではないのですか」

 ところが、応対した市教委の原田美知子・指導室長は「(苦情や事情聴取の)内容については言えない。服務の問題も授業内容の問題もある。保護者と根津教諭が話し合うように校長には指示してあるが、指示通りに実施したかどうかの確認はしていない」などと繰り返すだけだったという。

 これに対して、根津さんは「授業内容に苦情や疑問が寄せられているのなら、きちんと説明したいと校長に何回も提案したが、その必要はないと言われて話し合いを拒まれた」と話しており、市教委の説明と校長の対応は完全に食い違っている。

 事情聴取は断続的に、これまで三回にわたって行われた。代理人の弁護士が必ず根津さんと同席して、手続きの正当性や公正さなどを一つずつただしながら、毎回二時間近く行われている。だが「市民からの苦情」の中身はどういうものなのか、相変わらず何も示されないままだ。

●子どもたちを扇動?●

 ことの発端は今年二月、卒業式実行委員会の中で、委員の生徒たちが「日の丸・君が代」の問題を話し合ったことだった。

 同僚教員と二人で実行委員会の顧問になった根津さんは、委員会の席で生徒に尋ねた。

 「みんなはどういう卒業式にしたいの?」

 委員会担当の顧問教員としてはごく自然な問いかけだ。「子どもたちが自分たちの力で作り上げたと感じられるような、自分たちが一番望むような卒業式を経験させたい」との思いから、根津さんは「実現できるように先生たちも協力するからね」と話した。

 「『君が代』はやらなくちゃいけないのかな。何となく暗くて嫌だ」と発言する生徒がいた。

 「自分たちで作る楽しい卒業式にしたい。やらなくていいのなら『君が代』はなくしたい」

 生徒たちが卒業式原案をそんな内容でまとめようとしたので、根津さんたちは「何となく暗いからというだけでは理由としてどうだろう。いろんな大人に意見を聞いて、もっと調べて考えてから結論を出したらどうかな」と指導して宿題にした。

 数人の生徒が校長のところに質問に行った。しかし、それがきっかけで「根津教諭は生徒を扇動して利用している」などと非難されることになった。以後、実行委のトーンはがらっと一変した。

 「学校主催で来賓もたくさん来るのだから、これまでのような伝統的な卒業式にしたい。この前の原案は変えて『君が代』もやりたいと思います」

 校長室に質問に行った生徒たちが、その次の実行委でそんな提案をした。卒業式は「従来通り」の形で行われることになった。

 そのうちの一人の生徒が根津さんのところにやって来た。「先生は『日の丸・君が代』をやめさせるために、私たちを利用したんでしょう。校長先生がそう言っていました」と話し始めたので、根津さんはびっくりした。

 「やめようなんて私は一言も話してないよ。みんながどうしたいかを聞いただけだよ。『君が代』のことは実行委員の子が言い出したんだよ」

 さらに、同じく校長室に行った実行委員の生徒が、家庭科の課題リポートを提出したくない理由を書いて持ってきた。「今やっている家庭科の授業は、校長先生が見せてくれた学習指導要領には一言も書かれていない内容だからやめてほしい」と書かれていた。

 それまで、授業中にも自分から積極的に発言していた生徒だったので、突然の変わりように根津さんは驚いた。

 どうやら生徒が校長室に質問に来た後で、校長は改めて何人かの実行委員の生徒を呼んで、「日の丸・君が代」や家庭科の授業のことで話をしたらしい。PTA役員の保護者数人にも、同じような説明をしたのではないか。その後の校長らの言動から、根津さんや同僚教員たちはそう推測する。

●授業内容にクレーム●

 それから間もなく、卒業式実行委員会の指導方法のほか、家庭科の授業内容について校長からクレームが付いた。

 根津さんは三年生の三学期の家庭科授業で「男女共生」をテーマに、従軍慰安婦や同性愛、男女差別の問題を取り上げた。義務教育最後のまとめとして、過去から現在まで続くレイプや差別の事実を知ったうえで、男女が一緒に生きていく社会の在り方を考えようというのが授業の趣旨だった。

 授業では合計六時間をこのテーマにあてた。賃金・昇進による女性差別の訴訟記事、韓国の従軍慰安婦を訪ねたビデオ、元日本軍兵士の証言をまとめたプリント、同性愛者が中学生に向けて書いた手紙などを教材として使った。

 ところが、校長は「男女共生社会なんて学習指導要領のどこに書いてあるのか。家庭科の学習指導要領から逸脱している」と決め付けた。また、教頭は「六人の生徒が、先生の考えを押し付けるから家庭科の授業はもう受けたくないと言ってきた」と根津さんに告げたという。

 従軍慰安婦の問題について、生徒の一人が「うちのおじいちゃんは、そんなことやってないよね」と質問したのに対し、根津さんは「分からない」と答えたという。それが子どもの心を傷つけたのだと批判された。ところが、その応答がいつの間にか「みんなのおじいさんは人殺しだ」と根津さんが言ったことにされ、さらには生徒が「ぼくのおじいちゃんは人殺しだ」と受け止めて傷ついていることになっていた。

 ことの成り行きに、同僚教師たちも戸惑いと怒りを隠さない。

 「授業がこんなふうに一方的な受け止め方をされて処分されるのなら、教員は生徒に何も話ができなくなる。もの言わぬ教員が作られるだけではないか」

 三月中旬になって、市教委指導主事と校長、教頭の三人が、根津さんの担当する二年生の家庭科の授業を見に来た。不審に思った生徒たちから、校長らに疑問の声が矢のように浴びせかけられた。

 「どうして教育委員会が授業を見に来るんですか」「ほかの先生の授業ではこんなことはないじゃないですか」

 授業が終わってからも、授業監視に対する生徒の怒りは収まらなかった。休み時間や放課後に、十人以上の男女生徒が次々と校長室へ抗議に行った。

 「先生が自由にものが言えないなんておかしいよ。社会科で習ったけど、これじゃあ、戦前の治安維持法とまるで同じ状態じゃないですか。現実がこんなふうになっているのに、私たちが何もできないなんて納得できません」

 女子生徒の一人は、根津さんにそんな話をしてから友達と一緒に校長室に向かったという。

 「根津先生を辞めさせたら、おれはもう絶対にこんな学校には来ないからな」「なぜ、教育委員会は根津先生の授業だけ見に来たのですか」

 校長室で、二年生の生徒たちは指導主事や校長に食い下がって一歩も引かなかった。あまりの剣幕に、指導主事は「根津先生の授業について保護者から苦情の電話があったから見に来たんだ」と答えたという。

 しかし二年生の生徒たちは、校長や指導主事の説明に納得することはなかった。

 翌日、校長と教頭は「辞めさせられると生徒に言ったのか」と根津さんを詰問した。職員会議の場でも「子どもたちの状態が不安定になっている。生徒が騒いでいるのは、根津教諭が扇動したからだ」などとすごんでみせた。

 一方、この日に開かれた市議会予算委員会では、自民党と公明党の議員が「中学校の家庭科で不適切な教材を使う教員がいる」「自分の主義主張を押し付けて洗脳して困る」などと質問した。実名こそ出さないものの、根津さんを批判しているのは明らかだった。これに対し、生活者ネットや共産党の議員は根津さん擁護の論陣を張った。

●処分前提に材料探し●

 根津さんは八王子市立石川中学校に勤務していた二年前の一九九九年、家庭科の授業で「自分の頭で判断できる人間になろう」などと教えた。それが「校長の学校運営方針を批判するに等しい」との理由で、八王子市教委から文書訓告を受けた。昨年四月に、多摩市立多摩中学校へ異動。今年二月に「不当処分で精神的苦痛を受けた」として、八王子市を相手取り提訴した。

 当然のことながら、こうした経緯は多摩市教委もよく知っているはずだ。根津さんが「日の丸・君が代」の強制に反対して、職員会議などで積極的に発言しているのも把握しているだろう。

 市議会開会中の三月上旬。生活者ネットの吉田千佳子市議は、石川武・多摩市教育長と市庁舎内の廊下で立ち話をした時に、教育長が根津さんのことで愚痴をこぼしたのをはっきり覚えている。

 「多摩中は子どもが荒れていて大変だが、もっと困るのは教員の問題だ。根津教諭は問題教員なんてもんじゃない。子どもたちを扇動するようなことを言う。何とかして現場を外せないかと考えているんだが、なかなか証拠を残さないから困っているんだ」──。

 根津さんを学校現場から追い出すために、市教委と管理職が連動して何ごとかを画策しているのがとてもよく分かったと、吉田市議は証言する。

 多摩中の同僚教員の一人は「結論が先にあるんです。処分を前提にして材料を探している。とても同じ職場で働く人間の姿勢だとは思えない」と言って、市教委や管理職の姿勢を批判した。

 「根津さんの授業は指導要領に沿っていますよ。それなのに根津さんを辞めさせたい保護者の声は持ち上げて、好意的な保護者は追い返してシャットアウトするなんてフェアじゃない。事情聴取されるべき教員は、ほかに何人もいるはずでしょう。根津さんは市教委や校長に逆らう悪い先生だという前宣伝が、着任前から浸透しているのも問題だと思います」

 三年生の女子は「生徒の気持ちを全然無視する先生が多いけど、根津先生は親身になってちゃんと聞いてくれるから大好き。みんな信頼している。授業も楽しくて分かりやすい。絶対に辞めてほしくないです」と訴える。

 文部科学省初等中等教育局教育課程課では「新学習指導要領の改訂基本方針の中で、男女共同参画社会の推進がうたわれているが、これは家庭科の現行指導要領にも根底に流れる考え方だ。男女の性を認め人権尊重する授業内容なら、具体的な教材は子どもの実情に応じて現場に任される」と説明する。

 多摩市教委は「何もお話することはありません。議会で質問された事実もない」(原田指導室長)などと取材拒否を繰り返し、多摩中学校の前島俊寛校長は「市教委と相談してお答えしないことになりました」と述べた。都教委職員課は「市教委の対応をみて判断する」と話している。

初出掲載(「週刊金曜日」2001年6月1日号)

=雑誌掲載時とは表記や表現など一部内容が異なります。


●写真説明(ヨコ):根津公子さんへの事情聴取が行われた委員会室の前には、心配して大勢の市民らが詰めかけた=4月25日午後3時半ごろ、多摩市庁舎で

●写真説明(ヨコ):事情聴取が終わって、市民や教員仲間に経過を説明する根津公子さん(中央)=4月25日午後5時ごろ、多摩市議会の議員控室で

●写真説明(ヨコ):市議会議員や弁護士、市民らの疑問の声に応答する市教委の原田美知子・指導室長(中央)。しばしば返答に窮した=5月2日正午ごろ、多摩市庁舎の正面玄関前で


【続報】=この記事の続編を書いています。「つくられる『指導力不足』教員」として掲載しました。


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